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遠い思い出


 蘭花の献身的な手当てとレイ自身の回復力のおかげで、目覚めた翌日には、レイは自力で起き上がれるようになった。

 だが、レイが痛めた左足首の腫れは引かず、まだまだ歩けそうにない。深手を負った脇腹の傷も完全に塞がってはいない。

 レイには、もうしばらく休養が必要だった。



 和室の掃き出し窓にかかる簾の隙間から、秋の柔らかな陽光が差す昼下がり。

 レイが療養している部屋に、万象が家族を連れてきた。


 畳に座った花音の後ろで、母親に隠れるようにしている幼い二人の娘たち。緊張と好奇心が入り混じった四つの茶色い目がレイを見ている。薄茶の耳と栗色の髪が花音とよく似ている。

 万象が笑いながら、姉の方の背を押した。娘は少しだけ前に出たが、レイと目が合うとすぐに花音の後ろに隠れてしまう。万象は苦笑する。


「人見知りですまんな。娘たちだ。こっちが姉の花凛(かりん)で、この小さいのが妹の鈴音(すずね)

 

 鈴音の方は上目づかいで、じっとレイを見つめながらも、花音の腕にしがみつくようにしている。

 その姿を見てレイは苦笑する。自分はそんなに怖い顔をしているんだろうか。

 そんな万象の後ろから、ぴょこっと顔を出したのは、万象と同じ黒い耳を持つ少年。昨日、蘭花にレイの目覚めを元気よく報告した黒狐の子供だ。


「こっちが御影(みかげ)。二番目の妻との子供だ」


 御影と呼ばれた少年は、黒い尻尾を左右に振りながら好奇心でいっぱいの緑の瞳をきらめかせてレイの前に出た。


「レイ、おまえ強いんだろ!? オレと勝負しろよ」


 開口一番にそう言った少年を、すかさず蘭花がたしなめる。


「もう、御影! レイは怪我してるんだからね!」


 まるで姉弟のようなやりとりがほほえましくて、レイは笑みを浮かべた。


「怪我が治ったら、ぜひお相手願おうか」


「やったー!」


 御影がはしゃぐと、花音の後ろから花凛が尻尾を振りながら出てきた。


「カリンもしょうぶするー!」


 無邪気に宣言した花凛の後ろで、花音の腕にしがみついた鈴音も顔を出す。


「……じゃあ、スズも!」


「三対一か……お手柔らかに頼むな」


 レイが応じると、花音がふふふと笑った。


「あらあら、じゃあ栄養のあるものたくさん食べて、早く怪我を直してもらわないとね」

 

 蘭花も万象も笑っている。子供たちの笑い声に釣られて大人も自然と笑顔になる。

 ルクサリアでは感じたことのないぬくもりに満ちた家族のやりとりに、レイは少し戸惑いながらも、どこか懐かしい気持ちになる。


 その光景は、レイがもう忘れかけていた遠い故郷を思い出させた。


 レイは、もともとはルクサリア帝国の出身ではない。故郷はルクサリアから海を隔てて東方にあるジハーナという島国だった。

 そこはレイが生まれる少し前にルクサリアとの戦に負け、現在は植民地として占領されている。

  レイは幼い頃、交易の盛んな港町に住んでいた。そこでは獣人も人も差別なく共存していて、さまざまな人種が入り混じって暮らしていた。

 レイの母親は娼婦で、父親はルクサリアの兵士だというが、詳細はわからない。

 レイは母の所属する娼館で育てられた。そこには獣人もいたし、同じような境遇の子供も数人いた。

 レイの母親は、レイと同じ黒髪に褐色の肌で、明るくよく笑う人だった。

 決して裕福ではない環境だったが、母親はレイを愛情込めて育ててくれた。

 

 無邪気な子供の笑い声がこだまする家、大人たちのあたたかな眼差し、人々のぬくもり――それを当然のように享受できていた、幼いあの頃。


 しかし、そんな幸せな時間は、そう長くは続かなかった。

 レイの母親は、レイが七つの頃に病にかかり、死亡した。

 

 ――レイ、強く生きて。

 

 それが、死ぬ間際に息も絶え絶えの母から聞いた、最期の言葉だった。

 孤児となったレイは、労働力として強制的にルクサリア本国に連れていかれた。

 その際に受けた適性検査で戦闘への才能を認められ、レイは兵士として訓練を受けることになった。

 幼い子供には過酷な状況だったが、レイは自分を故郷から連れ出したルクサリアを憎んではいなかった。ルクサリアでは食事に困ることはなかったし、教育と剣の指南を受け、生きる術を教えられた。

 植民地の出身であることと、ルクサリアでは珍しい容貌のせいで、差別的な扱いを受けることもあったが、厳しい訓練をこなす中で認められ、信頼できる師や友人もできた。

  軍に入ったレイは、実直に任務をこなすうちに、高い戦闘力と責任感の強さが認められ、若くして部隊長に昇格した。

 レイは兵士としての戦いの中で、自分の存在意義を見出していた。

 だが、同時に自分はルクサリアの駒の一つであり、いつでも替えがきく人間だと理解していた。

 敵も死ぬ。味方も死ぬ。朝まで生きていた仲間が、夕方には屍になっている。

 そんな、死と隣り合わせの生活の中で、死への恐怖は次第に薄れていった。

 いつ死んでもいいと思っていた。

 そんなレイを生かしていたのは、「生きろ」と言った母の言葉だった。


 しかし、仲間に裏切られ蒼の断崖に飛び込んだあの日、それすら諦めかけた状況で、レイを生かしたのは――


 レイは万象たち家族と談笑しながら、無邪気に笑う蘭花を見た。

 じわりと胸に湧いたあたたかな感情を、レイは心地よいと思った。

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