1-3 無能のハズレ令嬢、北の大地へ
「・・・・・。」
「・・・・・。」
パチパチと薪が燃える音だけが耳に入る。
ノルディアの大公軍待機所の一室。契約書に目を通していたクロディーヌは、向かい合って座る銀髪の大公をちらりと盗み見た。
(とてもきっちりした貴族然とした方です…。 初対面で無礼を働いてしまいました…)
社交界で居場所がなかったクロディーヌは大公のことをあまりよく知らずにここへ来た。一つだけ知っていたことは、『2年前に就任した新大公は平民の女性と子をもうけた』ということ。舞踏会会場の壁と一体化していたクロディーヌの耳になんとなく入って来た噂話。どことなく聞いたような話で、それだけは覚えていた。
クロディーヌが今回の大公家の家庭教師を務めようと思ったのも、そこが所以であった。
…そうでなくとも、この好条件に、依る場所のないクロディーヌは飛びついていたかもしれないが。
雇用期間:雇用開始日より3年間。以降の継続の可否については相談とする
業務内容:フェリクス・アイスダルク及びエルフリル・アイスダルクの教育・監護一般
賃 金 :月20万バレル(特別賞与有り)(能力によって昇給有り)
その他 :私室については大公邸の一室を使うこと
双子以外のことには干渉しないこと
他にも細々としたことが書いてあったが、凡そはこのような内容である。
そして、雇用契約書の他にもう一枚、誓約書が添付してあった。
―――業務上知り得た情報を皇国の人間に一切他言しないことを誓います―――
その一文を見て、クロディーヌは特に何も疑問を持たなかった。
(私室が与えられてお給金もいただけるなんて…! フォージャー家での暮らしとは雲泥の差です…! 秘密保持義務は当然ですよね)
クロディーヌが迷いなくサインをしようとすると、窓の外の吹雪を見ていた大公の瞳が動いた。
「それは魔法誓約書です。 サインをし、万が一破ると魔法が発動し私に報せが来ます。よろしいですか?」
「ええ、はい…。 皇都に帰る予定はありませんし、秘密保持は当然だと思いますので…」
「そうですか。 では」
クロディーヌが筆を走らせると、サインは青白く光り、やがて光は羊皮紙に吸いこまれていった。
(これで今日から私は大公家の家庭教師です…!)
背筋が伸びる思いで息を吸い込む。
吹雪が和らぐまで、ここで待機して、それから馬そりで大公邸に向かうという。クロディーヌは早く双子に会いたい気持ちで笑みがこぼれた。
そんな彼女を見やる大公ルーカスの瞳は冷めている。
「フォージャー女史は…、」
「はい?」
「ああ、そうお呼びしても?」
「はい! お好きにお呼びください」
本当はフォージャーには良い思い出がないのでそう呼ばれることに抵抗があったが、大公相手に「クロディーヌと呼んでください!」となど言えるわけもなく。彼女は笑顔で本心を隠した。
「女史はどうして、ノルディアなんかに? 貴女にも色々事情があるとは聞き及びましたが、何もここでなくても」
「場所は…フォージャーの元でなければ私にとってはどこでも天国です。 それに子どもが好きなので…」
「子どもが?」
「はい! 子どもは真っ白な紙のような存在です! だから、」
「ああ…確かに、真っ白だから何色にでも染められて、都合がいいですよね」
「え」
ひやっ
と背中に悪寒が走ったのはここの寒さからではない。氷色の瞳が、どこか空を見つめてあまりにも冷たく曇ったから。薄い唇が何もかもを諦めたかのようにほのかに笑っている。
『子どもはね、真っ白な紙なの。 そこに、楽しかったことや悲しかったこと、大好きな人、大切なもの、夢や希望をどんどんのせていくのよ。 私はその素敵な1ページを大切に大切に、隣りで一緒に本にしていくような、そんな毎日が幸せなのよ。』
柔らかな日差しが質素な教会の薄い窓に差し込む。優しいあの場所で、穏やかに笑ったあの人とはあまりにも正反対で。
クロディーヌはなぜだか鼻がツンとした。
実父とは違う、冷えた瞳。
虚を見つめるその氷色が何を見ているのか、今日初めて会うクロディーヌには分かるわけもない。
それでも、クロディーヌはその冷えた横顔から目を逸らさなかった。帰りの汽車賃は無いし、帰る場所も彼女には無いから。
「閣下…」
「なんでしょう」
「私は、白い紙が彩られていくのをお傍で見守っていきたいのです。 もちろん、人として生きていくすべ、貴族としてのマナーや教養はお教えします。 でもその紙はあくまでも子ども自身のものなのです」
「何が言いたいんでしょう」
「閣下は、お子様たちに、何を記して、何を描いていってほしいですか?」
「…何を?」
細められた目でじろりと一瞥されて、クロディーヌは肩を揺らした。
(はっ!! 私としたことが!)
まだ親になったこともない小娘が偉そうなことを言ってしまった!とクロディーヌは若干焦った。
「あ、あのあの、雇用主の意向を聞いておくことも大切なことかと思いましてっ!」
「貴女は今まできっと、全て整えられた煌びやかな世界にいたのでしょうが」
ぴしゃりと言い放たれたその言葉にクロディーヌは心臓が凍てつく感覚に陥った。
「ここは貴女が今までいた世界とは全く別世界です。 屋敷に行って双子に会えば、すぐに分かるでしょう」
「どういうことで、」
「貴女が思い描くような真っ新で伸ばされた紙を持つ子どもばかりではないということです」
ため息をつきながら言われた一言に、クロディーヌはきょとんと眼を白黒させた。
「双子様は、何かご病気でもお持ちなのでしょうか?」
「そういうわけではなく、」
「しっつれいしまーーーす!!」
突如、威勢のいい声が飛び込んできた。衝立から、軍服を着た赤髪の大柄な男が現れた。
「閣下、お話のところ申し訳ありません!」
「いや、いい」
「フォージャー公爵令嬢、始めまして! 副指揮官のアーサーと申します! これからよろしくお願いします!」
「はい!こちらこそよろしくお願いします!」
アーサーの勢いにつられ、クロディーヌもガバッと立ち上がり、勢いよく90度に頭を下げた。その様子にアーサーは目を見開く。
(あああっ! 私ったらまた! 10cm下げ15度ティーカシーをあれほど叩き込まれたのに…!)
クロディーヌが淑女らしからぬ挨拶をしてしまったことを恥じて口元を抑えているのを見て、アーサーは大きな口を開けて豪快に笑った。
「はっはっはっは!! 公爵家のご令嬢がいらっしゃると聞いていたから、閣下も自分も、どんな気位の高いお嬢様が来るかとハラハラしていたんです! いや~良かったですねえ? 閣下!」
「家庭教師としての責を果たしてくれるならどのような人物でも構わない。」
「そんな~! あの双子様たち相手に、普通のお嬢様じゃ無理でしょう」
「? あ、あの、双子様たちは、一体どんな…」
「まあ会えばわかりますよ! さ! 吹雪がやみそうにないんでそろそろ出発しましょうと言いに来たんです。 真冬は日没が早いですからね」
皇都仕様の防寒着とマフラーしか持ち合わせていなかったクロディーヌに、アーサーは軍の防寒コートを貸してくれた。アーサーや他の軍人たちに続いて扉を出て吹雪の中に進もうとしたクロディーヌの腕は、後ろにぐんと引かれる。
振り返ると、大公ルーカスが引き止めていた。
「それでは凍傷になります。 失礼」
一言短く言って、クロディーヌの長い紅茶色の髪の毛を背中側に仕舞い込み、フードを被り直させ、フードの紐をきつく絞った。フードに取り付けられていたもこもこの毛皮が顔にあたって視界が狭まるほどきつく紐を結ばれる。
手には軍服のポケットに入っていた手袋をもう一枚重ねて、二重にはかせてくれた。
(なっ、なっ、な…!!!?)
男性に身なりの世話をされるなど初めてで、息をするのを忘れてしまうほど、クロディーヌは動揺していた。
「できました。 行きましょう。 慣れないと思うので、私の腕を掴んで、下を向いてついてきてください」
「!!!? は、はいいい!!」
(慣れていなさすぎます!!! 色んな意味で!!)
しかし一歩外に出ると、それは命を守るために必要なことであったと痛感した。吹雪で、昼なのに薄暗く、雪がなぐりつけて閣下より前はもう見えない。顔周りの毛皮がなければ頬はあっという間に雪に晒されて凍っていたかもしれない。
魔獣、寒さ、雪。クロディーヌはノルディアの厳しさをひしひしと感じながら馬そりに乗り込んだ。
初めて乗る馬そりは過酷なものであった。安全上屋根がついていないので雪風にさらされるし、落ちないように必死で体勢を整えなければいけなかった。
先ほどまでの軍施設から大公邸までは10分ほど。
しかし、着いて降りる頃には、クロディーヌの鼻は真っ赤に、身体全身はふらふらになっていた。
「大丈夫ですか」
「だっ、大丈夫です…!!」
(こんなことで音をあげていられません…!)
大公邸の門から入り口までは、腰ほどまで雪が積もっていたが、アーサーが魔法で人が歩けるように吹き飛ばした。
強い吹雪で遠くからでは全容は見えなかったが、扉の前まで行くと、この石の建物は貴族の屋敷というより要塞のように武骨で頑丈そうなつくりをしている。
「では、ようこそ大公邸へ。 あまり片付いてはいませんが」
「はいっ! 失礼いたします!!」
大公に促され、開いた扉を開けたクロディーヌは、フードを取り、目の前に広がる光景に、オパールの目を見開いた。
「な!!? な、なんですか、これは…!!!?」




