97.悲しみに生きる
俺達はこの時代で、命を落とすべきだったのだ。
ハジメはこの15年間、辛く苦しい人生を歩んできた。
そんなハジメがわざわざ禁忌を犯してまで、記憶を持った状態で、この世界に生まれ変わりたいと望むはずがない。そこまでして未来の人々を、未来の世界を救いたいと願うはずがない。
ハジメはただ、俺達に再び会うためだけに、生まれ変わることを決めたのだ。
ハジメは気づいていたのだ。俺達のこれまでの態度や言葉から。
俺が怪しい店の店主に言い放った言葉から。
アルクが俺を、別の名で呼んだ時から。
同じ部屋に寝泊りし、たまたまアルクが脱ぎ捨てた服のポケットからはみ出した、冒険者カードに書かれた名前から。
そして最後のアルクの、魂の叫びから。
元々アルクと同じ世界から来たハジメにとって、考えを組み立てることは容易だった。
前世で散々見たり読んだりした、過去へ遡った者達の物語。
そしてたまたま自分が見つけた、禁忌の魔術。
聡明なハジメは俺達が未来から来て、正体を隠していたことを知る。
そして自分は禁忌を犯し、その時代に生まれ変わるのだということを悟る。
ハジメの原動力となったものは、悲しみだった。
もし俺が最初に夢で見たとおり、一人の犠牲も出さず平和的に魔王を討ち取ったなら、ハジメはわざわざ生まれ変わることはしなかっただろう。
俺達との別れを惜しみながらも、その時代を生き続け、平穏に生を終えていたはずだ。
俺達の命が失われた悲しみと絶望感、罪悪感。
ハジメを突き動かしたのは、そういった感情だった。
しかしハジメは同時に理解している。
例え未来で俺達に再会しても、その時の俺達はまだ、ハジメに出会っていないということを。
それでもハジメは、俺達との再会を望んだのだ。
ハジメはそれから、マトリカと共に生き続けた。
悲しみのどん底に沈みそうな自分を何とか保ち続けるため、ハジメは体を動かし続ける。
これまで自ら親交を拒絶していたこの世界の人々と、積極的に関わっていく。人々はそんなハジメの態度に呼応するように、ハジメに対しての態度を改める。
そして今は荒野となっている北部の土地に、新しい領地を作ることを決める。
いつか俺達と再会した時、最後の憩いの場として、その地を提供するために。
俺達の魂は完全に壊れる前に、女神の前へと召喚される。
そこで俺達は自らが認識する姿、つまり元の姿に戻っていた。
女神が再び俺達にガバっと抱き付く前に、アルクが俺に即座に抱き着く。
猫である俺の体をぎゅっと抱きしめ、顔を押し付ける。
「しょこらだ……久しぶりの……」
アルクはそう言って俺の体の匂いを吸ったかと思うと、そのままボロボロと泣き出した。
アルクの涙は、俺の体の毛を湿らせる。
「……………っっ…………………………」
アルクはしばらくの間無言で、涙を流し続ける。
俺は黙って、アルクが落ち着くまでそのままでいる。
女神はそんな俺達の様子を、同じくボロボロと泣きながら見つめていた。
アルクがなかなか俺の体から顔を上げないので、女神は俺達に声をかける。
「……ありがとう。無事に、勇者ハジメを助けてくれて。」
女神はまだ涙を流しており、大きく鼻をすすり上げた。
「もう、本当に、本当に、よく頑張ったわね…………!!!わ、私何も知らなくて、まさかあなた達が過去に飛ばされるなんて………うわあああああん」
女神が子供のように泣く様子は、悲しみに沈んだ俺達の心をほんの少し現実に引っ張り上げる。
「それで、俺達はやはり死んだんだな?」
俺が尋ねると、女神はしゃくり上げながら、こくりと頷く。
「ええ。あなた達は過去の世界で、命を落とした。それは必要なことだった。
……あなた達はハルトの助けがなければ、魔王を倒せなかった。ハジメはあなた達の助けがなければ、魔王を倒せなかった。どちらかが失敗すれば、その時点で世界は終わっていたわ。
あなた達が生き残るために、ハルトは命を落とす必要があった。そしてハジメが生き残り、確実にハルトとして生まれ変われるために、あなた達は命を落とす必要があった」
女神はまだ泣き止まない。
「わ、私そんな事とも知らず、禁忌を犯したハルトに、罰が当たったなんて、馬鹿なことを言って……」
そう言って女神はまた、大声で泣き始める。
やれやれ。どうして俺達よりもこいつの方が泣いているんだ。
「だけど……過去の世界でのあなた達の姿は、仮初の姿よ。あれはあなた達の、本来の体ではない。
……あなたの方は、いつもと同じ猫耳忍者の姿だっただろうけど、実際は全く別の仕組みで作られた姿よ。」
女神は俺の方を見て言う。
「あなた達の魂は、まだ完全に破壊されていない。修復して、元の体へと戻し、元の時代へと返すことが……」
「そんなの、嫌だ!!!」
アルクが突然顔を上げ、大声で言った。
女神は驚いてアルクを見つめる。
「ハルトさんは僕達のために命をかけたんだ!!僕だって同じように、ハジメさんのために命をかける!!自分だけ生き残るなんで、僕は絶対に嫌だ!!僕達が生き残れるなら、どうしてハルトさんは生き残れなかったんだよ……!!神様の力で、何とかしてくれたら良かったのに!!!」
アルクは目から止めどなく涙をこぼし、女神に向かって訴えかける。
「ハジメさんは僕達が死んだと思って、それでその後ずっと苦しんで、四百年後に僕達と再会するために、わざわざ生まれ変わったんだ!!なのに実際は僕達は死んでいないなんて、そんなの……」
アルクは地面に突っ伏し、涙を流し嗚咽を漏らす。
「そんなのってないよ……お願い、僕も殺してよ……」
アルクは大声で泣いた。その何もない空間に、悲痛な声が響き渡る。
しばしの後、女神が口を開いた。
「あなたの苦しみは、よく分かる。だけど、よく考えて、あなた達が生きている方が、ハルトもハジメもきっと喜ぶはずよ。」
「でも…………!!!」
「それに、ハルトの最期の言葉を聞いたでしょ。たまに、リーンの顔を見に行ってやってくれって。あなたがハルトやハジメに対して後ろめたさを感じるなら、ハルトとの約束を守って、少しでもその想いに報いてあげて」
女神がそう言うと、地面に突っ伏していたアルクは、ゆっくりと顔を上げる。
「ね、お願い。それに約束するわ。あなた達は二度に渡り、この世界の魔王討伐に貢献してくれた。ハルトと同じように。
だから神王様も、あなた達に慈悲を施してくれる。あなた達が今の時代を生き抜き、その生を終えた後、魂はもちろん輪廻転生する。そして数百年後、あなた達とハルトは必ず、同じ時代に生まれ変われる。
もちろん記憶はないけれど、強い結びつきのある魂は呼び合うわ。あなた達の魂は、神王様により再会を約束されている」
アルクはまだ涙を流しながら、女神を見つめている。
魂の再会というのは、ほんの僅かな希望でしかないが、今の俺達に縋れるものはそれしかない。
「ね、だから、死ぬなんて言わないで。これからやっと、あなた達は自由な人生を生きられるんだから。ハルトからも、自由に生きろって言われたでしょ」
何だか女神が、初めてまともな事を言っているようだ。
アルクは女神を見つめながら、やっと小さくこくりと頷いた。
俺は女神に、少し気になったことを尋ねる。
「おい……。ちなみに俺達が過去に転移したように、ハジメを未来に転移させることはできなかったのか?それならハジメが禁忌を犯す必要も、ハルトとして再び命を落とす必要もなかったんじゃないか?」
しかし女神は首を振る。
「それはできない。時間は過去にしか遡れない。だってハジメの時代には、未来はまだ存在しないんだもの」
そういうものなのか。
「で、俺達の姿をわざわざ変えて過去に送ったのは、過去で仮の体が死んでも、元の時代で本来の体に戻り生きられるようにするためだったのか?」
俺がまた尋ねると、女神は頷いたかと思えば、首を振る。
「そうよ。だけど、それだけじゃない。あなた達が考えた通り、本来あなた達は、ハジメだけではなく、ハルトにも正体がバレてはいけなかった。神が時空を操れることを、人間は知ってはならないから。
最も、正体がバレないなんて不可能だけど。だってハジメはあなた達が未来から来たと気づいたからこそ、禁忌を犯したのだから。
だけどハジメもハルトも聡明だから、あなた達に対して、気が付いた素振りなんて一切見せなかったでしょ?だから大丈夫なのよ。表面上気が付いていなければ、それで。」
よく分からないが、とにかく、そういうものらしい。
「さあ、もう元の時代、元の世界に帰るのよ。今度こそ本当のお別れよ。……ありがとう、勇者しょこら、そしてその従魔アルク。あなた達はハルトやハジメと共に、立派に世界を救ったわ」




