89.二度目の失踪
「ま、麻薬って……」
アルクが恐々繰り返す。
「ハ、ハジメさん、匂いを嗅いだだけで分かるの……?」
「ああ。僕にはたまたま、薬草鑑定のスキルがある。魔王討伐には大して役に立たなさそうだけどね。」
俺は何となく想像する。
ハルトによると、ハジメの時代から既に女神たちは神力の節約に必死だったらしい。
あのへっぽこ女神は俺に対して、大したスキルを与えられない代わりに、ついでにといった感じでテイマースキルを付与した。
この時代の女神はハジメに対して、同じような理由で薬草鑑定スキルを与えたのかも知れない。
「で、その麻薬ってのは有害なのか?」
「普通に吸うと、人々の気分を良くさせる。ボーっとしてしばらく恍惚状態になるんだ。特に法で取り締まられているものではないはずだ。だけどここの人達の症状は、何と言うか……あまり普通じゃない」
俺達は再度、店内を見回してみた。
人々は確かに恍惚状態だが、その顔はげっそりと青くなっている。
先ほど遭遇した男と同様、何やらぶつぶつ呟いたり、かと思えば薄ら笑いを浮かべて、口からよだれを垂らす者もいる。
「ねえ、それって、ただの麻薬じゃないのかな……」
アルクがそう言うと、ハジメはこくりと頷いた。
「ああ。葉っぱ自体はありふれた種類のものだが、これにはおそらく何等かの術がかけられている。精神に作用する魔術といえば、闇魔法しかない」
「でも、どうしよう……この人たちを元に戻す方法は……」
「精神支配を解くには、元凶を叩けばいいんだろ」
俺がそう言うと、ハジメは少し目を大きくした。
「ああ。そうだね。まずはこいつの出所を突き止めよう……」
ハジメはとりあえず店主に向かって、煙草の仕入れ先を尋ねてみたが、案の定店主は何も答えなかった。ただ無表情にハジメを見返しただけだ。こいつも一種の精神支配にかかっているのだろうか。
俺達は一旦店を後にした。これ以上留まっても、得られる情報はない。
閉店後に店に忍び込むか、店主の後を追うか、仕入れ先の者が現れるまで待ち伏せするかして、探り出すしかない。
アルクは顔から布を外し、ゲホゲホと咳き込んだ。
「なんか、精神支配は免れたけど、煙のせいで喉が痛い……」
「その布には浄化魔法を付与しておいたんだけど、思ったより煙の効果が強いみたいだな。もう一度付与し直しておくよ」
ハジメはそう言って、布をアルクから受け取った。
俺達は結局、店の閉店後に再度探りを入れてみることにした。
夜になるまでの間、俺達は念のため町中で、その店についての聞き込みをした。
何人かの町人は、その店の怪しい噂を口にした。
「俺の知り合いが、あの店に行ってから、急にそれまでの仕事を放り出して、店に入り浸るようになっちまって……」
「興味本位でお店に行く人も多いわ。浮世の悩みを忘れて、幸せな気持ちになれるらしいって……」
「だけど警備隊員が調査しても、怪しいものは出てこなかったらしいぜ」
結局、町人達の話だけでは、それ以上のことは分からなかった。
そして真夜中近く、俺達は再度現場へと向かう。
大抵の酒場は、真夜中になると店を閉める。朝方まで開いている店は珍しいのだ。
思った通り、真夜中過ぎに俺達がたどり着くと、既に店の灯りは消えていた。
扉にはもちろん鍵がかかっている。
俺達は路地を回り込み、裏口の方を確認してみることにした。
路地をぐるりと回ると、そこにはやはり裏口があった。
しかしこちらの扉もやはり鍵がかかっている。俺は試しに思いっきり扉を蹴ってみるが、ビクともしない。内側から結界が張られているようだ。
周辺には空いた酒瓶や煙草の残骸が散らばっていて、陰鬱な空気が漂っている。
「店はまだ閉まったばかりだ。店主が出てくるかも知れないから、少し待機しよう。もしかしたら取引先の人間も現れるかも知れない」
ハジメがそう言い、俺とアルクは頷く。
アルクは念のためその顔に、ハジメが浄化魔法を再付与した布を巻いている。
しばらくは何事も起こらなった。
店主が店の中から出てくる気配もない。もしかすると既に、家に帰ってしまったのだろうか。
しかし数分の後、路地裏に一人の人影が現れた。
どうやら男のようで、頭にフードを被り、手には大きな木箱を抱えている。
裏口の扉の横にしゃがみこんでいた俺達は、サッと立ち上がる。
男は俺達を見て、少し怯んだようだった。
「おい。この店に煙草を卸してるのはお前か」
俺が尋ねると、俺達から数メートル離れたところに立ち止まっていた男は、右足で半歩後ずさる。
俺達が男の方へと近づくと、男はさらに少しずつ後ずさる。今にもくるりと踵を返し、走り出しそうな勢いだ。
俺とハジメは同時に走り出した。
すると男は俺達に向かって、手にしていた木箱を思い切り投げつける。
ボフッッ……………!!!!!
木箱に詰められた大量の煙草の葉が俺達の目の前を遮り、俺とハジメは思わず咳き込んだ。
その隙に男は逃げ出しているが、俺とハジメは風魔法で葉を吹き飛ばして視界を開き、俊足でその後を追う。
その時、店の裏口から店主が姿を見せていた。
店主は俺達より一歩遅れていたアルクの首根っこをつかみ、引き戻す。
不意をつかれたアルクは慌てて防御しようとするが、店主は同時にアルクの頭の後ろの結び目を引っ張っており、顔に巻かれていた布がヒラリと落ちた。
開かれた裏口の扉からは、大量の煙が立ち上っている。
一気に大量の煙にあてられたアルクは、その場で意識を失っていた。
俺とハジメはその頃、逃げ出した男を捕まえていた。
ただの男が、足の速さで俺達に敵う訳がないのだ。
しかし俺が無理矢理フードを引き剥がしたその男はただの人間で、角が生えた魔族という訳でもない。
ただ怯えて俺達のことを交互に見ていた。
「す、すみません!私は何も知らないんです、許してください、この通り……」
男は確かに、あの店に煙草を卸しているらしい。
しかしそれは他の店に卸しているものと全く同一で、あの店のために特別に仕入れた訳でもないという。
「あの店の妙な噂は耳にしてましたが、私のような小さな商店にとっては大事な顧客でして、急に取引を止める訳にも……。」
どうやら男は本当に、何も知らないようだ。
そして俺は次の瞬間、しまったと思った。
俺は急いで店の方へと走った。
ハジメも気づいたようで、俺の後を追う。
俺達が店の裏口に戻ると、そこにアルクの姿はなかった。
辺り一面に煙の匂いが立ち込めており、地面にはアルクが巻いていた布が落ちている。
「ちっ、店主の野郎、レオを捕らえやがったな。」
俺は再び店の裏口の扉を思い切り蹴りつけた。しかしやはりビクともしない。
念話で呼びかけてみても、もちろん応答はない。
結局その日の夜俺達は、アルクの姿を見つけることができなかった。




