88.怪しい気配
俺達は闘技大会の3日後に、ベラルディの町を発つことにした。
大会の賞金でハジメはかなりの金を手にしていたし、特に引き受けるべき依頼もない。俺達がこれ以上町に滞在する必要はなかった。
なお、ハジメは何度か図書館に通っていたが、特にこれといった情報を得られなかったようだ。
俺達はまっすぐ北上し、次の町へと向かう事となる。
元の時代ではモントールを発った後、俺達はコクヨウでまっすぐスラシアまで飛んだ。しかし今回は歩きなので、それなりに時間がかかる見込みだ。
俺はハジメに尋ねてみた。
「お前、勇者なら従魔契約とか、魔物のテイムとかできるんじゃないのか?」
ハジメは表情を変えずに答える。
「ああ。テイマースキルは僕にはないけど、従魔契約はおそらくできる。だけどまだ一度もしていない。今までめぼしい魔物に遭遇しなかったし、それに何と言うか、なるべく仲間を作らないようにしていたから。……これから機会があれば、試してみるかもしれない」
北に向かう道はだだっ広い荒野だ。一応道はあるものの、あまり整備されておらず、夜になると適当に結界を張って野営することになる。
しかし森とは違って、魔物と遭遇することはあまりなかった。
俺とハジメは旅をしながら、特訓のために対戦するようになった。
そこらへんの魔物を相手にするより余程いい訓練になるし、互いに強いので、急速にレベルアップもできる。
そして何より、強者と戦うのは楽しくもあった。
その点においては、荒野は都合が良かった。
周囲を気にしなくて済むし、遠慮なく魔法をぶっ放せるからだ。
アルクは俺達の対戦を、ただ観戦することが多かった。
そして観戦しながらいつもヒヤヒヤしていた。
「二人の戦いって、本当に激しすぎて、一歩間違えたら大けがするんじゃないかってどきどきするよ……」
心配するアルクを余所に、俺とハジメは暇さえあれば対戦していた。
夜になると俺達はテントと結界を張った。
三人で焚火を囲みながら、黙っていることもあれば、他愛ない話をする事もある。
「次の町って、どんなところだろう?」
アルクが火を見ながら言った。
ちなみにアルクは焚火を見る時、いつも俺を抱えるクセがあった。しかし今俺は人間の姿なので、抱えることはできない。アルクは腕のやり場に何となく困っているように、ぎゅっと腕を組んでいた。
「次はミストラル町だ。この調子ならあと3日ぐらいかな。」
ハジメが地図を見ながら答える。
「おい、その地図ちょっと見せてくれ」
俺はそう言って、ハジメの手から地図を受け取った。
アルクも横から地図を覗き込む。
そこに載っている大陸は、俺達の時代と同じ形だ。しかしいくつかの領地の境界は異なっている。
そしてもちろん、そこにはシロヤマ領はない。
アルクの故郷フレデール領は既にそこにあった。小さい伯爵家ながらも代々続いているようだ。
そしてこの先には、次のミストラル含めてあと3つ町がある。
しかしそれから先はもはや何もなく、ただの荒野だ。元の時代であればシロヤマ領に留まり、魔物群の侵攻に備えるところだが、この時代ではその周辺に大きな町はない。
おそらく俺達は野営しながら魔物群の侵攻に備えなければならないだろう。
俺達が地図を眺めるところを見つめながら、ハジメが思い出したように言う。
「そういえば、ベラルディで変な噂を耳にしたな。次の町ミストラルの一角で何やら怪しげな店が流行っているらしい。」
「あ、怪しいって、どういう風に……?」
「詳しくは分からない。ただ関与した人達は何と言うか、人が変わってしまうようだ」
人が変わるとは、性格や価値観が一変するということだろうか。
俺はノルテーラによる精神支配を思い出し、何となく嫌な予感がした。
「とにかく、行ってみれば分かるだろう」
それから3日後、俺達はミストラル町に着くことになる。
俺は町を一目見て、とりあえずフードを被った連中ばかりではないことを確認した。
ノルテーラの時のように、町全体が精神支配されてはいないようだ。
宿屋の部屋を取る時、アルクはまた全員同じ部屋にしようと主張した。
「だって、その方が色々話ができるし、その……」
アルクは元の時代に戻るまでに、できるだけハジメと一緒に時間を過ごしたいのだ。
俺はもちろん異論はない。ハジメは異論がありそうだったが、結局それを受け入れた。
町に着いた時は既に午後だった。
俺達は一応依頼がないか確認してみたが、特に勇者やS級冒険者の力が必要そうなものはなかった。
そのため特に依頼を引き受けず、その日は町を見て回ることにした。
「ハジメさんが聞いたっていう、その怪しい店って、どこにあるんだろう。……僕達、近寄らない方がいいかな……」
アルクは恐々尋ねる。
「ただの店ならいいんだけど。人が変わってしまうというのは、闇魔法が使われた時の典型的な症状だと読んだことがある。闇魔法といえば魔族が関係しているかもしれない」
ハジメはこれまでに、図書館からずいぶん知識を吸収しているようだ。
「とにかく怪しい場所があれば行ってみるぞ」
俺がそう言うと、アルクもハジメもこくりと頷いた。
しばらく歩き回っていると、俺達の目に、一人の男の姿が飛び込んでくる。
男は通りをふらふらと歩き、俺達が見ているうちに、その場にぐたりと倒れ込んだ。
近づいてみると男の顔は蒼白で、ぶつぶつと何やら呟いている。
「おいお前、どこから来たんだ。」
俺が尋ねると、男は焦点の合わない目で俺を見つめた。
そして返事をすることなく、まだぶつぶつと訳の分からない言葉を呟いていた。
するとハジメは躊躇なく、男の服のポケットに手を突っ込んだ。
そしてそこから、一枚の店のカードを引っ張り出す。
「ここからそう遠くない。路地を入って左に折れたところだ」
俺達はカードに描かれた小さな地図を頼りに、路地を進む。
人通りのほとんどない、小さな路地だ。そしてそこを左に折れると、狭くて薄暗い通りの奥に一つの扉が見える。
普通に過ごしていたら、こんなところに店があるなど到底気づかない。
『おいお前、精神支配には気を付けろよ』
『う、うん……』
俺は状態異常無効化がないアルクに注意した。
俺は先頭に立ち、重い扉を開ける。
するとすぐに、俺の鼻にツンと不快な臭いが漂ってきた。
そこは一見、単なる酒場のようだった。
カウンターやテーブルがあり、人々はまだ明るい時間にも関わらず、酒を飲み煙草を吸っている。
アルクとハジメも、俺に続いて店に入って来た。
すると次の瞬間、ハジメが背後から手でアルクの鼻と口をふさいだ。
「んんっ!?ど、どうし……」
アルクがもごもご言うと、ハジメは煙の臭いを嗅ぎながら言う。
「この煙はどうも怪しい。これが人々をおかしくする原因かも知れない。……君は状態異常無効化ができないだろう」
そう言ってハジメは布を取り出し、アルクの顔の下半分に巻き付けた。
いつか植物の魔物と遭遇した時、ハルトがアルクに対してしたのと同じだ。
ハジメはどうやら、酒に酔っていなかった俺は状態異常無効化ができると気づいていたらしい。
「ありがとう。また精神支配にかかるところだったよ……」
アルクがハジメに礼を言った。
俺達が店に入っても、客は誰一人こちらを見なかった。
不思議な事に客は全員、煙管のようなもので煙草を吸っている。
「これはただの煙草ではないかも知れない」
ハジメがそう呟いて、カウンターの奥へ行き、なんと煙草を注文した。
店主は無表情に煙管をハジメへと手渡す。
「ハ、ハジメさん、それ吸う気じゃないよね……?」
アルクが恐々尋ねると、ハジメは首を振る。
「いや。ただ調べたかっただけだ」
ハジメが煙管の先に詰められた煙草を顔に近づけ、匂いを嗅ぐ。
俺も同じく顔を近づけてクンクンと匂いを確かめた。
煙管を顔から離したハジメは、呟く。
「これは……おそらく麻薬の一種だ」




