86.祭りの後
「しょ……レナ、すっごくカッコよかったよ!!!!」
アルクはまた同じ言葉を繰り返した。
闘技大会を終えた俺達はその夜、宿屋の部屋で顔を合わせていたのだ。
俺が男達を叩きのめして会場から出た直後、アルクは今と同じ言葉を叫んで俺にガバっと抱き付いた。
ハジメもその隣で、小さく微笑んでいた。
そして今、宿に戻っても興奮冷めやらぬアルクは、目を輝かせて俺に抱き着いた。
「おい、もう分かったからいい加減離せ。」
「だって、本当にカッコ良かったよ、レナは僕のヒーローだ……!!」
「ああ。素晴らしかった。……それと、ありがとう。」
ハジメの言葉に、アルクは俺からやっと離れてハジメの顔を見る。
「レナも、もちろんレオも、ありがとう。僕のために怒って、戦ってくれて。」
ハジメが俺達の名を呼んだのは、それが初めてだった。
アルクは仮の名で呼ばれることに少し気まずい思いをしたようだが、それでも嬉しそうににっこりと笑った。
その日の宿屋は、他の町から訪れた大会の参加者や見物客たちで満室だった。
元々俺とアルク、ハジメの部屋は別だったが、今日は宿屋側から頼まれて、全員同じ部屋に入れられてしまったのだ。
アルクは疲れてベッドの端に倒れ込む。
キングサイズのベッドは、俺達3人が一緒に寝るのには十分以上の広さだ。
アルクはシーツに顔を埋めながら、くぐもった声で呟く。
「……ああ、こんな時に、温泉に入れたら最高なのに……」
ハジメはその言葉を聞いて、しばしアルクを見つめる。
「……温泉を知っているのかい?」
アルクははっと気づく。この世界にはまだ温泉が存在しない。それはハジメが将来シロヤマ領の領主となり、築き上げたエド町で初めて掘り出されたのだ。
「え、えっと、何となく、聞いたことがあって……」
アルクは苦しい言い訳をするが、ハジメはそれ以上追及しなかった。
「温泉はないが、大浴場ならあるよ。」
ハジメがそう言うと、アルクがパッと顔を輝かせる。
「本当!?ねえ、今から一緒に行こうよ!」
そして俺達は宿屋を出て、近くの浴場へと向かった。
宵の町はまだ、闘技大会の熱が冷めやらぬ人々で溢れ返っていた。
皆興奮して叫び、酒を飲み、観戦した試合について語り合っている。
たまに俺の姿を見て、威勢よく声をかける者や、ペコリと頭を下げる者がいた。
「おう、嬢ちゃん、あんた凄かったぜ!!」
「あの貴族達、普段から好き勝手してたんだ!正直すっきりしたよ、ありがとな!」
「勇者さん、あんたいい仲間見つけたんだな!」
人々のハジメに対する態度も、僅かに変わったようだった。
「この町では、強者こそが正義だからね。皆、力を持つものを尊敬しているのさ。僕の場合は少し特殊で、どちらかといえば軽蔑の的だったけどね。」
ハジメは町の遠くの灯りを見ながらそう言った。
浴場に着いたアルクは、自分が女湯に入らなければならないという事実に今更気づき、慌てふためいていた。
『しょしょしょこら、これって犯罪じゃないの!?ぼぼ僕捕まらない!!?』
『うるせえな。その姿で男湯に入るほうが犯罪だ。とっとと行くぞ』
『ででででも……』
人間の姿で一度経験した温泉が悪くなかったので、俺は今回も風呂に入ることを厭わなかった。
浴室の中でもアルクは終始、挙動不審だった。
幸いほとんどの人々は外で飯を食い、酒を飲んでいる時間だったので、浴室には他に誰もいない。
しかしアルクが先に浸かっている隣へ俺がドボンと飛び込むと、アルクは慌てて俺から離れた。
「な、なんで隣に来るんだよ!!もっと離れて、危ないから……」
「何が危ないんだよ」
「だからそれは……」
アルクはそう言いながら俺から距離を取り、赤面して湯に半分顔をつけた。
そして自分の体を見下ろし、小さくため息をつく。
「僕、本当に元の姿に戻りたい……」
大浴場を出た後、俺達は三人で夕飯を済ませ、町をぶらついた。
町中を見つめるハジメの表情は柔らかく、以前は常に湛えていた悲しみが、その顔からは消えていた。
出会った頃は無言の時間が多かったハジメは、今は静かに俺達と会話を交わすようになっている。
アルクは心の中で呟く。
『ねえ、しょこら。こうしていると、まるでハルトさんと一緒にいるみたいだね。……僕達、ハルトさんにはもう会えないけど、こうやってハジメさんと過ごせて、すごく嬉しいよ。
……元の時代に戻るのが、怖くなるぐらい……』
そう、俺達はいつか、元の時代へと戻される。
おそらくそれは、ハジメと一緒に魔王を討伐した後だろう。
そしてその後は、ハジメにもハルトにも、二度と会うことはできないのだ。アルクは今から別れの瞬間を想像し、ほとんど泣き出しそうになっていた。
宿屋の部屋に戻ってから、俺達はしばらく好きに過ごした。
そして夜が更けると、俺は肌着姿になりベッドへピョンと飛び乗った。
「ちょ、ちょっとしょ……レナ、そんな恰好で寝るのはよしなよ、っていつも言ってるのに……」
アルクはまた顔を赤らめながら言ったが、自分のことは完全に棚に上げて、自らも肌着姿になっていた。アルクは元々、野営以外では肌着で眠る事が多いのだ。
この時代に来て初めて俺が肌着姿になった時、アルクは慌てて止めた。
「ちょっと、そんな恰好で寝たらだめだよ!ぼ、僕がうまく眠れなくなるじゃないか……」
「知るか。服を着たまま寝るなんて御免だ。裸じゃないだけましだろ」
俺はそれからも、寝る時は必ず服を脱ぎ捨てていた。
そして今、宿屋の部屋でアルクは赤面しながらも、小さくため息をつく。
『しょこらがその恰好になってから、僕、しょこらを抱っこできないから、何て言うか禁断症状が……』
『フン、まあ我慢するんだな』
俺達が念話で会話していると、小さく息を呑む声が聞こえた。
俺とアルクが振り返ると、ハジメがベッドに腰かけて俯き、片手で顔を覆っている。
「……あれ、ハジメさん、どうしたの?き、気分でも悪い……?」
アルクが不思議そうに尋ねると、ハジメは顔を覆ったまま答えた。
「……いや……君達は何て言うか、その…………。…………………いやいい、好きにしてくれ…………………」
ハジメはそう呟いて、俺達に背を向けたまま洗面所へと入って行った。
「ど、どうしたんだろう……」
どうしたもこうしたも、俺とアルクは一応女なのだ。気を使っているに決まっている。
しかし俺には恥ずかしいという感覚はないので、平気でベッドに横になった。
俺達が布団に潜り込み、眠った頃合いを見計らって、ハジメは部屋へと戻ってきた。
そして自分は服を着たまま、ベッドの中へと潜り込む。
俺もアルクもその時には、すっかり眠りに落ちていた。
俺が右端、アルクが真ん中で横になっている。ハジメはできる限り左端に寄って横になった。
しばらく寝付けないハジメがうとうとし出した頃、アルクが小さく声を上げる。
「ハルト……さん………」
それは寝言だった。
アルクはそのまま、すやすやと静かな寝息を立てている。
ぼんやりとその名を耳にしたハジメも、やがて眠りについた。




