4.従魔契約
勇者としての運命を受け入れたアルクがまず最初にしようとしたのは、俺を従魔にすることだった。
まだ一歳の子供に、兵士との武術訓練はできない。
それはある程度成長してから始めるとして、アルクはまず魔術から始めることにしたのだ。
しかし悲しいかな凡人なので、残念ながら魔力はない。
アルクはそうとは知らず、俺との従魔契約を結ぼうと躍起になっていた。
小心者のアルクが、魔王討伐にやる気になった…訳ではなかった。
家族のため渋々運命を受け入れたものの、本心はもちろん嫌なのである。ましてや一人で旅に出るなど論外だ。いつか旅立つ日に確実に俺を連れていけるよう、早々に契約を済ませてしまおうとしているのだ。
傍で見守っていた母アリゼーは、何度試しても魔術が発動しない息子を、優しく慰める。
「大丈夫よ、アル。焦らないでゆっくり練習すればいいわ。」
アリゼーは長い銀髪の、綺麗な女性だ。長い指でアルクの真っ黒な髪を優しく撫でる。
「うん、でも、僕・・どうしても、魔法の使い方が分からないんだ・・」
アルクが魔法を使った(ように見えた)のは、勇者の儀式での一回きりだった。それ以降は特に必要ないので、俺はアルクを助けるために無暗に魔法を使ったりしなかった。
「大丈夫よ。儀式のときはおそらく、命の危機に体が本能的に反応して、発動できたのだと思うわ。きっといずれ、自分の意志で魔法を発動できるようになるわよ。」
母は本当にそう信じているようだった。
そのうち母が部屋を離れた後も、アルクは練習を続けた。
父が本で読んだという従魔契約の方法を、何度も繰り返し試してみる。
まず俺と正面に向き合って座り、俺に向けて手をかざす。目を閉じて、契約の呪文を唱える。すると手のひらから魔法陣が展開し、従魔契約が完了するのだ。
ずっと付き合わされていた俺だが、さすがに疲れてきた。
そもそも成功する可能性は0なのだ。早く諦めさせて、さっさと昼寝したかった。
だがそこでふと思い当たる。
俺が勇者なのだから、俺が従魔契約を使い、アルクを従魔にできないか?
猫が人間を従魔にするなど聞いたことがないが、試してみる価値はありそうだった。
それができればこの終わりのない練習から解放される。それにもし勇者の能力を従魔と共有できれば、こいつも強くなるかも知れない。
目を閉じてぶつぶつ呟いているアルクに、俺は右前足をかざした。
同じく目を閉じて呟く。
「ニャニャニャニャ!」
すると俺の前足から、ピンクと紫の間のような色の魔法陣が展開された。
魔法陣は光を発して、しばらく俺たち二人の姿を包み込み、消えた。
俺とアルクの頭の中に、同時に声が響く。
「しょこらとアルクの従魔契約が、成功しました。」
アルクはパッと目を開ける。自分の魔術が成功したと思っているのだ。
「や、やった!ぼ、ぼく、できた!!」
目を輝かせて、俺の体を抱きしめる。
「しょこら、お前は今日から僕の従魔だよ!」
「お前がな。」
俺は心の中で、そう呟いた。
従魔契約をしてまず第一に驚いたのは、なんと俺とアルクの意思疎通ができるようになったことだった。
ただ、普通は従魔である動物が人間の言葉を話すようになるのだが、今回は逆にアルクが猫語を話すようになった。
「ニャニャニャニャーニャニャ!」
「ニャニャ?ニャニャーー!」
傍から見れば、アルクは猫に向かって猫語で話しかけるヤバイやつだった。
アルクが興奮して叫ぶ。
「しょこら!僕、やった、やったよ!僕の言ってること、分かる!?」
(※ちなみに実際はニャーニャー言ってるのだが、人間語に翻訳している。)
俺はフンっと鼻を鳴らす。
「ああ、聞こえてるよ。…うるさいからあまり大声出すな。」
面倒なので、素っ気なく返事を返す。
「ああ、しょこらと話せるなんて夢みたいだ・・!これで旅に出るときも、心細くないぞ!しょこら、ぼくの可愛いしょこら~~」
アルクが頬ずりしてきたので、俺はバシっと猫パンチを食らわせる。
「おい。急に馴れ馴れしさが増したぞ。今はあまり触られたくない気分なんだ。」
俺がふてぶてしい態度を取っているにも関わらず、アルクはなぜかさらに嬉しそうな顔をした。
「そんなこと言わないでよ、しょこら~~」
少しうざいな。従魔契約なんてするんじゃなかったか。
とにかく意思疎通ができるようになったので、俺はアルクに質問してみた。
「おいお前。元は別の世界の人間だったんだろう?向こうでは何歳だったんだよ。」
アルクは驚いたように俺を見た。
「どうしてそんなこと知ってるの!?従魔契約のせいかなあ…?
まあいいや、ええと、ぼ、ぼくは前世では、27歳・・・」
27歳!???
まだ小さいガキが転生してきたのかと思っていたら、いい大人じゃないか!!
俺は思わずシャーッと声を上げる。
「お前、精神的にはもう28歳なのに、そんなに小心者なのかよ!?」
「し、仕方ないじゃないか!ぼ、ぼくは前世でも生まれつき小心者だったんだよ!
大人だからちゃんとしなくちゃって、何とか働いてはいたけど、もう毎日人と話すのが怖くて怖くて・・・
お、大人でも臆病は治らないんだよお!!」
アルクは弱々しく声を上げる。
俺はまたフンッと鼻を鳴らした。
まあいい。とりあえず前世での年齢は、今は重要ではない。むしろ重要なのはこっちだ。
俺は鑑定スキルを使用し、アルクを鑑定してみた。
鑑定スキルを発動すると、その者の能力値が画面上に表示されるのだ。
しかし俺の期待に反して、アルクの画面に変化はなかった。
この世界には武力に長けたものや、生まれつき魔力を持つものが生まれることがある。
それらの人々はほとんどが冒険者となるか、宮廷や高位貴族に雇われるのだ。
しかし大半の人は凡人であり、特別な能力もスキルもない。
アルクはやはり、その大半の人と同じだった。
レベル1、HP100、MP0、攻撃力0、防御力0、速度0…。
スキルも一切持っていない。
俺は少なからず失望したが、ふと、ステータス共有にも呪文が必要なのではと思い、試しに唱えてみた。
「ニャニャニャニャ!」
しかし、レベル1、HP100、MP0、攻撃力0…、このあたりの基本ステータスに変更はなかった。
だがよく見ると、スキルに関しては俺と全くおなじものがコピーされていた。
体術、格闘術、剣術、刀術などの武力系スキルや、
火魔法、水魔法、風魔法、土魔法、光魔法などの魔法系スキルなど。
おそらくスキルは共有できるが、自分でレベルを上げないと使いこなせるようにはならないのだろう。
また、鑑定などの特殊スキルは共有されていなかった。
なんという不便さだ。
これもあのへっぽこ女神に力がないからなのか。
しかしとりあえず、これでアルクも鍛えたらある程度は戦えるようになるかもしれない。
俺が一人で考えていると、アルクが言った。
「ねえ、何をしてるの?なんか、急に体があったかくなってきたみたい・・」
スキル共有による変化を感じているらしい。
俺はアルクの質問に答えず、考え込む。
俺は迷っていた。
もう少し成長したら、こいつは訓練を始める。
俺のスキルを常に共有しておけば、こいつのレベルが上がるにつれて、できることも増えるだろう。
ただおそらくいつか、自分の能力が勇者にしては十分ではないことに気付くだろうし、そのことで壁にぶち当たるだろう。
意思疎通が可能となった今、アルクに、お前は本当は勇者ではないと伝えておくべきか。何かのはずみで急に現実を思い知らされるよりも、先に真実を伝えておいた方が、傷は浅いかもしれない。
しばらく考えていたが、こいつのために頭を悩ませるのも面倒になってきたので、とりあえず真実を話すことにした。
俺はアルクに、今までの顛末を話して聞かせた。
しばらくポカンと俺の話を聞いていたアルクは、話し終わってもしばらく身動きを取らなかった。
「…。おい、聞こえたのか?」
話しかけても、返事はない。
腹を立てているのか?絶望してるのか?
アルクはしばらくじっとしていたが、やがて思いがけず、パアッと目を輝かせた。
「そういうことだったのか!おかしいと思ったんだよ、僕自身に力なんてあるはずないのに!
しょこらが本物の勇者だったんだね!じゃあ、しょこらが僕を守ってくれるんだよね?
しょこらが魔王も討伐してくれるんだよね!なんだ、僕はやらなくていいんだ!ただ勇者のふりをするだけでいいんだ!なんだ、ああ、よかったあああ!」
アルクは大声で笑い、床に仰向けに倒れた。
「それなら僕は、訓練もいらないよね!だってきっとしょこらがすごく強いから!ああ本当に嬉しいよ、さすがだね~ぼくのかわいいしょこ・・・イタッ!!」
俺はアルクの頬に、再びバシッと猫パンチを食らわせた。
「な、なにするんだよお~・・」
アルクは頬を抑えて弱々しく言った。しかしなぜか嬉しそうに頬を赤らめている。
「お前、勇者のふりとは言っても、旅に危険は付き物だろう。お前自身も強くならなけりゃすぐ死ぬぞ。それに俺がいつもお前を守ると思うな、自分の身は自分で守れよ。」
フンっと鼻を鳴らして俺はそう言い放った。
「もう、つれないなあ・・」
アルクはしかし、嬉しそうに言った。
こいつ、意思疎通ができるようになってからだんだん目についてきたが…
俺に猫パンチされたり、素っ気ない態度を取られるたびに、喜んでる節があるぞ。
チッ、面倒なやつだ。
このようにして俺たちは、勇者(猫)と従魔(人間)になったのだった。