36.怒りと慟哭
俺は一瞬、目の前の現実を理解することができなかった。
触れれば即死だと言われた槍に貫かれ、ハルトはぐったりと倒れている。
アルクに覆いかぶさったまま、ピクリとも動かない。
アルクは頭から血を流し、朦朧としながらハルトの名前を呼んでいる。
叫びたくても力が入らず、蚊の鳴くような弱々しい声で、ハルトを呼び続けている。
「ちっ、雑魚め、邪魔しやがって。あーあ、自分の命を無駄にしちまって。」
ルードはハルトに突き刺さった槍を、片手で引き抜いた。
ハルトの体には意外にも、傷一つ付いていない。
「残念だったな、勇者。そいつはもう死んでるよ。」
まるで周囲の景色が薄れていくようだった。
ハルトが死んだ?あいつは自分で宣言した通り、こんなにもあっけなく、フラグを回収したというのか。
俺はどこかで、ハルトならきっと、この状況を覆せる何かを準備していたに違いないと思った。
自分が死んでしまっても、奇跡的に生き返れる術を、ハルトなら心得ていたかも知れない。
しかし同時に俺は分かっていた。どのような魔法を使っても、死者を蘇らせることはできない。
するとルードが、再度槍を構える。
「ったく、面倒かけんなよな。おい勇者、安心しろよ、お前もすぐそいつの元へ行けるぞ。」
俺は足を止めていなかった。
男の元にやっとたどり着いた俺は、ジャンプして身を翻し、渾身の力を込めてそいつの頭に強烈な猫キックを食らわせた。
バキィィィッ!!!!
頭蓋骨が折れたのではなかろうかという音を立て、男は地面に打ちつけられる。
反動で槍がその手から離れ、地面にガランと音を立てて落ちた。
「っっってぇ…………。な、なんだ………」
ルードは頭を押さえ、血を流しながら上体を起こした。
そして、目の前に立っている俺の姿を捉えた。
「っは、勇者の従魔かよ。なんだ、お前もこの男を殺されて怒ってんのか?
……面白い、お前の蹴りはなかなか良かったぞ。勇者の代わりに、お前が俺の相手になるか?」
ルードは槍を拾い上げ、その先端を俺に向けた。
俺は怒っていた。
これまでになく、強い怒りを感じていた。
アルクが拷問されていた時よりも、ヴァリドラの呪詛で皆が苦しんでいた時よりも、何十倍も大きくて重い怒りだ。
俺は怒りが体から溢れ、大地を揺らす音を聞いた。
地鳴りのように、それは実際の音となって、俺達の足元に響いた。
「……なんだ?魔物が暴れてんのかあ?」
ルードは地鳴りの原因を探してキョロキョロした。
「おい。何をよそ見している。」
俺はルードに向かって話しかけた。
ヴァリドラの時と同じく、こいつにも言葉は通じるようだった。
「……あ?従魔が喋って……」
バキイイィィィィッ!!!!
俺は再びジャンプし、男の顔に懇親の猫パンチを食らわせる。
ヴァリドラにしたように、左右の前足で交互に、痛烈なパンチを繰り返す。
しかしこいつは戦闘好きだけあって、ヴァリドラよりは頑丈なようだ。
再び地面に倒れ込み、やっと怒りが沸き上がった顔で、俺の事を見返した。
ペッと地面に血と唾を吐き、猟奇的な笑みを浮かべる。
「面白え!!やってやろうじゃねえか!!相手してやるよ!!!」
ルードは長い槍をブンブンと振り回して、俺に向けて突き刺そうとする。
非常に素早い動きだったが、俺はそれを空中でヒラリとかわし続け、槍は空を切るばかりだった。
そして俺はピョンとジャンプし、槍の柄の部分にヒラリと着地する。
ちょうどルードが、自分の目の前で高くジャンプした俺を突き刺そうと、斜め上の方向に槍を突き出した時だった。
俺はその位置からルードを見下ろすようにして言い放つ。
「………お前、何を勘違いしてるんだ。相手してやるも何もない。
お前はクソ雑魚だ。俺の相手にすらならない。ただ喚き散らすゴミ虫だ。」
俺はこの上なく冷たい目でギロリとルードを見下ろした。
無慈悲で、残忍で、冷酷な眼差しだ。
俺は続ける。
「俺はお前と違って、頭にきた奴にはたっぷり拷問を加えて殺す主義なんだ。だが残念だ、今は時間がない。だから一撃で殺してやるよ。」
呆気に取られていたルードは、しばらく絶句した後、狂ったように笑い出した。
「ははははははは!面白ぇ!!!!!!従魔ごときがでかい口叩くんじゃねえよ、俺がお前を一瞬で殺し……………」
その後の言葉は続かなかった。
俺は槍の柄からジャンプして、男の喉元に嚙みついた。
ズブリと牙を食い込ませ、声帯ごとそいつの喉元の肉を引きちぎった。
カハッッッッ……………!!!!!!
男は声にならない音を漏らした。
恐怖と苦痛で目が見開き、手が無意識に喉元に伸びている。
俺は右前足を、喉に空いた穴にズブリと突っ込み貫通させる。
そのまま前足を左方向に動かし、繋がった皮膚を引きちぎる。
続いて右方向にも動かし、同じく残った肉や皮膚を切り裂く。
完全に胴体からもがれた頭は、大きく口を開けた苦痛の表情をしていた。
ボトリと地面に落ちたその頭は、ケフ、ケフと音を漏らして喘いでいる。
ギョロリと俺に向けられた眼球は、恐怖でピクピクと震えていた。
「見てんじゃねえよ。」
俺は前足で両目を潰した。ドロリとした目玉と血が頭蓋骨から飛び出してくる。
最後にはいつもの火炎魔法で、男の体と頭を消し炭にした。
俺は回復魔法の一種である浄化魔法で、手や口についた汚らしい血液を浄化した。
魔物群との攻防は、護衛部隊の方に軍配が上がっていた。
コクヨウのブレスで、魔物達の魔力を封じることができたからだ。
数が多く時間がかかったが、なんとか侵攻を鎮圧できたようだ。
そして俺は、ハルトとアルクに向き直った。
アルクはまだ弱々しく、ハルトを呼び続けている。
その目からは涙が溢れ、自分の上でぐったりとするハルトの服をぎゅっと掴み、引っ張り続ける。
「ハルトさん………ハルトさん…………ハルトさん…………」
アルクは嗚咽し、それ以上言葉を発することができなくなる。
俺は流血しているアルクの頭に回復魔法を施し、上半身を起き上がらせる。
ハルトはそれでもうつ伏せのまま、上体を起こしたアルクの足の上で、ピクリとも動かない。
俺達は、現実を受け入れるしかなかった。
ハルトは死んだのだ。
アルクはまた嗚咽を漏らし、倒れているハルトの背中に顔を付け、両手でその服をつかみ、体を震わせて激しく泣き始める。
くぐもった泣き叫び声が、周囲に響き渡る。
激しく慟哭しながら、アルクは喘ぎ喘ぎ言葉を漏らす。
「………っっ、ぼ、僕の、せいで………………………。僕が、僕が、弱いせいで、………………っっ、ハルトさんが、ハルトさんが…………………………………」
そこまで口にすると、後は堰を切ったように止めどなく、悲痛の叫びを漏らし続けた。
「ぼ、僕のせいで、僕が………僕が勇者だなんて、皆に嘘をついて……………、本当は弱いのに、つけあがって、皆を守るだなんて、ま、魔王を倒すだなんて、…………っっ、ぼ、僕が弱いせいで、ハルトさんが、ハルトさんが…………!!僕のせいだ、み、みんな、僕のせいだ………………!!!!」
アルクは叫び、右手を振り上げる。
やりどころのない感情をどうすれば良いか分からず、そのまま右手を自分の胸にドンと打ち付ける。
「僕のせいだ、僕のせいだ、みんな僕のせいだ……………………!!!!!!」
ドン、ドン、と、自分の胸を右手で激しく打ち続ける。
「いい加減にしろ!!!!」
俺は怒ってアルクに向かって叫び返す。
怒りで叫ぶなんて、生まれて初めてのことだ。
「お前、忘れたのか!!勇者はお前じゃない、俺だ!!!ハルトが死んだのは、全部俺のせいだ!!!お前はただ巻き込まれただけなんだ、分かったか!!!!」
アルクは叫びを止め、涙に濡れた目で、驚いたように俺を見つめ返す。
それだけ言ってのけると、俺は念話でコクヨウを呼びつけた。
「お前はここに残れ。俺は今から魔王領に行く。
……早すぎるなんて知ったこっちゃない、魔王が復活するその時まで、そいつの王座の前で待ち伏せしてやる。そして復活すると同時に、その魂を殲滅させてやる。」
そして俺はコクヨウに飛び乗り、上空へ高々と舞い上がった。




