2.鑑定の儀式
俺、黒猫(♀)が勇者になってから、1年後。
俺はこの1年間、毎日赤子の成長を見守ってきた。
アルクと名付けられたその子は、この世界の子にしては珍しい、黒髪に黒い瞳を持っていた。目はクリっとして、まるで女の子のようだと皆から可愛がられている。
生後10ヶ月頃にはつかまり立ちできるようになり、一歳になった今はよちよちと歩き回るようになった。
見た目は普通の子供だし、実際普通の子供だった。
ただ一つ普通じゃないのは、こいつには前世の記憶があることだった。
確か女神が、異世界から生まれ変わった者に勇者としての称号を与える、と言っていた。こいつも例に漏れず、異世界からこの世界へ生まれ変わったらしい。ただその後、女神が授与しようとしたスキルは、全て俺に吸収されてしまっただけの話だ。
こいつに前世の記憶が残っているのか、最初は定かではなかった。
ただ、じっと観察していると、普通の赤ん坊にしては、周囲を見渡す目つきや、人の話をじっと聞くしぐさなどが、どうにも大人びすぎている。お腹が空くとオギャアオギャアと泣き声を上げるのだが、お母さんから乳を飲む時、どうも恥ずかしそうにニヤニヤしている。言葉を発するのも妙に早く、生後半年ごろには拙いながらも「ママ、おっぱい」と言って周囲を驚かせた。
女神から勇者としてのいわゆるチート能力を与えられていなくても、前世の記憶があるため体が発達すれば歩き方は分かるし、うまく口を動かせるようになれば話すことができるのだ。
やれやれ…、この子の将来はどうなるのか。
つい2週間ほど前、アルクのちょうど一歳の誕生日。この日は勇者として産まれてきたアルクの能力を、王室にて鑑定する儀式があった。
これは勇者が生まれた際の伝統らしい。
まずそもそも、勇者の誕生については、王室内の神殿部門の神父が神からの啓示を受け取る。何月何日何時、フレデール伯爵家に誕生する長男こそが、勇者として選ばれし者である。という具合に。
ちなみに勇者はおよそ二百年の周期で誕生するらしい。魔王がその代の勇者に討伐され、およそ二百年後に復活するというのを繰り返しているからだ。
勇者誕生の啓示は、神父から王族へ、王族から貴族や民へ告知される。つまりアルクは産まれる前から勇者として、世間に知れ渡っているわけだ。
とはいうものの、形式上のものではあるが、本当に勇者としての資質を備えているかを、その子が一歳の誕生日を迎える日に確認するのだ。
アルクは言葉が早かったこともあり、周囲の者は、この子こそ特別な力を有しているに違いないと信じて疑わなかった。この儀式は、アルク産まれて以来初めての試練である。
俺は正直、アルクが無能だと判定され、勇者の資格を剥奪されても、それはそれでいいと思う。むしろ普通の子供として、普通の人生を歩むのが1番なのだ。
ただ、そう簡単にはいかない事情があった。
勇者の資質がないと判定された者は、「はぐれ者」、いわゆる不良品としてのレッテルを貼られ、国外追放になるというのが慣わしなのだ。王室神殿が誤った啓示を受けたとなると尊厳に関わるし、神が手違いをするはずがない。
そのためはぐれ者は、魔王からの呪いを受けているという言い伝えがいつしかでっち上げられ、追放されるのがお決まりなのだ。
まったく、むちゃくちゃだ。
俺としては、特にアルクに情はなかった。ただアルクの母親、飢えていた俺を拾い上げ、周囲の反対を押し切ってフレデール家に迎え入れ、毎日飯を食わせてくれた母親のアリゼーに悲しい思いをさせるのは、俺としても胸糞が悪い。
そこで俺は、なんとかこの俺の力で儀式を乗り切ろうとしたのだ。
儀式は簡単で、水晶玉に手をかざすだけで能力値を図ることができる・・・なんてものではなかった。
そもそも、鑑定スキルは勇者の俺(♀)しか所持していないはずなので、そんなに簡単に能力値を知ることはできない。儀式はスキルの数値鑑定というより、勇者としての資質を持っているかを見定めるためのものだった。
近くの森から低級の魔物を数体連れてきて、アルクと対峙させる。勇者に選ばれし者は、神に授けられた能力により、本能的にバリアを展開し自己防衛したり、攻撃魔法を展開したりと、何等かのスキルを発揮し被害を回避するのだ。
勇者のスキルが確認できた時点で、待機していた兵士たちにより魔物はあっさり討伐される。
万が一勇者がスキルを発揮しない場合や、発揮したとしても不十分で危害が及びそうになった場合も、兵士が即座に魔物を仕留める。この場合、勇者は「はぐれ者」と判定される。
まったく、なぜこんなことに。水晶玉なら、俺が近くに座ってアルクと同時に手をかざすだけで済んだのに。
儀式は王室兵士の訓練場にて行われる。当日、森からは数体のホーンラビットが捕獲されてきた。低級魔物だが、武術の心得がない一般人が負傷せずに倒すのは苦労する。
見物席では、王室一家やフレデール一家に加え、高位貴族の領主たちが顔を揃えていた。
「奥様、きっと坊ちゃまは大丈夫ですよ。」
アルクの母、アリゼーの席の後ろに控えて立っているメイドのナターシャが、アリゼーに優しく話しかける。
「ええ、そうね・・。でも、どうにも心配で。どうか無事に終わればいいけれど・・。」
アリゼーは不安そうだ。心ここにあらずといった感じで、膝の上に乗せた俺の頭をなでている。
「奥様、ご心配には及びませんわ。ただ・・、こんな大事な日くらい、その猫はお部屋に置いて来られてもよかったのでは・・」
ナターシャは俺をじっと見ながらつぶやく。このメイドは、いつまで経っても俺を不吉だと恐れているのだ。
「いいえ、アルクはこの子に懐いているし、きっとこの子が見守ってくれたほうが、アルクも安心するはずよ。」
アリゼーはそう言い、俺のあごをカリカリと掻いた。きゅ~~・・と我ながら情けない声が漏れてしまう。
当の本人は、しかし、全く大丈夫そうではなかった。
アルクは小心者なのだ。そして、本当に本能的にスキルが発揮できるのか、非常に不安がっているのだ。
まあ仕方ない。自分に勇者としての能力があるなんて実感できないだろうし、そもそも能力はないのだ。残念ながら。
アルクは練習場の真ん中に立たされていた。遠めに見てもがたがた震えており、振り返って見物席の母を涙目で見つめている。両脇には兵士たちが控えているが、非常に心細そうだ。
さて、そろそろ行かなければ。
俺はアリゼーの膝から飛び降りた。アリゼーは今や遠くから息子にアイコンタクトを送るのに必死で、俺が離れたことにすら気づいていない。
見物席をすり抜け、アルクの立っている中心近くまでスタスタと歩いて行った。
俺の姿に気づいた兵士の一人が、手を振り追い払おうとする。
「うわ、黒猫だ!しっしっ、ここに近づくな!」
しかし俺はフンッと鼻を鳴らし、知らん顔で兵士の傍に座り込む。
「こいつ…、あっちに行け!」
兵士が手にしていた件を振りかざそうとしたとき、アルクが声を発した。
「あ、しょこら・・しょこら!!」
しょこらというのは、アルクがつけた俺の名だ。
小さなアルクはよちよちと俺に駆け寄り、ぎゅっと俺の体の毛をつかんだ。
思った通りだ。アルクは、前世では一体何歳だったのかと考えずにいられないほど、小心者で臆病だった。普段観察しているとよく分かる。
常に母かメイドにしがみついているし、少しの物音でビクッとするし、小さな虫が出ただけで泣きわめくし、夜は赤ん坊ベッドの中で一人で眠れず、俺が毎日抱き枕の役割をしなければならなかった。
今のような心細い状況では、俺にそばにいてほしくてたまらないだろう。
「しょこらと、一緒にいる!!」
一歳にしてはスラスラ話しすぎる。
アルクが懇願するので、兵士たちは仕方なく、俺をそこに座らせることを許した。
ついにホーンラビットが場内に運び込まれてきた。檻に入れられているのは、3匹。
アルクが立っている位置の正面、20mほど離れた場所に檻は置かれた。そしてアルクと俺、兵士たちを取り囲む結界が王室の魔術師により張られる。
場内の緊張感が高まるのが分かる。
「それでは、これより鑑定儀式を開始する!」
王族用の観覧席から、王様の執事と思われる男が大声で叫んだ。
「解錠せよ!」
檻の錠が解き放たれた。ホーンラビットは凶暴で攻撃性が高く、檻に入れられた時点でかなり殺気立っている。
鉄格子の出口を開けた兵士たちは、攻撃を受けないようさっと身を引く。
3匹のホーンラビットは殺気を兵士に向けていたが、兵士が退くと、正面に立っている一番弱そうなアルクに向き直った。
ヴヴヴ…とうなり声を上げながら、1匹がアルクに向かって突進する。
「ひいっ…!し、しょこら、しょこら~~!!」
アルクは情けない声を出して、俺の体毛をぎゅっとつかむ。痛いからやめろ。
ラビットは速度を増して大きくジャンプし、空中からアルクに鋭利な角を突き立てようとした。
「うわああああああ!!」
アルクは思わず下を向き、腕で顔を覆う。
バイィィン!!
アルクの心配をよそに、ラビットは派手な音を立てて、結界により弾き飛ばされる。
「おお、素晴らしい!実に完璧なバリア展開です!!」
執事が大声で実況中継する。見物人たちも完成を上げる。フレデール一家の席からは、安堵のため息が漏れた。
「お見事です。これほど強固なバリアを一瞬で発動できるのは、まさしく勇者様の証でしょう。」
メイドのナターシャがささやく。
アルクの母アリゼーも、体の力を抜いてほっと息をついた。
「ええ、本当によかった…」
実質これで勇者としては合格だ。簡単なものだ。俺がアルクの傍でバリアを発動させただけだ。
残り2体も同じように突進したが、バリアに弾き飛ばされ、反動で地面にべしゃっと崩れ落ちる。
アルクは茫然として、弾かれたラビット達を見回す。
「え、これ、ぼ、ぼくが…?」
信じられない様子だった。当然だ。
やれやれ、とにかくこれで儀式は終わりだ。
兵士がラビット達を処分するため歩き出す。
その時、観衆の目はアルクに注がれており、誰も1匹のラビットの異変に気付いていなかった。
2匹をあっさり仕留め、兵士が残り1匹に取り掛かろうとしたその時、兵士は何かがおかしいと気づき、
ピタッと立ち止まる。
「な、なんだ…?」
ラビットは体をぶるぶると震わせて、苦しそうに唸っている。
一瞬、そのまま死んでしまうかに見えたが、直後に体から強い光が発生した。
「うわっ!!」
兵士は思わず目を覆う。他の兵士やアルク、見物人たちもやっと異変に気付き、光のほうを見つめた。
「い、いけません!あれは進化しようとしています!」
執事が大声で警告する。観衆がざわっとどよめき立つ。
「そんな!進化するホーンラビットは数千匹に1匹だけのはずでは!?」
「考えても仕方ない!兵士たち、早くそいつを仕留めるのだ!」
「結界を解除してください!アルクを外へ逃がさなければ!」
「馬鹿な、結界を解除したら被害が拡大するだろう!」
人々が口々に叫ぶ。
そうしている間にラビットはむくむくと巨体になり、頭の角はドリルのように強靭となり黒光りしていた。
あえて言うなら、体調5mほどもある筋肉質の熊のような巨体に、うさぎの耳と角が生えたような感じの風貌だ。目は赤くギラギラと光っている。
1階の見物人たちが焦ってその場を離れようとする。
ナターシャは、逆にアルクに向かって駈け出そうとする母アリゼーを必死に引き留めていた。
「離して、ナタ!アルクを、アルクを救わなければ!」
「奥様、危険です!ここは兵士たちに任せましょう…!」
しかしその兵士たちは、進化したジャイアントホーンラビットの前足による一撃で払われ、べしゃりと地面に倒れこんでいた。
くるりと向き直り、次はアルクに向かってドリルを突き出す。ドリルはなんと、高速回転している。
アルクはあまりの恐怖に、逆にジャイアントホーンラビットから目を離せずにいる。
目を見開き、ハッハッと浅い呼吸をして固まっていた。
やれやれ、一体どうなっているのだ。
今回たまたま捕らえられたホーンラビットが、たまたま儀式の途中で進化するなんて。
とにかく混乱を抑えなければならない。
バリアではじき返すだけでは、こいつは倒せない。
俺は仕方なく右前足を上げ、唱えた。
「ニャニャニャニャ!」
ちなみに今のは、火炎砲と言ったのだ。
ゴオッ!!!!!!!
前足から火炎砲が発射され、ジャイアントホーンラビットの巨体を飲み込む。
ラビットは苦しそうな咆哮を上げ、炎の中で悶えながら、ドシンと地面にくずおれた。
ラビットが息絶えると、火は自然と鎮火し、チリチリとラビットの体がくすぶる音だけが周囲に響いた。
皆一瞬、何が起きたか分からなかった。
しばしの沈黙の後、ワアッと大きな歓声が上がる。
「し、信じられない!あの歳で、ジャイアントホーンラビットを倒すとは!」
「あの強力な火炎砲!宮廷魔術師でも、数人撃てるか撃てないかだというのに!」
「アルク様こそ、この世界を救う勇者だ!」
人々が口々にアルクを称賛する。
当のアルクは、何が起きたか分からずぽかんと口を開けて、空を見つめていた。
というかよく見たら、気絶していやがる。
周囲の結界が解除され、アリゼー達がアルクに向かって駈け出す。
気絶しているとバレたらまずいので、俺は前足でアルクの頬をバシッと強打する。
「い、いたっ!え、な、何が・・?ぼ、ぼく、しんだ・・?」
目覚めたアルクは、訳が分からずキョロキョロと頭を振る。
そこへアリゼーが駆け付け、ぎゅっとアルクを抱きしめる。
「よく頑張ったわね、アル!!怖かったでしょう…」
アリゼーは心から安堵した様子で、抱きしめたアルクに頬ずりをする。息子が桁外れの力を発揮したことよりも、息子の命が無事だったことが、もちろん一番重要なのだ。
この日からアルクは、歴代最強の勇者と謳われるようになった。