15.スラシア事件の後日談
「ねえねえ、あれって、本当に夢だったの…?」
アルクはしつこく俺に訊いてきた。
事件の翌日、スラシアの診療所で目覚めたアルクは、俺に拷問中の出来事や前世について語った。そして、最後に見た女の子が俺ではないかと尋ねてきたのだ。
俺はもちろん違うと答えたし、猫の姿のままノルテーラを倒したと嘘をついた。
そしてアルクが見たものは妄想か夢だと言い張ったのだ。
俺としては絶対に、猫耳忍者になったことをアルクに知られたくなかった。
あんな姿にされたこと自体が屈辱だ。
「絶対に見たと思ったんだけどなあ…。しょこらが人間になったら、きっとあんな姿……イタッ!」
俺はアルクの顔に猫パンチを食らわせた。
「お前…これ以上変な妄想すると、もう一発お見舞いするぞ……」
俺はジロリとアルクを睨みながら言った。
「いたた、えへへ、ごめんごめん…」
アルクは頬を抑えながらも、相変わらず猫パンチされると嬉しそうだった。
ちなみに俺がアルクにする猫パンチは、痛いとは思うがかなり手を抜いている。
もう少し力を込めれば一瞬で失神するだろうし、本気でパンチしたら確実に死ぬ。
魔物に対する猫パンチとは全く異なるのだ。
アルクはまだ安静が必要だったが、日に日に回復していた。
あの日、手下とノルテーラを始末した俺はアルクを抱え、別室で囚われている者達にも回復魔法をかけた。
全員運ぶのは無理だったので、その者達は後から駆け付ける兵士に任せることとし、俺はコクヨウに乗り、同じく気絶したままのアルクと共にスラシアの町に戻ったのだ。
なお俺がサザールの村に行く際にコクヨウを呼び出せなかったのは、やはりノルテーラが張り巡らせた結界のせいだった。スラシアの町に到着した日、コクヨウは休息を取るため山岳へと向かい、結界の外に出てしまっていたのだ。
奴が死ぬと同時に結界は解除され、洗脳されていた町や村の人間も正気に戻った。
ちなみに俺はスラシアの町に着く前に、猫の姿に戻っていた。
後から気づいたのだが、解除しようと思えば自主的にできたのだ。
既に正気に戻っていた人々は、気絶した傷痕だらけのアルクを見て、アルクが偽領主を打ち倒したのだと理解した。
勇者がブラックドラゴンを手懐けたという噂は届いていたので、皆アルクが勇者であることも悟ったのだ。
そしてアルクは、身を挺してスラシアの町を救った英雄と崇められることとなった。
「でも、本当はしょこらが偽領主を倒したのに…。みんな僕のおかげだと思い込んでて、なんだかやり切れないよ…。
僕は実際拷問されるばかりで、何もできなかったし…。」
「まあ、もしお前が黒曜石の指輪をつけていなかったら、そもそもあんな奴ら無詠唱魔法でどうとでもできたんだし、いいんじゃないか。」
「そ、そうなのかな…」
アルクはそれでも、どこか申し訳なさそうだった。
アルクが回復し、町を出歩けるようになると、多くの人がアルクに声をかけた。
中には手を握りしめてお礼を伝えてくる者もいた。
アルクはというと、相変わらずの人見知りを発揮し、完全なる無表情で、小さく頷くだけだった。
瞬く間に、クールだの最強だの、孤高の勇者だのという話は広まった。
そんなある日、アルクはスラシアの領主の屋敷に招かれた。
偽領主ノルテーラに囚われていた、本物の領主だ。
屋敷を訪問する当日、アルクは朝からガチガチに緊張していた。
「ぼ、僕前世でも、そんなかしこまった場所に行ったことなくてさ…。し、失礼のないようにしなきゃいけないけど、僕マナーとか全然分かんないよ……」
「落ち着け。向こうはお前に礼を言いたいだけなんだから、どーんと構えてろ。」
俺は領主の屋敷になんぞ、露ほども興味がなかった。
場所はスラシアの町の中心部だった。
わざわざ俺達が滞在している宿まで迎えの馬車が来て、屋敷まで送り届けたのだ。
大きな門を入ると、色とりどりの花が咲き乱れた庭園がある。そこを通り抜けると、屋敷の扉が見えた。
あの薄気味悪い偽領主の屋敷とは、雲泥の差だ。
なおスラシアは、スラシア公爵が統治する領地で一番大きな町だ。
一番大きな町には領主の名を冠するのが一般的なのだ。だからアルクの故郷の町の名はフレデールだし、モントールの町の領主はモントール子爵だ。
俺達はスラシア公爵家の扉の前に降り立った。アルクは緊張で顔が完全に硬直しており、ゴクリと唾を飲み込んだ。
使用人により扉が開かれ、中に案内される。
俺達が通されたのは、玄関ホール横の階段を上がってすぐの、大きな扉だった。
大きな部屋の一番奥に、これもまた大きな机が置かれている。
スラシア公爵は机の向こうに腰掛け、アルクを見てにっこりと頷いた。
アルクは机の前まで歩いてゆき、胸に左手を当てて礼をした。この世界での正式な挨拶方法だ。
アルクの父フレデールは伯爵であり、スラシア公爵の方が位は高い。
勇者といえど、礼儀を欠かす訳にはいかないのだ。
「そうかしこまらないで下さい、アルク様。貴方様に頭を下げなければならないのは、私の方です。」
スラシア領主は、ゆったりとした話し方をする人だった。
そう若くはなく初老といった感じで、髪は白髪交じりの金髪だ。一言で言うと貫禄があり、しかし優しさが滲み出ている。
「私は約二か月前、突然現れたあのノルテーラという男に襲われ、ずっと囚われの身となっていたのです。貴方様が私を救い出してくださらなければ、いずれ命を落としていたでしょう…」
なおこのじいさんは、ノルテーラの屋敷で他の冒険者達と一緒に囚われていたのだ。
俺が回復魔法をかけてやった者の一人だ。その時は全く気付かなかったが。
「あの魔物は、人々を精神支配するにあたり、その人々の上に立つ者、つまり領主や国王となる必要があったのです。さすがに国王になる程の力はなかったようだが、私はあっさりその地位を利用されてしまった。
本当に、何と詫びれば良いものか。貴方様の命を危険にさらしてまで私の領地をお救いいただいたこと、心よりお礼申し上げます。」
領主は立ち上がり、アルクと同じように、胸に左手を当てて深々と礼をした。
アルクは緊張のせいで、「……いや……」としか言えなかった。
「貴方様が、寡黙で自らの力を誇示せず、冷静でどこまでも謙虚な方だとは聞いておりました。全く噂通りの方ですね。」
全く噂通りではないぞ。俺は心の中でそう呟いた。
「貴方様にはどのような謝辞を述べても十分ではない。私にできる限りの謝礼は送らせて頂くつもりです。何かお望みはありますか。」
そう聞かれてもアルクは、全く思いつかないようだった。
やれやれ、純粋で無欲だとも言えるし、何も考えていないとも言えるし…。
なかなか答えないアルクを見て、領主は微笑んだ。
「それではまず、お礼として金貨100枚を贈呈します。それだけではもちろん足りないので、何か必要なものが出てきた際に、私にお申し付けください。できる限りのことはいたしましょう。
…よろしければ一つ、こちらからのご提案なのですが…」
スラシア公爵は、改まって話を続けた。
「貴方は一人で旅をしていると聞いています。ドラゴンという強力な従魔や、旅のお供がいることは存じておりますが…(そこで領主は俺をチラリと見た)、
いずれ魔王と対峙するならば、仲間が必要でしょう。この町の高位ランクの冒険者達をご紹介いたしますが、いかがでしょうか。実際ギルドからも、数名希望者がいると聞いております。」
俺はアルクをちらりと見た。
何となくアルクがどう返事をするかはもう分かっていた。
「…お断りします。」
アルクは緊張した面持ちのまま、かろうじてそう言った。
「そうでうすか。差し出がましいことを言ったようで、失礼しました。
…もう一つ、これはどちらかと言えば、私個人としての希望なのですが…」
こいつ、まだ何かあるのか。
「魔王を倒した暁には、ぜひ私の娘、アリシアを妻として迎え入れて頂きたい。フレデール伯爵家にとっても、悪い話ではないでしょう。
もちろん貴方様の意志を尊重するつもりです。決して無理強いはいたしません…」
アルクはポカンとしていた。
それもそうだ。急に妻とか言われれても、実感が沸くまい。
しかしその後、今度ははっきりとした口調で、返事をした。
「お断りします。」
だろうな。聞く前から分かっていた。
領主は残念そうだったが、言葉通りそれ以上無理強いはしなかった。
その後夕食に誘われるもアルクは断り、俺達はすぐに屋敷を後にした。
行きだけでなく帰りも馬車がついていた。
俺達は御者に聞こえない程度の小声で話をした。アルクが、俺とニャーニャー話しているところを人に聞かれたくないからだ。
「ああもう、緊張して胃が痛かったよ……。一刻も早く帰りたかった……。」
「お前、謝礼はどうするつもりだよ。」
「いや…今は特に思いつかないよ。それに謝礼なんて、僕は何もしていないのに…。またしょこらが何か必要になったら、教えてよ。」
「それにしてもあのじいさん、お前への謝礼だとか言って、提案してくることは全部自分の名声に関わることばかりだったな。」
「うん、まあ領主さんだからね、仕方ないよ…」
「仲間の件、断って良かったのか?俺はまあ問題ないが。」
「う、うん…。よく知らない人と旅をするなんて、僕にはたぶんできない。戦うときも、僕はしょこらと二人のほうが、安心して力を発揮できるというか…。他の人がいると、変に緊張しちゃうよ。
…それにしても、まさか結婚の話まで出てくるとは、思わなかったよ……」
「それはまあ、当然断るだろうな。」
「うん。だって僕、その人のこと知らないし…それに、僕は誰かと結婚するなんて、きっと一生できないよ。できない、というか、したいと思わないんだ。」
俺はまたフンと鼻を鳴らした。
「まだ若いからそう思うんだろ。」
「それもあるかも知れないけど……僕、拷問されているとき前世の記憶をずっと見ていて、思ったんだ。前世でも今でも、僕はしょこらと一緒にいられたら、幸せだから…。」
「お前な…。そんなこと言ってられるのも今のうちだぞ。」
「えへへ、そうかな。でも僕は今、これまでで一番幸せだよ。」
アルクはにっこりと笑って言った。
「それにあえて言うなら、僕の理想の人は、あの屋敷で見た女の子みたいな……イタッ!!」
アルクがまた気味の悪い事を言い出したので、俺は再び猫パンチをお見舞いしたのだった。




