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向日葵

掲載日:2010/02/07

俺は大好きな人に会いに行きます。ごめんなさい。

でも俺は18年間幸せでした。何の不満もありませんでした。

父さん、母さん、本当に、ごめんなさい。

今までありがとうございました。

                                 早瀬悠杜(はやせゆうと)


 深夜2時、多くの人間が眠りについているだろうこの時間。

早瀬悠杜と名を書く少年は、ただ一つ光るスタンドライトの明かりの下で、この文章を書き終えた。緊張していたのだろうか。少年の掌は汗で濡れている。

その汗を軽く自分の服でふき取ると、少年はその紙に微笑を向けた。

その笑みは、どこか無邪気で、どこか大人びていて、とても、幸せそうだった。

悠杜は笑みを浮かべたまま、優しい声で告げる。

「すぐに行くから。」

そして、文字が書かれた、白い用紙を茶封筒にしまい、それをさらに机の奥に仕舞った。

安堵が顔に出る。

その穏やかな表情のまま、悠杜は布団に潜り込んだ。

静かに目を閉じる。

遅い時間であることも関係してか、悠杜はすぐに、夢の世界へ旅立っていった。

かすかな寝息がリズムを刻んでいる。

窓の外には、星が輝いていた。

ネオンの光に邪魔されながらも、黒く染まった上空に浮かぶ、星は美しい。

月も光っていたが、それでも、自分の身を削り輝く星の輝きにはかなわないだろう。

しかし、カーテンで世界を遮断していた悠杜の瞳に、その星たちが映ることはなかった。




 都会というわけでもなく、田舎というわけでもないこの街で、神崎家は有名であった。よくあたると評判の占い一家。テレビ出演や本の出版などもしている。

周りの家とは似ても似つかないほど、大きく豪華な家であり、庭には大きな池があり、数十匹の鯉が泳いでいる。

定期的に「カタン」となる獅子脅しも金持ちならではの物だろう。

住んでいる人は着物を着て生活しているのではないか、と想像してしまうほど「風情」という言葉が似合う家だ。

しかし神崎家の朝は、そんなイメージを一瞬で壊し、本当の神崎家の姿を伝えてくれる。



 「あなたはだんだん占い師になりたくな~る。」

よく言って30半ば、悪く言っても40前半のショートカットの似合うかわいい女性が、10代後半のおそらく娘であろう少女の耳元で囁いた。これはここ半年の目覚まし時計代わりとなっている。

その声が耳に届くと、少女はムクッと起き、反射的に長い髪を振り回して叫んだ。

「だから!占い師なんかにならないってばっ!!」

「はい。起きた。早く朝ごはん食べようね。」

娘の怒りとは反対の明るい声で言う。

少女はこの母、神崎薫のそんなところに腹を立てたらしく、無言で半袖の制服に着替え、朝食を取りに行った。

神崎家は占い家業を代々引き継いでいる。

そして次の跡取り候補は、さきほどから無言で朝食を食べている1人娘の神崎瑠未(るみ)、十八歳。しかし、長い黒髪が似合う瑠未は、しばしば実年齢よりも年上に見られるという。

けれど、よく見れば、顔は小さく、年齢相応の幼さも残っている。

綺麗か可愛いかを問われれば、綺麗だと答えるが、しかし、母親似の可愛さもしっかり残っている少女である。

そうなのだ。

瑠未は少女なのだ。

けれど、大人たちの中では、瑠未も同じように占い師になり、跡を継ぐということは決定事項のように考えられていた。

将来を決め付けられていた。

しかし、瑠未自身は、絶対に占い師にならないと言い続けている。

自分には占い師としての素質が備わっていることはわかっていた。

夢で見たことが、そのまま現実で起るという経験があり、最近では、極限まで集中すれば、道具を使わなくてもほんの少し、未来をのぞくことができるからだ。

しかし人の運命はあらかじめ決まっていて、それはどんなにあがいても変わらないと思っている。

だから「占い師なんていても意味がない」それが瑠未の口癖だった。

運命など不可視なものに頼るのではなく、自らこじ開ける道を歩こう。

瑠未はそう思っていた。

だから、まだ、夢ははっきりと決まっているわけではないが、大学に行って、新しいことを学び、自分の道を自分で考えようと思っているのだ。

それなのに、周りが揃いも揃って、瑠未を「占い師」にしようとする。

未来など、見えない方が楽なのに。

どうして、それに気付かないんだろう。

瑠未は、いつもそう思っていた。



「ねぇ瑠未ちゃん。今日帰ってきたら占いの勉強しよっか?」

朝食を食べ終えた瑠未に薫が言う。

実年齢よりも若いと言われるが、それでも40代の母親。

(それなのに、どうしてこんなに幼いんだろう)

それは、瑠未の常々の疑問だった。母親として不自由はないが、尊敬できないことも事実である。

「だから、占い師になんかならないって。占いの勉強なんて無意味なの。」

「だって瑠未ちゃん将来は占い師になるんだよ?私の占いでも、ちゃんと勉強すればなれるって出てるし。それに、小さい頃いつも言ってたじゃない。」

「今さら小さい頃のことなんか持ち出さないでよ。それに運命なんて頑張ったところで変わるものじゃない。」

そう告げ、足早に薫の前から立ち去り、自分の部屋に行く。

最後の方は薫には聞こえていなかっただろう。

悔しいことだが、瑠未は薫に何か言われると、なぜかうなずきたくなってしまうのだ。

何に対しても、子どもの自分よりも子どもであるような母親。

それでも、薫の言ったことは本当に起こる気がする。

だから薫の、特に自分が占い師になるという言葉は聞かないようにしているのだ。

「占い」。

それは、瑠未の一番嫌いなものだから。

未来が見えたからといって、変えられるとは限らない。

大きな未来は変えられない。

どうして、人は未来を見たがるのだろうか。

どうせ生きとし生けるものが行きつく先は同じだ。

だから、怖かった。薫が言うように、瑠未自身が本当に占い師になってしまうことが。


薫から逃れるように部屋に戻ってきた瑠未は、学校へ行く用の鞄に必要なものを詰める。支度を終え、玄関に行った。

しかし何かを思い出したように、再び、自分の部屋に戻った。

机の上に置かれている写真の前に立つ。

凛と立つ大きな向日葵を、今より少し幼い瑠未とその瑠未より少し小さな色白の女の子が囲んでいる写真だった。

色白の女の子の背は、その写真に写っている瑠未よりも3センチほど、小さい。

今の瑠未と比べれば、もっと差は出ているだろう。

肩の長さまで伸ばされた薄い茶色の髪は、わずかにウェーブがかかっている。

身長やその髪も合わせて、人形のように可愛らしい少女だった。

後ろには白い建物が映っている。

「行ってきます。」

瑠未は、その写真に向かって囁く。

笑みを浮かべると、急いで学校に向かった。




 瑠未の通う高校は、全校約1500人のわりと大きな学校で、創立50年以上の伝統ある高校らしいが、瑠未にはただの古くて汚い学校にしか思えない。

瑠未はいつもと同じ時間に、誰もいない教室に入った。

そしていつもと同じように、窓から見えるグラウンドでは、サッカー部が朝練をしている。梅雨がようやく明け、サッカー部は最近になってまた朝練を開始したのだ。

瑠未は無意識に、窓側の誰かの席に座り、朝の眠気に負け多くの部員が適当に走っている中、熱心に部活動に参加している同じクラスの悠杜を双眼鏡で見た。

受験真っ盛りの高校3年生であるにもかかわらず、悠杜は部活に出続けていた。そんな悠杜を瑠未はすぐに見つける。

悠杜は背が高い方ではなく、遠くから見たら、サッカーをしている人間など全て同じに見えてしまう。それでも見つけられるのは、その行為がもう癖になっているからだろう。

瑠未はほとんど無意識で一連のストーカーを間違われても言い訳のできない動作をしていた。もう、3年になる。

瑠未が悠杜を見ていることが他人に知れ渡り、瑠未が悠杜を好きだという噂が流れたこともあった。

疑わない方がおかしいほど、瑠未は悠杜を見ているのだ。そのような噂が流れてもしょうがないことだろう。むしろ「ストーカー」ではなく、「好き」だという噂が流れただけ有難いというべきかもしれない。

しかし、瑠未は動じなかった。それは事実と反しているから。

瑠未が悠杜を毎日見るのは、ストーカーであるからでもなければ、好きだからでもない。義務だった。

しかし、その義務は1年前に終わっている。

それでも瑠未の身体は勝手に動いてしまうのだ。

悠杜のことをあの子に話すことを止めれば、あの子とのつながりがなくなってしまう。

そんな気がするから。



数分の間、ただ悠杜を見ていた。

しかし、いつもと違う気がした。

だから、目を凝らしてみる。

(目が違う…)

そう感じた。

悠杜の目は、こちらまでうれしくなるくらい優しく、綺麗だ。

瑠未はその目が羨ましく、そして好きだった。

「結花と同じ目…?」

悠杜の目を見て、瑠未は無意識に呟く。

(でも、どこが同じなんだろう)

瑠未は心の中で問いかけた。

答えは出ない。

悠杜と結花は違うのだ。

悠杜が向日葵なら結花は蒲公英であった。

しかし、今目に映る悠杜の目は、結花が時々見せた悲しい目と類似していた。

なぜ、悠杜と結花の目が同じなのだろうか。瑠未の頭にはその疑問が繰り返し流れる。

占い師の素質、という厄介なものが、瑠未に危険信号を送っていた。




 瑠未は授業もろくに聞かず、ずっと空を眺めていた。

頭の中では、結花のことを思い出して。

結花は瑠未の親友である。

いつも優しい笑顔で「瑠未ちゃん」と呼び、「今日はどんな事があったの?」と幼い子どものように、好奇心いっぱいの目を向けた。

白い肌に、優しい瞳。

細い体に、小さな背。

少しでも力を入れたら、壊れてしまいそうなのに、とても強い少女だった。

青空に浮かぶ白い雲が風に流されている。

二人で指さしながら、病院の窓の外に浮かぶ雲を追った日のことを瑠未は思い出していた。

普通に生活しているだけでは気がつかないような小さなことに、結花は感動した。

(そんな結花があの悲しい目をしたのは…)

瑠未は答えを見つけられないまま放課後を迎えた。

部活を引退した3年生は、制服のまま塾へ向かう。図書館へ行き、勉強をする人も多かった。しかし中には悠杜のように、自分の好きなことに時間を使っている人もいた。

瑠未はその中間的立場だ。

瑠未は人が少なくなった教室にそのまま残ると、窓側の席が開くのを確認し、その席行く。窓を開け、外を見た。一応、机の上には勉強道具が広げられている。

瑠未の右手には、ピンクの蛍光ペンが握られていた。しかし、瑠未の視線は自然に悠杜のもとに行ってしまう。

放課後は教室に数人残っているので、双眼鏡は使わないようにしている。

瑠未なりの配慮だ。

しかし、双眼鏡を用いなくても、瑠未には悠杜の表情がわかるような気がしていた。

いつもなら教科書と悠杜を3対7の割合で見るのだが、今日は違う。

悠杜から目が離せない。

(笑っているのに、目が死んでいる。誰も気がつかないのかな?)

心の中で呟く。

瑠未は机の上の勉強道具を乱雑に隅に寄せ、額を机につけ、目を閉じた。机はひんやりとしている。

窓から入る風が、瑠未の髪を揺らした。

「あの目、見たくない…。」

強気な瑠未が泣きそうな声を出す。

「結花。」

助けを求めるように、友だちの名前を出したとき、瑠未は思い出した。

結花があの目をするときのことを。

あの目は、結花が自分のことを話すときにする目だ。

(きっと、死を覚悟する人の目)

そう気がついた瑠未は、顔を上げる。

心の中で自分にどうすればいいか問いかけた。

しかし混乱している瑠未の頭の中は真っ白になる。

(もう誰も失いたくないのに) 

真っ白な頭の中で、その言葉だけがぐるぐる回った。

(家に帰れば、結花の前に立てば何か思いつくかもしれない)

瑠未は机の上を片付け、急いで家へと向かった。

グラウンドの隅の小さな花壇に、大きな向日葵が咲いている。瑠未はその横を走って通った。

瑠未のつくった風によって、少しだけ向日葵が揺れる。

太陽にただ従順に伸びる向日葵が、なぜか少しだけ地面の方を向いている気がした。

黄色の花びらが数枚落ちている。



 家に着くと瑠未は着替えもせず、結花の写真を両手で持ち、考えた。

しかし何を考えればいいのかさえわからない。

「どうしよう…。」

そんな言葉が無意識に発せられた。

そのとき

「さぁ~瑠未ちゃん。今日こそ占いの勉強しようね。」

と、薫が明るい笑顔を見せ、瑠未の部屋をのぞいた。

瑠未はそんな薫の姿を見ると、今まで張りつめていた緊張の糸がほどけたような不思議な安堵感を抱いた。

そのまま薫に抱きつき、泣きだす。

いつもなら薫の場違いな態度に怒りを感じつのだが

(こんな子どもっぽい人でもお母さんなんだな)

と改めて思う。

薫は一瞬驚いた顔をしたが「何があったの?」とは聞かず、瑠未の頭をさすりながら泣かせてくれた。


ようやく涙が枯れると、瑠未は今日の出来事を薫に話した。

「瑠未ちゃん、考えよう。悠杜君がなんでそんなことしようとしているのか。どこでしようとしているのか。お母さんもう、瑠未ちゃんのあんな顔見たくないの。悠杜君がいなくなったら瑠未ちゃんまたあの顔になっちゃうでしょ?だから助けよう。結花ちゃんのためにもね。」

「…うん。」

再びこみあげてくる涙をこらえて言った。

鼻の奥が痛くなる。

薫が部屋から出ていくと、瑠未は大きく深呼吸をした。

机の上の結花の写真に向かうように椅子に座る。

(お母さんとかお父さんの占いで早瀬君を占って理由とか方法を知るのが一番正確で、早いんだろうな…。でも、嘘をつくのは下手だから家に呼ぶのは無理だろうし、神崎家の占いは、水晶を使って、対象者を目の前に置かないといけないし…。どうしよう。…でもなんでなんだろう?)

瑠未は部屋で食事もろくに取らず、何時間も考えを巡らせた。

気がつけばいつの間にか空は真っ暗になっている。

「瑠未ちゃんどう?」

パジャマ姿の薫が再び瑠未の部屋をのぞく。

瑠未は黙って首を横に振った。

「そっか。じゃあ、明日、悠杜君に話しかけてみなよ?とりあえず、仕草だけで判断するよりははっきりとしたものがつかめるかもよ。…だから、今日はもう寝なさい。」

「…うん。こうして考えているだけじゃ、何も始まらないよね。」

「そうだよ。そんな情けない顔してたら、結花ちゃんに笑われちゃうぞ。」

瑠未は薫の言葉にうなずく。

それを見た薫は、微笑むと「おやすみ」と言い、部屋から出ていった。

瑠未は何気なく、部屋を見渡す。結花の写真の隣にある、ほこりをかぶった小さな水晶玉が目にとまった。

瑠未は急に立ち上がり、水晶玉のほこりを払う。

「…あ~あ。」

軽く自嘲的な笑みを浮かべ、そう小さく一言漏らすと結花の写真とともに水晶玉を鞄の中にしまった。



 「瑠未ちゃん、頑張ってね。」

翌朝、玄関で靴を履いている瑠未に薫が言う。

「うん。」

「弱気な瑠未ちゃんは瑠未ちゃんじゃないぞ。」

「…私、結局何をすればいいかわからない。占う気なんかないのに、水晶持っているし・・。わからないけど、何か持っていたほうがいい気がしたの。占いなんて信じてないのに、自分にはそういう力があることは信じている。その力が水晶を持っていった方がいいって伝えているのかも、とか思ったの。変だよね。」

「瑠未ちゃん、大丈夫。思ったままに行動すればきっと上手くいく。たぶん力とかじゃないんだよ。瑠未ちゃんの助けたいって言う気持ちがそう思わせたの。瑠未ちゃんは信じればいい。力とかじゃなくて、瑠未ちゃんの思いの強さを、ね?」

瑠未はうなずいた。

薫の言葉を聞くと、瑠未は〝大丈夫″だと思えた。

(上手くいく。もう絶対誰も失わない)

心の中で、自分に言い聞かせる。

薫に小声で「ありがとう」と言うと、一歩一歩踏みしめるように学校へ向かった。

神崎家の庭にも向日葵が咲いている。

学校のものよりはるかに大きい花壇だ。

向日葵は瑠未の大好きな花。

1年前、瑠未が泣きながら植えた向日葵の種は、今では綺麗な花を咲かせている。

その向日葵は遠くにある太陽をしっかりと見ていた。

瑠未の背中を見送る薫は、その向日葵を見て、少なからず安心していた。




 こんなに緊張していても一日は流れていくんだな、と他人事のように思いながら瑠未は今日を過ごした。

放課後、悠杜に話しかけよう。

そう思うと急に時計の針の進む速度がいつもより遅く感じた。手が汗で一日中湿っていた。いつもなら休み時間には、仲のいい友だちの席に行くか、瑠未の席に友だちが来るかして、時間を潰す。

しかし今日の瑠未は友だちと笑える状態ではなかった。だからずっと自分の席でじっとしていた。

そんな瑠未の張りつめた空気が伝わったのだろうか、今日は瑠未の席に誰も集まりはしなかった。

瑠未にとっては好都合だったが。

そうしてようやく放課後となった。

待ち望んでいたはずなのに、瑠未は逃げ出したい気持ちになる。でも逃げることはできない。

鞄をほんの少し開け、結花の写真を見た。

軽く頬を叩き、部活へ行く準備をしている悠杜の所へ向かった。

「あの…話があるんだけど。」

言った後に後悔した。

みんなの前で、なんと誤解されやすいことを言ってしまったのだろうと。

何か理由をつけて残ってもらうつもりだったのに。

瑠未の手のひらや顔、脇から汗が出る。クラスメイトのざわつく声が耳に入った。

でもそんな時、思わぬところから助け船が出る。

「なんか瑠未のお母さんの占いで、あんたのこと占えって出たらしいよ。それやらないと不幸になるんだって。だから付き合ってあげて。」

そう言ったのは、髪の毛を茶色に染めたクラスリーダー格の麻紀だ。

短いスカート、濃い化粧で教師からは問題児として見られがちであるが、優しいお姉さまタイプの麻紀。

いつも一緒にいるわけではないが、瑠未の親しい人の1人である。

(今日のこと、相談してないのに…)

瑠未が疑問を浮かべ、麻紀を見ていると、麻紀が小さくうなずいた。

嫌な予感がした。

麻紀が、言葉を続ける。

「いいじゃん、話聞いてあげなよ。十分もあれば終わるでしょ?」

「…うん。」

「いいじゃん。ね~瑠未。」

(勘違いしてる…)

そう思った。

麻紀は瑠未が悠杜を好きだと確信していた。

麻紀に言わせれば、「だって、バレバレだよ?」らしい。

瑠未には、そんなつもりは全くないのだが、言葉が達者な麻紀には、何を言っても叶わないので、勘違いのまま放置していた。

おそらく、麻紀は瑠未が告白しようとしている、と思っているのだ。

そして、その告白の場をつくろうと協力しているつもりなのだ。

それは、事実とは違う。

けれど、瑠未にとって都合のいいことに変わりはない。

占うことになってしまったけれどこの際しょうがない、とある種開き直り、麻紀のついた嘘に自分も乗った。

明日おそらく問いただされ、くたくたに疲れるだろうことは今は考えないでおくことにする。

「えっと…、そうなんだ。だから、あの…協力してくれると非常に助かるんだけど。」

嘘が苦手な瑠未の声は微妙に震えていた。

それが真実味を増したのだろうか、悠杜は嫌な顔せず、「いいよ」と言った。

麻紀がみんなを教室から出させる。

そして最後に

「じゃあ、頑張ってね、瑠未。」

と、軽くウインクをして外に出た。

教室は一気に2人きりになる。


瑠未は悠杜と同じクラスであっても、仲のいいどころか言葉を交わしたことさえあまりない。変な噂が流れてから瑠未は迷惑がかからないようにと、できるだけ関わらないようにしていたのだ。

しばらく教室に嫌な雰囲気が流れる。

瑠未が沈黙に耐えかね、何か話そうとしたとき、悠杜の方が先に口を開いた。

「神崎。…おばさんの占いでなんて出たの?」

「えっと…。…不幸になるんだって。早瀬君のこと占わないと、…大切なものを失うんだって。」

「そっか…それは困るね。…失うのは嫌だからな。うん。俺でよかったら何でもやるよ。」

そう言うと悠杜は下を向いて顔をそらした。

きっと同じことを思い浮かべたのだろうな、と瑠未はその姿を見て思う。

「ありがとう。…あ、ごめんね。部活に遅れちゃうよね?」

「いいよ。…まあ部活は無理やり入らせてもらっている感じだし、俺は来たいときに来ていいって言われているから、大丈夫だよ。」

悠杜は優しく笑う。

その笑顔を見て、瑠未は改めてこの人を失いたくないと思った。

「じゃあ、やるね。座って。」

悠杜の席の前に自分が座るための椅子を用意する。

そして自分も椅子に座ると、瑠未は鞄の中から水晶玉を出した。

その際、悠杜には見られないようにしながら結花の笑顔を見る。

そして「大丈夫」と自分に言い聞かせた。

「ここに手を置いて。」

出した水晶玉を指さして言う。

悠杜はうなずくとゆっくりと手を持っていく。

緊張しているのだろうか、手が少し震えている。

「緊張しないで。大丈夫。深呼吸して、目を閉じて。…それだけでいい。」

そう言うと瑠未も悠杜の手の上に、自分の手をのせ目を閉じた。

(ごめん。勝手に未来のぞきます)

心の中で謝る。



 次の瞬間、瑠未の目の前に一瞬鋭い閃光が走った。

その直後、瑠未は違う世界にいた。しかも空を飛んでいる。

占い師としての瑠未は、占いの対象者の未来を第三者として上から眺めるようになっているのだ。

占いの仕方は水晶玉を使うこと以外は、神崎家の人間みなが同じというわけではない。

水晶に未来が映し出されたり、自分の脳裏に映し出されたり様々だ。

しかし、薫を含めたほかの家族は、自分の体が未来に飛ぶことはない。

この方法は瑠未特有のものである。

瑠未の目に今映っているのは、悠杜の未来。

このとき占い師、瑠未には、はっきりとした未来が見えていた。

未来がはっきりと見えるということは、その出来事が起こる可能性がかなり高いということを示している。

瑠未は少し不安を抱えながら、あたりを見回した。

初めに瑠未の目に入ったのは、数台のパトカーの赤いランプだった。

その横には、一台の救急車がある。

近くには、泣き崩れる女性とその肩に手を置き、白い封筒を握りしめている男性がいた。その前には、五階建てのビルが建っている。

瑠未はビルの真上に飛んで行く。

ビルの屋上は、珍しい濃い緑色の柵がついていた。そしてそこには綺麗に並べて置いてある男物の靴。

それだけで何が起こるか容易に想像がつく。

それは、違っていてほしいと願っていた瑠未の推測と一致した。

瑠未は出てきそうになる涙を必死でこらえる。

(泣くぐらいなら手がかりを探せ)

自分に強く言い聞かせた。

そのとき一瞬、瑠未の目の前が真っ暗になり、また戻る。

もうすぐ現実に引き戻されるという合図だ。

瑠未は急いであたりを回る。

ビルの目の前の家に日めくりのカレンダーがあった。

日付は2日後の土曜日を示している。

その日は瑠未にとっても特別な日だ。

もしかして、と瑠未にある推測が生まれる。

そしてその推測が正しいか調べようとしてきたとき、また目の前が暗くなった。

時間切れだ。

ゆっくりと目の前の闇が濃くなっていく。

瑠未は目の前の変わっていく景色を見ながら、自分の唇を噛んだ。

神崎家の誰もが、こんな短い時間で占いを強制終了させられることはない。

今まで逃げてきたつけが回ってきた。

今の瑠未には自分を責めることしかできない。

 暗闇が無くなり明かりが見えた。瑠未が目を開けると、そこはもうすでに現実であった。目の前には目を閉じたままの悠杜がいる。

瑠未は、少しの間、その顔を見ていた。

短い黒い髪。

整った顔。

よく説明もしていない占いに付き合ってくれる優しさ。

そのすべてを失うことになるかもしれない。

しかし、あの日に。

それがとても怖かった。


 

「もう。いいよ。」

目を閉じている悠杜にそう告げる。

「えっ?もう終わり?…なんか占いされたって感じがしないんだけど。」

「まあ、占いをされた方は放心状態みたいになるから。気分とか悪くなってない?」

「大丈夫。…ところでなんて出たの?俺の占い。」

真剣な目が瑠未を見つめる。

「…今、早瀬君の歩こうとしている道は行き止まりでその先には進めないの。その道に進むことを望んでいる人なんて1人もいない。だから他の道を見つけて。新しい道はきっとあるから。…こんな感じかな。」

「なんか本物っぽいね。でも俺的には最初の道の方がいい道だったりして…。」

悠杜はすぐに、「なんてな」と付け足した。

けれど、思わず瑠未は声を失う。

しかし、それに気づかなかったようで、悠杜はさらに言葉を続けた。

「そういえば占い十分もかからなかったな。これなら部活始めから出れるよ。後輩とかにまた来たとか言われるんだろうな。…って俺何言ってるんだろう。それじゃあ俺、部活行くよ。」

「…うん。つき合わせてごめんね。ありがとう。」

そう言う瑠未の方を振り返らず、背中を向けたまま手を振り、教室を出ていった。

悠杜の背中に瑠未は聞こえない小さな声で言う。

「絶対にもう誰も失わない。」



 瑠未は風に当たるため、窓の近くに立った。

教室の窓から花壇がよく見える。

大きく強い向日葵がこちらを見ているように見えた。

向日葵と同じ世界を見てみたくなり、瑠未は左の窓枠をつかみ身体をほぼ半分外に出す。そして空を見上げた。

太陽がまぶしすぎて何も見えない。

目を細める瑠未の脳裏に先ほどの映像が浮かんだ。

瑠未は急に心細くなる。

身体を戻し、まだ机の上に出したままの水晶玉を鞄の中にしまった。そして、急いで教室を飛び出す。

無性に結花に会いたい衝動に駆られたのだ。

学校を出ると帰る時間も惜しいのか、そのまま結花の眠る場所へ向かった。

軽く走りながら向かう瑠未の額に汗が流れる。その汗を制服で雑に拭った。


そして数十分後、やけに涼しい風が、瑠未の火照った身体を冷ます。

夏場でも薄暗い、結花の眠る場所についた。

同じような墓石がある中、迷うことなく結花の前に立つ。

生けている花が少しだけ枯れていた。

瑠未は手ぶらで来たので後で何か買ってこようと思った。

瑠未はしゃがんで手を合わせた。

目を閉じたまま結花に話しかける。

「結花、私どうすればいい?何をしてあげられるのかな?…ねぇ教えて。」

瑠未はまるで結花の返事を待つように黙った。

耳に何も聞こえないその空間の中で瑠未は結花が側にいる気がした。

しかしその空間は近づいてくる誰かの足音で壊される。

少し涙ぐんでいた瑠未は、とっさに近くにあった大きな木の陰に隠れた。

近づいてきた足音が止まる。

不思議に思い瑠未は木の後ろからそっとのぞいた。

近づいて来た人は結花の墓の前に立ち、慣れた手つきで持ってきた向日葵の花を生けている。

目を閉じ、数秒の間手を合わせた。

その後、目を開け軽く微笑むと、すぐに来た道を帰って行った。


確かに悠杜だった。

枯れていた花も今悠杜が持ってきた花と同じ、向日葵だ。

それは悠杜がよくこの場所にきていることを物語っている。結花の前に立った悠杜の目にはここ数日見せていた悲しい光はどこにもない。

優しさのあふれる、瑠未の好きな目をしていた。

瑠未は悠杜の結花への気持ちと、本気なのだということを再確認した気がした。

「結花に会いに行くのか…だから二日後。」

瑠未は隠れた木に寄りかかり滑るように座り込む。

曲げた膝に腕を回し、自分の方に強い力で引き寄せた。

涙でゆがんでくる視界を強制的にまぶたで塞ぐ。

まぶたの裏に、結花の姿が浮かぶ。

悲しい顔だ。

「失うのは嫌だって言った…のに。どうして自分がいなくなったら悲しむ人がいることに気がつかないの?どうして…他の人にも同じ思いさせるの?結花にこんな顔させていいの?」

小さな声でもうこの場にいない相手に訴えた。

結花が病院のベッドの上で、悠杜のことを話していた優しい笑顔を思い出しながら。

閉じた目から涙があふれ出る。

結花の墓に飾られたばかりの数本の向日葵が綺麗に咲いていた。

風が吹くたび揺れる。

その姿は、結花に寄り添っているように見えた。

座り込んでいた瑠未は立ち上がり、その光景を見る。

結花と悠杜に見えた。

幸せそうに見えてしまった。

だから一瞬、瑠未は結花と悠杜が、天国で仲良く寄り添っている光景を想像してしまう。現世ではかなわなかった、結花の夢。

もしかしたら結花は悠杜が会いに来てくれることを望んでいるのではないか。そう思ったが瑠未はすぐに首を横に振る。

結花はそんな人間ではない。

自分の寂しさを無くすために、大好きな人がこれからの人生を失うことを望むような人間ではないのだ。

結花は自分のことより、他人の幸せを願うことのできる人。

そのことを瑠未が一番よく知っているはずだった。

瑠未は頬に残る涙を何回も拭う。

そして一度深呼吸をすると、結花の前に立った。

「結花、ごめん。」

墓石に向かって深々と頭を下げる。そしてそのままの状態で頬を二回叩いた。

(悩んでいても仕方がない)

瑠未は自分に言い聞かせる。

自分のできることを精一杯やろう。結花の笑顔が絶えないように。

瑠未はそう誓った。

「結花、私、頑張るから。」

瑠未は握った拳をさらに強く握りしめ、結花の前から去って行く。

その日はもう遅くなったため、瑠未は家に帰ることにしたのだ。

時間はない、と嘆いても推測を間違えたら元も子もない、と焦る自分を必死に抑える。

(慎重にならないと)

もと来た道をゆっくりと歩きながら、心の中で何度も繰り返した。



家に着くと、自分の部屋で今日わかったことを心の中で整理し始めた。

(早瀬君は結花に会いに行く。結花の命日に。時間は多分、いつもの時間。早瀬君がいつも結花に会いに行っていた時間だろうな…)

1年前の4月、高校生活が始まって間もない頃、悠杜はサッカーの練習中に足を痛めた。そこまで重傷ではなかったのだが、数回の通院が必要だった。

そのとき、悠杜が通院で通っていた病院が、結花の入院していた病院だった。

結花は現在の医療では治せない病にかかっていた。

そんな結花に悠杜は病院の廊下でばったり会った。

制服のままだった悠杜に結花から話しかけたのだ。

悠杜が結花と同じ高校の生徒だったから。

一回も通うことはできないとわかっていたけれど、親友の瑠未と同じ高校の生徒になりたくてそこを受験した。

学校側は結花の話を聞き、認めてくれた。

結花は自分も同じ高校の生徒であること。けれど、高校には行けないことを語った。

悠杜は色白く弱々しいのに、つらい人生を送っているのに、大声で笑い親しげに話してくる結花に好意をもった。

そして結花も唐突に話しかけてきた病人と普通に会話してくれる、そして自分を普通の人と同じように扱ってくれる悠杜に好意をもった。

そして悠杜が病院へ行く日は必ず会うようにした。

しかし通院が終わると二人は思いを告げることなく別れたのである。

その後、結花は親友の瑠未に悠杜のことを毎日聞くようになった。

悠杜は何度か花を持って結花のお見舞いに行こうとした。しかし自分なんかが訳なく行っていいのか悩み、長い間躊躇していた。

数日でお互いの気持ちに気づくには多少幼かったのだ。

しかし悠杜の会いたいという気持ちはどんどん膨れていった。だから夏休みのある日、自分が大好きで、周りの人から自分に似ていると言われた向日葵を持って病室に行った。

しかし当の本人は寝ていた。

ちょうど看護師さんが通り、なぜ寝ているかを教えてくれた。

いつもこの時間には、薬の副作用で一時間ほど眠りにつくらしい。

悠杜は考えた。

この時間に来ようと。

そしたら毎日でも会える。

そしてほぼ毎日、黄色い向日葵の花を結花の病室に飾った。

いつもほんの数分、結花の顔を見る。

それだけで悠杜は嬉しかった。


結花は目が覚めるたびに置いてある向日葵を誰が持って来るのか知りたかった。

自分のことを知る人物ならば、向日葵を持って来るわけがないとわかっていたから。そして気になるその人物がわからないまま、一ヶ月が過ぎたとき、医師の都合で薬を飲む時間が早まり、いつも寝ている時間に起きていることがあった。

そのとき結花は初めて知った。

黄色い向日葵を飾るのが悠杜だと。

しかし気づいても結花は悠杜に話しかけなかった。

悠杜が病室にいる間、ずっと寝たふりをしていたのだ。

もし起きていることを知れば、悠杜はもう来なくなってしまうかもしれないと不安に思ったから。

何も話さなくても悠杜が側にいてくれる。

それがたとえ短い時間でも、結花には幸せだった。

また、一ヶ月もほぼ毎日通ってくれる悠杜の思いに気がつかないほど子どもでもない。

だからあえて寝たふりをした。

もしこれ以上仲良くなれば、大好きな人をより傷つける。そう思ったから。

それが結花にとって一番つらいから。

自分の背負った運命を聞いたとき、恋なんてできないと思った。

でも、今恋をしている。

静かでゆっくりだが、しかしちゃんと動いている恋を。

その事実だけで結花は幸せだった。

その後、結花は医師に頼み、薬の時間を変更してもらった。

悠杜が来る時間にちゃんと起きていられるように。

しかしやはり、寝たふりを続けた。けれど何日も寝たふりをしていれば、悠杜も気づく。そして悠杜が気づいていることに結花も気づいていた。

それでも二人はそのまま二人だけの時間を続けた。

悠杜がロードワークを口実に部活を抜け出し会いに来る、たった10分間のデートだった。


 瑠未はそのことを結花から聞いていた。

結花に会いに行くなら悠杜はきっとその時間にする。

根拠はないが瑠未は確信していた。自分ならきっとそうするから。

あとは場所を考えるだけである。

その場所に行き、悠杜を思いとどませる。

それが瑠未の考えた作戦であった。

しかし、ビルという手がかりしか今はない。

だから、明日、さらなる手がかりを探そうと決めた。

明日は多くのとこを回るから、体力使うだろうと思った瑠未は早々と床についた。

久しぶりの占いで疲れ切っていたため、目を閉じるとすぐに意識は瑠未から離れていった。




 次の日も瑠未はいつもと同じ時間に学校へ行き、いつものように朝練中の悠杜を見ていた。

そこには、昨日と変わらない様子の悠杜がいた。向日葵に似ている悠杜は、まだ出たばかりの太陽をまぶしそうに眺めている。

朝でも暑くなってきたこの季節にも手を抜かない悠杜を、瑠未は改めてすごいと思った。少し悠杜から目を離し、背中を窓に向けて座り直す。

長い髪を持ち上げ、首にかいた汗を風によって乾かした。

そこに、いつもならまだ来ていないはずの麻紀が入ってくる。

入ってくると同時に、テンション高く瑠未に話しかけた。

その顔はやけに楽しそうである。

「瑠未、昨日どうだった?」

やっぱりそうきたか、とため息をつきそうになる。

そんなことを聞くためだけに早起きしてきたのかと思うと瑠未は呆れ、また感心した。

「どうって?占いは…上手くいったような…。いや、途中で終わっちゃったから成功とは言えないかな。」

「そんなことどうでもいいの!…もしかして本当に占いだけやったわけ?」

「うん。そう言ったの麻紀じゃん。本当は占いしようかどうか迷ってたんだよ。麻紀すごいね。」

「ってことは告ってないの?」

「当たり前。私早瀬君のこと好きじゃないもん。」

「せっかくのチャンスだったのに…何してるの?」

明らかにがっかりした声で麻紀は言う。

「話、聞いてる?早瀬君のこと好きじゃないんだって。」

「なら何でいつも見てるの?」

「前に話さなかったかな?」

「結花って子の話?」

「うん。」

「その子に遠慮することない。もっと正直に生きようよ。」

「だから…。」

麻紀は瑠未の言葉の上にかぶせるように言った。

「だったらなんで笑顔なの?」

「えっ?」

「瑠未、悠杜君見てるとき笑顔だよ。すっごくかわいい笑顔。」

まじめな声。

瑠未はほんの一瞬だけ戸惑った。

しかしすぐにしっかりした口調で言った。

「それはきっと結花のこと思い出しているからだよ。結花ならこんな顔かなって無意識にしてるんじゃない?」

「でもさ…。」

今度は麻紀が言葉に詰まる。

「でもさじゃないよ。それに私が早瀬君を好きになることは絶対にない。でも、いろいろありがとうね。昨日は本当に助かった。麻紀が私のこと心配してくれるのも嬉しいよ。」

「…ばか。そこまで言うなら、そういうことにしておいてあげるよ。…今度なんかおごってよね。」

「うん。了解です。」

瑠未がそう言うと、膨れ面の麻紀が笑い出した。

つられて瑠未も笑う。

ここ数日の変な疲れが取れた気がした。

早く来て損した、笑顔の麻紀が軽く瑠未を叩いて言った。

その後教室に人が次々と入ってきた。

その中には汗をふいたタオルを首に巻いている悠杜もいる。悠杜はこの一日、いつも以上にクラスの中に溶け込み、クラスを盛り上げた。

笑い声がいつもより大きい。

それは、明日で世界が終ることへの反動からだろうか。

そんな悠杜を見ていると瑠未は悲しくなった。瑠未は明日のことを考える。

自分に悠杜を止められるのか。

昨日の悠杜の墓参りの姿を見て浮かんだ疑問が再び浮上する。結花と悠杜の交わした会話は少ない。

それでもこれからの長い人生を終えることになっても会いに行こうとする悠杜の結花への気持ちは、大きすぎるほど大きい。

瑠未にはその強い気持ちを止める自信は、無いに等しかった。

また自分に止める権利があるのかも考えた。

瑠未自身も結花に会いに行こうとしたことは何回かある。

結花はそんなことは望んではいない、そうわかってはいても会いたい衝動に駆られたのだ。瑠未には結花の写真も、二人で遊んだ時に撮ったビデオもある。

結花の姿をいつでも見られる自分が悠杜を止めていいのだろうか。

しかし途中でその思考を停止させた。

権利なんてどうでもいい。結花に幸せでいてほしい。

結花がこれからも優しい笑顔を絶やさないように、自分にできることを精一杯やろう。

いつも以上の悠杜の笑顔を見ながら、瑠未は決意を固めた。

 


学校が終わると、瑠未は急いであのビルを探し始めた。

今日中に見つけなければならない、時間がない。

その事実が瑠未を焦らす。

瑠未はまず、なんとか担任から聞き出した悠杜の家に行ってみた。しかし悠杜の家の周りには、ビルどころか大きな建物もない。

学校からさほど遠くはないのだが、一気に自然が増していた。

ここではない、30分ほど悠杜の家の付近を見て回った後、瑠未は確信した。

次に、結花が入院していた病院の周りを探す。

いくつかビルがあり、屋上つきの高い建物も数えきれないほどである。し

かし悠杜の未来で見たビルは五階建て。

そうすると対象物は五か所に減った。

瑠未はその一つ一つにのぼる。

病院の周囲、と言っても一直線に対象物が並んでいるわけではない。

瑠未がすべての建物を回り終わった後には、一時間半以上経っていた。しかしどれもあの特徴的な緑色の柵はついてはいない。

瑠未は最後のビルを降りると人目を気にせずしゃがみ込んだ。

(脚が痛い)

2時間以上休むことなく動いていた脚が悲鳴を上げている。

ここ最近、運動らしい運動をしていなかったことも原因の一つだろう。

またそれ以上に、焦る瑠未には変な力が入り、余計に疲れが増すのだ。

休みたい、でも早く探さなくては、その矛盾した思いが瑠未から冷静さを奪っていく。

「どうしよう…。」

今にも消えそうな声で何度も言う。

暑さから出てくる汗と、冷汗で気持ちが悪かった。

少しの間そのままの状態でじっとしていた。

しかしすぐに、瑠未は立ち上がった。

そして、足はある場所に向かって動いていく。


10分後、瑠未の視線の先には、大きな建物が建っていた。

白を基調とした、清潔感の漂う建物である。

それは、結花のいた病院。

瑠未が病院に来た理由は、なかった。

何か案が浮かぶかもしれないと思ったのだ。藁にもすがる思いだから。

瑠未は病院の入口の前に立つ。

人を感知した自動ドアが瑠未を迎えた。

入った途端、ひんやりとした冷気が、瑠未の火照った体を冷やしてくれる。

1年前とほとんど変わってないその場所。

瑠未は自然と懐かしさを覚えた。

思い出に浸りながら、あてもなく歩いていく。


この病院に瑠未は何年も毎日のように通い続けていた。

それが瑠未の日課だった。

けれど、結花が死に、病院自体が嫌いになっていった。

どうして、結花を助けてくれなかったのか。

そんなことを喚いても、結花は喜ばない。けれど、思わずにはいられなかった。

だから、今、自分が抵抗なく病院の中にいることが、瑠未には不思議だった。

(結花が呼んでいるのかもしれない)

そんな非科学的な事さえ考えてしまう。

けれど、占い一家の一員である瑠未にとっては、非科学的な事の方が日常的だったりするのだが。


「…あれ?どうしたの?」

考え事をしながら歩いていた瑠未の耳にそんな声が入る。

振り向けば、綺麗な看護師が軽く右手を挙げ、笑顔を浮かべていた。

それは、結花を担当していた看護師の春香だった。

瑠未は軽く会釈する。

すると、春香は、もう一度聞いた。

「瑠未ちゃん、病気でもしたの?」

「えっと…。病気…じゃないんですけど…。」

ピンピンしている自分の姿を見て、診察という嘘はつけなかった。

だから適当に誤魔化そうとしたのだが、上手くいかない。

目の前の春香は軽く首を傾げた。

(春香さん、不審に思ってる…。でも、占いなんて言えないし…)

何か言葉を発してしまうと、逆効果を与えてしまいそうだったので、瑠未は、苦笑いを浮かべたままやり過ごすことにした。

そんな中、何を勘違いしたのだろうか、春香は少し涙目になりながら瑠未を見つめ返した。

「ちょっと来て。」

「…え?」

戸惑う瑠未を無視し、春香は先を進んでいく。

「え?ちょっと…。春香さん?」

そんな瑠未の声は、残念ながら春香の耳に届いていないようだ。

仕方なく、瑠未は春香の後についていく。

そして、気がつけば、見慣れた部屋に案内されていた。

そこは、結花のいた病室。

「今ね、結花ちゃんの後にそこの病室に入った患者さんが奇跡的に回復して、大部屋に移ったんだ。だから、ここでゆっくりしてってもいいよ?」

「…え?」

「結花ちゃんに、会いに来たんでしょ?ここが一番、結花ちゃんとの思い出が詰まっているもんね。」

「…。」

確かにそうだった。

病院が思い出の場所。それは、なんだか心地よくない響きだが、事実そうなのだ。

瑠未と結花がともに多くの時を共有した場所。

きっと、この部屋にはどこよりも、結花の想いが詰まっているのだろう、と瑠未は思う。

病院なんて、大嫌いだ。

けれど、ここが思い出の場所なのだ。

瑠未は、矛盾している想いの整理がつかず、言葉を失っていた。

けれど、春香はそんな瑠未を無視して、着実に事を進めていく。

その部屋を片付けている最中だった看護師たちを外に出させた。

結花の部屋だったその病室に瑠未1人を残す。

「ゆっくりしていっていいからね。」

もう一度そう言う春香に、

「ありがとう…ございます。」

なんとかそれだけ返すことができた。

瑠未は1人残されたその部屋で一度大きく息を吐く。

予想もしていなかった展開に混乱していた。

しかし、その部屋を一度見渡すと、自然に焦りが消えていった。

結花をより身近に感じることができた。

首や脇の汗が、病院の涼しさによって乾かされていく。

余裕を取り戻し始めた瑠未はゆっくりと狭い部屋の中を回った。

(このテレビで、2人でいろんな番組見たな)

(この傷まだ、あったんだ…)

自然と当時のことが思い出される。

それは、何年も前の鮮やかな思い出のようだった。


「まだ、たった1年…か。」

ベッドに腰掛けた瑠未の口から勝手にその言葉が出た。

思いがけないその言葉に軽く苦笑いをし、部屋をもう一度見渡す。

何気なく目に入った窓の外の景色に、瑠未は思わず息をのんだ。

病院の近くにはいろんな建物が密集している。

しかしこの病室から見える先は視界を邪魔するものが無かった。

この窓の幅ほどの、建物と建物でつくられた道ができている。

そしてその道の先には、屋上がこの部屋と同じ高さのビルが見えた。

500メートルほど離れた場所。

病室から見えるそのビルの屋上の柵の色が緑色のような気がした。

瑠未はそれで確信する。

(あの場所だ)

きっと結花を訪れた時、この病室が見えるあのビルのことを悠杜は知ったのだろう。

瑠未は急いで立ち上がる。

結花との思い出の詰まった、その場所から離れた。

そして、向かいのビルに急ぐ。

行き方は簡単。

まっすぐ進めばいい。

瑠未は半ば走るようにその道を通って行った。


瑠未は息を切らしながら、ビルの入り口の前に立つ。

ゆっくりと、あたりを見回した。

(あそこには、パトカー。あそこで女性が泣いていた)

瑠未が見た光景とはっきり重なる。

一度、自分の頬を叩き大きく息を吐いた。

そして屋上に続く階段を登っていく。

屋上には気持ちいい風が吹いていた。

その風が瑠未の長い髪を揺らす。

病院を目の前にして立ち、瑠未は柵をつかんで下をのぞいた。

多くの車や人が通っている。

瑠未は病院を背にし、反対側へ行き同じように下を見た。

その下は、空き地のようになっており、誰もいない。

薄暗く、子どもの遊び場にもなりそうになかった。

(早瀬君はきっとこっちから…)

頭の中で、嫌なイメージが流れる。

数回激しく頭を横に振り、そのイメージを払拭した。

そしてまた病院の方に体の向きを変える。

緑色の柵、そこから見えるあの病院。

すべてがつながった。

瑠未は大きく深呼吸する。

(大丈夫)

自分に言い聞かせた。

眺めた空の色が変わっている。

(そう言えば、何時間も探し回ったな)

何となく他人事のようにそう思った。

瑠未は明日ここに来て、悠杜を止めよう、と決意を新たにする。

ビルから見える結花のいた病院が、夕日に照らされオレンジ色に染まっていた。

その光景がどこか神秘的に見える。

「ねぇ、結花…。私頑張るね。」

そう告げる瑠未の髪もオレンジ色に染まっていた。




 朝の7時。

目覚まし代わりの薫が来る前に、瑠未は目を覚ました。

今日は大事な日だから。

1年前、結花が、瑠未や結花の両親また瑠未の両親に見守られながら息を引き取った日。

ずっと、一緒にいようと言っていた結花が動かなくなった日。

忘れるわけがない。

薫も今日は瑠未を起こしには来なかった。

瑠未が起きることがわかっていたのだろう。

瑠未が自分の部屋から出ると、

「御飯できてるよ。」

下の階から、薫の声が聞こえる。

「はい。」

そう答え、瑠未は食事を取りに1階に降りた。

瑠未は朝から両親とともに結花の一周忌の法事に出てることになっている。

食事を済ませると、もう一度部屋に戻り、黒い喪服に身を包んだ。

線香のにおいが染み付いたはずのその服は、何のにおいもしなかった。

薫がクリーニングに出してくれたからだ。

何のにおいもしないただ黒いだけの服。

(クリーニングになんか出さなきゃよかった)

瑠未は黒い服に身を包んだ自分を鏡越しに見ながらそう思う。



瑠未と結花の出会いは、記憶にもない小さな頃だった。

瑠未の両親と結花の両親同士が仲良く、自然といつも一緒にいた。

瑠未の両親は結花を、結花の両親は瑠未を自分の子どもと同じようにかわいがっていた。本当にいつも一緒だった。

まだ離せない時から、ずっと。

瑠未にとって結花は友だちであり、家族だった。

だからこそ、本来身内のみでやる一周忌にも参加しているのだ。

結花の両親もそれを望んでくれた。

「瑠未ちゃん、ありがとう。」

同じように喪服に身を包んだ結花の両親が頭を下げる。

瑠未は首を横に振った。

「あの子、きっと天国で幸せに暮らしているわ。」

空を見上げ、結花の母が言う。

「…うん。そうだよね。」

「瑠未ちゃん。…今も、結花の友だちでいてくれて、ありがとう。」

「そんなこと、言わないで。おばさん。感謝なんかしてもらいたくないよ。」

「…そうね。…ごめんね。」

「……。私たち、ずっと、友だち。…いいでしょ?」

瑠未は泣きそうだった。

その瑠未の頭を大きな手がなでてくれる。

結花の父親の手だった。

「ああ。」

彼はそれだけ言う。

目は、潤んでいるようだった。

瑠未も、

「うん。」

それだけを告げた。

結花の母は耐えられなくなったのか、薫の胸を借りて泣いている。

結花は、本当に愛されていた。

瑠未はそれを改めて思った。



瑠未は午前中だけで切り上げ、急いで着替えを済ませると、その足で結花の墓参りに行った。

2日前の向日葵の花がほんの少しだけ枯れ始めている。

けれど、綺麗に咲いていた。

空高くにある太陽だけをひたすら見つめている。

もうすぐ結花の両親が新しい花を持って来るだろう。

そう思ったが、瑠未は、側にある木の下に咲いていた蒲公英を一本摘んだ。

そして向日葵と一緒に生ける。

その光景は結花と悠杜に見えた。

小さくでも懸命に生きる蒲公英は結花らしい。結花の優しい笑顔も蒲公英のようだった。

瑠未はしゃがんで手を合わせた。

結花に軽く笑みを送る。

「大丈夫だよ。」

結花と自分に言い聞かせた。

「それからね…ずっと、友だちだよ?何年経っても。…おばさんは『ありがとう』って言ってくれたけど、『ありがとう』なんていらないからね。」

瑠未の声に反応するように、蒲公英が少し揺れる。

瑠未はそれに笑みを向けると、立ち上がった。

しばらく向日葵と蒲公英が寄り添う姿を眺めていたかった。

しかし時間が気になった。

左手に付けている時計を一瞥する。

まだおそらく余裕はあるが、それでも、足は勝手に動き始めた。

昨日の場所に向けて。

足を懸命に動かしながら、瑠未は、結花のことを思い出していた。




瑠未と結花の親は大学でいつも一緒にいた仲良しグループだった。

また家も近く瑠未と結花は生まれてからは毎日のように、お互いの家を行き来した。

だから瑠未は結花と本当に小さい頃からずっと一緒にいる。

しかし、結花はやっと立てるようになった頃、四十度を超える高熱を出した。

それが原因かははっきりとはわからない。

しかし、結花はその頃から病気がちになり、入退院を繰り返すようになった。

そのため結花は学校にほとんど行ったことがない。

友だちもあまりいない。

だから結花にとって瑠未が唯一の友だちであった。

瑠未は結花の病院を毎日のように訪れた。

結花の体調がいい時は、病院の庭で遊んだ。

体調が悪い時は、ただ側にいて話をした。

瑠未には他にも友だちはいた。

でも瑠未にとって結花が親友であった。結花にしか言えないことがたくさんあった。

結花にとって瑠未が心の支えであったように、瑠未にとっても結花が心の支えだったのだ。しかし瑠未は中学2年生になった時、泣いていた結花の両親の会話を聞いてしまった。

結花の命は奇跡が続いても3年続くかどうかだと。

原因不明の病に加え、体が弱くなっている結花は他の病気をいくつも患ってしまっていたのだ。

つらかった。

その事実を正面から受け止められるほど、瑠未は大人になりきれていなかった。

けれど、自分が悲しそうな顔をすれば、結花も同じ顔をする。

瑠未が悲しめば、結花はそれ以上に傷つく。

だから瑠未は自分の心の中で誓った。

笑って暮らそうと。

そして、学校に行けない結花のために、瑠未は学校帰りにいつも病院に行くと、今日の出来事を結花に伝えた。

結花は知らないことを、瑠未の目を通して知っていった。

瑠未は時間があるときは、できるだけ結花に会いに行こうと決めていた。

そしてそんな時、悠杜という存在が現れたのだ。

悠杜の話を聞く結花は、本当にかわいかった。

照れて笑う結花。

結花の新たな一面を見ることができた気がして嬉しかったのだ。

また結花も悠杜のことを瑠未に話してくれた。

どんな癖があるのか。どんなサッカー選手が好きなのか。

「今日は、こんな話をしたんだよ。」

そう言って、悠杜の話を瑠未にしてくれていた。

会話をしなくても、結花と悠杜は通じ合っていた。

会話のない2人だったが、その中を流れる雰囲気は温かかった。

その雰囲気で、結花は悠杜の心情を見抜いていた。

だからこそ結花は同じ気持であることを声に出さなかった。

悠杜が来てくれた時、話しかけていれば、きっと、もっと仲良くなれたはずだ。

もっと、「好き」だと思えたはずだ。

それでも、結花は声には出さず、心の中だけで、悠杜に語りかけていた。

どこか元気のない時は、悠杜がいる間ずっと励ましの言葉を送っていたそうだ。

そこまで結花に想われている悠杜は幸せだ、と瑠未は思っていた。

だからある時、瑠未は結花に言ったことがある。

「好きなんだから話しかければいいのに。」

しかし結花は、

「好きだからだよ。…好きだから、これ以上仲良くなっちゃダメなの。…好きだから。これからも笑顔を絶やさないでいてほしいから。」

そう言った結花の目は、優しかった。




 瑠未は左手につけている腕時計を見る。

あの時間まであと一時間。

瑠未の目の前にはもう例のビルがあった。

瑠未は階段の前に立つ。

一瞬足が止まったが、すぐに階段を登り始めた。

徐々に近づいてくる空を見上げながら進んで行く。

階段を登り終えると、そこにはもう時計を気にしている少年がいた。

悠杜だ。

さわやかな風が悠杜の短い髪を揺らす。

その髪はどこか、結花の墓に生けられていた向日葵に似ていた。

悠杜は静かに空を見上げている。

ビルの屋上から見えるこの街は静かだった。

いや、車の騒音が騒がしく響き渡っている。

しかし瑠未にはその音の発信源は、ずっと遠くなのではないかと思うくらい小さい音に聞こえていた。

瑠未は3回深く息を吸い、吐き出した。

自分に気合を込め、悠杜に近づいて行く。

瑠未の足音に気付いたのだろうか、悠杜が振り返った。

「え…?」

瑠未を見て明らかに動揺している。

その悠杜に瑠未は笑みを向けた。

「止めにきたの。」

「…何を?」

「早瀬君がしようとしていること。」

「…占い…か?」

疑うような、少し軽蔑するようなそんな顔を瑠未に向けた。

瑠未は首を横に振る。

占いでわかったことも確かにある。

でもこの事を一番初めに教えてくれたのは占いではない。

「じゃあ?」

「結花は私の親友なの。」

結花、という名前に悠杜は反応した。

悠杜の顔に驚きの色が出る。

しかしそれはすぐに消えた。

「なら、神崎だって俺の気持ちがわかるだろ?行かせてくれ。結花さんに会いたいんだ。」

「私は、…私が一番結花のことわかっているつもり。…結花はそんなこと望む子じゃないよ。」

悠杜は、しばらく黙ったまま、瑠未の目を見つめていた。

瑠未は、その視線から逃れたかった。いつも優しい悠杜の目ではなかったから。

怖かった。

けれど、瑠未もまた、悠杜の目をずっと見つめていた。

視線を外すことはなかった。

「わかっているよ、そんなこと。」

沈黙を破ったのは、悠杜だ。

「それなら…」

瑠未は、言葉を続けようとした。しかし、それは遮られる。

「俺だって…何も話せなかったけど、結花さんのことちゃんと見てきたつもりだ。誰かが死ぬようなこと望む人じゃない。そんなこと言われなくてもわかっているよ。」

「じゃあなんで?早瀬君死んだら結花、悲しむよ。」

「それでも!」

悠杜の声が大きくなる。

今まで自分の中だけでため込んでいたものを、はき出すように。

「それでも、俺は結花さんに会いたい!…結花さんのこと忘れてしまいそうだから。」

悠杜の目が潤んでいる気がした。

けれど、逆光で悠杜の表情がよく見えない。

「…結花さんだけをずっと想っていようって決めたんだ。結花さんがいなくなった、あの病室で、結花さんに約束したんだ。でも…俺は結花さんがいなくなっても、笑うことができた。結花さんのいない毎日に慣れてきた。…結花さんの顔を、声を上手く思い出せなくなってきたんだ。」

「…。」

「…結花さんを忘れるくらいなら、死んだほうがいいんだよ!」

よく見えなかったが、それでも悠杜の目に怒りが浮かんでいるように瑠未には思えた。

それは、瑠未への怒りではなく、結花を忘れそうになっている自分への怒り。

そんな本音をぶつけられ、瑠未は返す言葉が思いつかなかった。

言えるわけがない。

瑠未も同じように感じたことがあるから。

結花のいない毎日に慣れてしまう自分を、心の底から恨んだことがあったから。

でも、瑠未はまっすぐ悠杜の目を見て言った。

「…結花、言ってたよ。息を引き取る何日か前に。きっと自分の死期が近いことわかってたんだと思う。『…あたし、悠杜君が好き、だから悠杜君には幸せでいて欲しい。』って。『あたしにとらわれないで欲しい』って。結花、かわいい笑顔で言ってた。結花を本当に好きなら、生きてあげて。それが結花の願いなの。」

「…それが結花さんの願いでも、俺は、…俺を許せない。」

「…。どうして、忘れちゃいけないの?」

「え?」

「どうして、忘れたら、だめなの?」

「神崎…何言ってんだよ?忘れたら、だめに決まってるだろ?結花さんは、俺らの中にしか生きていけないんだよ。俺は、…結花さんをずっと好きでいたいんだ。それが、結花さんに、ちゃんと気持ちを伝えられなかった俺の罪滅ぼしでもあるんだから。」

「罪滅ぼしなんて言わないで!」

今度は瑠未が声を荒げた。

「…。」

「罪滅ぼしなんて、言わないで。…結花は、早瀬君を好きになったこと、誇りに思ってる。何も伝えられなくても、2人は通じ合っていたでしょ?」

「…罪でなくても、…でも、忘れたら、だめだろ?」

まっすぐな視線が、瑠未に注がれた。

「…そうだね。でも、…早瀬君は、忘れないでしょ?」

「…。」

「もし、それでも忘れちゃうなら、…忘れてもいいってことなんじゃないの?」

「そんなこと、…言うなよ。…忘れてもいいなんて…。俺は、…忘れたくなんかない。」

こらえきれなかった涙が、悠杜の頬を伝う。

けれど、それ以上に瑠未は泣いていた。

『忘れてもいい』なんて、本当は言いたくない。

絶対に忘れないでほしい。

けれど、忘れてしまうような想いであったのだろうか。

あんなにかわいい顔をして笑う結花の想いは、そんなに小さいものだったのだろうか。

「…結花はきっと早瀬君の中で生きているよ。だって、2人の絆は、深かったんでしょ?言葉がなくたって、繋がってたじゃない。」

「…。」

「ねぇ、曖昧な記憶とかそんなものに惑わされないで。大丈夫だよ。早瀬君の中の結花に顔が無くなっても、それが結花だから。写真とかじゃなくて、私や早瀬君の中にいる結花が本物だから。」

「…。」

「お願い。自分の気持ち信じて。結花の気持ち信じて上げて。…結花、あんなに早瀬君のこと好きだったんだから。…その気持ち、疑ったりしないで。」

「でも…。」

言葉を続けようとした悠杜を制すように瑠未は話し出す。

悠杜ではなく、その先の結花のいた病院を見つめて。

「結花、向日葵大嫌いだったの。」

「…え?」

「昔、結花が言ってた。なんで何の見返りもないのに、ひたすら太陽を目指し続けられるのかわからないって。そんなの自分は嫌だって。限られた時間、太陽だけをただ見て、結局何も手に入らないなんて嫌だって。」

「…そうなんだ。」

「でもね、早瀬君が向日葵を持ってきてくれたから、結花は向日葵を大好きになった。明るく笑う早瀬君そっくりだって。向日葵を見ていると、早瀬君といるみたいだって、少し恥ずかしそうに言ってた。」

「…。」

悠杜は黙っていた。

そんな悠杜に、流れる涙を拭きながら瑠未がさらに続ける。

「早瀬君は結花にとって太陽だったの。例え届かなくても、それでも目指したいって少しでも近づきたいって思える太陽だったの。早瀬君にとってもそうだったんじゃないの?だから自信持って。結花を信じて。」

「…。」

「あの向日葵嫌いの結花を、向日葵好きにしたんだよ?早瀬君は。…早瀬君は、結花に想われてた。悔しいくらい、大切にされてたの。…だから、あなたは、生きて。結花と一緒に。ここで。」

悠杜は右手で、涙を拭った。

そして、一度振り返る。

結花のいた、結花と悠杜の思い出の詰まった病院を見た。

病院を見つめたまま、悠杜が瑠未に語りかける。

「…俺は、結花さんが大好きだった。今でも好きだ。でも…いつかこの想いが無くなってしまいそうで怖いんだ。…明日も結花さんに会いに行く。そう思うだけで俺は一日頑張れた。でも…もうそれがない。」

「…。」

「怖いんだ。結花さんの姿を思い出せなくなって、結花さんを忘れていく…。でも、それより、…好きって想いが、義務になりそうなことが怖い。」

「…結花は、早瀬君に他に好きな人ができても、責めたりしないよ?」

悠杜は振り向き、瑠未に向かって頷く。

「…うん。わかってる。わかってるからこそ、結花さんを好きでいたいんだ。だから、忘れたくなんかない。結花さんの姿が薄れてしまうのも怖い。」

「…。」

瑠未は何か言わなくてはいけないと思った。しかし上手く言葉が出ない。

そんな瑠未を見て、悠杜はかすかに笑った。

「…でも、結花さんが生きて欲しいって言うなら、…もう少し頑張ってみよう…かな。」

「え?」

「死ぬのは止める。…思い出の中でも、結花さんはいるから。だから俺は…まだきっと大丈夫…だと思うから。」

「うん。うん。」

瑠未の顔が一気に明るくなる。涙が、勢いを増してあふれだした。

しかし、悠杜の顔はまだ暗いままだ。

「でも…俺、どうしていいかやっぱりわからない。…まだ結花さんを好きだって思いが強いから大丈夫だけど…。」

「…。」

「俺だって時間が過ぎれば、変わってしまうと思う。結花さんのこと忘れて、誰かを好きになるかもしれない。…それがやっぱり、怖い。」

「…でも、結花はそのことを望んでいるよ。結花は誰よりも、きっと私なんかよりも早瀬君が幸せになることを望んでいる。」

「…。」

「でもさ、…向日葵を見るときだけは思い出してあげて。」

「うん。…でも。」

うつむいたままの悠杜。

その悠杜に、瑠未は結花に言われた言葉を思い出して言う。

「…私ね、結花に頼まれたことがあるの。自分の分まで幸せに生きてって。いっぱい笑ってって。でも、二人分の幸せをつかむのは難しいから、半分請け負ってくれない?」

「結花さんの…幸せ?」

「うん。」

悠杜は考え込むようにうつむいた。

その姿を瑠未はただ見つめていた。

悠杜の後ろにある病院が視線に入ってくる。

瑠未は、結花の笑顔を思い出した。

悠杜が笑ってくれば、またあの優しい瞳に戻ってくれれば、結花はずっとあの笑顔でいられる。瑠未は、そう思う。

たとえ、誰か他の人を好きになっても。

たとえ、自分より幸せになっても。

悠杜の幸せを結花は祈っているはずだから。

しばらくの沈黙の後、悠杜は顔を上げた。

「…まかせろ。」

そう言って笑った。

涙の跡が頬に残っている。

それでも、大きな太陽を見つめる向日葵のような笑顔だった。

悠杜はズボンのポケットに手を入れた。

そして、白い封筒を取り出す。

中から一枚の手紙を出し、それを細かく破り、上に投げた。

風によってその紙が舞う。

季節はずれの雪に見えた。

(ありがとう)

瑠未は心の中で結花に言う。

自分だけでは悠杜はきっと止められなかった。

結花がいてくれたから、結花が本気で悠杜を好きだったから、悠杜が今ここにいてくれる。笑顔を絶やさないでいてくれる。

瑠未は嬉しかった。


そのころ結花の両親が結花の墓に新しい花を生けていた。

大きい花びらの黄色い向日葵だ。

風が向日葵を揺らす。

向日葵が気持ちよさそうだね、と、結花の両親は結花に語りかけていた。

笑顔のような向日葵は、太陽を見つめていた。

たとえ遠くても、届かなくても向日葵はただあの太陽に近づこうとしている。




 瑠未と悠杜はビルから降り、別れを告げた。

しかし瑠未はまだ心配で、少しの間悠杜の背中を見ていた。

その背中が瑠未から2メートルほど離れた場所で急に振り返る。

「…神崎、大丈夫だ。俺、結花さんの分まで幸せになるから。だから心配しなくてもいいよ。…結花さんは俺の中にいるから。」

「うん。そうだね。…そうだった。……じゃあまた月曜日にね。」

瑠未の声に悠杜はうなずき、軽く手を振った。

離れていく悠杜の背中が大きく見える。

「よしっ!」と拳を握った腕を曲げ、自分の方に引き寄せ気合いを入れる。

「私も頑張るぞ!!」

人混みの中、大きな独り言を言った。

そして大股で家に向かう。




「ただいま。」

ここ数日には無かった元気な声で言った。

その声に反応して薫が瑠未を出迎える。

瑠未の笑顔を見ると、薫のこわばっていた表情が和らいでいく。

「上手くいったのね、瑠未ちゃん。」

「うん。結花のおかげ。よかった、早瀬君無事で。」

瑠未はとびきりの笑顔を見せた。

そのかわいい笑顔に薫は少し戸惑う。

薫はその笑顔のまま部屋に向かっていく瑠未の後ろ姿を見て思っていた。

(もしかしたらこの子、悠杜君のこと…)

その続きを考えようとして、思考を中断させる。

自分の気持ちに気付かないほど結花のことを大切にしている瑠未のことを思って。

ここまで相手のことを考えることのできる人なんてそうはいない。

長い人生の中、1人か2人いればいい方だろう。

結花は瑠未にとって、いない今でも、こんなに思える友だちだった。

母親の自分がこんなことを思ってはいけないのかもしれない、そう思いながらも薫は考えてしまう時がある。

もしも結花が生きていてくれたら、瑠未はどのくらい今よりも大きな幸せをつかめたのだろうか、と。

その時、瑠未が薫の方を振り返った。

「…お母さん。私やっぱり占い師になるね。でも条件があるけど。」

「…条件って何?」

「運命は変わるって信じている人だけ占うの。…どう?」

「…本当に瑠未ちゃんは頑固ね。誰に似たのかな?…でも、瑠未ちゃんらしい。」

そう言って薫は、年に似合わない可愛い顔で笑った。

でも、と瑠未はその笑顔を見て、思う。

(どんなに頑固でも、結局は、お母さんの言うことに私はうなずくんだね)



その日、庭の向日葵がほんの少し太陽に近づいた。

瑠未にはそんな気がした。

風に揺れる向日葵はいつか太陽に届く、根拠もなくそう思った。


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