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第四話


 桃太郎たちは、敦の動きを追って西東京のホテルに投宿していた。雉牟田の定宿でもあり、名の通った高級ホテルだった。

「あとは碓井貞光の末裔か。居場所はわからんのか」

 スイートルームのソファに座った桃太郎が忌々しげに呟いた。

「碓井氏は、碓氷峠、あるいは相模の国を拠点としておりましたゆえ、坂田や卜部と同じとすれば、神奈川県周辺かと」

 雉牟田が畏まって答える。

「それだけでは見つけようがないではないか」

 桃太郎は傍らに控える猿田と狗美を見た。

「これまでのところでは、鬼どもは四天王の居場所を知っているようだ。まもなく碓井にも会いに行くだろう。奴らは雉牟田に追わせるから、お前らは雉の近くに控えておれ。そして坂田でも碓井でも、隙があれば殺してしまえ」

 桃太郎は平然とした声音で物騒な指示を出した。

 雉牟田は新たな雉を放ち、猿田と狗美はそれを追うように部屋を出て行った。


 期末テストも終わって、敦は夏休みに入った。

 家族は心配しながらも送り出してくれたので(祖母のハナには「渡辺の名を汚すでないぞ」とえらく時代がかった台詞で尻を叩かれた)、坂田の世話で鬼たちや季美と京浜間のホテルを転々としていた。

「俺、そいつ知ってるぜ」

 ホテルの一室で、鬼たちが碓井貞光について知っていることを説明すると、坂田が反応した。

「横浜のとんでもねえ不良らしくてよ、中坊んときにうちの組に入れてくれって頼みに来たんだ」

「今どき馬鹿じゃないのか。弟子入りかなんかのつもりか」

 真面目な剣道少年だった敦が、あきれた声を出した。

「本人はそのつもりだったんだろうが、怒鳴りつけて追い返したよ。せめて高校は出てから来い、薬とタトゥーには手を出すな、人殺しとレイプは許さねえとかなんとか言って」

「それが、なんでわざわざあんたんとこへ」

「そのころちょっとした抗争があった関係で、武闘派だったうちの組が週刊誌で取り上げられたんだが、それ見たって言ってたな。背中一面に金太郎の彫り物が入った俺の写真も載っててよ、憧れたとかぬかしてやがった。俺、そのページにサインまでしたぜ」

「グラビアアイドルじゃあるまいし」

 敦は苦笑した。しかし、碓井(うすい)貞光(さだみつ)の末裔とはいえ、そんな奴で大丈夫なのか。

「なら、話は早いんじゃないのか」

「だろうな。だから今回は俺が行く。轟ちゃん着いてきてくれるか。工業高校の不良相手だ、姫ちゃんだと刺激が強すぎらあ」

「承知した」

「私は」

「雉が出てきたら頼む」


 坂田と轟天丸は、終業式と聞いていたとおり、昼前の下校時刻を狙って碓井貞夫の通う工業高校の前まで来た。ぞろぞろと帰宅部の生徒が門から吐き出されてくる。誰もがタンスのような体格に眼つきの悪い顔の乗った二人をちらりと見ては、目を背けて通り過ぎた。

「どれが碓井様かわからんが」

 轟天丸があきれたような声を出した。

「こういうときはこうするんだ」

 坂田は生徒の流れをしばらく眺めて、門から出てきた角刈りに細い眉の高校生の前に立った。

「おい」

「なんだてめえ」

 高校生は反射的そう言ったものの、二人のごつい風体を見て目を泳がせた。

「碓井って奴を知らねえか」

「知らねえよ」

 高校生は目をそらせて、坂田の脇をすり抜けようとした。

「知らないかと聞いている」

 坂田は高校生の肩を摑んでもう一度聞いた。轟天丸の目から見てもその手には大変な力がかかっていることがわかった。

「し、知ってます」

 高校生は肩を押さえられてへたり込みながら、泣きそうな声で答えた。

「ありがとう。ここへ呼んでくれ」

「無理っす。あいつ速攻で帰りました。昼飯代わりにヤンキー狩りに行くって」

 かなり危ない奴らしい。

「スマホがあるだろう。持ってないのか」

 坂田がぎりりと睨んだ。

「足柄興業の坂田が迎えに来たといえ。そうすれば飛んでくる。知らない仲じゃないんだ」

 高校生は二人に背を向けてスマホを取り出した。

「柴田だ。お前やべえぞ。ヤクザが学校まで来てるんだ。お前またなんかやらかしたのか。さっさと逃げた方が……」

 坂田が尻を蹴飛ばした。

「よけいなことを言うな」

「足柄興業の坂田って言ってる。迎えに来たって」

「うれしいって、お前、あんなゴリラか鬼みたいな」

「うるせえ」

 坂田がもう一度尻を蹴った。

「いいんだな本当に、番号教えるぞ」

 坂田は高校生から番号を聞き出して、自分のスマホで電話をかけた。

「坂田だ」

「碓井です。ありがとうございます。光栄です」

「まだ何も言ってない。お前今どこにいる」

「桜木町のコンビニの駐車場っす。今バカを四人ほど殴り倒したところなんで逃げるとこっす」

「お、おう。落ち着いたら今かけてるこの電話にかけ直してこい」

 電話を切って坂田が振り返った。

「パトカーの音がしたぞ。捕まんねえだろうなあいつ。おう、ありがとうな、柴田だっけか。お前はもう帰っていいぞ」

 走り出さんばかりの勢いで遠ざかる高校生を見送って十五分ばかりしたところで、坂田に電話がかかってきた。

「今、中華街の真ん中っす。もう大丈夫です」

「よしよし。近くにでかい公園があるだろう。球場のある」

「横浜公園っすか」

「そうだ。真ん中あたりに噴水がある。そこで落ち合おう。晩の八時に来れるか」

「もちろんです。絶対行きます」

 雉はきっと来る。しかし、昼日中に季美に矢を射たせるわけにはいかない。町中ならなおさらだ。都会とはいえ、夜の公園なら雉や猿が来ても、少しは目立たずにすむだろう。

 雉を警戒する坂田と轟天丸は、地下鉄を使って横浜市内のホテルに戻って首尾を報告した。日が落ちるのを待って横浜公園に向かって車で出発する。公園の地下駐車場に車を入れて、坂田と轟天丸は噴水に向かった。あとの三人は、五十メートルほど離れて後を追った。季美は弓矢を大きなトートバッグに入れて肩から提げていた。

「雉がいれば、二人が碓井君と接触する前に落とさないとね」

 姫夜叉の言葉に季美は黙ってうなずいた。

「敦君、見えた?」

「飛んでますね。あっちの公園灯の右上あたり」

「季美ちゃん、あれいける?」

「たぶん。あれは前の二人を追ってますから、こっちからは隙だらけです」

 坂田と轟天丸が噴水のそばに差しかかったあたりで、季美は立ち止まって弓を引いた。

 小さな風切り音。矢の当たる音は聞こえなかったが、飛んでいた雉はまっすぐ落下した。

「さすがたいした腕ね」

 しかし、三人の誤算は、偵察の雉が一羽だけと思い込んだところにあった。雉という鳥は、固より藪に潜むことを専らにする。雉牟田から放たれたもう一羽の雉は、公園の植え込みに潜んで、坂田と轟天丸、姫夜叉たちの動きを逐一その金色のガラス玉のような眼に捕らえていた。

 

 桃太郎に命じられて、雉牟田は懸命に敦たちを探し続けていた。会社の金で依頼した調査会社の報告で、世田谷と横浜、伊豆の碓井を名乗る人間が怪しいというところまでの情報を得た。

 それで、まずは横浜とヤマを張ったのだが、坂田の姿を見つけたのは僥倖と言ってもよかった。

 坂田の車を追って、横浜の中心までやって来た雉牟田と狗美は、中華街の片隅の中華料理屋でテーブルを挟んでいた。

「来たぞ。坂田だ」

 坂田が碓井貞夫との接触に向かったところで、雉牟田は傍らの犬飼狗美に囁いた。雉牟田は両目を閉じていた。今しがたも一羽を射殺されて眼にダメージがあるらしい。

「横浜公園の中。坂田と赤鬼がまっすぐ噴水広場に向かっている。今度こそ、そこで碓井と落ち合うはずだ。でなければ二人だけで、こんな不自然な動きをするはずがない」

 狗美は猿が坂田の事務所を襲ったときの映像を見ている。雉牟田の雉が持ち帰ったのだ。坂田と赤鬼の姿を思い出した。

「いけるか」

「当たり前よ。碓井がいなくても二人はいるんでしょ。片っ端から咬み殺してくれるわ」

 狗美は店を飛び出して、低い姿勢で走り出した。今にも四つ足で疾走しそうに見えた。


 噴水の周りはまだまだ人も多かったが、坂田が遠目に噴水の方角を眺めると、ひときわ背の高い少年の姿が目についた。

「おお、大きくなったじゃねえか」

 坂田は独りごちた。坂田や轟天丸のような分厚さはないが、近づくにつれて引き締まった筋肉質の体だというのが見て取れた。

「こりゃ喧嘩も強そうだ」

 坂田が碓井貞夫の前に立つと、それに気づいた少年は直立不動になった。

「お、お久しぶりです! 呼び出していただけて光栄です!」

 坂田は目の前で手を振った。

「そういうのはよせ。それに今日は組に入れと言いに来たわけじゃない。いや、似たようなもんか」

 黙ってみていた轟天丸が坂田の袖を引いた。

「早く移動しないと。犬の臭いがします」

「見つかったのか」

「おそらく」

 轟天丸が小声で答えた瞬間、広場の外れで悲鳴が上がった。

 貞夫が二人の背後を指さして大声を出した。

「わあ!」

 二人が振り返ると、あまりにも巨大な犬が眼前に迫っていた。真っ赤な口を大きく開いて、坂田に襲いかかった。

 轟天丸が鬼の姿に戻って、炎嶽を巨犬の横面に叩きつけた。

 狗美の変じた巨獣は、一声鳴いて飛び退った。巨獣は唸り声を上げて、炎嶽を振り上げた轟天丸と睨み合った。巨獣の大きさは尋常ではない。体高だけでも轟天丸に匹敵した。全体の大きさはマイクロバスに近い。そして犬と呼ばれてはいても、犬そのままの姿ではない。土佐犬と鰐を掛け合わせたような凶悪な怪獣だった。

 噴水の周りにいた人々は蜘蛛の子を散らすように走って逃げた。遠目にスマホを突き出して動画を撮っている野次馬もいたが、かまってる場合ではなかった。

 巨獣は咆哮を上げて轟天丸に飛びかかった。轟天丸は炎嶽で応じる。かろうじて力負けはしていない。

 坂田は背後に貞夫をかばいながら、噴水の陰に回った。

「逃げるぞ」

「は、ひ、なんなんですかあれ」

「説明はあとだ」

 そのとき、坂田の目に、望月を構えた姫夜叉が巨獣に突進するのが見えた。青い風が奔ったとしか見えなかった。姫夜叉の豪槍は、あやまたず巨獣の脇腹を貫いた。

 巨獣は悲鳴を上げて、丸太のような前脚で、姫夜叉を払い飛ばした。姫夜叉はかろうじて抜いた望月で受け止めたが、大きく跳ね飛ばされた。

 坂田は貞夫を連れてその場を離れた。

「あの二人なら大丈夫だ。俺たちが逃げたら、あいつらもすぐに追ってくるはずだ」

 そこへ敦と季美が駆けつけた。広場を大回りしてきたらしい。手にいつもの小ぶりな弓を提げている。

「雉は?」

「さっきもう一匹見つけた。もういないと思う」

 季美は貞夫を見た。

「君が碓井君? 背高いね」

 季美にウインクされて、貞夫は返事もできずに真っ赤になった。口をパクパクさせている。硬派でならす工業高校生は、昭和のバンカラ学生並みに女性に免疫がないらしい。敦は、ヤクザになりたがるほどの不良だと聞いて心配したのは杞憂だったかと、笑い声を上げた。

 坂田が貞夫の肩をどやした。

「なにやってんだ、とっとと逃げるぞ。季美ちゃん、雉には気をつけてくれ」

「がってん承知」

 四人は植え込みの陰を縫うように、腰をかがめて走り出した。公園の外を回り込んで地下駐車場にたどり着き、無事に横浜を脱出した。


 鬼たちは、敦たちがホテルに戻ってほどなくして、満身創痍の姿で帰ってきた。さすがに人間の姿になることまでは忘れていなかったが。

「大丈夫か」

 敦は、なにより二人が生きて戻って来たことを喜びながら、二人の傷を心配した。

「大丈夫です。どれもかすり傷です」

 姫夜叉が答えた。二人とも顔だけは洗ってきたようだが、シャツのあちこちに血がにじんでいた。

「犬はどうした」

 坂田が訊いた。

「逃げました。結構な深手のはずです」

 季美と貞夫は部屋の隅で固まっていた。無理もない。轟天丸と姫夜叉の本当の姿を見るのも初めてだったし、桃太郎の放つ怪物に遭遇するのも初めてだったのだ。

 坂田は二人を振り返った。

「さっきも少し説明したろ。あれが俺たちの敵だ。そしてこいつらのような鬼が味方なんだ」

「でも組長」

「組長言うな」

「すんませんっす。でも、あんなのがまだ他にもいるんですよね。それでおれらが、そのなんとか言う四天王の子孫だからって、殺しに来るんすか?」

「そうだ。見ただろう。俺もあとは猿しか知らんが、実際に殺されかけたし、若い者を何人も殺された」

「勝てるわけないじゃん、あんなの」

 季美はすでに涙声だ。

 隣に腰を下ろした姫夜叉が季美の肩を抱いた。

「ご心配なく。私たちが守ります」

「だって」

「千年前の話をしよう」

 敦が話しかけた。

「といっても、ばあちゃんとそこの鬼に聞いた話だけど」

 敦はベッドの上で胡座(あぐら)をかいた。

「桃太郎と手下の犬猿雉は、鬼たちを片っ端から殺すほどの力を持って、実際に京の都でいっしょに暮していた鬼たちを、皆殺しにしかけるほど追い込んだ。もっとも、手を下したのは検非違使や役人、多くは都の住民だったらしい。隣人が隣人を殺すという、以前アフリカの小国であった内戦みたいなひどい話だ」

「待って」

 季美が割り込んだ。

「昔の鬼は人に殺されるほど弱かったの? この人たちはさっきの化け物より強いよ」

 それには轟天丸が答えた。

「強い鬼もいれば弱い鬼もいる。人間だって、坂田さんみたいなのがいるだろう。大方は人間と同じようなもんだ。肌の色と角のあるなしが違うくらいだ」

「そして、私たちもそうだけど、極端に暴力に長けた仲間がいるの。酒呑童子や茨木童子の名前を聞いたことはない?」

「しかし、桃太郎は、その武闘派の鬼よりはるかに強かったそうだ。そして、数限りなく鬼を殺して財物を奪い尽くした。そこで、鬼を守るのに立ち上がったのが僕たちの先祖らしい」

「もっかい待って」

 季美が再び割り込む。貞夫は口を開けて聞いているだけだ。季美の方がずいぶんと頭の回転が早いらしい。

「強い鬼がいるのに、桃太郎はそれより強かったんだよね。それをどうやってやっつけるの。私たちの先祖だって人間でしょが。それって、私たちがあのバカでかい怪獣よりずっと強いってことにならない?」

 敦は黙り込んだ。それは自分も不思議に思っていたことだ。確かに髭切を手に持つと、不思議な力が湧き上がる気はするが、轟天丸にさえ勝てる気などまるでしない。

「だが、僕らの先祖が桃太郎を倒して封印したことになっている」

 それには姫夜叉が答えた。

「陰陽師の力を借りました。特別の呪法で、頼光様以下、五人の力を神々の域にまで強化したと伝えられています」

「そりゃすげえ。変な蜘蛛に咬んでもらったのかな」

 貞夫が声を上げたが、全員に無視された。

「だから次は」

「その陰陽師の呪法を探します。もちろんその前に、頼光様の子孫に味方になってもらわないとなりません」

 季美が姫夜叉にしがみついた。

「まさかこんなことになると思わなかったよ。姫ちゃん、ほんとうに守ってくれないとやだよ」


10


 頼光の子孫は丹後半島にいるという。全員で関西へ向かうことになったのはよいが、坂田の用意した車は、あろうことか右翼の街宣車だった。真っ黒な車体のバスに「北方領土返還」や「七生報国」「皇国烈風隊」などと墨痕黒々と書かれた看板が乗っている。フロントグリルにはぶっ違いの日の丸と旭日旗が翻っていた。運転手は坂田の子分が務めた。

「長いこと乗るんだ。快適に行こうぜ」

 坂田に促されて乗り込んだ敦たちは、もう一度驚くことになった。強面の見た目とは裏腹に、中は豪華な応接間のような(しつら)えになっていた。

「奥にはシャワーとキッチンがある。好きなように使え」

 坂田は革張りのソファにふんぞり返っていた。そばに控えた若い衆が、紫檀らしきテーブルに飲み物の用意をした。坂田の目の前には大きなアイスペールとウイスキーのボトルが置かれた。

「三人は飲めるんだろ」

 坂田が鬼たちと季美に聞いた。みんな相好を崩してうなずいた。

 坂田は、アイスペールに高そうなウイスキーを丸々一本ぶち込んだ。ステンレスのバケツのような器を轟天丸の目の前に置いた。

「さあ飲め。姉ちゃんたちはこいつでいいか」

 姫夜叉と季美の前にはシャンパンを注いだグラスを置いった。

「あら素敵」

 季美は頬の横で両手を合わせた。すでにバイトのノリだ。

「姉ちゃんはやめてください。姫夜叉で結構です」

「姫ちゃんは堅いことを言うんだな。渡辺君もなんか飲むか?」

「酒は飲んだことないです。コーラで」

「つまんねえやつだな。ま、アルハラの趣味はねえから心配すんな。おいテツ、コーラ出してやれ」

「俺はビールがいいです」

 貞夫が言うと、坂田が怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎。てめえは、俺のそばにいる間は行儀見習いだ。座らせてもらえてるだけでありがたいと思え。ビールなんか百年早ぇや」

「すんません」

 貞夫は小さくなって座り直した。体がしぼんだかと思うくらいしょげかえった。

「ま、そうは言うものの、お前も四天王だ。半分は客分だからな。コーラにしとけ」

「はい!」

 貞夫は敦と同じコーラのグラスを出してもらった。マンガなら「ぱあぁぁ」と書き文字が浮かぶほど表情が明るくなった。

 街宣車が第二名神にさしかかる頃には、坂田は酔い潰れて、大いびきをかきながらソファで眠り込んでいた。二匹の鬼も負けず劣らず飲んだはずだが、素面と変わらずけろっとしている。季美は控えめに飲んでいたが、さすがに目の回りを桜色に染めていた。

「ところで、丹後に頼光の子孫がいたとしてどうすんの」

 敦が鬼たちに訊いた。

「力を借ります。知恵も借ります。我々だけでは桃太郎を倒すのは無理ですから。ともかく、四天王のみなさんの力を取り戻す必要があります。そして、そのためにも、本当に力を持つ陰陽師を見つけなければなりません」

「頼光の子孫がそれを知ってるのか。それより、力って、どんなことになるんだ」

 敦は眠る坂田を見た。

 轟天丸が答えた。

「坂田様は元々人間離れしてますからね。金時の快童丸を手に入れたら、一人であの犬とも互角に渡り合えるんじゃないですか」

「かいどうまるって?」

「金太郎の武器だった大きな鉞です。鉄の刃の部分だけで、座布団より大きいんです」

「髭切みたいに名前があるのか」

「卜部季武の弓には落日、碓井貞光の大鎌には雄呂血切という名がついています。いずれ劣らぬ名物で、みなさんが力を得たら鬼の里から届きます」

 街宣車は一日中走り続けて、ほぼ予定通り丹後半島の付け根に着いた。敦は坂田をたたき起こした。車から引きずり出すのは轟天丸が受け持った。一行は、いくつかの観光スポットを横目に見て、昭和のままのような姿の町並みにさしかかった。

 一行は路地を分け入るように進み、一軒の長屋にさしかかった。玄関の引き戸も木製で、開けるときには、文字通りガタピシと音がした。開くと三和土(たたき)の向こうがすぐ茶の間になっていて、一人の老爺が卓袱台(ちゃぶだい)を前に胡座をかいていた。

「すみませーん。源本(みなもと)さんでしょうか」

「どちらさんかな」

 老人は首だけを巡らせて、興味のなさそうな顔で敦を眺めた。部屋の隅にある酸素ボンベのついたリュックサックほどの大きさの機械から、透明の細い管が老人の鼻の穴に伸びていた。在宅酸素療法の装置だ。敦は若い頃に結核を患って、同じ装置をつけたまま死んだ祖父を思い出した。

「はじめまして。渡辺敦と言います。綱の子孫です。このごついのは金太郎の子孫です。こっちの男女は卜部季武と碓井貞光の子孫です。早い話がみんな頼光四天王の子孫になります。そんで、その後ろの二人は鬼です」

 敦は、相手を値踏みする意味も込めて、聞き取りやすいようにゆっくりと、それでも一息に言い切った。ただの老人なら意味がわからないと肩をすくめて終わりだったろう。気丈な老人なら警察くらい呼んだかも知れない。

 しかし、源本頼三は大きく目を見開いた。

「あんたらが」

 絶句した。いろんな思いが渦巻いて言葉にならないようだった。

「ええ。お知恵とお力を借りに来ました。かつての四天王として」

 姫夜叉が進み出て三和土に膝をついた。

「桃太郎が蘇ったのです」

 現在の頼三が桃太郎の経緯を知るかどうかは未知数だったが、頼三は姫夜叉の言葉に座ったままのけぞった。

「千年経ったのか」

「御意」

 頼三は深いため息をついた。

「わしがもう少し若うて体が丈夫ならなあ」

 頼三は天を仰いでため息をついた。

「なんとか四天王を率いることもできたかも知れんが、今や源頼光の子孫とはいえこのありさまじゃ」

「間に合ってよかったです」

 頼三は黙って姫夜叉を見つめていたが、おもむろに立ち上がって、茶の間を片付け始めた。

「ひとまず、みな上がってくれ。狭くて申し訳ないが、渋茶でも入れよう」

 奥の柱にもたれて(いびき)をかき始めた坂田は放っておいて、六人で卓袱台を囲んだ。

「さてと、そもそもこの老いぼれに何の用だ」

 敦は居ずまいを正した。

「知りたいのです。桃太郎の弱点、桃太郎を倒せるまで僕たちの力を引き上げる方法、そのために協力してくれる陰陽師の話などなど。ご存じなければそれまでですが、僕たちがたどれる細い糸はここしかありませんでした」

「そんなことはそこの鬼が知っておろう」

 頼三は苦虫を噛み潰したような表情になった。

「わしとて、若い頃からいろいろ調べたよ。巷の定説は別の、本当の満仲の子孫、頼光の子孫という誇りがあったからな。しかしそんなものは史跡遺跡と文献の話、あんたら鬼が本物というなら、鬼の伝承に勝るものはあるまい」

 轟天丸はまっすぐに頼三を見た。

「千年前の話なら、そりゃわしらは詳しいです。けど、そっからあとは、頼光様と四天王の子孫から目を離さないにようにするので精一杯でした。道満様や晴明一派がどうなったのか、道長の野望はどう果たされて、一条帝はその後はどうあそばされたのか、そういうことは鬼の里に漏れ聞こえてくるくらいでした」

「なら簡単に話してやろう。わしは、頼光と桃太郎のことを調べ続けてこの歳になったようなものだからな。ただし、それ以上わしの手助けは期待してくれるな」

 頼三は、湯飲みの茶を一口飲んで、話し始めた。

 桃太郎は、手下の犬と猿と雉を操って、都を血の海に変えた。都人の心に巣食っていた差別意識を巧妙に煽って、それまで隣人だった鬼を都人の手で虐殺させたのだ。一部の鬼の抵抗も火に油に過ぎなかった。ルワンダの悲劇そのままに、老若男女を問わず、何千匹もの鬼が都人の手にかかって死んだ。

 すべての鬼は都を捨てた。家屋敷、工房、資材、道具もそのままに、着の身着のままで都の西北、大枝山老ノ坂に逃げ込んだ。

 そこでも鬼の虐殺を重ねたのが桃太郎である。都から逃げ出す鬼の行く手に立ちはだかって、押し寄せてくる鬼の群れを一匹残らず殺す勢いだったという。

 しかもそのあと、桃太郎は鬼の里にまで乗り込んだ。そこでも暴虐の限りを尽くして、鬼の財宝を多く持ち帰った。

 桃太郎は持ち帰った財物を道長に届けて、自らは復讐を完遂すべく再び鬼の里に向かった。

 それを止めたのが、頼光と四天王だった。都で鬼の虐殺を目の当たりにし、鬼たちを救わんとして、一条帝に直訴したのだ。

 一条帝自身、道長を快く思っていなかった。そのため、頼光には皇室に伝わる破魔の鏡を託し、蘆屋道満による強化の法を伝えた。頼光たちは、それによって桃太郎を超える力を身につけて、鬼の隠れ里の奥で桃太郎を仕留めて、一千年の封印に成功したのだった。

 そのあとが、道長の巧妙なところだった。自らの郎党や検非違使をはじめとする都の治安部隊を使って、都から追い払った鬼が残した財産や技術をすべて己の物とした。(あまつさ)え、鬼の狩猟漁労に関わるネットワークを乗っ取り、産業と物流を我が手に収めたのだ。

 しかも、道長は、主の野望の達成のために汚れ役を引き受け、自分の手を鬼の血で染めながら異界の奥に封印された桃太郎には一瞥もくれなかった。むしろ、放っておけば手を焼くことになったものを、さすが頼光、うまく片付けてくれおったわと、満月の下で安倍晴明に笑って話したという。

 そして道長は、鬼から奪った財物と経済で足下を固め、藤原氏の権力闘争に終止符を打った。一条天皇には娘の彰子を中宮に送り込み、外戚の地位を確立するとともに、俺の世の中はまるで満月のように欠けたところはひとつもないと豪語するまでに権勢を極めたことは、後世の誰もが知るところである。

 そして、最終的には歴史の改竄に手を染めた。道長の残した歴史では、人と鬼とが共存してきた歴史は闇に葬られ、鬼こそが悪の権化であり、それを退治した桃太郎は、正義の美少年となった。鬼を殲滅から救った頼光たちでさえ、鬼の里に乗り込んだのは、酒呑童子の征伐が目的だったことにされた。


 敦たちは、頼三の話に聞き入った。なぜ桃太郎の眷属はあれほど凶悪なのか、なぜ鬼たちが敦を守りに来たのか、千年前に何があったのか、数々の疑問が氷解するのを感じた。

 今度は頼三が質問する番だった。これには敦が答えた。敦は、鬼が現れた日の出来事から、坂田との出会い、季美や貞夫を仲間にした経緯、犬猿雉の怪物の恐怖について、順を追って話した。

「それはまずいな。いよいよ急がねばならぬ」

 頼三は眉根にしわを寄せて、焦りと困惑が入り混じった表情を浮かべた。

「雉にそんな力があるなら、我々が揃ったことはすでに知られていよう。あの目立つ車もすでに監視されているだろう。桃太郎が力を取り戻したらすぐにでも全力で襲いかかってくるぞ」

「こいつらは強いぞ」

 貞夫は二人の鬼を顎でしゃくった。

「千年前は、その鬼が一方的に殺されたことをどう考える」

 貞夫は黙った。轟天丸が口を開きかけた。

「わかっている。お主たちも力を磨いたというのだろう。それでも我々がただの人間のままでは多勢に無勢だ。じきに八つ裂きにされる」

「ここで本気の連中に襲われたら、わしらは髭切と敦君の首を差し出して逃げるしかない」

 敦があわてて割り込んだ。

「ちょっと待て。勝手に首を切らないでください」

「仕方ない。そうせねば我々が全員殺される。サンデル先生のトロッコ問題を聞いたことはないか」

「そういうことじゃないでしょう。桃太郎の好きにさせるということは、千年前の悲劇を再び招くことになるんです。今度は人間も餌食になるかも知れないし」

「冗談だよ。とにかく、桃太郎は倒さねばならない。そのためには、千年前同様、我々が力を得るしかない。人間を超える力を。鬼さえひれ伏す力を」

「お、先生は例の蜘蛛を持ってるのか?」

 貞夫が目を輝かせた。

「千年前は陰陽師の力を借りた。二十一世紀になっても、他の手段はないだろう。謎の蜘蛛どころか、アイアンマンのスーツもバットモビールも手に入らないからな」

「年のわりにアメコミ好きなんだな。ていうか、陰陽師などどこにいるんだ。野村萬歳でも頼るのか」

 敦が話を引き戻した。

「蘆屋道満だ」

「安倍晴明じゃないのか」

「あれは当時、道長の手駒だった。陰陽寮は頼光に手を貸したりしなかったよ。晴明にしたところで、真の呪力に限るなら、陰陽師の中では賀茂一族にも遠く及ばなかったのだ」

「しかし伝わるところでは、道満はそれよりはるかに劣ったのでは。晴明との術比べでは負けてばかりだと」

「違うな。陰陽師としては天才じゃ。安倍も賀茂も足下にも及ばぬ天稟を持っておった。道満は法師陰陽師だったから、身分は下の下、賤民に等しい。だから、歴史や説話では、安倍晴明にいいようにあしらわれたと描かれておるのだ。貴族に叙せられた天文博士が、ホームレスのような陰陽師に劣ったとなると大恥だからな。それこそ道長と晴明が作り上げた虚像じゃ。今なら捏造とでも言うのかな」


11


「蘆屋道満の子孫なんて、どうやって探すんだ」

 敦が聞いた。

「わしらもそこまでは追ってないぞ」

 轟天丸も不安げに言った。

「陰陽師は、能楽師や宗教家と同じく、家伝の秘法を継がねばならない。陰陽師を廃業せぬ限り、系図がまぎれるようなことはないよ。その意味では、何ら受け継ぐもののない、ただの荒くれ者だった金時の系図だけがはっきり残っていたのは奇跡のようなものだ」

「大きなお世話だ」

「だから?」

「土御門家とはいかんが、道満の家系もそれなりに系譜を明らかにしつつ残っておるよ。中世には賤業扱いされていた法師陰陽師はことごとく消えたが、蘆屋道満に限っては、後世に歌舞伎にもなるほどのビッグネームだからな」

「つまり、いまだに道満三十代とかって、看板を出してるのか」

「表立って陰陽師を商売にはしてなさそうじゃがな。調べはついている」

 頼三によると、蘆屋道満の子孫は道満の出身地と言われる兵庫県の姫路市に住んでいるという。二十年ほど前に交わしたという手紙の束を見せてくれた。

「わしが健康であればなあ。道満殿に怪力を授けてもらって、あんたらを率いて見せるのだが。酸素吸入のみならず、週に三度も人工透析に通う身であれば、足手まといになることすら無理だ」

 頼三は心底口惜しそうだった。

「桃太郎退治は、あんたらに任せた。知りたいことがあればいつでも連絡してくるがいい」


 街宣車は山陽道を西へ向かった。急がないと桃太郎が力を取り戻すという焦燥感もあった。

 車は六甲山の麓を走って姫路に至った。頼三にい聞いた通りの、北部の山間にある古刹をめざす。姫路市内とはいえかなりの山奥で、里山に広がる田畑の間にぽつりぽつりと農家が見えるだけだ。

「ここが? 陰陽師がお寺?」

 敦が聞いた。

「陰陽道は密教とも近かったし、時代が下っては神仏習合やいろいろあったからな。そのへんはいいかげんなもんよ。それはそれこれはこれで生き残ってきたのだろう」

 頼三が先回りして連絡しておいてくれたらしい。一行はあっさりと本堂の脇にある立派な庫裡に迎え入れられた。

 そこへ住職らしき年配の男性が現れた。六十がらみと見えるのに、タートルネックのセーターにジーンズといういでたちだ。

 男は、蘆屋道舜と名乗った。蘆屋道満の子孫であることは間違いないらしい。

「おおよその話は源本さんに聞いたよ。桃太郎が再び現れたなど、にわかに信じられる話ではないが」

 頼三からの連絡があったとはいえ、高校生や女子大生にどやどやと押しかけられて、道舜も面食らっているようだった。

 ひとまず見た目では最も年かさの坂田が前に進み出た。

「千年前の因縁はご存じでしょう」

「はて。道満様と晴明の確執のことかの」

「桃太郎の」

 道舜の表情が険しくなった。

「桃太郎は日の本一の快男児だ。鬼退治をしておじいさんとおばあさんに財宝をもたらした。陰陽師の出る幕ではない」

「その鬼退治が洛中を血の海にしたことを、よもや知らないとでも?」

「道満様が、源頼光と四天王に力を与えて桃太郎を封じたことは伝わっている」

「その桃太郎が蘇ったのだ。再びそれをお願いしたい」

「それ、とは」

 坂田は分厚い胸を反らした。

「我々は頼光四天王の血を継ぐものだ。再び力を与えてほしい。桃太郎を倒すために」

 長い沈黙が続いた。

 先に耐えきれなくなったのは、やはり道舜の方だった。

「いくつもの疑問がある」

「聞こう」

「なぜ桃太郎のことを知っている」

「鬼たちが現れてすべてを話してくれた」

 道舜は肩をすくめた。

「鬼など。世迷言もたいがいにしてくれ」

 轟天丸と姫夜叉が一歩前に出た。

「鬼というのは、あたしたち」

 姫夜叉と轟天丸は身を揺すった。たちまち、座敷を埋め尽くすような体躯の赤鬼と、その横に立つに相応しいグラマラスな青鬼が現れた。

「なんと」

 道舜は唇を引き結んで二匹の鬼を見つめた。

「桃太郎の復活は、私たちが伝えました。鬼の里にある小高い丘を桃太郎塚と名づけて、桃太郎を封じ込めた鏡を地中深く納めてあったのですが、ある日地鳴りとともに丘の上部が吹き飛んで、鏡が消え失せたのです。鏡を納めた石の壺は粉々になっていました」

「それが、伝説となっていた桃太郎封印の日からちょうど千年目でした」

「蘇ったという桃太郎の姿を見たのか」

 その質問は坂田が引き取った。

「桃太郎はまだ見ていない。しかし、無数の猿、巨大な犬、羽の生えた雉男にはすでに襲われた。うちの舎弟も何人も殺された」

 道舜は瞑目した。

「犬猿雉の話が本当なら、桃太郎の復活も嘘ではなさそうだな」

「そして、頼光の子孫にして、千年前のことを研究してきた研究者でもある源本さんから、藤原道長の権勢欲と安倍晴明の呪術がすべての悲劇を引き起こしたことを聞いた」

 今度は敦が進み出た。

「ぼくは渡辺綱の子孫で、渡辺敦と言います。お願いします。今の僕たちでは桃太郎に勝てない。そして僕たちが敗北すれば、もう桃太郎を止めるものはいなくなる。人の世は恐怖の底に突き落とされる」

「しかし、しかしだ。わしはまだあんたたちを信用できかねる。鬼が本物であることは認めよう」

「なら、何が問題なんだ」

「あとのあんたら四人、本物の四天王であるという保証がない。そして、鬼をもしのぐ力を手に入れたとして、悪用せぬと言う保証もない。道満様によって力を得たような頼光と四天王が復活したら、国を滅ぼすことくらい造作もないぞ」

 今度は敦が黙り込む番になった。たしかに、今の自分たちは、素性も明かさないまま、悪者をやっつけるのでミサイルを売ってくれと言っているに等しい。


「邪魔するよ」

 表に車の止まる音がしたと思ったら、玄関先に七十近くにも見える鶴のように痩せた男が現れた。外に剣呑な男を何人か待たせているようだった。

「雉!」

 道舜について玄関の間に出た姫夜叉が叫んだ。手の中に短刀が現れた。その後ろで轟天丸は炎嶽を両手でしごいていた。

「暴れる気はないよ。お前らを追っているだけで、道満に至るとは収穫だ。さて、ご主人」

 雉牟田は、道舜に向き直った。姫夜叉や轟天丸が身動きするだけで、ただの人間なら無事では済まないというのに、かなりの胆力だ。

「あなたが蘆屋道満の血を引くことはすでに聞かせてもらった。私は安倍晴明を探している。何か知ることはないか」

「知らんな。我々在野の陰陽師を見下してきた陰陽寮の親玉と、千年も交流があると思うのか。カレンダー屋でも当たるがいい」

「しかしだ、我々はあなたが晴明の血統について知っているという確証がある」

 道舜は鼻で笑った。

「大内鑑でも持ち出すのか」

「お孫さんだよ。今の安倍家には双子のお姉さんがいるらしいね」

 雉牟田は開いた玄関の表に向かって顎をしゃくった。

「じいちゃん」

 玄関口で、小学生の男の子が、黒服の男に羽交い締めにされていた。

「満!」

 道舜は目を見開いて孫の名を呼んだ。

「卑怯な!」

 雉牟田を振り返って、怒りに満ちた目で睨みつけた

「卑怯で結構。我々は安倍晴明の子孫の情報をいただければ退散するよ。もちろん、お孫さんにはかすり傷もつけない」

「じいちゃん、こいつらは悪者かい?」

 男の子が道舜に尋ねた。黒服にサングラスの大人に捕まっている子どもにしては、妙に落ち着いた声だ。

「ああ悪者だ。お前が生まれてこの方、見たことも聞いたこともないような」

「よし、じゃあ遠慮はいらないね」

「手荒なまねはするな。そいつらにも家族はある」

 少年は舌打ちした。

「ちぇ、悪者ならぐっちゃぐちゃにしてやりたかったのに」

 そう言って、少年は口の中で何か呪文のようなものを唱え始めた。

「気をつけろ!」

 雉牟田が叫ぶのとほぼ同時に、少年の足下のランドセルからプリントがあふれだした。テストの返却でもあったのか、答案用紙や学校だよりがわらわらと出てきて宙を舞った。

 舞い上がったプリントは、ひらひらと風にあおられるようにして、黒服の男たちに巻き付いた。

 算数の答案用紙が少年を羽交い締めにしている男の腕に巻き付いた。

 ばき。

 骨の折れる音がした。男は絶叫して少年から離れた。

 隣の男は、漢字のプリントに膝を砕かれていた。保健室だよりに顔を覆われた男は、声も上げずにその場に倒れた。

「やめろ!」

 雉牟田が叫んで玄関を飛び出した。

 表の騒ぎに、遅ればせながら敦たちも道舜を追って外へ出た。


 雉牟田は大きな怪鳥に変じていた。バサリと翼を鳴らすと、少年の後ろのブロック塀がぱっくりと割れて崩れ落ちた。

 轟天丸が鬼の姿のまま飛び出して、少年と怪鳥の間に立った。炎嶽を大きく振りかぶった。

「おう坊主、焼き鳥は好きか」

「鬼さん、ぼくなら大丈夫だよ」

 轟天丸は炎嶽を雉牟田に叩きつけた。雉牟田は大きな翼を盾のようにして身を覆った。車のボンネットを思い切りバットで叩くような音がした。

 満は口の中で再び何かを唱え始めた。ポケットから小さな人形を出して裂帛の気合いとともに地面に放り投げた。

「オン、マユラキランティ、ソヴァカ、吽!」

 ばんと大きな破裂音がして、目の前に轟天丸よりはるかに大きな巨人が立っていた。大きな孔雀の背にまたがり、一面四臂の手には蓮華や孔雀の尾を持っていた。

「孔雀明王。ぼくの念持仏さ」

「式神なのか」

「そんな恐れ多い。式神は先のプリントみたいなのだよ。孔雀明王はぼくのバディ」

 孔雀明王は、手の孔雀の尾で雉牟田を打ち払った。雉牟田はすんでのところで羽先を躱し、砂塵を巻き上げて舞い上がった。

「また来るよ」

 雉牟田は大きな螺旋を描きながら空高く飛び去った。みんなが地上に目を戻すと、満が孔雀明王の小さな像の埃を払っていた。


(第四話了)

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