地獄に桜が降り注ぐ
「魔法少年ボタニカル★フレンズ」のスピンオフです。
懐かしい香りがした。自分の中にあった香りであり、ずっとずっと遠い記憶の彼女の香りだった。
「……死んだのか……」
僕は自分の手を見下ろす。僕は最後、老衰で死んだ。どんなに死にたくても、彼女が死なせてくれなかった。
僕と彼女は「魔法」という病気にかかっていた。人間として生まれた僕たちは世界から与えられた魔法という病気によって、体内の細胞を植物の細胞に置き換えられる、その代わりに魔法のような不思議な力を使えるようになる、というのが「魔法」という病の概要だ。
不思議の力を使えば使うほど、細胞は植物に置き換わり、魔法発症者は次第に体から魔法花というものが生えてきて、最後には花や木になって人間としての生を終える。
先に述べた通り、僕は老衰で死んだ。魔法によって授けられた風を操る力は死ぬまで扱うことができたし、僕は魔法発症者の中でも魔法をよく使っていた方だと思う。けれど、植物にならず、人として死んだ。それは摂理に逆らうことかもしれなかった。
僕が魔法で死ななかったのには理由がある。僕は魔法花を食べたことがある。おそらくそれが原因だ。魔法発症者からすれば、肉体の一部であろう魔法花を食べた。それは一種、カニバリズムとも受け取られかねない行いだった。
一緒にいた、桜の花を体に咲かせた彼女の桜を、食べた。桜の魔法花は浄化の作用を持ち、僕の中に巣食っていた魔法花を浄化してしまった。永久的に。だから僕は、魔法をいくら使っても死なない。そんな体になってしまった。
そんなことを望んだんじゃなかった。そんなことを望んだわけじゃない。僕はただ、彼女と共に生きたかった。彼女と一緒に街を歩いて、笑い合って、幸せになりたかった。病気なんかに負けないで、前を向いて、二人一緒に並んでいたかっただけだった。
それなのに、僕は生きてしまった。生きることを選んでしまった。植物になる末路を回避して、彼女と同じものにすらなれず、死んでしまった。……そう表すと、無性に悲しい。いっそ、桜の木になってしまった彼女の隣で、自分も木になった方がましだったのかもしれない。
……なんて、悲観的に考えてしまったけれど、よくないな。人間として生き抜いた僕にだって価値はあったし、僕の生にも価値があったはずだ。
世界のために死ななくてよかった。
世界が人間を世界に害なす存在と判断し、無力化を図るために「植物」にしようとし、人間に植え付けた種が萌芽し、花開いたのが「魔法」だった。魔法にかかった僕たちはそのことを知っていた。人間を植物に変えると決めた世界の意思か何かが、僕たちが受け入れやすいようにそうしたのかもしれない。
世界は人間にこんなにも傷つけられてまで、気を遣うのだ。それは神様のような気持ちなのかもしれないし、仏様のような気持ちなのかもしれない。僕は世界ではないから、世界に心があるとして、想像するくらいしかできないけれど。
魔法にかかった時点で、世界による僕たちへの洗脳が終わっているのかもしれなかった。僕と彼女以外の魔法発症者には何人も会ったけれど、誰一人として、世界が自らに課した運命に悲嘆することはなく、ただ、人間を守るために、魔法を駆使していた。
──いずれ、守った人たちも全て、植物になるというのに?
そこまで考えて生きていなかった。ただ、守らなきゃ、と思ったんだ。もしこれが世界に頭を乗っ取られている証拠なのだとしたら、世界は人間に随分と優しいように思う。
猶予を与えられて尚、人間は愚かしかったけれど。
日本大震災という、大陸と大陸が衝突するほどの地震があって、これ以上の災害は今後起こり得ないだろう、なんて、ラジオでニュースキャスターが言っていた。けれど、そんなことはなかった。
今度は、大陸と大陸が分断されるほどの震災が起きた。分断された大陸の間に水が流れて、津波となって、それは多くの人々を飲み込んだ。日本は日本大震災のときよりも恐慌状態となり、再び孤独な島国となった。
その震災が、僕の会ったことのある魔法発症者の仕業であることを僕は感じ取っていた。それが何故なのかはわからない。あるいは、彼女も他者の魔法花を取り込んで、生き永らえていたから、僕と通じるものがあったのかもしれない。
地震について、自然災害である、という捉え方は自然なようでいて、どこか違和感がある。おそらく「自然災害=天気」みたいな考え方をしているからだ。地震は自然災害だけれど、天気ではない。だから、他の自然災害と一くくりにするのは、なんだか変な感じがするのだろう。
あの子は半ば、自然災害そのものになってしまったのかもしれなかった。それは植物になる以外の魔法使いのもう一つの末路。自然災害になって、人間を取り殺そうとする植物ですらなくなったもの。そんな彼女は、あれだけ大きな魔法を使ったにも拘らず、人間のままでいるようだった。愛する人に、生かされているのだろう。同じ立場の僕だからこそ、その痛みや苦しみは理解できた。
だから、本当はあのとき、あの子に会いに行ってあげるべきだったのかもしれない。そうはわかっていたけれど、できなかった。
魔法花が浄化されても、人間である限り「老い」は必ずやってくる。人間である道を選んだ僕はそれに抗えなかった。
人より長く生きてはいたけれど、老いには結局勝てなかったのだ。魔法は使えても、肉体が限界を迎えていて、魔法を長く行使する体力が残っていなかった。
会えなかったあの子には悪いけれど、僕はそれを喜んだ。やっと死ねるって思ったんだ。けれど、それは不正解だった。
死んだところで、僕は植物になった彼女と同じところには行けない。むしろ木になった彼女を世界に置いていくのだ。彼女に再会するなんて、夢のまた夢だった。
だからやっぱり、木になりかけたとき、恐怖せずにそのまま運命を受け入れた方が、彼女の傍にいられたかもしれない。その方が幸せだったのかもしれない。植物になった後、幸せや不幸せを感じるのかさっぱりわからないけれど。
僕が、魔法花を食べたら魔法使いでも長生きできる、なんてあの子たちに教えなければ、あの子の身に降りかかった悲劇を回避できたのかもしれないのに。
ああ、後悔したって遅いな。僕はもう、死んでいるんだし、もうできることは何もないや。
ああ、本当に、本当に、世界のことも、人間のことも、救えなかった。僕は何もできなかったよ。
ごめんね、これから傷つく全ての何かたち。
誰かの声が聞こえた気がして、僕は振り向いた。
「どうしたの? 健くん」
「あ、美桜ちゃん。検査は終わったの?」
病院から、美桜ちゃんが出てきた。美桜ちゃんは魔法にかかっていて、重症で、顔のほぼ半分を桜の魔法花に覆われている。木の根が彼女の皮膚の下を這って、胎動するように脈打っている。
吐き気がするような光景なのに、美桜ちゃんはそれでも綺麗だった。彼女を侵す桜が、日本の国花であるくらいに日本人が綺麗だと思う桜だからかもしれない。
季節外れの桜が並木道で狂い咲いていた。この桜はかつて桜の魔法使いだった少女たちの成れの果てである。魔法使いはこうして、木に押し潰されて、人間としての最期を迎える。病院では、末期の魔法患者を、この場所で看取るのだという。故に、年中狂い咲くこの桜並木は「桜墓地」と呼ばれていた。
僕はかつて僕と同じ杉の魔法使いだった人物のことを思う。
見ているかどうか、わからないけれど。もし見ているのなら、僕と美桜ちゃんの始まりの人たちへ。
今日も世界という人間を閉じ込める檻という地獄で、雪が降っていますよ。桜と同じ速さで。