おとぎ話は卒業された筈では?
「なにもいないではないか!」
憤慨するナーガルージュナと、冷ややかに奴隷を見やるばあや。
「蜂が……い、いえ、毒蜘蛛が、入っ、て……」
ガタガタと震えながら、
「……お嬢様は、偉い人に殺され」
絞り出すような声がガン! と、拳が振るわれた音で途切れ、奴隷が倒れた。
「ナーガルージュナよ。まだ、わたしが話している途中だったのだが?」
目を眇め、ナーガルージュナへと不満を示す。
「こやつが不敬なことを言うからです!」
「連れて来たのは間違いでした。このような支離滅裂なことを言って……」
「そう殺気立つな」
「ナーガルージュナ、さっさと捨てて来なさい」
「うむ」
ばあやの言葉に、ぐったりと倒れ伏した奴隷の首根っこを掴むナーガルージュナ。
「待て」
「なぜ止めるのです、姫様」
「お前達、奴隷に落とされた占者の話は知っているか?」
「奴隷の占者……?」
「あれですか? 王家に不吉な予言を齋して、奴隷に落とされたという昔話の・・・まさか姫様、これがあの昔話の占者だなんて仰るのですか?」
非常に胡散臭そうな顔をするばあや。
「そんなワケがあるか。一体あの話が何百年前の話だと思っている? おそらくは、その占者の末裔だろうよ」
「え? 姫様、あの話を信じているんですか? おとぎ話は卒業された筈では?」
「信じているもなにも、あの話は大体が事実だ。少々調べてみたが、占者の一家を奴隷に落としたと王家の記録にも確りと残されている。オマケに、その占者の予言通りのことが起こったという記録もな? 正式な記録として残っているのだから、話と似たようなことはあったのだろうよ」
当時、なにが起こったという具体的な記録自体は残っていないが、占者の言葉が災いとなったという風には記録されている。
占者関連の記録とは別の、王室の歴史を遡って調べてみたところ、同年代と思しき時代には、好色で後宮に数十名も女を囲っていたという王がおり、その妾達が互いに暗殺を仕掛け合い、王族が数十……下手をすると、三桁に届く程も死んだのだとか。
王自身も後宮の女に毒を盛られ、仲睦まじいと信じていた女達に裏切られた王は発狂。
国は、その人災の煽りを受け政が滞り、大混乱。治安の悪化。流通の滞りで食料の運搬が偏り、食料自給率の低い王都や一部地域で飢饉が発生。生産力の低下。国力の低下。国家の危機とも言える状況にまで陥った。そして、辛うじて生き残った王子のうち一人が即位した、と。そんな記録が残っていた。
大方、それが起こる以前に好色な王へ後宮の女達が災いを起こすのだと進言し、不興を買ったのだろう。
まさしく、クソみたいな人災だと言える。
当時、生き残って即位した王は後年、占者を探させた節があるのだが、占者は見付からず終い。
奴隷に落とされた占者のおとぎ話だけが残った。
「・・・ということは、この者が先程言ったことが起こる、と?」
「お前達も感じているだろう? わたしが兄王に疎まれていることは。そのうち、排除される日も近い。そう思っている」
「姫、カルラ姫様は、このナーガルージュナが命に代えてもお守りします故、どうかそのようなことを言わないでくださいませ」
「こればかりは、どうにもならん。兄王の意志を変えない限りはな」
「姫様……」
「とりあえず、あれの手当てをしてやれ」
「わかりました。ナーガルージュナ、花瓶を片付けておきなさい」
「なぜわしが」
「誰でしたか? 花瓶を剣で砕いたのは? ほら、姫様がお怪我をしないうちにさっさと片付けなさいな」
「むぅ……」
と、ばあやは奴隷の手当てを。ナーガルージュナが不満げに花瓶を片付ける。
「ほう、そこそこ見れる顔ではないか」
まあ、殴られた顔半分が腫れて痛々しいが。
「奴隷の顔なんてあまり見るものじゃありませんよ」
ばあやが長椅子に転がした奴隷の頬へ、濡れた布を乗せる。
「ぅ、ううっ……」
呻き声がして、パチリと開いたのは薄い色の琥珀の瞳。
「っ!? も、申し訳ございませんっ!!」
パッと飛び起きるなり、長椅子を降りて床へつくばる奴隷。
「いや、こちらこそすまぬな。我が従者は血の気が多い。顔を上げろ。怪我は痛まぬか?」
「め、滅相もございませんっ」
ぷるぷると震えながら、そっと上げられる顔。
「なあ、ばあや」
「なんでしょうか? 姫様」
「なぜにこんなに怯えられているのだ?」
「・・・いきなり殴られたからじゃないですかね?」
「成る程。大丈夫だ。ナーガルージュナには、理不尽に殴らぬよう言い付けておく。それより、もっと顔を冷やせ。後で痛むぞ」
飛び起きたときに落ちた濡れ布を差し出すと、ぽかんとした顔をされた。
「ん? どうしたのだ?」
「きっと、姫様のお優しさに身動きもできぬ程感動しているのでしょう」
「大袈裟な」
「大袈裟ではありませんよ。奴隷の心配をするような姫は、姫様くらいなものです」
「そ、その……き、気持ち悪く、ない……です、か?」
ぷるぷると震えながら、わたし達を窺う奴隷。
「ん? 具合が悪いのか? まあ、いきなり動いたからな。頭を打っているやもしれん。ばあや、医者を呼べ」
「そうじゃ、なくて、そのっ……」
「なんだ?」
「ふ、不吉だとか思わない、ですか? 俺、き、気味悪いことしか、言わない……嘘吐き、って」
「ああ……お前、凶兆の占者の血筋だろう」
「え?」
パチパチと瞬く薄い琥珀。
「もしかして、知らぬか? その昔、王家に凶兆を齎したとして奴隷に落とされた占者の話だ。寝物語にもあるだろう?」
「それ、は・・・」
「わたしは、お前がその占者の血筋なのではないかと疑っている。まあ、何百年も前の、おとぎ話だと思っている者も多いが。少なくとも、当時の王家の不興を買って、奴隷に落とされた占者の一族がいたことは事実だ」
「そう、ですか・・・」
「ところで、お前」
「っ!? な、なんでしょうか、お嬢様……」
「そうびく付くな。別に取って食いやしない。ただ、そうだな・・・お前が、よくないことが起きると思ったら、それをわたしへ話せ。できる限り、詳細にだ。それが、お前の仕事だ」
「え?」
「とりあえず、今日のことろは養生しろ」
と、後は医者へ任せた。
あのとき、あれを初めて見たときのこと。
用事を済ませに向かっていれば、かなり危険な状況へ陥っていただろう。それも、市民を巻き込む最悪な形で。
道中にある建設中の建物から、積荷を落とすという計画がなされていたのだとか。わたしが行くのを取りやめたことで計画は不発。
あのとき、通行人の道行きを止めていたあれは正しかった。
引き返さなかったら、わたしは今頃・・・
数時間後。
「なあ、今更なのだが、聞いていいか?」
治療が終わり、様子を見るついでに質問する。
「えっと、はい。なんでしょうか? お嬢様」
「お前、性別は?」
「へ?」
「名が無いと不便だから付けてやろうと思ったのだが、性別がわからぬと名が付け難いだろう?」
男に女名や、女に男名を付けると紛らわしい。まあ、男女どちらに付けてもおかしくはない名もあるが。
「・・・姫様、これは一応、これでも殿方でございますよ」
「そうか、わかった。口の中は大丈夫か? 痛むのであれば、粥でも用意させる。たんと食え。でないと大きくなれぬぞ」
「えっと、お嬢様?」
困ったようにわたしを見やる奴隷。
「ん? なんだ?」
「姫様。この者はおそらく、姫様と同じくらいか、もう少し年上だと思いますよ」
「なにっ!? 子供ではないのかっ!? 痩せた身体に、棒切れのような手足! 覇気のない様子! これが、成人男子だとっ!? 大人の男とはナーガルージュナみたいに逞しかったり、父上みたいにぷよぷよしているものではないのかっ!?」
驚きだっ!?
「まあ、奴隷ですからね」
「王宮にいる奴隷でも、もっと確りした身体付きをしているぞ?」
「これは市井の奴隷でしたから、栄養が足りなくて成長不良なのでしょう。栄養のある食事を食べないと、逞しい身体付きにはなれないのですよ。食べ過ぎると、お父上様みたいにふくよかになりますけどね」
「そうか・・・では、考えておく。お前は、ちゃんと食事をしておけ」
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読んでくださり、ありがとうございました。
カルラの国では15歳が成人という設定で、ナナシ君(仮)は、現時点でそろそろ16歳くらいのカルラよりちょい上。けど、栄養状態が悪くて発育不良なので、年下だと思われています。




