多分、あれは役に立つぞ。
縁談が決まらぬまま、ばあやとナーガルージュナと暮らしているときだった。
偶々町へ用事があって、そこへ向かう途中で・・・なんとも不思議なものを見た。
みすぼらしい奴隷が、道に立ってその先へ行く人を引き止めようとしていた。
当然、みすぼらしい奴隷に足を止める者はいない。人によっては、不快感を露わに奴隷を打ち据える者すらいた。
だというのに、何度打たれてもその奴隷は道行く人へ声を掛けるのをやめない。
よくよく耳を澄ませてみると、「向こうは危ないんです」と思いの外澄んだ声が言っていた。
「姫様、どうされましたか?」
足を止めたわたしへ、ばあやが問う。
「あれ、どう思う?」
「? あの不審な動きをしている奴隷ですか?」
「そう、あれだ。向こうは危険だから行くな、と言っているのが聴こえた」
そして、あの奴隷が行くなと言っているのは、わたし達が向かう方向だ。今から向かう進行方向が危険だと言うのだから、気にもなる。
「ルートを変更した方がいいやもしれませんな」
「ふむ……では、そうするか」
踵を返した瞬間に、あの奴隷の声が止まった。
「・・・ナーガルージュナ。お前は、向こうから行け」
「・・・かしこまりました」
警戒するナーガルージュナだけを本来のルートの方向へ向かわせると、またしても奴隷が人を呼び止め始めた。
「怪しいですね」
ばあやが鋭い目付きで奴隷を見やる。
そして、ナーガルージュナが奴隷に、「なぜこの道を通るなと言うのか?」と問うている。なにやら、『荷物が崩れて人が沢山怪我をする』という風なことを言っているようだ。
「どう思う? ばあや」
「そうですね・・・誘導か、命令されているか、極めて低い可能性ではありますが、なにかの仕掛けに気付いた善意の第三者という線も」
「そうか。では、今日はやめだ。帰るぞ」
「わかりました。ナーガルージュナはどう致しますか?」
「ああ、呼び戻せ」
そう言った瞬間、ふと視線を感じた。
「?」
パッとこちらへ向かって動こうとした奴隷が、ナーガルージュナにあえなく取り押さえられる。
「やはり、誰かに命令されているようですね」
「ふむ・・・あれを持ち主から買って来い。言い値で、だ。ああ、奴隷だからな。大人しく付いて来るなれば、あまり手荒な真似はするなよ? 口が利けないと困る。丁重に扱え」
と、王宮へ帰ることにした。
奴隷は、確保した後に身元の確認。
すると、なんともまあ評判の悪いこと悪いこと。
なんでも、不吉なことばかり言い、他人の胸を悪くさせる奴隷として有名なのだとか。
嘘吐き、不吉、凶兆だと蔑まれ、疎まれ、買われても何度も戻ったり、売りに出されたりと、奴隷商の店を転々としているそうだ。
ただ、一部の奴隷商は、あれのお陰で災難を避けられたと感謝をして、他の奴隷よりはマシなところへ売ったという。まあ、言動がおかしいのですぐに追い出されたそうだが。
そしてその後、本当にあれの言った通りにその家の主が死に、一家は離散。
「これは・・・」
ふと、頭を過った。
旧い文献に、王家へ凶兆の予言を齎したとして、奴隷に落とされたという占者の話がある。
その占者の予言は伝わってはいないが、当時の王家に厄災があったのは記録として残っている。
そして、奴隷に落としたとして、その後の占者の話は無い。
もしかすると、あれはその占者の末裔なのだろうか? と、そう思った。
「ばあや」
「はい、姫様」
「あれの背後関係は洗ったのだろう?」
「……ええ、その筈なのですが……」
ばあやにしては、煮え切らない答え。
「なにか出たか?」
「いえ。非常に怪しいのですが、いまのところはなにも」
「あれを連れて来い」
「え? 姫様? なにを……」
「多分、あれは役に立つぞ」
「どういう意味でしょうか? 姫様」
「偶にいるだろう? 異様に勘の鋭い人間が」
「……あれも、その類だと仰るのですか?」
「そういう者は、毒避けには持って来いだ」
「・・・わかりました。では、最低限、姫様にお目通りできるよう体裁を整えさせますので。それまではお待ち頂けますでしょうか?」
「いや、教育は要らん」
「なぜでしょうか?」
ばあやの顔が嫌そうに顰められる。
「教育を施し、必要とする野生の勘を鈍らせては本末転倒だとは思わぬか?」
「・・・わかりました。では、そのように手配致します。ただ、あの奴隷が姫様を狙う輩だった場合は」
すっとばあやの目が眇められ、酷薄な色が浮かぶ。
「わかっている」
そんなやり取りを経て、翌日。
見覚えの無い者が、部屋の隅で這いつくばっていた。なんだか、ひょろっこい奴だ。
「姫様のお召し通り、お連れしました」
と、不機嫌そうなばあや。
「そうか、ご苦労」
「姫様……」
こちらもこちらで、顰めっ面のナーガルージュナ。
「顔を上げよ」
「は、はいっ」
恐る恐るという風に上げた顔は、長い黒髪で隠れていた。もさもさした奴だ。
「お前、名は?」
「な、名前は、ありません」
上擦った声が答える。
「そうか。ところでお前、なぜそんなところにいる」
途端にびくっとして、おろおろとする奴隷。
「そ、そのっ、へ、蛇が……」
「ん? 蛇?」
「蛇が、花瓶から出て来て、お、お嬢様を襲います」
「なんだとっ!? それは真かっ!?」
「お、お嬢様を庇って……奥様が、倒れます」
瞬間、ガシャン! と、花瓶が叩き割られる。砕けた破片と活けられていた花、水が床に飛び散った。が、蛇はいない。
「なにもいないではないか!」
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