今日。明日。
トテは毎日牢屋に行った。
お嬢様は日増しに汚れが目立つようになっていた。
とはいえ、自由に物をお渡しする事ができないのだとトテも分かった。
ある日、トテは兵士たちが離れたのを確認してから、いつものふりを装って、お嬢様に告げた。
「私と入れ替わって、逃げてください、お嬢様」
お嬢様は汚れた顔の中で、美しいままの目を丸くした。
「服を入れ替えて、カツラも、ほらこれで」
トテは服の中に仕込んでいたものをお嬢様にみせた。
お嬢様はトテを無言で見つめていた。
最近のお嬢様は明らかに疲れが見えていて、動きが緩慢になっている。
「お前は? 死ぬの?」
とお嬢様は呟きのように小さな声で言った。
トテは頷いた。
「そうかもしれないけど、お嬢様は助かってください」
お嬢様は平たんな表情のまま、またじっとトテを見つめた。
じっとじっと見つめてから、表情を変えず、昔と変わらぬ口調で言った。
「馬鹿ねぇ、お前は」
それからゆっくりと笑んだ。
「お前が私になれるというの?」
お嬢様は言葉が緩やかで、トテはすぐに割り込んだ。
「私がダメなら、他の者が。これは皆の案なんです」
お嬢様が怖い顔になった。
「ダメ。お前は馬鹿なのね。変わりないのは褒めてあげても良いけれど。トテ、聞きなさい。私は公爵家令嬢。お前など、他の誰にも、代わりは勤められない。私の代わりなどいないのよ。それとも、お前は私が、そんなにやすやすと代われるようなものだと思っているの!」
「思っていません! ごめんなさい!」
叱られてトテは咄嗟に謝った。
「良いこと。今、リリアン=フーリがいるべき場所はここ。私以外の誰にも譲らない。お前たちは代わらない」
皆で考えたお嬢様の救出案だった。けれどお嬢様の言う通りだとトテは思った。
叱られたトテは作戦が失敗して落ち込みのまま会話をした。
いつものように兵士たちが来る。
「トテ。お前明日も来るわね」
とお嬢様が命じた。
「はい・・・」
トテは答えた。
お嬢様が笑って見せた。
「お前は私の娯楽。来てくれたことに感謝するわ」
トテは褒められて急に嬉しさが増した。
「はい!」
お嬢様はさらに言った。
「帰ってしまうのは寂しいわね。必ず明日も来るのよ、それがお前の仕事なのだから」
「はい!」
***
救出作成に失敗しつつも、トテは翌日もお嬢様に会いに行った。
お嬢様は寝ていたようだが、トテが来たと分かると身を起こした。
「遅い」
「えっ、すみません、でもいつもと同じ・・・」
「煩い」
小声ながら怒られて、トテは、
「すみません」
と謝ってから口を閉じた。
お嬢様はため息をつきながら動こうとして、またため息をついた。
様子がおかしく思えて、トテは傍に寄った。
手を添えて動きを補助する。
お嬢様は物憂げだった。随分体力が落ちている。
「お前はねぇ」
とお嬢様が顔を上げてトテを見た。
「私は」
とお嬢様は言った。
そして黙った。考えているのかもしれない。
「お嬢様。こっそり、果物を持ってきました。食べてください」
「まぁ」
お嬢様は本心から驚いたようだった。
「お前」
と言ったきり、言葉が出て来ない。
「料理長が、『秘密の果実ですよ』って言ってました。普通にキンカンですけど」
「お前、なぜ秘密をバラしてしまうの」
お嬢様は不服そうに言いながら、じっとトテの手元を見つめた。
「ちゃんと種もとってあるから、口に詰め込むように言われたので」
トテは怒られることを覚悟しながら、お嬢様の口に細かくされた果実を突っ込んだ。
お嬢様がきちんと食事をとっていないことは明白で、料理長から、お嬢様のためを思っての絶対命令だった。
お嬢様は驚きながらゆっくりと口を動かした。
牢の中に独特の香りが広がる。
お嬢様は少し長い瞬きのように目を閉じ、それから少し顔をしかめた。
「ねぇこれだけ?」
「あります」
トテはさらに突っ込んだ。
5回繰り返し、無くなったところでお嬢様が笑った。
「っふ、馬鹿みたい」
とても嬉しそうで、持ってきて良かったとトテは思った。料理長や皆にも報告せねば。
「お前、せっかく来たのにこれで時間が無くなるのよ。どうしてくれるの」
「えーっと、明日また来ます」
「明日なんて来ないかもしれないのに」
「来ますよ」
トテの返答をお嬢様はじっと考えたようにしてから、肩の力を抜くように息を吐いた。
「馬鹿ねぇ・・・」
首を左右に振る事までした。
「お前、もう帰るのね。残念だわ。唯一の娯楽なのに」
とお嬢様が拗ねた。
確かに秘密の果実に時間を取りすぎて、すぐ兵士が来てしまうだろう。
トテにしては珍しく、そして珍しくも寂し気で弱気なお嬢様の姿に思いついて、言った。
「じゃあ、私もここに泊まれるように言ってみましょうか」
「えっ?」
「そうしたら、ずっとお話ができます」
「・・・まぁ」
お嬢様は驚いて、それから嬉しそうに笑った。
「そう」
ふふふ、とまで嬉しそうな声を上げたお嬢様は、兵士がやってくる音に気が付いた。
トテも気づいた。
「言ってきます」
トテ自ら兵士の元に行き、声をかけた。
「私も」
「トテ! 止めなさい!」
急にお嬢様が大きな声を上げた。何かに急に怯えたように。
「お前はいつも馬鹿な子! 早く帰りなさい! 帰ると良いわ!」
トテには理解が追いつかなかった。
部屋の扉の所にいたトテを、兵士が腕を掴み移動させ、そのままお嬢様の廊下の扉をガチャンと閉めた。
トテは宿泊を願い出ようと思ったが、お嬢様が最後に怒っていたので、止める事にした。