50.不器用な夫婦(2)
「なっ……」
不意打ちである。ちょっと潤んだ瞳で、上目遣いで、天使というか女神からそんなことを言われてしまったら。
デーセオは思わず自分の口元を手で押さえてしまった。それくらいの衝撃があった。嬉しすぎて言葉が出てこないし、この手の下の口元は今、盛大ににやけている。
「旦那様が私をお金で買ったことは、充分理解しております。ですが、その、共にいるうちに、そのように、思い始めてしまって……。ご迷惑とは思っているのですが」
とうとうレーニスは両手で顔を覆ってしまった。もしかしたら、その手の平は涙で濡れているのかもしれない。
「迷惑なわけがあるか」
がしりとデーセオは妻の細い手首を掴んだ。驚いた彼女の顔が、その手の下から現れる。
「その。俺たちの出会い方は、普通ではなかったかもしれない。だが、お前を他の男から奪うためにはそうするしか方法が無かったんだ。それだけは分かって欲しい。そう、俺が金を出してお前を買ったのは、他の男からお前を奪うためだったんだ」
と、自分を正当化するかのようにデーセオは言う。
「先ほども言ったが。その、出会い方はちょっと普通ではないかもしれない。だが、それでもそうやってでも、お前と出会えたことは今では良かったと思っているし。その、俺の妻として隣にいてくれることは、誇らしいと思う」
レーニスの赤い目が、陽炎のように揺らめいている。
「レーニス。俺と結婚してくれてありがとう。俺は、レーニス、君を愛している」
再びその赤い目から涙がふるふるとこぼれ始めた。
「その、泣かないでくれないか。その、お前の泣き顔を目にしたら、その、どうしたらいいかがわからない」
「でしたら、見ないでください」
言うと、レーニスはその顔をデーセオの胸元に預けた。悲しくて泣いたわけではない。嬉しくて涙が出てきたのだ。
初めて気持ちが通じ合った、そんな気がしたから。
「レーニス」
デーセオが優しく妻の名を口にする。
「その、君からそんな風に思ってもらえるとは思ってもいなかったから、その、嬉しいんだ」
はい、とか細い声が聞こえる。まだ、涙は止まっていないのだろうか。
「レーニス。だから、その、泣かないで欲しい」
「無理です。だって、嬉しいから……。嬉しすぎて、涙が止まりません」
デーセオはレーニスの背にそっと手を回して、その背を優しく撫で始めた。レーニスはその仕草に驚いたのか、やっと顔をあげてくれる。目が合うと、すかさずデーセオは彼女の唇に自分のそれを重ねた。
「んっ。き、急に、な、何をなさるんですか」
「ほら。驚いて、涙が止まっただろ」
デーセオは笑いながら、彼女の目に残っていた涙を拭う。
「ずるいです、旦那様は」
「俺はずるくない。泣いているお前が悪い」
「でしたら、私を泣かせた旦那様が悪いんです」
「デーセオ」
「はい?」
「その、二人きりの時は、旦那様ではなく名前で呼んでくれないか? そのデーセオと」
突然、そのようなことを言い出した夫が可愛らしいと思ってしまったレーニスは、胸がきゅきゅっと疼いた。身体は大きくて目は鋭くて、見た目上には可愛らしい要素が一つもないにも関わらず。
「デーセオ、さま?」
ぐはっと心の中でデーセオは血を吐いた。この一言はボディーブローのようにじわじわとお腹の底から効いてくる。
「デーセオさま、どうかされましたか?」
あまりにも可愛すぎて嬉しすぎて、デーセオの顔はもちろんにやけている。だが、それでも言葉にならない言葉を口にして悶えているデーセオをレーニスが心配しているのだ。
「これは、不可抗力だ。お前が可愛すぎるのが悪い」
デーセオは軽々と隣の新妻を抱き上げてしまうと、そのまま寝室へと向かってしまった。




