02.失われた力(2)
失われた聖なる力の取り戻し方はわからない。むしろ、なぜ自分に聖なる力が備わっていたかを知らない。だが聖女様の言葉を借りれば、神に選ばれたから。
ならば今、その神に見捨てられた、ということか。
神に見捨てられたレーニスは聖なる力を失い、聖女候補を解かれた。だから、今後はこの神殿にいることはできない。帰る場所はあると言ったらあるし、無いと言ったら無い。
父の兄であるクエバは自分を受け入れてくれるだろうか。だが今はあの屋敷しか行くところはない。
連絡もせずに戻ったら、彼は驚くだろうか。むしろがっかりするかもしれない。
トントントン。と、部屋の扉をノックされる。こんな元聖女候補の部屋を訪れる風変わりな人は誰だろう、とレーニスは思いながら「はい」と返事をした。
「レーニス……」
扉を開けると、今でも聖女候補であるラーナが慎重な面持ちで立っていた。
「ラーナ……」
レーニスは彼女の名を口にする。レーニスを心配して、こうやってわざわざ部屋まで来てくれたのだろうか。
「レーニス。もう、聖女候補でないのなら、さっさとこの部屋を出ていってちょうだい」
「ラーナ……」
「それに、聖女候補でもないただの一般人のくせに、気安く私の名前を呼ばないでくれる? あなたがいなくなったら、私がこの部屋を使うんだからね。本当に、レーニスのくせに、私よりいい部屋を使っているなんて、生意気なのよ。慈悲深いラーナ様だから、別に今すぐ出ていけとは言わないわ。明日になったら、さっさと出ていくのよ。私、明日の朝から荷物を運ぶんだからね」
両手を腰に当てたラーナは、器用にその肘で乱暴に扉を閉めて出て行った。
レーニスがわりといい部屋を使うことができていたのは、聖女様に最も近いと言われていた聖女候補だったからだ。
そのレーニスが聖なる力を失ったとなると、下から順に繰り上がってくる。それをあからさまに狙っているのがラーナという聖女候補。今まではレーニス、レーニスと慕ってくれていたのに、聖なる力を失い、聖女候補を解かれた途端、あの態度。恐らく今後は、どの聖女候補もレーニスにはあのような態度をとるのだろう。蔑むような視線をレーニスに向けてくるのだろう。
レーニスはその閉められた扉を、茫然と見つめることしかできなかった。
だが、すぐさま我に返る。
まずは荷物の整理。ここに来たときにも鞄一つでやって来た。私物と呼べるようなものは、無い。生活に必要なものは支給されていたからだ。
それから、侍女頭のところへ行こうと思った。聖女候補で無くなった今、この神殿で侍女として働くことはできないだろうか、という相談。もちろん、あの屋敷に戻ってもいいのだが、戻るにしては急過ぎると思われたため。少し、ここで侍女としておいてもらって時間を稼ぎ、伯父であるクエバが受け入れてくれるのを待とう、と思っていた。
侍女頭の部屋へと行くと、ジロリと睨まれてしまった。どうやらレーニスが聖女候補で無くなったという話は、知れ渡っているようだ。
「何か御用ですか。レーニス」
今までは「レーニス様」と呼ばれていたのに、その「様」が無くなってしまった。
「あの。私をここの侍女として雇ってくださいませんか?」
「無理です」
侍女頭はレーニスを一瞥して答えた。
「聖なる力を失った元聖女候補を、この神殿に置いておくことはできません」
彼女の声は冷たい。
「ですがっ」
レーニスは、懇願しようとした。だが、それを続けられなかったのは、侍女頭のほうが、レーニスがそれを言うよりも先に口を開いたからだ。
「今日一日だけ、この隣の部屋を使いなさい。どうせ、聖女候補の部屋を追い出されたのでしょう?」
なぜか彼女の鋭い視線の奥に灯る、温かな光を感じた。
「私は、何年もここにお仕えしておりますから、今回のようなことは初めてではありません。あなたのように、ここに侍女として残りたいと言った元聖女候補も何人かおります。ですが、ここに残ったところで、あなたに待っているのは不幸だけです」
そして、ふっと目を細め。
「帰る家はあるのですか?」
侍女頭の問いに「はい、一応」とだけレーニスが答える。
「今からそこに連絡用の早馬を飛ばしてあげます。明日、そこに帰りなさい」
元聖女候補であるが故、神殿には置いておくことはできない。
その理由は、周囲からの目と声、そして暴力。それに耐えられるような鋼の精神と強靭な肉体があればいいが、聖女候補としてここで生活をしてきた彼女たちにはそれが無い。
侍女頭はそれを知っていた。
「あ、あ、ありがとうございます」
レーニスは侍女頭に向かって頭を下げた。それは先ほど、聖女様へ向けた御礼と同じ言葉なのに、どこか声色が違って聞こえた。
侍女頭が言う隣の部屋とは、通称、説教部屋と呼ばれる部屋。粗相をした侍女たちがここに押し込められて、侍女頭や神官たちからいろいろと攻め立てられるという話を耳にしたことがある。
だけど、それはただの噂かもしれない、とレーニスは思った。
彼女のように聖なる力を失った聖女候補たちの最後を、侍女頭は今までもこうやって見送っていたのだろう。
質素な寝台ではあるけれど、眠るには充分な代物だ。短い時間の間でたくさんのことが起こった。そしてたくさん泣いた。