表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

 年末は大雪のため客先をあまり回れなかったから、葵は年が明けてから挨拶回りを精力的に行なっている。産休になった担当者から引き継いだ顧客には独居の高齢者も多くいるから、その安否確認も兼ねてだ。

 顧客本人はもちろん、その家族からも好意的に受け取ってもらえるため、信頼関係の構築にも大いに役立っている。璃子たちを聖の店に連れて行った翌週も、葵は外回りを続けていた。


「田中さん、明けましておめでとうございます。高丸生命の牧原です」

「いらっしゃい。今年もよろしくねぇ」

「こちらこそ、よろしくお願い致します」


 この日訪れたのは、あのイブの日にも訪ねた田中さんの家だ。八十歳を過ぎても矍鑠としている田中のおばあちゃんは葵を孫のように歓迎してくれるから、何ともくすぐったい気持ちになる。

 ニコニコ笑顔で迎えてくれた田中さんに年賀の粗品を渡すと、彼女は困ったように微笑んだ。


「せっかく来てもらったのに悪いんだけど、明夫は急に仕事が入ったみたいでねぇ。遅れるみたいなんだわ。お茶っこでもして待っといてもらえるけ?」

「はい、構いませんよ」


 今日はただの挨拶回りではなく、以前約束していた田中さんの息子、明夫の保険の相談に乗るためにも来ている。コタツに入れてもらって温かいお茶を頂くのはホッとするけれど、本人がいないのに居座っているのも気が引ける。次回からは場所を改めた方がいいかもしれない。


「そういえば田中さん。近くに喫茶店が出来たのは知ってます? 月森ダムに行く途中の道なんですけど」

「いんや、知らないねぇ。明夫なら知ってるかもしれんけど、喫茶店なんて洒落た物がそんな所に出来たのけ?」

「はい。昔からあったお宅を改装したお店で……」


 古民家カフェCarolが地元情報誌に掲載されるのは、春になってかららしい。改善を加えた店の様子も聖の料理も目の肥えている璃子と高木が認めてくれたし、知名度さえ上がれば確実に客は増えるだろう。

 とはいえそれも数ヶ月後の話だ。それまでの間、閑古鳥を鳴かせたままにしておくのも勿体ない。それに遠方からの客だけでなく、近隣の常連客もいた方がいいだろう。ちょうど代理で担当している地域はカフェに近い一帯だというのもあり、葵は雑談がてら宣伝を続けていた。


「ああ、その辺の家だと柊さんの所だねぇ」

「柊さん? 悠木さんではなくですか?」

「この辺りの大地主だった人だべ。本宅は別にあって、あそこはほら何だったか……別荘だったけ? そういう感じで元々あったんじゃなかったべか」


 田中のおばあちゃんは聖の曽祖父母と知り合いだったようで、懐かしげに想い出を語る。

 どうやらあの家に住んでいたのは、聖の母方の曽祖父母だったようだ。暮らしたのは晩年だったそうで、そこへ遊びに来ている聖たちを見かけた事もあるらしい。


 そんな話をしているうちに、息子の明夫がやって来た。


「いや、すまんすまん! 待たせたなや!」

「明夫、あんた新しい喫茶店が出来たって知ってたけ? 柊さんの所みたいなんだけんども」

「ああ、行ったことはねえが、何か出来てんのは見たな」

「あれ、柊さんのひ孫がやってるんだってよ」

「へえ、そりゃ行ってみてえな」


 聖と初めて会った時、喫茶キャロルの話題は世間話にちょうどいいと思ったけれど、まさしくその通りだった。

 明夫も気にはなっていたけれど、昔ながらの保守的な土地柄もあり行ってみようとは思わなかったらしい。家を購入した他人が経営してるのかと思いきや、故人の家族がやっていると知ると途端に興味を持ったようだ。


 この日は明夫のこれまでの保険内容と要望の聞き取りが主だったけれど話は弾み、次回はキャロルで待ち合わせをしようと話は決まった。

 店内で営業の話をする許可をもらえるか少し心配だったけれど、聖は快く許してくれた。後日、明夫との約束の日に店へ行くと、すでに明夫と聖は打ち解けた様子で朗らかに話をしていた。


「いやぁ、あの時の小さいのが帰ってくるとはなぁ」

「この家には大事な思い出がたくさんあるので」

「そうだべな。柊さん、ひ孫が懐いてくれてるってよく自慢してたべ。きっとあの世でも喜んでるんでねえか。ひ孫の手料理食いたかったって羨んでるかもしれねえが。しかしこのパニーニ言う奴もうめえな」


 明夫も、小さかった聖が遊びに来ていたのを見かけた事があったようだ。聖はいつものように微笑んで会話していて、人柄でも料理でも明夫の心を掴んだらしい。これから先も通ってくれるようになるだろう。

 葵はホッとして、カウンター席に座る明夫に声をかけた。


「こんにちは、明夫さん。それ、美味しいですよね」

「おう、牧原さん。この店、お前さんの言うように居心地良いな。教えてくれてありがとなや」


 聖とも軽く挨拶を交わして、葵はコーヒーを頼む。今日は仕事だから、いつものデザインカプチーノはお預けだ。それでも香ばしいコーヒー豆の香りに癒される。少し雑談して一息ついてから本題へ入った。


「うちから提案出来るのはこのプランなんですけど……。私としてはあまりお勧めしたくないんです」

「ん? どういう意味だ?」

「明夫さん、持病があるじゃないですか。それでうちのプランだと……」


 一度持ち帰ってまとめた内容は、少々言い辛いものだった。明夫の要望を全て満たすようにすると、どうしても掛け金が高くなってしまうのだ。予算に合わせようとすると特約が付けられず、保障の範囲が狭くなってしまう。

 上手く言い繕って契約に結び付ける事も出来るが、明夫の事を考えるとそうしたくはなかった。


「少し調べてみたんですけど、うちじゃなくて明夫さんが今入られてる会社の新しいプランの方が合いそうなんです。なので、そちらの営業さんに一度ご相談してみてはどうでしょうか」


 会社の利益を第一に動くべきなのかもしれないが、元上司の相良から教わったのは顧客第一という考え方だ。それは葵が保険の営業を志した気持ちと同じで、だからこそ信念は曲げたくない。

 たとえ自社に不利だったとしても、きちんと情報は伝えたい。その思いで話したら、明夫は読み込んでいた提案書から困惑した様子で顔を上げた。


「ここまで調べてくれて、確かにそうみたいだってのは分かるんだけんども。牧原さん、それでいいのけ?」

「はい。明夫さんにとって安心出来る保険が一番大切なので」

「ここは無理してでも、うちのに入ってくれって言う所だと思うがなぁ。この店のことはあんなに魅力的に話してたんだから、お前さんなら出来るべ?」

「そんな騙すようなことはしたくないんですよ」

「牧原さんは本当にお人好しだ」


 明夫は呆れたように言ったが、すぐに笑った。


「せっかくそう言ってくれてんだ。向こうの営業に一度聞いてみるな。しかし残念だなや。保険料高くなっても、牧原さんに頼めたら一番安心出来そうなのに」

「私は代理なので、夏にはここの担当から離れちゃいますよ?」

「それも黙っとけば良いのに、本当に牧原さんは。保険の営業なのか喫茶店の営業なのか分からなくなるべ」


 明夫は豪快に笑うと「おらがその分、入ってくれそうな誰か紹介してやるからな。今度は逃すなや」と言って、励ますように葵の肩を叩いた。

 葵はただ「ありがとうございます」と微笑むだけだ。その紹介してくれた人に自社の商品が合うかどうか、それが大事だと葵は思うから。


 そんな二人を聖は微笑んで見守ってくれていて、外の寒さが信じられないほどに店内は暖かかった。

 けれどそうやってのんびり構えていられたのも、新年最初の一ヶ月だけだった。




「牧原! お前は一体どれだけこの客に時間割いてるか分かってるのか! 割に合わないだろうが!」

「申し訳ありません」

「取ってくるプランも安いのばかり! 金のある高齢者が相手なんだ、もう少し釣り上げられるだろう!」


 営業一課のオフィスに怒声が響き、葵はひたすら頭を下げる。着任当初大人しくしていた新上司橋本は、二月に入るのと同時に態度を一変させた。

 一月はどうやら本当に様子を見ていただけだったらしい。営業一人一人のこれまでの契約数やその内容も細かく調べ上げたようで、やり方が生温いと言い始めた。


 高齢者を騙すような言い方は問題だと思うけれど、その内容には葵としても否定できない部分もある。実際、年末に何度も訪ねた田中やその息子明夫からの相談など、単体で見れば割りに合わない仕事も多々あるからだ。

 とはいえ、あの後明夫の紹介で数人と契約を結ぶ事が出来たから結果的に損はしていないのだが、それは書面上では分からない事だ。葵の反論なんて聞いてもらえるはずもなく、とにかく橋本からは怒鳴られるばかりだった。


「相良なら許したかもしれないが、俺は違うからな! もっと社の利益を考えろ! この四年、何をやって来たんだお前は! こんなグズしか育てられないなんて、あの女は本当に役立たずだな!」


 それだけならまだいいが、彼が前上司相良をライバル視しているというのも問題だった。相良の悪口は絶えないし怒鳴り散らしてばかりで、課内の雰囲気はどんどん悪くなっている。

 そんな中で特に槍玉に挙げられるのが、相良に目をかけられていた葵だった。


「お前はしばらく社用車は使うな! 燃料費が無駄になる!」

「えっ、ですがそれじゃ」

「個人営業はもうやめろと言ってるんだ。どうせお前のこれは代理だろう? それより企業から大口の契約を取ってこい! 間もなく新年度だからな」


 例年より雪の多かった冬も終わりを告げて、もう三月の終わりだ。もうすぐ新入社員が入ってくる季節となり、生命保険の営業としては書き入れ時になる。

 橋本の言いたい事は理解出来るが、代わりに担当している個人客を放置するわけにもいかないだろう。元の担当が産休を終えて復帰するのは夏の予定だ。


 一方的に話を終えた橋本は、ちょうどかかってきた電話に対応を始め、片手で葵を追い払った。

 自分のデスクに戻りつつ、葵は夏までどうやって乗り切ろうかと内心で頭を抱えた。



更新大変遅くなってしまい、すみませんでした!

もう一つの連載が終わりましたので、ここからは少し頻度を上げて更新していけたらと思います。

お待ちくださった皆様、本当にありがとうございます!

最後までどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ