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「彼女とは、三年ほどの付き合いでした。合コンで知り合った相手なんですけどね。彼女にとっては、最初から僕の肩書きが大事だったんだろうな」


 悠木は証券会社で働き始めた当初、仕事に慣れるまではあまりに忙しく、恋人を作る余裕などなかったそうだ。少し落ち着き始めてからは、休暇を利用してイタリアへの料理修行も再開したが、女の影など微塵もない。

 そんな悠木に、家族からは良い相手がいないなら見合いをセッティングしようかと言われ、それなら自分で見つけようと合コンに参加するようになったのが、今から四年前。悠木が二十八歳の頃だった。


「自分で言うのも何ですけど、僕は結構モテる方だったんです」

「それは分かります。きっと女性が放っておかないだろうなって、私も思いますから」

「本当ですか? 牧原さんから見ても?」

「はい、素敵な方だと思います。悠木さんは優しいですし、料理もお上手ですし。こうやってお話させてもらうと、なんだか安心出来るんですよね。穏やかな家庭を築かれそうで、奥さんになられる方は幸せだろうなって」

「そう言われると嬉しいですね。そんな風に言われたことってなかったので」

「そうなんですか?」

「ええ、残念ながら」


 心底驚いた葵に、悠木は肩をすくめて話してくれた。


 悠木は180ある高身長、海外の有名大学卒業という高学歴。顔立ちは優しめで整っており、当時の仕事は外資系の証券マンで高給取りだ。当然女性からの人気は高く、引く手数多だった。

 そんな中、趣味の音楽で意気投合したのが元恋人だ。三回目の合コンで知り合ってから、友人たちも交えて数回顔を合わせた後に交際する事になったらしい。


 二歳年下の彼女は悠木との結婚を強く望んでいたが、派手好きな女性だったために悠木は慎重になっていたそうだ。

 何せ悠木の夢はイタリアンの店を出す事なのだから、それを受け入れてもらえる相手なのかどうか、付き合いを続ける中で見極めたかったのだという。


 趣味なのだと話したイタリアへの料理修行の旅には、本物志向の拘りが素敵だと彼女は喜んで付いてきてくれた。手料理を振る舞えば、店を出せる味だと褒められて嬉しくなった。


 そうして夢を話しても大丈夫そうだと感じ始めた矢先、高齢で体の弱っていた曽祖母が百歳を目前に亡くなった。曽祖父は二十年前に、既に鬼籍に入っている。

 二人とも亡くなってしまった事で、曽祖父母の家も取り壊される事になり、悠木は脱サラしてカフェを開く事を決め、クリスマスイブの日に彼女にプロポーズをしようと準備していたそうだ。

 退職して地方へ行くが、一緒に来てくれないかと言うつもりだったらしい。


「まだ辞表も出してない段階で、でも親しい同僚には内々の話として伝えていたんです。僕より先に彼がそれを彼女に話すって知ってたら、黙ってたんでしょうが。まあ、言わなくても結果は同じだったでしょうけどね」


 クリスマスイブ当日、彼女から電話があり、仕事を辞めると聞いたが本当なのかと問いただされた。直に会って話をしたいと言ったが聞き入れられず、その場で本当だと話すと一方的に振られた。

 彼女から最後に言われたのは「仕事を変えるなんて聞いてない」という言葉だった。


 その電話を受けた時、悠木は出先だった。どうやって知ったのかと疑問に思ったが、もう一度彼女と話をしたいと急いで仕事を片付け、彼女の職場に向かった。

 そこで彼女が友人と歌舞伎町へ飲みに出かけたと聞いて、馴染みの店を一軒一軒当たっていた所、悠木の同僚と腕を組んで歩く彼女を見つけたらしい。

 もうすぐ終電もなくなるというのに、二人がホテルに入っていくのを見て、同僚が話を漏らしたのだと気づいたそうだ。


「それはまた……辛かったでしょうね」

「今となっては感謝してますけどね。元々その同僚は彼女のことが好きだったみたいで、奪う機会を狙ってたようですし。彼女にとっても、同じ仕事をしていれば誰でも良かったみたいですから」


 その同僚とは後日喧嘩になったが、結局彼女が選んだのは悠木ではなく彼だった。電話もメールも、悠木からの何もかもを無視した上で、彼女は年明けには同僚と婚約を結んでいた。

 しばらく悠木は引きずっていたが、後ほど人伝に彼女が「田舎に引っ込む相手なんかについて行きたくない」と言っていたと聞いて、諦めがついたのだという。彼女は元々派手好きだったから、そう言うのも納得だ。当初抱いていた悠木の懸念は当たっていたというわけだ。


「そんな……」


 酔って涙腺が緩んでいるのか、話を聞いていた葵の目から涙が溢れた。悠木は苦笑して、ハンカチを差し出してくれた。


「すみません、気を使わせてしまいましたね。あなたを泣かせてしまった」

「いえ、こちらこそごめんなさい。私が泣くなんておかしいのに」

「そんなことはありませんよ。むしろ嬉しいです。代わりに泣いてもらえて。でも、僕はもう吹っ切れてるので大丈夫ですからね。あれは良い経験でした。今はカフェを成功させて、いつかあの二人を見返してやろうって思ってるんですよ」


 カフェの名前をCarol(キャロル)にしたのは、聖歌や讃美歌が好きだったという理由もあるけれど、あの日の経験をバネに頑張ろうと、忘れないためにあえてそうした部分もあると悠木は語る。

 クリスマスの嫌な思い出を、楽しい思い出に塗り替えたいという思いもあったという。


「まあ、なかなか難しいんですけどね。店はあんな状態ですし」

「そんなことないです。昼間も言いましたけど、きっと悠木さんならあのお店をもっと素敵に出来ますよ。私も応援しますから」

「ありがとうございます。でもおかしいな。牧原さんを慰めてたつもりが、いつの間にか僕の方が励まされてしまいました」

「そんなことないですよ。私だけじゃないんだって、思えましたから」

「そう言って頂けると救われます」


 わざわざ悠木が辛い過去を話してくれたのは、間違いなく葵を励ますためだろう。その気持ちをきちんと受け取ったと微笑めば、悠木も笑い返してくれた。


「牧原さん、よければもう少し飲みませんか。辛いことなんて、パーッと騒いで忘れたらいいと思うんです」

「いいですね、ぜひ」


 何の因果か、同じようにクリスマスイブに振られた者同士だ。傷を舐め合ったって良いだろうと、酒で気の緩んでいた葵は頷いた。


 悠木の行きつけだというバーに行く事になり、二人で店を出ると雪はだいぶ小ぶりになっていた。とはいえ夜も遅くなり、路面は凍って滑りやすい。フラついた葵の手を、悠木は握って支えてくれた。


「そうだ、これからは葵さんと呼ばせていただいてもいいですか?」

「いいですよ。じゃあ、私も(ひじり)さんって呼びますね」


 さり気ない優しさを見せた悠木は、他人とは言えない距離になったからかそんな提案をしてきた。すっかり打ち解けていた葵は、互いに名前で呼び合う事も違和感なく受け入れる。


 歓楽街からほど近い半地下のバーへ入ると、二人はあれこれと話した。話題が豊富な聖との時間は楽しいもので、あっという間に時間は過ぎていく。

 聖とはこちらへ移住してきてからの知り合いだというマスターは、六十代の落ち着いた男性で様々なカクテルを作ってくれた。


 葵はかなり酔いが回っていたが、嫌な事を忘れるには丁度いい。好みの酒の話になり、聖がソムリエの資格まで持っていると分かって葵は感嘆しきりだった。


「ここはあまりワインは置いてないんだよね。家にはお勧めのワインもあるんだけど。葵さん、興味ある?」

「うん、飲んでみたいな。どんな料理が合うんだろう?」

「それは僕に任せてくれたらいいよ。料理の腕は信じてくれるよね?」

「それはもちろん。美味しいから、聖さんの料理」

「じゃあ……これから、うちに来る?」


 酒が進むうちに、互いの口調も親しいものになっていた。聖の大きな手が葵の手にスルリと重ねられて、ほんのり甘さを含んだ瞳で見つめられる。

 それが何を意味するのか、素面ならきちんと分かっただろうし躊躇いもしただろう。けれど酔いに酔って上機嫌になっていた葵は、聖の手は温かくて気持ち良いな、ぐらいにしか思わなかった。


「うん、行く。どこにあるの?」

「ここからそんなに遠くないよ。歩いて十分ぐらいだから、行こうか」


 店に来た時は、ただ支えるために繋がれていた手は、帰りにはしっかりと指を絡めて繋がれていた。

 バスも地下鉄もなくなってしまった深夜、タクシー待ちの列を横目に、葵は導かれるままに歩いて聖の住むタワーマンションへ入っていった。

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