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 悠木の経営するカフェはダム湖へ向かう道の途中、森の中に佇んでいた。

 木造平家の小さな家は落ち着いた雰囲気の日本家屋で、越屋根と呼ばれる二重の瓦屋根が可愛らしい。かつて悠木の曹祖父母が暮らしていたそうで、昔は納屋や畑があった家の前の空間が駐車場になっているそうだ。


 誘われた葵としてはてっきり悠木はオーナーで、店には従業員がおり営業中なのかと思っていたのだが、雨戸は全て閉まっているし看板も店の入り口も明かりがなく真っ暗だ。

 聞けば悠木一人で営んでいる店なのだという。鍵を開けて中へ入ろうとする悠木に、葵は慌てて声をかけた。


「あの、お休みだったんですよね? ご迷惑になるので私は」

「迷惑なんかじゃありませんよ。実はちょっと困ってたんです。今日はお客様が来ないうちに閉めてしまったので」


 店名がCarol(キャロル)だから、悠木はクリスマスイブに向けて張り切って色々と準備していたそうだ。

 けれどこの雪のせいか昼時も全く客足はなく、早めに店仕舞いをしたんだとか。


「情けないですよね。こんな名前の店なのに」

「そんなことは……」

「なので、良かったら少し消費するのを手伝って頂けたら嬉しいです。この雪じゃ、明日も誰も来ないかもしれない。食材を無駄に捨てるのも勿体ないので」


 そうまで言われてしまえば断るのも逆に失礼だ。好意に有り難く甘えようと、引き戸を開けた悠木に続いて店内へ入る。

 入ってすぐは土間になっていて、正面奥には純和風といった外観からは想像も出来ないほど立派なクリスマスツリーが飾られていた。


「わぁ……すごいですね」

「店の名前がキャロルなので、これだけはシンボルとして年中飾ってるんです。さすがにオーナメントはこの季節だけですけど」


 キラキラしたモールもあるけれど、所々に縮緬の人形なども吊るされている辺り、少しでも和風を取り入れようとしたのだろうか。

 ツリーに飾られているのと同じ物は販売もしているようで、土間の壁沿いに置かれた棚に陶器製のサンタの置物などと一緒に行儀よく並べられている。


 客席は入って左側。柱だけを残して壁は全て取り払い、元は畳だったのを全面板張りにリフォームしたそうで、土足で入っていいらしい。

 今は雨戸が閉まっているけれど、表からも見えた縁側の方に四人がけのテーブルが二つ、中央に二人がけのテーブルが四つ。縁側と逆側に厨房に面したカウンター席が五つある。

 テーブルは重厚感のある焦茶色のもので統一されているけれど、椅子の形状は全てバラバラだ。ただ、どれも座り心地が良さそうなソファで全体的には不思議とまとまって見える。


 そんな中で悠木は、カウンター席の一番奥の椅子へ葵を促した。


「断熱材なんかも入れたんですけど、温まるのに時間がかかるんです。寒いので、こちらへどうぞ」


 客席の一番奥の壁には、大きな暖炉があった。この家には元々囲炉裏があったけれど客席の都合上取り除いたそうで、その代わりに暖炉を設置したらしい。ヒイラギのリースが可愛らしく飾られている。

 暖炉脇には当然のように靴下がぶら下げられて、梁が剥き出しになっている天井を見上げればヤドリギを球状にしたKissing(キッシング)Ball(ボール)まであった。


 店内のどこを見てもクリスマスにかける情熱がヒシヒシと感じられて、これで当日に客がいないなんてさぞ辛かったろうと、思わず同情してしまう。


「コーヒーと紅茶、どちらがいいですか? お勧めはカプチーノなんですけど」

「じゃあ、カプチーノで」

「かしこまりました」


 手際良く暖炉に火を入れると、悠木はカウンターの向こう側へ立った。コーヒーはミルで丁寧に豆を挽き、サイフォンで。エスプレッソはレバー式のマシンで淹れてくれるらしい。


 いつの間にスイッチを入れたのか、店内に聖歌(キャロル)が静かに流れる。

 車中でも流れていたから尋ねてみると、悠木はクリスチャンではないけれど昔から聖歌や讃美歌が好きだったらしい。大学時代にはグリークラブに所属して自身も歌っていたそうで、店名の由来でもあるのだと教えてくれた。


 美しい歌声に耳を傾けながら、葵はカウンター席に置かれている手書きのメニューを手にする。ツリーにも飾られていた縮緬の人形が支えていたそれは、可愛らしいフォトブックのような形状だ。

 一つ一つ美味しそうな写真付きで、パニーニやパンケーキなどの軽食はもちろん、パスタやピザなどの食事系、さらにタルトやパフェなどデザートまで載っていた。


「すごいですね、こんなにメニューがあるなんて」

「基本がイタリアンなので、お客様には驚かれるんですけどね。和食だと思われるみたいで」

「あー、分かります。外とだいぶ違いますもんね」


 店名が横文字でも、外観は完全に和風建築だ。イタリアン好きな客層は忌避しそうではある。店内を見てしまえば、全く違和感はないのだけれど。


「元々僕はイタリアンの店を出したかったんです。そこにこの家を取り壊すって話が出たので、どうしても残したくて」


 曹祖父母が存命の頃、悠木は大層可愛がられたそうだ。たくさん思い出の詰まったこの家を、形だけでも残したかったらしい。

 イタリアンの店として始めても良かったけれど、市中心部からはあまりに離れている。ダム湖へやって来る観光客も気軽に立ち寄れるようにと、カフェにしたんだそうだ。


 言いながら出されたカプチーノには、泡の部分に可愛らしい猫が描かれていて葵は目を瞬いた。


「ネコだ……」

「カフェをやろうって思ってから練習したんですよ。でもこの感じだと、和食の練習をした方が良かったみたいですけど」


 自嘲気味に言いながら、悠木は一人前の小さなタルトも出してくれた。クリスマス仕様らしい金粉の振られたチョコタルトは濃厚で、ほろ苦いカプチーノとよく合った。


「すごく美味しいです。タルトも手作りですか?」

「ええ、生地から作ってます。パスタも手打ちなんですよ。良かったら食べます?」

「ご迷惑でなければ、ぜひ」


 悠木が手早く作ってくれたのはカルボナーラだ。モチモチした手打ち麺が濃厚なクリームによく絡んでいて、イタリアに行った事なんてないけれど本場の味なのかなと葵は思う。

 味見にと、モルタデッラというピスタチオと黒胡椒の入ったイタリアンハムとチーズを挟んだパニーニまで出してもらって、昼食を食べそびれていた葵はペロリと平らげてしまった。


「勿体ないですね……」

「え?」


 食後にもう一杯と出されたコーヒーを飲みつつ、思わず漏らした一言に反応を返され、葵は言うべきか迷ったが思ったままを口にした。


「だってこんなに美味しいのに。きっとイタリアン好きな人は喜びますよ。ここまで本格的な味って、市内でも珍しいと思いますし」

「そうでしょうか。半年粘ってダメだったので、年明けからはメニューの変更も視野に入れてたんですけど」

「え! そんなのやっぱり勿体ないですよ! これしか食べてないのに何を分かるって感じかもしれないですけど、こんなに美味しいんだからきっと他のメニューも美味しいんだろうなって思いますし。それに店内だって、こんなに素敵じゃないですか。ここにお味噌汁とか煮物の香りがしたら、やっぱりなんか違うと思うんです!」


 暖炉の炎だけでなく程よく配置された間接照明に照らされた空間は、立地が郊外の森という事もあり非日常を感じさせる。そこに家庭の匂いが混ざったら、台無しになってしまうような気がする。

 百歩譲って抹茶ケーキや抹茶パフェならまだ許せるかもしれないけれど、このお店に和定食なんて絶対に似合わない。


 そう力説しているとポカンとした悠木の顔が目に入って、葵はハッとして口を噤んだ。


「あの、ごめんなさい。勝手なことばかり言って……」

「……っ、ふふ、ははは」


 葵が真っ赤になって俯くと、悠木は噴き出した。笑い声がいつまでも止まないので、気まずい思いはますます増していった。


「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」

「いや、すみません。まさかそんな風に言ってもらえると思わなかったので」


 居た堪れない気持ちで顔を上げると、悠木は目尻に滲んだ涙を拭い微笑んだ。その笑顔があまりに綺麗で、葵の胸がドキリと鳴った。


「一生懸命作った店を褒めてもらえるのは嬉しいですね。ありがとうございます」

「いえ……」

「もう少し、考えてみます。頂いたご意見を参考に」


 思いの外真面目な顔で言われて、葵は高まる鼓動を必死に抑えた。


「そうして下さい。こういうギャップもいいと思うんです」

「ギャップ、ですか」

「外は和風だけど中は洋風でイタリアン。素敵じゃないですか。ちょっと違うかもしれませんけど、大正ロマンとかもありますし、何より料理が抜群です。一度食べてもらえたらリピーターは必ずつくと思うんです」

「そうですね。確かに気に入って繰り返し来てくれるお客様はいらっしゃいます」

「だから私、宣伝しますから! こんな美味しいお店があるんだって」

「ありがとうございます。僕も頑張りますね」


 ついまた力強く言ってしまって、しまったと葵は思ったけれど、悠木はフワリと柔らかに笑むだけだった。

 照れくさくなってしまって視線を逸らした所で、葵のスマホが鳴った。


「あ、すみません。電話が」

「どうぞよろしければ、そのままお出になって下さい」


 電話はロードサービスからだった。もう三十分もすれば着くと言われて、そんなに時間が経ったのかと葵は驚いたけれど、時計を確認すればまだ三時間程度経った所だ。予定より少し早めの連絡だったらしい。

 何でも、近くで別の救援依頼もあったために作業員が立ち寄れる事になったんだとか。


「良かったですね、早めに来てくれて。車まで送りますよ」

「すみません、何度も。本当に助かりました。あの、お代は」

「いりません。牧原さんにはたくさん助言を頂きましたし」

「あの、でも」

「どうしても気になるなら宣伝代ということで。もちろん無理にとは言いませんが」


 どうあっても悠木は受け取ってくれそうにない。葵は苦笑して頷いた。


「分かりました。たくさんお客さんを呼べるように頑張りますね」

「牧原さんのご紹介の方には何かサービスもお付けしましょう。何がいいかな」

「それはやり過ぎですよ。プレッシャーにもなりますし、そんなに期待しないでください」


 散々な目に遭ったけれど、悠木のおかげで変に落ち込まずに済んだ。早く帰れる事に喜ぶべきなのに、何となくこの時間が終わってしまうのが惜しいと思うほどリラックスしていた事に気が付く。

 これも悠木が心を砕いてくれたからだろう。社交辞令ではなく本心から、またこのお店に食べに来たいと思う。

 身も心も温かく過ごせた事に感謝して、葵はカフェを後にした。

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