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他の連載の息抜きに書いていくので不定期更新になります。
プロットは最後まで出来てるので、二月までには完結させたいと思います。
よろしくお願いします。
ホワイトクリスマスはロマンチックの代名詞のように言われるけれど、生まれも育ちも雪国な葵としては馬鹿じゃないのかと思う。
特に今日みたいな突然の大雪の中、車も滅多に通らない田舎道でエンストなんか起こしたら尚更だ。
クリスマスイブといえど平日なら社会人は普通に仕事なわけで、保険会社の営業をしている牧原葵は市郊外に住む客先へ出かけた帰りだった。
朝から降り出した雪は分厚く積もり、政令指定都市とはいえ外れの方に行けば除雪の優先度は下がる。長年の運転経験の賜物かスリップこそしなかったけれど、車の方が坂道には耐えられなかったようで黄色い軽の社用車はうんともすんとも言わなくなった。
どうにか路肩に寄せてハザードランプを付け、ロードサービスに電話するも、困っているのは葵だけではないらしい。
大雪のせいで出動要請が相次いでいるため、早くても四時間後の到着になるだろうとの事。後ほど連絡するから、車を離れてもいいので凍死しないよう暖かい所で待ってほしいと言われてしまった。
冷たい雪の中、指示通り三角形の停止表示板を出して、とりあえず再び車内へ戻る。
まだ昼下がりではあるものの、ロードサービスの到着を待って復旧して会社に戻って書類を片付けて……となると、どう考えてもディナーの予約に間に合わない。
「ああ、もう。マジか……。康平、怒るだろうなぁ」
深いため息を吐きつつ、大学時代から付き合っている彼氏に電話をかける。例年、彼の家でイブの夜を楽しんできたけれど、今年は珍しくクリスマスディナーの予約をしてくれたから葵も楽しみにしていた。
それどころか、三歳年上の康平は最近何となく結婚を意識している様子だったから、もしかしたら今日あたりプロポーズされるかもと内心期待してもいたのだ。
今夜のために気合いを入れて色々と準備していたのに、こんな事で台無しになるとは、何ともツイてない。
それでも不可抗力だし、こればかりは仕方ないだろう。普段は手厳しい彼だけれど、今日ばかりは不運な恋人を慰めてくれるかもしれない。大好きな彼に電話越しでも慰めてもらえたら、心ぐらいは温かくなる。
そう思って電話したのだが。迎えた結果は思いがけないものだった。
「はぁ⁉︎ キャンセルって本気で言ってんの?」
「だって四時間かかるって言うし、車は放置出来ないし」
「そもそも何でイブなのに、社外の予定入れてるんだよ。こうならないように出来たはずだろ? 昨日から天気予報だって注意喚起してたんだからさ。まさか四年目なのにニュース見てないとか言わないよな?」
「もちろん知ってたよ。でも田中さんは高齢で、息子さんがいないと決められないって言うし、今日しかないっていうからずらせなくて」
「ていうか、三年経ったら辞めるんじゃなかったのかよ。残業が多くて辛いって言ってたくせに、いつまでしがみついてる気なの? 疲れてるからって最近はデートも断るしさ」
「それはごめん。ただ私は」
「もういいよ。お前とはやっていけない」
「え? それってどういう……」
「いい加減ウンザリなんだよ。仕事熱心な嫁とか、俺はいらないわけ。控えめで大人しい所が好きだったのに、ドタキャンとかマジあり得ねえ」
「そんな……」
「俺は来年三十だし、先の見えない相手なんかにこれ以上構ってらんないんだ。別れようぜ、俺たち」
「え、嫌だよ! 悪い所は直すから、そんなこと言わないで!」
「煩い! 葵とは二度と会わない! じゃあな!」
「待って、康平! 康平⁉︎」
ブツリと一方的に切られて、慌ててかけ直すも出てもらえない。急いでアプリを立ち上げてメッセージを送っても、既読すら付かない。
「まさかブロックしたりしてないよね? 嘘って言ってよ……」
結局いくら足掻いてみても、無駄に電池が減るだけだ。いつの間にか車は雪に覆われていて、吐く息も白く冷たい。
康平は一度言い出したら聞かない所があった。感情的になって思わず言ったのだとしても、プライドも高いから撤回するようにも思えない。本当に別れる事になるのだろう。
「もうヤダ。なんでこんな目に……」
大雪の中、エンストで立ち往生してしまった挙句、恋人に振られるなんてどれだけ不運なのか。今日はクリスマスイブだというのに神様は残酷だ。一体自分が何をしたというのか。
あまりの辛さにハンドルに縋って額を押し付ければ、きちんとまとめていた髪の一部が解けて頬に落ちた。
彼が好きだと言うから伸ばしていた髪は、本当ならディナーに行く前にアイロンで巻く予定だった。会社のロッカーにはコテだって持ち込んである。
もはや無駄になってしまった様々な事を思い出し、目にジワリと涙が滲んだけれど、ここで泣いたら化粧が落ちる。
まだ仕事の途中だし、ロードサービスだって待たなきゃいけないのに、涙でドロドロの顔になってもこんな状況じゃ満足に化粧も直せない。そもそも泣いた後に外へ出たら顔が凍りそうだ。
必死に堪えて鼻を啜るに止め、少しでも気持ちを誤魔化そうと、どこで待つか考える。
ここは森の中を通る市道だから、近くに休める場所なんてない。民家以外で一番近いのは森を抜けた先のコンビニだろうけど、この雪で歩くのは無理すぎる。
タクシーでも呼ぶしかないかと改めてスマホを掴んだ所で、不意にコンコンとドアを叩かれた。
「誰か乗ってます? 大丈夫ですか?」
「えっ、あ、はい! います!」
慌てて外へ出てみれば、温かそうな黒いダウンコートを着込んだ男性が立っていた。見た感じ、三十代前半という所だろうか。落ち着いた優しい雰囲気の男性は、心配そうに眉根を寄せていた。
「故障ですか? 何かお手伝い出来ることはありますか?」
まさか人が通りかかるとは思わなかったけれど、心配して声をかけてくれたらしい。神は見捨てなかったと、無宗教なくせに感動してしまう。
「ありがとうございます。ちょっとエンストを起こしちゃって」
「エンストですか。大変でしたね」
「はい。ロードサービスに連絡はしたんですけどこの雪ですから、来てくれるまで時間がかかるみたいで。この先にコンビニってありましたよね? そこで待とうと思うんですけど……良かったら乗せてもらうことって出来ませんか?」
葵の車の後ろには、男性の車だろう鮮やかなブルーメタリックのランドローバーが止まっていた。
なぜこんな道を通ったのかは知らないけれど、大して車に詳しくない葵でも分かるほど見るからに頑丈そうな車だ。葵の車が止まった時よりずっと雪は積もっているけれど、あれならスリップもエンストもせずに走れるだろう。
初対面で図々しい頼みだとは分かっているが、出来るだけ早く暖かい場所へ行きたい。タクシーを呼んだとしても、この雪ではいつ来てもらえるか分からないから。
一縷の望みを託して言ってみれば、男性は葵の思ってる以上の返事をくれた。
「もちろん構いませんよ。ただ、もしよければ僕の店に来ませんか」
「お店ですか?」
「僕はカフェを経営しているんですけど、ここからならたぶんコンビニより近いので。救援が来るまで何時間でもいて頂いて構いませんし、暖かい飲み物ぐらいお出し出来ますよ」
ニッコリ笑いながら差し出された店の名刺には、「古民家カフェCarol」と書かれていた。裏面に書かれた地図を見れば、確かにここから近い。
「こんな所にカフェなんてあったんですね……」
「ご存知なくても当然かと思います。半年前にオープンしたばかりなので」
今日行った客先である田中さんの家とは、途中で左右に道が分かれている。カフェがあるのはダム湖へ向かう方へ曲がった先だから、気付く事もなかったようだ。
コンビニで何時間も立ちっぱなしで待つ事を考えたら、カフェでのんびり座って待った方が何倍も良い。それに田中のおばあちゃんの所には、また年明けに伺う事になっている。近くに出来た新しいお店なら話題にも出来るだろう。
「ご迷惑じゃなければお願いしてもいいですか?」
「迷惑だなんて。まだお客さんが少ないので、僕としてはお試しに来て頂けるだけで嬉しいですから」
そういう事ならと、葵は遠慮なく好意を受け取る事にした。
社用車に鍵は差したままにして鞄だけ取り出した葵に、男性はランドローバーのドアを開けてくれる。まるでお嬢様にでもなったかのような扱いに、思わず頬を染めてしまった。
「そうだ、僕は悠木聖といいます。あなたは?」
「牧原葵です。よろしくお願いします、悠木さん」
エンジンをかけっぱなしにされていた車内からは、美しいクリスマスキャロルが流れていた。
コートについた雪を払って乗り込んだ後部座席のシートは電熱で温められていて、座った瞬間からじんわりと伝わる温もりに自然と頬が緩む。
彼は運転席に座るとすぐに暖房を全開にした。
「寒かったでしょう。良かったらこれも」
車に常備しているのか、黒いブランケットを手渡される。細やかな気遣いはボロボロになっていた葵の心に沁み渡って涙が出そうになったけれど、これ以上迷惑をかけないようにと何度も瞬きをして必死に堪えた。
「ありがとうございます、助かります」
「いえ。では行きますね」
さほど広くはない道だけれど、悠木は器用に車を反転させて走り出す。雪に埋もれた社用車が遠くなるのを感じながら、とりあえず凍死せずに済んだと葵はホッと息を吐き出した。
疲れた体から力が抜けると、車内に響く天使の歌声も相まって現実味が薄れていく。この幸運は寒さが見せた幻覚なのではと考えてしまうけれど、こんな優しく暖かな幻ならそれでもいいかとも思う。
少なくとも葵にとって悠木と出会えたのは、天の助けに違いなかった。