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消えない傷痕

焼きついて、こびりついて、這いつくばって。

作者: 水紅

 私の頭には傷がある。


 それは小さな小さな傷で、数年たった今となっては視認も出来ないものだ。

 もう既に存在しないかもしれない。


 だが、その傷痕は間違いなくある。

 深く深く私を傷付け、今も尚私を蝕んでいる。


 そして、一生消えることはない。

 私は常に喰われ続ける。





 あれは小学校何年生の時だっただろうか。

 そもそも私は小学生の頃の記憶があまりない。ごっそり抜けているわけではない。

 まるで虫食いに食われたかのように、所々の断片しかないのだ。


 事故に遭ったとかではなく、自然に強制的に私の頭が私の預かり知らぬところで勝手に排除したのだ。

 それはよくある防衛反応というヤツで、人間は嫌な記憶というのは都合良く思い出せないようになっているらしい。


 そして、私の場合はその防衛反応が恐らく他の人よりもよく働いていた。

 小学校三年から五年までのおよそ三年ほどの記憶はボロボロの布切れのようで、私に思い出させることもさせようとしなかった。


 思い出そうとして僅かな糸口からゆっくりゆっくり手繰り寄せようとしたこともあった。

 しかし、それはその時はほんの僅かに私に当時の記憶を蘇らせても、次の日にはまた固い扉の向こうに葬られた。


 こんなことに何の意味があるのだと思い、それは直ぐに辞めた。



 しかし、人の身体というのはそこまでよく出来た代物ではない。

 私にとって一番忘れたい記憶というものは、私の脳に体に心臓に、焼きついて、こびりついて、這いつくばって、傷痕を残して見せた。


 全く厄介である。人間というモノは。




 そうそう、その一番忘れてたい記憶というのが、私の頭の傷だ。

 なんてことはない。それは母によってつけられた傷だ。


 虐待?いいや、違うよ。これは虐待ではない。


 偶々だったのだ。本当にそれは偶然の産物でしかなくて、私はそんな偶然によって頭に傷をつけた。


 いつものような朝。

 いつものように学校に行く準備をして。

 いつものように朝ご飯を食べて。

 そして、いつものように私がご飯を食べるテーブルの両サイドで、両親が互いを罵り合っていた。


 そう、いつもの光景だ。

 多分、二人はかなりの声量を出していたのだと思うけれど、私にとって当たり前過ぎて、それはあまりに日常的だったものだから、私は二人が何を言い合っているかなんてまるで気にしていなかった。


 騒がしいことには慣れていた。

 学校でもクラスの男子はサルみたいにキーキー喚いていたものだから、私はそんな当たり前のことに露ほども興味を抱かなかった。


 だって、そうだろう?

 人は何故ご飯を食べるのか、そんな疑問を友人からもたらされたら貴方はどう思う?


 答えは一つ。


「どうでもいい」


 そう、どうでもいい。そんなことに態々(わざわざ)頭を捻る人はほとんどいない。

 追求したところで、大して面白くもない。

 どうでもいい。


 だから、私は両親二人の会話という名の罵倒大会に挟まれいても、いつも通り普通に過ごした。

 ただ、そこにある空気のように、存在感を主張せず、淡々と箸を動かす。


 それは私が私を守る唯一の方法で、そうすることで私はこの醜悪でどろどろとしたヘドロのようなモノに巻き込まれずに済むと信じていた。



 しかし、偶然は起きた。

 それは本当にただの偶然で、ほんの少しでも何かが違っていたらきっとそれは起こらなかった。きっと、そうだ。


 でなければ、いつものように罵り合っていた両親が段々ヒートアップして、テーブルの上にあったコップを父が母に投げつけ、それに怒った母が投げ返したコップが私の頭に降ってきたこと全てが、まるで運命だったかのようじゃないか。


 偶然でなければ、それは必然で、必然は運命で、夫婦喧嘩に巻き込まれた娘が頭に傷をつけたことが、運命だったなんて私は認めない。



 そんなことはあってはいけない。


 そんな理不尽は、不条理は、悪はあってはいけない。


 許してはいけない。



 だから、これはただの偶然だったのだ。ほんの少し何かが違っていたならば、きっと違う未来があって、私は選択を間違えただけなのだ。


 違う選択肢を選んでいたなら、きっとそこには家族で笑い合う未来もあった。きっと、そうだ。




 きっと、そうだ。



 あの時、私がご飯をもう少し早く食べ終わっていたなら。

 あの時、私があのテーブルでご飯を食べていなければ。

 あの時、私がいつもより早く起きていたならば。



 きっと、こんなことは起こらなかった。



 あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時。あの時……









 高校生になった今、私の頭にあった傷はきっともうない。

 だが、しかし、傷痕は確かにそこにある。


 両親が離婚して、母と二人暮らしをしている今も、傷痕はじくじくと痛み、私を蝕む。


 それは、きっと一生消えることはない。

 それは、私が選択を間違えた結果であり、罪だ。


 私の罪でもあり、母の罪でもあり、父の罪でもあり、きっとこの世界の醜悪でどろどろとしたヘドロのようなモノの一部で。



 焼きついて、こびりついて、這いつくばって。

 私は常に喰われ続ける。


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