月光に煌めいた刃
夜闇に紛れた少女は自分の背丈の二倍はあろうかという太刀を、腰にかけていた。
するり、限りなく無音のまま、鞘から太刀を抜く。
まだ十三か十四を迎えたばかりの少女の細腕では、構える事さえ難しそうに思えたが……軽々と、まるで筆を持つように片手でそれを持った。
無感情な眼差しで見据えるのは、前方に立ち塞がる雨が降ってる訳でもないのに、黒い雨合羽を目深に被った、夜闇に溶け込みそうな人物。
左右の手にはそれぞれ細身のナイフが握られており、右手のそれは逆手に構えている。
殺意は目を見ずとも十分。
シンと静まった廃工場では、火蓋が今にも切られようと、ぴりぴりと空気が張りつめている。
……動いたのは、雨合羽。
朽ちた屋根から差し込む月光が闇の中を蠢いた二つの刃の軌跡を描かせる。
逆手に握られた刃は撫でる様に少女の喉元を滑り、突き刺そうと迫り出した刃は内臓を裂こうとするが、一つは後ろへ下がり、一つは左手でいなされる。
次に、逆手の刃をそのまま刺す為に右腕を伸ばす、けれど少女がくるりとその場で素早く回転、制服のスカートを締め付け、外れない様に括られた長い鞘が、雨合羽の右手を強く打ち付ける。
手放したナイフには目もくれず、一歩足を進ませ、その勢いのまま左手のナイフに体重を乗せ、突進する。
――けれど、何かに気づいた雨合羽は、ナイフを引っ込ませ、その上体を水平線近くにまで下げる。
ふっ、と間髪入れずに雨合羽の上体僅かに何かが通過した。
雨合羽は攻撃を一度やめ、吹っ飛んだナイフを拾う為に飛び退き、少女へと目をやる……初めてだった。
雨合羽にとって、自分が『死』の恐怖を感じたのは。
いつもならば、自分が『死』の恐怖を与えているというのに。
――――少女は、笑っている。
ほぼ音もなく、力むこともなく、横に振るわれたであろう太刀を持って。
「案外、お利口さんなのね」
少女の笑みに、背中に広がる恐怖と嫌悪は、あまりにも不快なものだった。
けれどそれを振り払う様にナイフを持ち替え、飛び込むと刺突を繰り出した。
「ふふ」
太刀の鍔を切る切っ先、太刀の腹を擦って上げる金切り声にも、少女はふっと微笑む。
当たれば少女の制服を、その柔肌を、そのしなやかな筋肉を、その細い骨も全て切る事ができるのに。
いや、焦るな。雨合羽の自分勝手な心が諫める。
わざわざ自身の優位性を切り捨てる必要はない、と。
常人では追うことすら敵わないナイフの刃を二度、横に振った。
どうせ当たらない――ただの牽制だ。
少女は後ろへ一歩下がったその時を狙い、雨合羽は後方へステップを行った、もう一つのナイフを自身の手に戻す為に。
「お猿さんぐらいには考えられるのね」
それに気づいた少女は、一瞬だけ驚いた様に言う。
雨合羽は……内心、勝てた、と喜んでいた。
理由は一つ、目前に立つ少女がわざわざ最初に二つあるナイフのうち、一つを飛ばした事だ。その真意は、勝てないから。
だから自分の手数を、戦力を削った――――そう考え付いた。
落ちていたナイフを暗闇の中、迷わず拾い上げると、雨合羽は意気揚々と構えた。
……少女の動きから一瞬目を離していた事に、なんの警戒も行わず。
「所詮、お猿さんだけれど」
耳元、いや眼前には太刀を上段に振るおうと少女が迫って来ていた――――咄嗟にナイフ二つを盾にしようとするが、彼女のあまりの怪力にことごとく破片と化した。
――逃げなければ――そう過るが、既に遅い。
「貴方は逃げようとしたか弱き女子供に泣き喚かれて、逃がしたかしら」
笑みしか浮かべていなかった少女の顔に、明確な怒りと憎悪が滲んでいる。
そして、目にも留まらぬ速さで振るわれた太刀と少女の一歩……彼女は遠く……雨合羽の後ろを蠱惑的な素足を露出させながら歩いていた。
太刀は――――鞘に納められている。
「貴方が逃がさないように、私も逃がさない」
ただ、廃工場の闇で立ち竦んでいた雨合羽――――やがて、少女の耳に何かが倒れる音だけが、届いた。