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#2「明日からもよろしくお願いします」


 あの場を何とか乗り切った俺は、自分の部屋に戻らず、部屋の前にあるアパートの鉄製の落下防止柵にもたれかかって、さっきのことを思い返していた。

 柵の下には舗装されている道路が続いていて、道路の脇には電灯が点々とついているのが見える。日本の、ある程度発展した町ならどこにでもあるんじゃなかろうか。

 千歳さんに呼び出されているため、本来ならすぐにでも向かうべきなのだが、この何処にでもある光景と冷たい夜風に当たって気持ちと体を冷ましていたかったのだ。

 正直な所、どうしてこんな場所に彼女が居て、俺が彼女の部屋に入ってしまって……。訳の分からないことが起きすぎて、まるで現実の話ではないかのように感じてしまう。

 まさに、大きな事件に巻き込まれた直後、自分の身に起きたことが信じられないそれだった。

 彼女に触れられていたはずの肩に手を伸ばす。そこには風で冷えただけにしか思えない肩しかなかった


 ――殺されかかった……、んだよな。


 命を落としかけたはずなのに、それすらも曖昧な感覚の中に溶け込んでしまっていた。

 現実とは思えない事件は置いておいて、これからやらなければいけないことを考えると、気が重たくなるばかりだった。


「行かないとだめだよなあ」


 そう、結局のところ、俺は事情を全て把握しているらしい大家さんに呼び出しを食らっている。

 何をされるかなんて考えるだけでもどんどん思考が悪い方向へ向かってしまうのに、どう考えようとたどり着くのはマイナスイメージばっかりだった。

 良くてこの部屋からの退去。事情が事情なだけに、最悪この世からおさらばになるかもしれない。

 バカな考えだと一笑に付したい気持ちはあるが、事が事なので頭の中をぐるぐると回り始めてしまう。

 あまりに悪い考えばかりが先行してしまうので、柵を支えにして組んだ腕の中に頭を突っ込む。

 ちょうど鉄の部分が額に当たって痛みを覚えるほど冷たくて、ちょっと落ち着いてくる。


 ――悩んでても、仕方ないか。


 まだ気は重たかったが、体をアパートの隣にある千歳さんの家に向ける。すると、囲いの前にアパートの方を――おそらく俺の方を見て手を振っている小さな子供のような影が見えた。

 ちょうど大家さんの家を囲っている塀の前あたり、電柱の光に照らされる場所。

 そこにはゴシックロリータと呼ばれるジャンルのドレスを身にまとった、背の小さな少女にしか見えない人が立っていた。

 絵面だけを見ると昔ネットか何かで見たホラー映画のワンシーンのようだった。

 ホラー映画と違うのは、相手の顔を知らないわけではないところだ。

 このまま相手を待たせるのは悪いと思い、階段を駆け下りて近寄っていくと、大きく振っていた手を後ろに回して恋人でも待っていたかのよに小首を傾げた。

 はたから見れば帰りを待ちわびていた妹に見えないことも無いのだが、彼女の事を知っている自分からすると、内心は口から心臓が飛び出てしまいそうなほど緊張するしかない。

 あまりに心臓がうるさいので息を整えてから声をかけることにした。


「大家さん、夜遅くにありがとうございます」

「にゃはは。そこまで硬くなる必要はないよ、才三くん。いつも通りいつも通り」


 幼女――千歳さんは朗らかに笑ってそう答えた。

 そう、この一見ゴスロリドレスに身を包んだ少女にしか見えないこのお方は、俺の住んでいるアパートの大家でもあり俺を呼び出した張本人の常盤千歳さんだ。


「い、いつも通りですか」

「あはは、やっぱり厳しい?」

「さ、さすがに事態が事態なのでちょっと……」

「ふっふっふ、君がいつも通りに接するのが無理なのは事が事ゆえに先刻承知。ならば僕の方から話題を振ろうじゃあないか、少年」

「えっと、お願いします?」

「にゃはは、ごめんごめん、分かりにくかったよね。まあ、ほら。ここで立ち話をしてるとすぐに体が冷えちゃうからさ。お仕事中だったから戸があけっぱなしで今は吹き抜けだけど、家に上がっていって」

「あ、はい。お邪魔します」


 何をされるか戦々恐々としながらも、千歳さんに促されるがままに塀をくぐった。

 中庭に入ると、いつもは素通りしてしまうはずの庭に得も言われぬ違和感を覚えて立ち止まってしまう。

 視線を中庭に向けて見ると、もう冬のただなかに近い季節にもかかわらず、中庭は緑に溢れていて池に泳いでいる鯉までもが元気に泳ぎ回っていた。

 家主の苗字である常盤という文字の様に、まるで時が止まってしまっているかのようで……。

 ついついそんな景色に見入られて、池の方に意識が向いてしまう。

 どこで池の水を循環させているのか、心地よいともいえる水の流れる音が聞こえてきて、沈められている石に水滴が落ちる音に変わっていく。

 どこからそんな音が聞こえてくるのだろうか。

 探しに行ったりしても大丈夫なのだろうか。

 水の音がするから、池の中だろうか。

 ぼうっとそんなことを考えていると、手を叩いたときのようなパンと乾いた音が響いて、ぐいっと手を引かれた。

 誰だろうと引かれた方を見ると、千歳さんが介護士の様に俺の腕に手を回していた。


「ほら、気をつけてね才三くん。そっちに行くと池に落ちちゃうから」

「っ、え?」


 千歳さんにそう言われて自分が体ごと池の方を向いていたことに気が付いた。

 いつの間にそうしたのか。確かにこのまま進めば池の中に入ってしまうような立ち位置で、庭の石畳から少し道を外れていた。なぜ自分がこんなところに立っているのか把握できなくて困惑する。

 まるで、疲れていた時にコップを冷蔵庫に入れて、飲み物を机の上に出した時のようなそんな気分だった。


「えっと、俺は……」

「にゃはは、ごめんね。こっちだよ」

「あ、はい」


 そのまま連れられて彼女の家の方に向かうと、冬なのに雨戸が締め切られていない縁側と、いつも千歳さんが座っている居間に使っている和室の姿が見えた。

 他の部屋にもつながっていると思われる部屋の襖は閉じられていて、茶箪笥や、棚が置かれていて、自分の方から見える中央の奥にはテーブルが置いてある。その上には少々不釣り合いともいえる最新式のノートパソコンが置かれていた。

 こんな時間に千歳さんは何を見ていたのだろうか。そんな興味がパソコンの方へと向き、何を見ていたのかと画面に集中してみる。


「あ……」


 そこには先ほどの彼女――コルセア様の姿があった。

 正確には庭の方から見えるパソコンのモニターに映った姿だったのだが、つい先ほどの事――ライバーの姿そのままの彼女に押し倒された事を思い出すといろんな意味で緊張してしまう。

 驚いて千歳さんの顔を確認すると、俺の方を意地悪そうな笑顔で見ていた。


「ち、千歳さん。どうして……」

「ふふ、見たいかと思って」

「うっ」


 たしかにここに来いと言われてから、コルセア様の配信があるのは、通知が来ていたから知っていたけれど……。

 さすがに千歳さんに呼び出しを食らった以上、涙を呑んでこちらにきたのだ。

 何も言えずにいると、腕をするりと外されて背中から押されてしまう。


「ほらほら、まずは上がって。お茶入れてあげるから」

「は、はい。失礼します」


 また千歳さんに促されるままに家へ上がらせてもらい、パソコンが開かれているテーブルの前に腰を下ろした。画面に集中していると、急須を開ける音と「あ」と千歳さんが声をあげた。


「どうかしましたか?」

「ん、お茶が残って無かった。才三くんはコルセアちゃんの配信見てていいよ。ちょっと台所からお茶を取って来るから」

「あ、はい。お構いなく」


 千歳さんの言葉を聞きながらも、俺はついつい画面の中で動いている彼女を見つめてしまっていた。

 そこには間違いなくコルセア様――俺が推してやまないヴァーチャルライバーのコルセア様の姿があってライバーとして活動していた。

 千歳さんがちゃんと聞こえるようにしてくれていたスピーカーから彼女の声が聞こえて来て、動いている彼女のイラストと声に集中してしまう。

 時間こそ遅れてしまってはいたが。予定通りに雑談配信をしているらしく、先ほど起きたことなど少しも感じさせない姿は尊敬すべき姿だと素直に感じた。

 いつも通りの彼女を見ることが出来てほっとする反面、これほどまでいつも通りだと配信してくれていると先ほどの事はやはり夢だったんじゃないかという思いがぶり返してくる。

 肩に痛みが走って、肩のあたりを自分で握ってしまっていることに気が付いた。

 ただ、あの時に感じた凍傷のような痛みはもうどこにも感じることはできなくて、代わりに彼女がつかんだ時に爪が引っかかってひっかいてしまったのであろう、切り傷のような痛みがかろうじて残っていた。

 これは間違いなく現実の――彼女につけられた傷だった。

 だけど……。

 もう一度、視界を画面に戻す。

 画面の先にはいつもの日常で見ていたコルセア様の姿がある。

 きっと、コルセア様は先ほどの事が起きたあの部屋で配信をしているのだろう。

 あそこで起きたことは――、いや、ここにこうして立っていることすら現実ではないのかもしれない。

 そんな自分でも嫌になるほど現実的な考えが浮かんできてしまう。

 正直な感想を口にすれば、彼女と出会えたことが、彼女と言葉を交えたことが夢だなんて思いたくない。

 だけど現実だと思える証拠がないのも確かなことなのだ。

 たまたま隣に住んでいたのがコルセア様の中の人で、その当人は人間ではなくて。人間ではないどころか、二次元の姿のままだった。

 こんな事実に直面すればするほど、現実とはまるで思えない事ばかりだ。

 普通に考えれば現実的な要素なんて欠片も存在していない。

 今思い出してみても、あの出来事はまるで夢の中にいるようで――。



「夢じゃないよ」



 隣からそんな声が聞こえて、心臓が思い切りはねた。


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