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#1-4


 どちらかの呼吸する音が耳朶に溶けていった。

 この呼吸音は俺のだろうか。それとも目の前の彼女だろうか。

 あれからどれほどの時間そうしていたのだろう。

 たぶん、俺の意識が宇宙の彼方に飛んで行っていただけで、数秒もたっていないのかもしれない。もしかしたら数時間も立っていたかもしれない。

 ただ、相も変わらず仰向けに倒されてしまっていて身動きが出来ずにいた。

 もう一度、自分の上にまたがっているはずの彼女に目を移す。

 そこには俺の女神ともいえる、推しのライバーであるコルセア様とうり二つの人が座っていた。

 画面の中と同じように、彼女の髪は銀というよりは白い髪の色をしていて、影になっている場所は青白く光ってまるで氷山の様に輝いていた。

 手入れをサボり気味にしているのか、それとも彼女の髪の毛の癖なのか。腰まである長い髪の毛先がパサついていて、思わず櫛を通して見た目を整えてあげたいという欲求に駆られる。

 髪の毛に視線を奪われていると、自然と彼女の頭の方に視線が向いた。

 こめかみの上のあたりから後頭部の方に向けて、髪と同じ色の角が二本生えていた。

 シャツの裾からは同じ色の白い甲殻やうろこに覆われている四肢と青い下着が垣間見えた。元々の彼女の色なのだろう、甲殻やうろこの隙間は髪の影と同じように青白く光っていた。

 ブルーライトに照らされている天井や壁をバックに、彼女に合わせて特注で作られたのではないかと思うシャツの隙間からは、甲殻や髪と同じ色の羽と尻尾も見えて、ゆらゆらと影と共に揺れていて、本当に血の通っているようにしか見えなかった。

 そんな彼女が険しい顔をして、自分の事を見下ろしているのだ。

 これはいったい何の冗談か。それとも質量をもった妄想か。

 とにかく、コルセア様を推している俺からしたら、夢のような光景であるのは間違いなかった。

 つい彼女の姿に見惚れていると、自分の翼と尻尾が見られていることに気が付いたのか、彼女はちらりと自分の背の方へ視線を向けると、自嘲気味に笑うのが見えた。


「やはり人間たちにはこれが珍しく映るか?」


 いまだに半信半疑だったけれど、もう一度彼女の声を聞けた俺は確信する。

 何度も――、それこそ、次の日の耳に本当にタコができてしまうほど何度も聞いた彼女の声。

 彼女の格好がコスプレだったとしても、本物の彼女の肉体だったとしても。今、俺の耳に聞こえたこの声は間違いなくコルセア様本人の物だ。

 まったくもって信じられない事態だったけれど、彼女の姿はいつも俺が追っているバーチャルライバーのコルセア様その人であるのは間違いない。

 コスプレや、拡張現実なんかではない。本物の、俺と同じ世界で生きている彼女が今目の前に存在していた。

 これが現実なのだと頭で理解していくのと同時に、そんな憧れの人が吐息がかかってしまいそうなほど近くにあることを意識してしまって緊張で体が硬くなりそうになる。

 しかし、頬に昇ってくる熱量とは裏腹に、自分の腰当たりと彼女の表情はどんどんと冷たくなっていくのが見えた。


「すまぬ……。もし余の事が人間にばれてしまったら出来るだけ恩情なしに殺せと大家殿に言われているから……」


 殺せという不穏な単語に続いて、大家殿という言葉が出てきて、頭の中にはパッと千歳さんの顔が頭に浮かんだ。

 浮かびはしたが、なぜ話の流れで彼女の名前が出てきたのかさっぱり分からず、整理を始めていたはずの脳がさらに混乱した。


「覚悟は良いな?」


 コルセア様はそう言うと、押さえつけられた肩に重みがかかった。

 肩にはまるで冷たい水を浴びているかのようにじんじんとした痛みが広がり、腕を動かそうとして感覚がなくなり始めていて焦る。すぐにそれがコルセア様が触れている部分だということに気が付いて、その周辺も痛み始めていた。

 痛みの事を伝えようとして口を開こうとすると、凍傷のような痛みではなく、肩のあたりに体重がかかるような圧を感じる痛みを覚えて、声が止まってしまう。

 同時に自分を見下ろしているコルセア様の表情が険しくなった。

「こ、声を出すなと言ったではないか。なんだ、遺言か? それとも命乞いか? 残したい言葉があるのなら口にするとよい。伝えるのは難しいかもしれぬが……。余も尽力する」

 彼女はそう口にすると、肩にかかっていた痛みが和らいだ。どうやら、なにか言わせてくれるらしい。こういう場面で優しさがにじみ出ているのも、彼女らしいな、と場違いにもそう思った。

 しかし……。


 ――言い残すこと。あったかな……。


 遺言と言われてしまったので、ついつい思考が残す言葉はないかと考えてしまう。

 家族に……、はほとんど縁を切られているようなものだし、友人だってそこまで仲の良いと言える友人は居ない。大家さんに伝えるのも変な話だ。となれば、なにか言葉と残すとしたらライバーとして活躍している彼女に、だろうか。

 憧れでもある当人を目の前にして言い残した事……。何もないというのも味気ないし、何か言葉にしなければいけない。

 いったい何を言えばいいだろうか。

 段々と寒さが体全体に伝わってきて、指先がかじかんでくる。寒さで止まってしまいそうな思考の中で、何を伝えたいかを必死に考える。


 ――ああ、そうだ。


 彼女に。ライバーとしての彼女を見ていることを伝えられたらうれしいかもしれない。

 ぼんやりとしてきた頭で、そんなことを考えていると、「あっ」と声が上がった。


「すまぬ、あまり長引かせるとおぬしを苦しませてしまうな。すぐに終わらせてやるから……」

「あ、っ……ま」

「ん、なにか言いたいのか?」


 どうやらうまく発音が出来ていなかったらしい。聞き返しはされたが、律儀に恩情を掛けずに殺せというのを守ろうとしているのか、コルセア様が鋭い爪のついた腕を振り上げるのが見えた。

 今度は出来るだけゆっくりと、確実に言葉にしてみる。


「こる、せ、あ……。コルセア、様」


 なんとかそれだけ呟けたので、ほっとして目を閉じる。

 彼女が普段どう呼ばれているのかは知らないけれど、配信で呼ばれている時は大概様付けされているから、もしかしたら伝わるかもしれない。それで十分だ。

 それが遺言なのかと言われると自分で苦笑してしまいそうになるが、それ以外今思いつく言葉が無いから仕方がない。

 そう思って目を閉じていたのだが……。


「…………?」


 いつまでたっても痛みと思われる衝撃は襲ってこなかった。

 不思議に思って目を開けてみると、驚いた表情のコルセア様が自分の事を見下ろしていた。ただでさえ大きかったお姫様のような瞳はさらに大きく見開かれていて丸く光っていた。

 振り下ろされようとしていたはずの片腕も、天井から糸で吊り下げられているかのように動きを止めていて、羽と尻尾以外の彼女の背後を彩る影になっていた。

 どうして、止めてしまったのだろうか。

 自分が生きていることに困惑していると、彼女の驚いたままだった表情が徐々に悲しそうな表情へと変わって行って、心がざわついた。

 そして――。

 


「余を、知っているのか」

 


 たった……。たった一言。コルセア様が絞り出したかのような震えた声でつぶやいた。

 いつも画面で見ているイラストの表情とは違う。もっとリアルな、生物としての表情で言葉にされてしまって、思ってもみなかった言葉と表情に困惑してしまう。

 どうしてコルセア様はそんな顔をするのだろう。どうしてそんなに悲しそう声を出すのだろう。

 このまま自分をどうにかすれば、彼女は満足いくのではないのか。秘密を守ることもできるし、彼女も安心することが出来るはずなのに。

 なのに、なんで彼女はそんな表情をするのだろう。

 彼女が俺を殺そうとするなんて、おかしくないはずなのに。漫画でもこういった非日常に巻き込まれた一般人の行く末なんて考えるまでもない。よほどのことがない限り、行方不明扱いになって終わりだ。

 だけど、目の前の彼女は悲しそうで、とてもではないが、安心している表情ではなかった。

 もし、自分が原因でその表情をさせてしまっているのだとしたら――。



 それは耐えがたいほど嫌だった。

 


「っ……! こる、せあ様ですよね! バーチャルライバーの、この後も配信する予定だった!」


 今この場で醜く命乞いをしてると思われても、やっかいなファンだと思われてもいい。

 もし彼女が自分を知っていることに対して、何かしらの感情を持ってくれるのであれば、手を止めて自分の話を聞いてくれるかもしれない。

 必死に考えて、俺はそう口にしていた。

 思惑通り、再び動こうとしていたコルセア様が動揺したように動きを止めるのが見えて、自分の考えがあっていたこと確信する。

 そして、コルセア様が引き結んでいた口元を緩めると、小さくため息をついた。

 彼女の口元から、冷たい吐息が流れ込んでくるのを感じた。


「余がそう、だと言ったらどうする?」


 どこか諦めたようにそう言ったのは、俺の諦めの悪さに対してか。それとも彼女自身の性格の良さを自嘲しての事だろうか。

 どちらにせよ、この好機を逃すわけにはいかない。


「話を、聞いて欲しいんです」

「余に話を、だと……?」

「ああ、俺は、このことをばらそうなんて思ってないんだ。だから、話だけでも聞いて欲しい」

「……話すとよい。しかし、早急に話せ。でないと、苦しむのはおぬしだ。……余は助言はしたぞ」


 そう言うと肩にかかる重みがさらに軽くなりすっと、彼女が自分の腕を背中の後ろへ回したのが見えた。そのままコルセア様の顔が少しだけ遠ざかる。

 どうやら押さえつけられていた肩を解放してくれたらしく、軽くだが上半身を動かすことはできるようになっていた。

 警戒を強めてしまうと思い、すぐに体を起こさずそのままの体制で会話を続ける。


「ありがとう。俺は隣の部屋に住んでる恵。恵才三って名前で、このアパートの大家さんの千歳さんに頼まれてここに来たんだ」

「大家殿に頼まれた? どういう事だ」

「俺は最近ここに引っ越してきて、それで隣の人も一人暮らしだから、なにかあったら手伝ってあげてほしいって」

「なにかって……。ならなぜ、余の部屋に転がり込んできたのだ。しかも……」


 彼女はそこで言葉を切って、戸惑うようなしぐさを見せた。

 動揺したら式彼女の視線を目で追ってみると、ちらりと彼女のパソコンと思われるものに視線を向けているのが分かった。


「余の事を、ライバーのコルセア・ラ・ミナミ・モンテイジ・デ・ネージと知って来たのだろう?」


 そう言ってけげんな表情を見せたので、俺は慌てて彼女の問いに首を横に振った。

 確かに俺はコルセア様の事は死ぬほど好きだが、彼女のすべてを知ろうなんて思わないからだ。

 ネットにはある程度のルール、今ではほとんど忘れられてしまった言葉だが、ネットのエチケット――流行った当時ではネチケットという物があった。

 そのネチケットの中に、画面の向こう側の詮索をしない、という暗黙の了解がある。

 今でこそプライバシーを守るという行為は認知されつつあるが、ネットが流行しだした時代には、そんな了解なんてあるわけもなく、悪戯に悪用されることも多かったからだ。

 だからたとえ情報が出てしまっても、本人が望んだとしても。その情報を他人がむやみやたらに公開したり、利用したりしないというマナーが出来た。

 これ自体は善意のみの解釈で、もっと細かい事情もあるのだが……。

 でも、善意のみの解釈でも、そのルールを正しいものだと思うし、ライバー相手にも共通で存在するべきものだと思ってる。

 だから、彼女の事を知ったとしても、俺は自ら彼女のもとに突撃したりなんて絶対にしないと決めているのだ。

 天に誓って。

 いや、この場合は彼女に誓ってだろうか。


「誓ってコルセア様の部屋だとは知らなかったんだ。たしかに俺は千歳さんに隣人を気にかけてくれって言われてはいたけど……。でも、隣の部屋が俺の大好きなライバーのコルセア様だって知ってたら、部屋には入ろうとは思わなかった」

「大家殿に言われて……。そ、それよりも! 好き……、なのか? こんな余の事が?」

「もちろん! この状態で言っても嘘くさいかもしれないけど、初配信から全部追ってるし、今日やる放送も楽しみにしてた。頼まれれば今までの放送のまとめもあげられる」

「それで、余を知っていたのか……。なら、なぜ余の部屋に入って来たんだ? 頼まれたとはいえ、余の返事も聞かずに入ってくるのはおかしいぞ」

「それは俺も思う。ただ、今日帰ってきたら部屋のドアが開いてたから、泥棒が入ったんじゃないかって思ったんだ。それで心配になって中を覗いたらパソコンが付いてるのが見えて、今度は倒れてるんじゃないかって……」


 今にして思えば本当に千歳さんに相談していればこんなことにはならなかったかもしれないが、それ公開でしかない。

 そう思いつつもまくしたてるように事情の説明をすると、コルセア様が再度動揺したかのように目が泳ぎ始めて、「ドアが開いてた……?」とつぶやいた。

 どうやら彼女にその気はなかったらしく、コルセア様を止めるのならここを詰めていくしかない、と直感した。


「ああ、間違いなく開いていた。俺が帰って来た時には鍵どころかドアまで開いてたんだ。千歳さんにも頼まれてたし、もし、外出中に他人に入られてるんだとしたら確認しなきゃって思って入ったんだ。悪気は一切ない」

「そ、それは……。っ――そ、そもそもおぬしが大家殿の知り合いという確証も無い! おぬしこそが泥棒ということもあるではないか!」

「それなら千歳さんにも確認してほしい。コルセア様が連絡を終えるまで一歩も動かないって約束する。もしコルセア様が動いたって思うのなら、思う通りにしてもらっても構わないから」

「ぐ……。ぬぅ……」


 しばし悩んでいるであろう沈黙が広がる。

 緊張しているからか。それとも彼女のいる部屋の空気が乾燥しているからか。口の中が渇いて仕方がなかった。

 やがて、コルセア様がぽつりと、「電話……」とつぶやくのが聞こえた。


「電話?」

「おぬしの電話を貸せ。大家殿の番号なら覚えている。短時間なら、壊さないように冷気も抑えられるから、おぬしの携帯で連絡をする」

「こ、こわす……。分かった。ちょっとまっ、いたっ――」


 自由になった肩を動かそうとして肩に痛みが走った。隠そうと思っていたら、すぐにそのことに気が付かれてしまったのか。コルセア様が見下ろしたまま自分の肩当たりに視線を動かすのが見えた。


「む……、肩が痛むのか」

「わ、悪い。ちょっとだけ待って……」

「よい。余のせいだ。ちょっと待っておれ」


 コルセア様はそう言うと、数秒間だけ迷ったような沈黙を経て、その手を俺の胸元に伸ばしてきた。

 何をするのかと思っていると彼女の爪と思われるものが胸元に触れ、背筋がぞくりとする。同時にまた彼女の顔が近づいてくるのが見えてまた別の意味で心臓が高鳴った。

 慌ててしまい、身動ぎをしようとすると「しー」と耳元に冷たい吐息がかかって、反射的に体が止まってしまった。

 こんな時なのに彼女は立体音響の才能があるんじゃないかと思ってしまう。


「な、なにを」

「動くでない。余が携帯を取ってやるから」


 もぞもぞと彼女の手が自分のポケットをまさぐる感触が伝わってきて、少しこそばゆかったが、反応するわけにもいかず、ただじっと時が過ぎるのを待った。

 ゆっくりとポケットの中から携帯が取り出されて、ほっとして彼女の方を見る。

 どうやら、携帯の使い方自体は知っていたらしく、鋭い爪が付いている指先なのに、器用に片手で携帯を持って、爪の先が画面に触れないようにとても慎重に操作していた。

 だいぶ慎重に操作をしていたけれど番号を押し終えたのか。今度は携帯を俺の胸元の上に置いた瞬間、携帯から呼び出し音が鳴り始める。


『はーい、もしもし。常盤ですよーっと』


 しばらくして、携帯から千歳さんの声と、何かを削っているような音が聞こえてきた。

 声が聞こえてきたのを確認してから、コルセア様が俺の胸元の上の携帯に手を伸ばして、何かしらの操作をする。何とか見える画面を見るに、音量とスピーカーホンの操作をしているようだった。


「大家殿、か?」

『ん、その声はコルセアちゃん? 他人の携帯からかけてくるなんて珍しいね』

 珍しいどころではないと思います、千歳さん。

 のんきにそう返そうとしたが、自分の現状を思い出してあまりしゃべらない方がいいかと思ったので黙って二人の会話を見守ることにした。

「この者……、さいぞう? と言ったか。隣の部屋の者、と口にしていたんだが、それは本当か?」

『ああ、うん。才三くんは君の隣の部屋の人だけど、それがどうかしたの?』

「そ、それは本当か? 大家殿の冗談ではなく?」

『にゃはは、僕がこういう時に冗談を言う人だって思う?』

「割とそうだと余は思うぞ」

『あはっ、それは信用度が高いね』

「大家殿、そう言う話ではなくてだな……」

『あはは、ごめんごめん、ちゃんと答える。うん。たぶん君が言ってるのは恵才三くん。僕が認めて君の隣の部屋に案内した、人間の少年だよ。こうして電話をかけてくるってことは何か問題でも起こしたのかな?』


 電話口から、やけに説明口調で千歳さんがそう言っていた。ちょいちょい引っかかる台詞はあるが、大まかには言っている通りだった。


「ぬ、そうか……」

『なにか面倒ごとかな。もしそうなら相談に乗るよ?』

「いや、面倒ごとではないのだが……。すまぬ、迷惑をかけた。余が部屋のドアを……」

『あーね? ドアって単語で全部分かったかな。それならさ――』


 二人の会話を耳で聞いていて、なんとか誤解が解けそうな流れになって来たことに安心する。

 コルセア様が急に立ちあがったと思うとすっと再び顔を近づけてきて「携帯、借りるな」とささやかれてしまう。

 思いもよらぬ幸運に身が震えそうになっていると、胸元の上の携帯を拾い上げて、コルセア様が視界から消えてしまった。

 中途半端に上体だけを起こしてみると、どうやら部屋の隅に行ったらしく、壁の方に向かって携帯で千歳さんと何かを話しているようだった。


「…………する? ……ん……」


 かすかに聞こえる内容から察するに、どうやら今回の事をコルセア様が報告しているらしかった。

 このまま何もなく終わってくれたらいいな、と沈黙する。

 黙っていく末を眺めていると、ちらりとコルセア様がこちらを見るのが見えた。

 彼女の様子に嫌な汗がだらだらと背中を流れるのを感じてしまい、処刑を待つ死刑囚のような面持ちで居ると、通話を終えたのか、ばつの悪そうな表情を見せつつ、こちらに戻ってきて、俺の方に「ん」と言って携帯を突き返して来た。

 受け取ろうとして、変な体制のまま体を止めていたせいか、起き上がれずにそのままバランスを崩して床に背中を打ち付けてしまう。

 再び起き上がろうとすると、「すまぬ」と声が聞こえて思わず動きを止めてしまう。


「えっと、何が?」

「怖がらせてしまったこと。それと、命を取ろうとしたことも」

「い、いや。もとはと言えば侵入した俺が悪いし……」

「ん……。恵殿、であっているか?」

「あ、えっと。そう、です」


 なぜか敬語で返してしまったと言葉にしてから気が付いて、気持ち悪くないかとも思ったのだが、コルセア様は特に気にした様子もなく、俺の胸ポケットに携帯を突っ込まれてしまった。


「大家殿から伝言がある」

「千歳さんから?」

「先ほどの事……。恵殿が余の部屋に入ったことを伝えると、『ああ、そうそう。たぶんすぐ近くで聞いてると思うけど、才三くんはこの後私の家に来るように』と……」


 一安心したのもつかの間、どうやら今度は大家さんから直々に呼び出しを食らうことになってしまったらしかった。

 そうやすやすと千歳さんは逃がしてくれなかったようだ。

 普通に考えれば、こういう事態になった時点で逃げられるわけなどなかったわけだけれど。

 どうしたものかと俺は頭を抱えながら体を起こすしかなかった。


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