#10―2
鯉太郎の配信生活はそれなりに順調だった。
アイツの周りで変なことが起きることもなかったし、思ってるよりも鯉太郎の自衛は万全だったから余計な手間も減って、これなら心配もいらないだろうって。
そんな日々を数年続けた。
鯉太郎とももう仲が良いと呼べるほどの仲になって、「いつか消えるかも」「そんなわけないだろ」と冗談まで交わすようになり、そろそろボイスチェンジャーもいらないかと思い始めていた頃。
配信をするようになって鯉太郎にも別の友達が増えたみたいで、会話をする機会がいっきに減った。
最初はなんだコイツって思ってたけど、鯉太郎の事なら配信で知れてたし、私も私で鬼だ。いつか別れることになると分かっていたから、フェードアウトするにはちょうどいいと呆れた。
だから、私は拾ってくれた人間様たちに借りてた恩を返し、大家のアパートを紹介されて一人暮らしを始めた。
それから鯉太郎とは気分が乗ったらチャットをする程度の仲になってた。それがどんどん間延びして、チャットから伝わってくる文字が暗くなって、さすがに私でも心配になるほど、期間が伸びて、気が気でなくなっていた。
その後すぐだったんだ。鯉太郎と連絡すら取れなくなったのは。
連絡もなかった。急に配信でしばらくネットを辞めるって言ってて、慌てて連絡したのに、音沙汰もなくなった。
すごく不安だった。鯉太郎から連絡が来ないのがすごい不安で……不安になるたび、アイツのアカウントにメッセージを送って……。
当たり前だったのが無くなって、消えないって冗談まで交わしてたのに、それが嘘だったって分かって、とにかく、訳が分からなくなって……。
既読だけが何度か付いて、それだけで鯉太郎が生きていてくれたんだなって思って、ほっとして……何も言わずに居なくなったんだって思うとなんでか心が痛くなって、不甲斐なくて泣きたくなった。
一人暮らしを始めて、不安だったのも相まって、唯一仲が良いって思ってたあいつが消えたって分かって、みっともなく部屋に引きこもっていた。
大家にだけは不安定だから会いたくないと、理由も伝えて。
そうしたら、大家……千歳さんがコルセアとかいう女を連れてきた。
細々と描いていたイラストを使いたいっていいやがった。
正直、鯉太郎と連絡が取れなくなって、不安定だった私は、一人になりたくて、大人気なく喚き散らして追い返そうとしたのを覚えてる。
だけど、コルセアは竜人でちょっとやそっとじゃ諦めなかった。
イライラしてて、不安で、どうにもできなかった私は、食い下がり続けるコルセアにこう言った。
「どうして!! どうして私なんかに構うんだ!!」
そしたら、あの女は頬をかきながらこう言いやがったんだ。
「余は好きなんだ。キョーカ殿の繊細で淡い色使いで、線がしっかりとした絵柄が。それに、せっかく隣人になったんだから仲良くしたい」
「なか、よく……?」
もうこりごりだった。
絵程度のことでそこまで褒められるのも意味が分からなかったし、仲良くなったらなったで、鯉太郎みたいにまた居なくなるんじゃないかって、怖くなった。だって……鯉太郎は居なくなったばっかりだったんだから。
でも、コルセアは殴ろうとした私に手を伸ばした。
「よ、余と!! 余とも、友にならないか? 余も、一人なんだ」
衝撃だった。だって、コルセアの言葉で初めて気が付いたんだ。
ずっと……鯉太郎が居なくなって、一人になって寂しかったんだって。
鯉太郎、アイツが居なくなって、あんなに我が儘で当たり散らしたのにコルセアが来てくれた。私はきっと幸運なんだって感じた。
打算的で、卑怯な考え。周りに甘えてばっかりで、手を差し伸べてくれるのをただ待ってるだけ。
我が儘だって自分でも思う。でも、もう寂しいのは嫌だって、コルセアの手を取った。
なのに……。
外の雨音がくぐもった、魔力の中。
暗闇の中で外灯がほんのわずかに照らした少しだけ高い丘の上の展望台の手すり横で、戻って来た"あいつ"の手を睨む。
カンバスの鯉、鯉太郎……ううん、恵才三って名乗ったへんたいを見上げる。
悔しいことに人によってはイケメンに見えなくもない。優しい、私の身勝手な我が儘を受け入れて、大家のお願いを聞いて、掃除をしたばか。
鬼の私と友達になってくれた鯉太郎。居なくなって、もう二度と喋ることもできないとあきらめかけてた鯉太郎。
シレっと戻ってきて、さらっと私のもう一人の友達を救ってくれた鯉太郎。
そんな鯉太郎が、今度は、私に手を伸ばしてくれていた。
私を知りたいって、手を伸ばしてきやがった。全部を知ってる私に、性懲りもなく。
勝手に居なくなったことは許せない。許したくない。
だって、居なくなったって知って、何度も何度も何度も何度も連絡して、やっと返してくれたと思ったら推しの宣伝をしたいって言いだして。
相手がコルセアだって知ったのも驚いたし……その時のコルセアの顔が私の顔にそっくりだったのもすごく嫌だ。
だって……だって、コルセアのあの顔は、大切な、少なくとも、相手を好意的に見てる顔。
そんなの見たら……コルセアの気持ちを知ったら……もう、私の気持ちなんて、言葉にすることは許されないじゃないか。
私の二人の"推し"が、大好きな相手と両想いなのに、同担になって邪魔なんて、したくない。
私のモノにしたいなんてわがままで、不幸になる方がずっとずっと嫌だから。
だから、こいつに関わるもの全部捨てるしかないって、思ってたのに……。
なのに、鯉太郎は私に手を伸ばしてきやがった。
こいつの手を取っちゃだめだ。
きゅって噛み締めて、口の中に血の味が広がっていく。きっとこの口内炎は痛い。ずっとずーっと痛くなる。
「なにも……なにも知らないくせに……」
震える唇を歯で抑えて、何とか声を絞り出す。
ああ、声が震えてないかな。
涙が流れてないかな。
大雨が大家の魔法で防がれてなかったら、もっとちゃんと、たくさん泣けたのに。
我慢なんてしなくてよかったのに。
散々相談に乗ってやったこいつの目の前で、泣いて、喚いて、当たり散らしたりなんてしたくない。
そんな、おとなげないことなんて、したくない。
必死に伸ばされた手を払うために手を上げる。
手のひらが痛い。ずっと握ってたせいだ。
口の中で血の味がする。ずっと噛み締めていたせいだ。
だって、私は……。
顔を上げると、苦笑いをした鯉太郎の顔があって、言葉をつづけた。
「個人的には居なくなる青鬼より、泣いた赤鬼の方が好きなんだけど、駄目……かな?」
ばかなことを言うな。
こんな時に、そんな寒いセリフを言って。
私を困らせて……。
泣きたなくない。泣かせてほしくない。
瞳で堪えていた涙が揺れる。こんな私にも手を伸ばしてくれることが嬉しくて。こんな、わがままで、怒りっぽくて、口の悪い面倒な女なのに。
それが鯉太郎だと思うと、悔しくて仕方なかった。
――だから嫌だったのに。コルセアも鯉太郎も、こんな私を見捨てようとなんてしない。だから、離れたのに!
そんなことを"推し"にされたら……。
断れるわけなんて、ないだろう、ばか。
推しが伸ばしてくれた手を、取ろうと手を――。
「あ、いや……そ、それにしても長月さんのメモ見て驚いちゃったな」
伸ばそうとして、体がビクンと揺れた。
やっぱり、鯉太郎には私の……もちもち紅白の正体が、バレてしまったのだ。何を言われてもいいように唇をかみしめる。
「全部読んだ、のか」
「あーまず悪いって謝るべきだな。ごめん。でも、正直嬉しかったよ」
「っ……」
耐えていた涙が頬を伝って、首筋に落ちていく。
嬉しいって言ってくれた。だって、私も鯉太郎と会えて、すごく嬉しくて――。
「あんなに、メモを残すくらい、コルセア様の事が好きだったんだなって」
「…………。は?」
突然の裏切りと共に、私の喉から驚きの声が漏れていた。
――コルセアの事が、好き? いや、たしかに配信者として頑張るコルセアのことは好ましいって思うけど、でも、なんで今?
意味が分からなくて顔を見ると、顔を反らしていたのか、気まずそうに微笑みながら顔を上げるところだったのか、目が合って、私の顔を見て目を丸くしやがった。
「こい――っ、お前。いま、なんて?」
「え? いや、コルセア様の事、距離を置かないとって思うほど好きでいてくれたんだなって」
「なんで……」
「だって、そうだろ? "推し"が居なくなった時って、コルセア様が抱え込んだ時の事だろうし、戻ってきてぐちゃぐちゃになったのも俺と変な事故起こしちゃったせいだろ? だから、こう、俺も役に立ちたいなって……。ああでも、コルセア様って長月さんにもカンバスの鯉が好きだったって話してたんだな。俺もそのこと知ったの最近だったから、それはちょっと驚いた」
たしかに、そう書いた。
でも、推しも好きだって言葉も全部全部コルセアだけじゃなくて鯉太郎に向けてあったものだ。
たしかに、雑多に書いた。思ってることを詰め込んだ。あの内容で……自分の事じゃなくて、コルセアの事だって勘違いしたのか。このばかは。あれだけ悩んで、考え抜いてただ書いたあれを。
鯉太郎に私の気持ちがばれたって思ってたのに……。
「…………」
「えと、長月、さん? 平気?」
「本当に、気が付いてないのか」
「え? ごめん。最後しか聞こえなかった。今なんて……」
慌てふためいて目の前で綿綿とし始める鯉太郎。あんなに必死に悩んで、二人を傷つけてしまう前に距離を置かなきゃいけないとか、推しは応援しなきゃだとか、全部全部、バカバカしくなって……。
この男は、私がずっと推していたことに気が付いてなかったんだって言われて、おかしくておかしくてしょうがなかった。
「ふふっ、あはっ、あはは!」
久しぶりに肺から大きな笑い声と共に溜まっていた涙があふれ出ていた。
お腹を抱えるほど笑って、笑いすぎて涙が出てる。そういうことにすればいい。
この涙は、きっと可笑しくて笑った涙だって言い張れる。
「んふっ、あはは、あはっ、お前は、本当にばかだな」
「え!? ここで急に罵倒されるのか!?」
「当たり前だろ、ばーか」
「えぇ……せっかく悩みを聞こうと思って色々頑張ったのに……」
「あはっ、悪い。でも、いろいろしてくれたのはすごく嬉しい。ありがとう」
「くそ、恥ずかしい事を言って損した……」
「あはは、もうやめてくれ、サイゾー。おかしくておかしくて、涙が止まらない。あはっ!」
「ああ、もういい加減笑うのはやめてくれ、俺だって恥ずかしいわ……ん?」
「はあ……はー、おかしい。ん、どうかした?」
「ああいや……あ……えと、その、本当に、非常に申し上げにくい事なんですが……コルセア様が『すまぬ、恵殿パソコンがフリーズした』って連絡が来て。いや、その長月さんがどうでもいいってわけじゃなくて! その、戻ってきてほしいって言うのは真実っていうか、ね? ちょっと俺も色々と恥ずかしかったり色々あって頭がポンとしてて」
「んふっ、あはは、お前は、本当に変わらないな、サイゾー」
「いや、これでも結構変わる努力はしてるつもりで……って、あれ? そういえば、名前……」
あたふたとコルセアの元に向かおうとする理由を説明して、必死になっていた鯉太郎がきょとんとする。
その顔がまた可愛くて、こいつは本当にいくつになってもまだまだだなって思ってしまう。
思いが溢れて零れて、すくいきれなくて……。
ああ、もういいよな。
鯉太郎、推しのこいはどっちも応援してやるけど、私もお前の事を諦めたくない。
それで良い、よな?
だから、せめて前の……こいつが、配信活動を始める前と同じくらい仲良くなるために――。
伸ばされたままだった手を潰れないように握り返して、二っと今まで誰にも見せた事のなかった笑顔を向けてあげる。
「今更驚くな、ばーか」
今まで気が付かなかったこの唐変木に、出来るだけ優しく罵倒してせめてもの仕返しをするのだ。




