#9―2
「ど、ばっ! 待って……待て!」
千歳さんの石のおかげか雨の音もすっかり聞こえなくなった俺は、長月さんの腕を取り数分間走り続け、目的地付近についた。
俺たちが住んでいるアパートの近く、丘の上に設置された公園の中にある町を見ることが出来る展望台。その鉄で出来た落下防止用の手すり近くまで歩き、足を緩めたところで背後から息も絶え絶えになった声が上がる。
そろそろだと足を止めて振り返ると、柔らかい手が俺の腕を握ったまま彼女は膝に手を置いて支えていた。
「あ、わ、悪い。ちょっと駆け足過ぎた。平気か?」
「へ……はあ……な、るか……。それ……な、んで、こんな場所……外、私、鬼……」
おそらく「平気なわけあるか、なんで外なんかに。私は鬼なのに」と言っているのだろう。
彼女も人間ではないから平気だと思っていたのだが、よくよく考えたら女性相手に歩調を合わせないのは最低すぎたと反省する。
突然ぶり返した自分の無神経さに落ち込み、それは帰ってからでいいと頭から追い出す。
申し訳ないが、今は長月さんの説得が先だ。
「無理やり連れ出してごめん。だけど、外ってことに関してはとりあえず安心して欲しい」
「はっ、はあはあ……は? 安心、出来るか。私たちは人間じゃないんだぞ? こんな場所に居て良い存在じゃ……」
「これ、分かるか」
「は? これってただの石。じゃ……ない?」
千歳さんから渡された物……受け取った小石を手を広げて見せる。
しばらく訝し気に睨んでいたが、石の正体に気が付き理解したのか、瞳が大きくなり鬼火のように大きく揺れた。
やっぱり、俺には意志だけじゃわからないけど、人間ではない彼女ならすぐに分かると思っていた。
今立っている丘上の展望台が"雨に濡れていないこと"も含めれば、自ずと答えにたどり着けるはず。
答えにたどり着いた長月さんが息をのむ。
「まさか、お前……」
「たぶん、思ってる通り。千歳さんに頼んで"石周辺に居ればどんな相手にも正体がばれない空間"を作ってもらった」
「は!? ば!! なっ! なんで!! なんでそんな馬鹿な事をしたんだ!!」
やはり察していた長月さんに俺が答えを返すと、あんぐりと口を開け、次の瞬間には俺の胸ぐらをつかみ、眉根を寄せ訴えかけるように叫んでいた。
若干苦しいが、それでも加減してくれているのだろう。地面に足がついたままのおかげで呼吸は出来た。
「魔法だぞ! 現実世界にはない、私たちに近い物だ! そんなものお前が持ってたら……! っ、ばか! ばかばかばか! そんなことをしたら、お前は……!」
トンと胸元に頭を押し付けられ、ふわりと彼女のにおいと額が押し付けられる。角の根元が胸を圧迫したが、そんなことが気にならなくなるほど、俺に馬鹿なことをと訴えかけていた。
悲痛な声が耳朶に響き、あやうく後悔しそうになったが、思った通りの反応で後悔とは逆に安心してしまう。
そして、
「私たちに、近づくんだぞ……」
泣きそうな声でそう言った。
あまりにも辛そうな声色。悲しませてしまったという痛みが胸を押しつぶしていたが、やはりと考えていたことに確信した以上、もう後悔はない。
長月さん……長月鏡華という赤鬼は、居なくなることで青鬼を演じようとしているだけなのだと。
ここまで動揺するのは、彼女自身がなによりも優しい事の証明だった。
「知ってる。千歳さんにもさんざん言われてた。現実から離れすぎると、幻想と空想に引っ張られるって」
「なら! ならなんで!! なんでお前がそこまでするんだ! コルセアの事も、あのアパートの事も……私の事もだ! お前は、なんで……」
「何も関係が無いのに?」
「っ、そうだ! お前は普通の人間なんだぞ! なのに、なんで!」
「そうしたかったから、かな」
「っ、お前、何言って……」
「長月さんもコルセア様も、そっち側なんだろ」
「はあ? 何言って……当たり前だ。私たちは人間じゃない。人間以外はこの世界の歴史にはいなかったんだろ?」
「なら、それが理由だよ。俺が近づきたかった」
長月さんの今の言葉も、千歳さんに言われた言葉もきっと正しい。
俺と千歳さんたち……あのアパートに住んでるらしい人たちはおそらく根本から違う。
千歳さんは俺が現実に居ると言って、幻想と空想じゃないと暗に教えてくれていた。それはつまり、俺自身はどこか現実という場所に立っていて、コルセア様や長月さんと違い幻想や空想の類じゃないってことだ。
でも俺は、幻想や空想の彼女に救われた。だから、長月さんの事を……コルセア様や長月さんの役に立ちたかった。
――いや……正確には違う、かな。
そう、違う。俺はただ二人の役に立ちたかったんじゃない。
俺は"カンバスの鯉という、名もない配信者を知ってくれていた二人"だからこそ、もっと役に立ちたいと思えた。
だけど、二人は俺とは違う、幻想の住人だ。
なにを悩んで長月さんがコルセア様と距離を置こうとしたのかは分からない。でも、そんな彼女の悩みを聞くためには"俺が現実の人間では、距離が遠すぎる"と感じた。
空想や幻想に近づいた俺でなければ、長月さんを傾けることは出来ないと。
「幻想や空想に、近づきたかった? なにを……そんなことをしたらお前は……」
「あはは、すごい危険かもしれないよなあ」
「っ、当たり前だろ!! 誰もかれもが人間に友好的な種族とは限らないんだぞ! 今この瞬間にだって、お前の体を割いて、指を引きちぎって食われるかもしれないんだぞ!」
「でも、長月さんは違う」
「するわけ、無いだろ! そんなこと……わたしは、だって……」
「言ったろ、長月さんは優しいって。こうやって空想や幻想に近づこうとする俺を遠ざけようとしてくれてる。どんな理由であれ俺を心配してないと、そんな言葉は出てこない」
「なっ、おま……まさかそんなことのために?」
「そんなことじゃないって。長月さんの話を聞くには十分だろ?」
「……くそ」
元々、慎重さのおかげでそれほど苦しくはなかったが、掴まれた胸倉が徐々に下がってくれる。
今の言葉に"一理ある"と思ってくれたのだろう。
この状態を作り出すために、俺はわざわざ彼女を説得するための性格を演じた。この先は……今度は俺が彼女のために俺の本音を言う番だ。
頭の中で入れていたスイッチを切り、息を吐きながら外灯の薄い光が照らしている展望台の手すりに向かう。
「ぶっちゃけ、今だから話しておきたいことがあるんだけどさ」
「……なんだ」
「実はさ、お前が捨てろって言ってたUSB。中身、見た」
「はあ!? な、じゃあお前……っ! か、勝手に中身を見るなんて信じられないぞ!!」
「あはは、悪い。その代わりっていうか、昔の話するんだけど、いいか?」
「……聞いてやる」
「ありがとう。実は俺さ、昔配信者だったんだ」
「ん……。そうか」
なんか、思ってたよりも反応が薄い。
チラリと様子をうかがうと、外灯の明かりから漏れている濡れた手すりを確かめるように掴んで、まるで諦めたかのように町を見下ろしていた。
聞いてくれるようなので話を続ける。
「鳴かず飛ばずって言うのかな、名もない配信者でさ。当時の配信サイトで、見てくれてる人がバズって百人くらいしか居なかったんだ」
「ふん、当たり前だ。そんなポンポン有名人が居てたまるか」
「あはは、そりゃそうだ。でも、そんな道端の石ころみたいな配信者だったのに、コルセア様は見てたことが、あった……らしくてさ」
火の玉ストレートな物言いだが、真実は真実だ。昔、相談してた友人にも同じことを言われた覚えがある。
横を見れば、長月さんの顔が横顔でもわかる程顔のパーツが真ん中に寄っていて、明らかにしかめっ面をされてしまっていた。
内心いつ怒られるかとドキドキものだが、こんな途中で話を終えるわけにもいかない。
「えと、長月さん。そんなしかめっ面しなくても」
「してない」
「そ、そっか。――まあ、それがきっかけ……かは分からないけど、コルセア様の配信を選ぶ一端にはなれたのかなって自惚れて……あはは、正直嬉しく感じるよな」
「はっ、なんだ。ここにきてノロケか? 推しに認知されて嬉しいってことか」
「それはあると思う。でも、それ以上にだれかの役に立てたんだなって思えて、嬉しかったんだ」
「役に立てた? 影響を与えてるのなら当たり前だろ」
しかめっ面が今度は何を言ってるんだって顔に変わる。
どうやら長月さんは思っていることが顔に出てしまうのかと思うと、今まで本当に口が悪いだけだったんだなと、長月さんの幼さを垣間見た。
親近感を覚えつつも鉄製の手すりに肘をつけると、じっとりと服の袖に水が染み込んでこれから話す事も相まって気持ち悪くてしょうがなかった。
まいったな、千歳さんのおかげでどっちも忘れてたのに。
だけど、彼女を説得するのなら、俺の話をして同情も何もかもを利用しなければいけない。彼女たちのために。だから、俺の話ぐらい、どうってことない。
「……実は俺さ、親父にネットの活動がバレて、お前のためにならないから辞めろって無理やりパソコンを捨てられてたんだ」
「……え?」
「今でもその時のことは覚えてる。『そんなくだらないモノは辞めて、さっさと現実を見ろ』だったかな。正論ではあるんだけど、俺からしたら納得も理解もしたくなかったから、正直、馬鹿な事を言うなって感じだった」
「……それで、配信を辞めたのか?」
「あはは、手厳しいな。正直、認めたくはないけど、色々自分でやって、一人で暮らして……一応今は言ってることもちょっとは正しいなって思ってる」
隣で息をのむ音と、長月さんの視線を感じながら苦笑してしまう。
実際、それのせいで疎遠になってしまった友人もいる。配信者に戻らないのかと聞いてくれた"例の友人"もその一人だ。
もともと、濃く深いつながりを優先していたネットの友人だから、消えることは少なくない……はずだ。
だから、あんまり心配させないだろうって思って、ずるずると引き延ばして、つい最近まで気まずくて連絡もできていなかった。
……本当に自分勝手だとは思うが、怒りと悲しみでいっぱいいっぱいになって、居てもたってもいられずに家を飛び出して、しばらくはそうならざるを得なかった。
事情を察して紹介された千歳さんのおかげで、ずいぶんと早くは戻れたけど……。
それでも、嫌な思い出には違いない。
昔を思い出して口の中の苦みをかみつぶしていると「な、なあ」と隣に居た長月さんに袖を引かれた。
「それ、いつだ?」
「え? それって……」
「お前のパソコンが勝手に捨てられた話だ! いつ捨てられた!」
「ん、どうしてそんなこと気になるかわからないけど……。俺が配信を辞めてからすぐ、だったかな。機材は高級品だからって色々と騙し通せたけど、本体は駄目だった。しばらく連絡できなくなった人も居たから、正直、すごい腹がたった」
ブチギレて、縁を切って何としてでも国の保護を受けてやろうと思うくらいには。
思わず眉根が寄ってしまうのを自覚して、額を指先で伸ばす。
これはコルセア様にも話していない、言いたくない過去だった。説得のためとはいえ、初めて……うん、完全に初めて言う事だ。いつも相談してた"例の友人"にもまだ言えてない。
だって、悔しいにもほどがあるだろ。
正論と事実……自分の過去の経験だけで全部を突っぱねられると思ってる、頭の固い親の言う事を跳ね除けることもできないなんて。正しかったとしても認めてやるもんかって今でも思う。
「それのせいかどうか分かんないけどさ、俺の活動で誰かが喜んでくれてたとしたら……少しでも、認められているのなら、嬉しいって思う」
「っ、私は! ……私、は……お前の事、正しいって、思う」
「え?」
「親のいう事、何でも聞くなんてばかだ。でも、抵抗できないことは責められないから、私は分かる」
「長月さんもそう言う親だったりした?」
「……ううん。違う。でも、長く生きてたら、分かるもんだろ?」
「え? あはは、そうかも」
「だから……その……」
手すりに伸ばしていた手がするりと服から離れ、胸元でぎゅっと握られる。
その姿が心に刺さり、俺も単純だなと思いつつ、今できるだけの笑顔を浮かべて向き直る。
「なあ、長月さん」
「あ、え?」
「一方的にだけど、俺はUSBで長月さんの事を知っちまったから、俺のことを話した。昔から相談に乗ってくれた友達みたいだったから、全部を話しちゃったけど……。だけど、俺はまだ長月さんの役に立ちたいなって思ってるんだ」
「私、の?」
困惑したように身を引こうとする彼女に、触れた手を裾で拭いてから手の平を向けて伸ばす。
「俺にも教えてくれないか、長月鏡華さんのことを」
なんとか、伝わってくれ。
居なくなりたいと思うほど、考え込んでしまったその悩みを。今度は、コルセア様のようにふさぎ込んでしまう前に。
目の前のドアが閉じられないよう願いながら、いまだ悩みを明かしてくれず泣いている彼女に手を伸ばした。




