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#9「伸ばされた手を、鬼はただ見つめ――」


 ヤマバトも鳴かない深夜。

 アパートの階段下にたどり着き、肩で息をしながらドアを見上げる。

 そこには長月さんが居るはずの部屋のドア……。まだ出て行っていないのであれば、彼女はここに居るはずだ。


「はあはあ……はあ……ったく、もしもの時のためにだけど……」


 コルセア様から聞いた外に出る事情のために千歳さんへ一筆メッセージを送り、静かに長月さんの部屋の前に立ち、インターホンを鳴らす。

 待つ間、せめて不快にさせないようにと汗を拭う。その間にも機械的な音声が響くが、誰も出てくる様子はない。

 遅かったか。

 ふと空を見上げれば雨が降り始めた空から星が消え、雨が降り始めていた。

 この時間だしこの天気。玄関先にも出ていった様子はないから、この中にまだいるはず。

 一縷の希望に託し、ドア先に声をかける。


「長月さん! 居るか! 悪い、恵だけど、今平気か!」


 予想通り返事は返ってこない。でも、ここであきらめて帰るわけにもいかない。こぶしを握り、強めにドアを叩いて、中にいるはずの彼女に訴えかける。


「一回だけでいい! 頼む、話を聞いてくれ! 今後俺の話なんて耳を――!」

「うるさい! 今何時だと思ってるんだ! ばか!! 用が無いのならさっさと帰れ、変態!!」

「どお!? オープン・ザ・ドア!?」


 叩いていたドアが脈絡なく突然開かれ、その勢いと甲高い怒声に声を漏らして背を反らしてしまう。

 よかった、まだここに居てくれた。

 ドアの内側から覗くように俺を見上げている長月さんがオーバーサイズのシャツだけ……ではなく、短めのパンツルックでそこに立っていた。

 安心して何も言えないでいると、ふんと鼻を鳴らされそのまま閉められそうだったドアに慌てて体を挟み込む。


「ま、待ってって!」

「……なんだ、まだ用事があるのか、変態」

「ある。今、時間あるか?」

「は? 今更何の用だ、人間様が。だいたい深夜もいいところだぞ」

「じゃあ即内容で。話は聞いてきた。どうして、もうコルセア様と会えないって……どういう事なんだ?」

「ふん、なんだその話か。お前には関係ない」

「いや、あるよ」

「……。は?」

「コルセア様は俺の推しだ。その人が困ってたら力になりたい。動く理由なんか、それだけで十分だって分かるだろ」

「チッ……。どうせお人よしの馬鹿のことだ。コルセアのために私を説得しに来たんだろ?」

「違う。っていうと誤解されそうだな」

「はっ、なにが誤解だ。お前はいつもコルセアのために動くだろ。……私の部屋の掃除もそうだった。それ以外で自分の意志でもあるのか?」

「すげえ痛い事を言われてるけど、そこはいったん置いておきたい」

「なんだ、違うのか。お前は引きこもったコルセアに手を差し伸べて、借りれる力は借りてコルセアを勇気づけたんだろ? なら、今度はなんだ。落ち込んだコルセアのために私にもう一回ちゃんと会って話でもしろっていうのか?」

「あー、結論だけ言うとそうなる。でも……」

「はっ、やっぱりそうなのか。笑わせるな、お人好しが」

「聞けって」

「…………」

「結論はそう、コルセア様のためだ。でも、俺の行動理由は違う。単純に、ただ気になったんだ。長月さんは優しいからさ」

「やさ、しい……?」


 半開きだったドアが支えを失ったように徐々に広がり、姿が現れた長月さんは顔を伏せていた。

 額の上から伸びた角がまっすぐと突きつけるように伸ばされ、喉元に包丁でも突きつけられているような気分になる。

 だけど、話を聞いてくれたのならこっちのものだ。

 

「そう! 優しいって俺は思ってる!」

「この私が、優しいだって?」

「だって、そうだろ? 色々見てたけど、長月さんは優しいから、コルセア様を傷つけ――」

「なにも!!」

「っ……」


 傷つけないために、一人で消えようとした。

 そう言おうとした言葉は、凛としたはっきりと拒絶の意志に止められた。

 ポツッ、ポツッと小さな水滴の音を響かせながら。


「なにも知らないお前が……! 恵才三というお前が!! 私を!! なんで!! そんな事、言う……んだ、ばか……」


 驚いたことにその怒声は目の前の長月さんから発せられ……肩口まで伸びている赤い髪を振り乱すほど勢いよく顔を上げられ、思わず言葉を呑みこんでしまう。

 イチゴのような赤い瞳に色々な感情をため込んで憎々しげに見上げ、その頬にぽつぽつと降り始めていた雨が伝う。

 苦しそうな、彼女の表情。だけど、ここで帰るわけにはいかないと小さく首を振る。


「何度でも言う。優しい長月さんが自分から離れるなんてわざわざ言うのは何か理由があるはずだろ」

「また……またそれだ! 優しい!? この私が? こんな我が儘ばっかりで、口が悪い私の何が優しいっていうんだ!! なにも!! なにも知らず、何も気づかなかったお前がそんな事を言うんじゃない!! 私は! ……私は……」


 叫ぶ彼女に呼応するかのように、降り始めた雨脚が強くなる。

 ゲリラ豪雨が降るって言ってたっけとどうでもいいことを思い出しながら、ただ感情をまき散らし始めた長月さんにこれでは話が進まないと唇を噛む。

 ここまで感情的になられていると生半可な言動では彼女に受け入れてもらえない。

 というか、怒鳴っているだけで物には当たらないし、降り始めていた雨に当たる彼女は、鬼とはいえ若干前かがみのままキっとにらむ姿は愛らしい。

 激昂しているであろう彼女が、今こうして俺の目の前に立っているというのは、なによりも優しい証拠だというのに……。

 本人だけがそれに気が付かないのは、あまりにも寂しいじゃんか。


「仕方ない……長月さん!」

「あ?」

「うわっこわ……ちょっと、一緒に来てくれ」


 多少ドスを聞かされて怖かったが、コルセア様と仲が良い彼女なら人間に対して危害をくわえようと思っていないと確信し、そのまま彼女の手を引く。

 抱き寄せる……のではなく振り返り、その場から彼女を引きはがすように駆け足で引っ張ると大した抵抗もなくそのまま俺に引っ張られてくれたことを内心ほっとしていた。


「は? な、おまっ!! ちょっと待て! いくら深夜だって言っても私は!」

「いいから来て欲しい」

「良くない! 着替え、っ、は、恥ずかしいだろ!」

「平気だよ」

「お前じゃなくて私だ、ばか!!」


 悪いけど、どうせこの後頼むことのおかげで着替えの関係なんてない。女の子相手にすることじゃないけど、今はとにかく時間が惜しかった。

 彼女を連れ、駆け足で通りに出て、迷いなく千歳さんの家に向かう。

 走りながらも視線を千歳さんの家へ向けると、外灯の下で手を振っている小さなドレスの人影……千歳さんの姿があった。

 濡れてない千歳さんにぎょっとしつつ、長月さんが足を止めないようスピードを上げ、声を絞り出す。


「千歳さん! 例の物は!」

「出来てるよ! そのまま走って、投げてあげるから。あと、君のためにも言うけど、無くさないほうがいいよ」

「分かってます!」


 千歳さんの「せーの」という掛け声とともに、下投げで通りに向かって何か……俺が依頼した物を投げられる。

 外灯と雨の中で浮かび上がった小さなソレは不思議と暗闇でもはっきりと見える小石で、千歳さんの前を走り抜けながら何とか受け取ると背後から「しっかりねー!」と聞こえていた声がぶにゅんと何かに包み込まれるように消える。

 恐ろしい物を投げてよこしたなと、眉を寄せながら急いでくれた千歳さんに感謝をし、この町を一望できる丘に向かった。

 すべてはまだ俺の手を離さないでいてくれる、長月さんのために。




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