#8「鬼を気にした鯉は手を伸ばす」
『な、なあ、恵殿。キョーカ殿を見てはないか?』
長月さんの部屋の掃除を終えてから一週間。
千歳さんにもコルセア様にもまた何かあれば遠慮なく頼って欲しいと伝え、バイトと勉強に費やしていた土曜日。
運悪く重なった出校を終え、ゲリラ豪雨が降ると噂の湿気がこもった部屋で、一人。たまっていたコルセア様の切り抜き作業を続け、そろそろ寝ようかという時間帯に、コルセア様から作業通話のテストをしたいとお誘いがかかって、ドキドキとしながら通話を開始した瞬間だった。
ちょっと説明が長いか。
まあ、とにかく、女神さまからお声がかかった直後。
開口一番にコルセア様の口から発せられた言葉で眉を寄せ、別の作業を開始しようとした顔をモニターに映した。
「え、長月さん? ん、見てない、かな」
ここ数日はコルセア様に貢ぐため……もとい、生活費のためにバイトを多く入れたこともあり、アパートで過ごす時間自体が少なかった。
そのうえ部屋に戻っても授業の課題や復習、切り抜きの録画と編集でアパートの人たちとはまともにコミュニケーションをとれていない。
今だってこの前やろうと思っていた【実はドジなコルセア様集】の編集中だ、ほかの人には悪いがこれだけは最優先事項だ。
素直に見ていないことを伝えると通話越しに『そうか……』と落ち込んだ声が返ってくる。
あからさまに何かありました、という雰囲気に黙ってしまい『ああいや、すまぬ』と、画面向こうだというのに、シュンとしているコルセア様の姿が思い浮かんだ。
『せっかく恵殿と作業通話を出来ると思っていたのに、このような切り出しで……』
「い、いやいや、俺なんかを誘ってもらって嬉しいよ」
『あはっ、そう言ってもらえると助かる』
「えっと、長月さんがどうかしたのか?」
『言っていいかは分からぬが……。実はな? 例の猫喫茶の件、キョーカ殿にサムネイルを描いてもらおうと考えている』
「ああ、例の……。もちもち紅白先生に絵を頼むことにしたのか」
『うむ! キョーカ殿の絵柄ならば、可愛くもあり、母上から頂いたとなればふぁんさーびす的にもよい! その……恵殿も、嬉しかったりするか?』
「勿論! 親子の絆……イラストレーターと配信者が仲良くて、度々連絡を取ってるとか、そう言うのを聞くと興味の幅も広がりますからね。実際、親子コラボも需要ありますし、ファンもきっとコルセア様のつながりを確認出来てもちもち紅白先生に興味を持つ人も増えるでしょうし、二人とも人気になればもっともっと人気になる事だって夢ではないっていうか……」
『う、うむ! 後半は早口で何を言っていたかは分からぬがそうであろう!』
ふふんと通話越しでも胸を張っているコルセア様の声が聞こえ、ちょっとほっこりしてしまう。
まあ、コルセア様のお母さまのイラストを使うというネタバレは食らってしまったが、親子コラボとなれば一ファンとして普通に楽しみだ。
裏でその取材に使うためのカメラを確認しながら「それで長月さんはなんて言ったんだ?」と続きを促してみる。
通話越しにコルセア様が渋った後、とつとつと語り始めた。
『その予定、だったのだが……。キョーカ殿にメッセージを送ろうとしたら、キョーカ殿から数日前にメッセージが送られてきてて……』
「数日前って……もしかして、メッセージ確認を……?」
『ち、ちがうぞ? こ、今回はたまたま! ……んん! それよりも、メッセージだ!』
「ああ、すいません。それで、長月さんはなんて?」
『それが「もう会えない。仕事はいつも通りにする」と。余もおかしいと思ったが、連絡が付かなくて……。もしかしたら最近まで頼まれごとをしていた恵殿ならなにか知っているのではないかと』
「ん、俺なんかよりコルセア様と千歳さんの方が詳しいと思うんだけど……。会話の途中でごめん。スマホのアカウントも今の通話に入れても平気か?」
スマホから通話アプリを起動し、今の通話に接続するため設定をしていく。
『うむ、もちろん問題ないぞ。――しかし、余だけでなく大家殿も見てないと言ってるのだ』
「千歳さんも?」
あの人まで認知していないということに不穏な気配を感じ、スマホから自分しか映っていないパソコンの画面を見上げてしまう。
怪訝な顔をした自分と入り損ねたもう一つの自分のアカウントが映り、スマホのエラーメッセージがポップアップされていた。
慌てて設定を直しながら、裏で千歳さんにもメッセージを飛ばしてコルセア様に返事をする。
「そのメッセージに返事は返したのか?」
『仕事の事を含めてその後に。でも、返事は返ってこなかった。そんなこと初めてで……だから、なにかあったのではなかろうかと心配で……』
「なるほど。事情は分かったけど、俺も今週忙しくて全然……。直接は?」
『う、うむ。余も直接行くべきと思ったのだが、余が行くとまた部屋が壊れると大家殿に止められてしまって……』
あの千歳さんが戸惑うっていったい何をしたんだこの人たちは。
好奇心溢れる自分を抑え、さすがにちゃんと聞くべきだなと編集を保存すると、手元のスマホが震える。
千歳さんが送ってくれたメッセージが表示され『連絡が来ない件だよね? 僕も認知外なんだ、ごめん』とだけ送られ、寄せていた眉がさらに寄ってしまう。
忙しそうな千歳さんも珍しいが、彼女すら長月さんを見ていないのは前のコルセア様の事も思い出してしまう。
連絡を突然断つのは消えたいから。この前彼女も同じことを口にしていた。仕事はすると言っている以上、死ぬ気ではない……と思う。
でも、もしもう二度と誰とも会わないつもりだとしたら……。
俺はオタクだ。
【重大報告】も【重要なお知らせ】って文字列で心臓は跳ね上がり、呼吸が乱れる程度にはオタクだししなくても良い杞憂もする。
今回のも、杞憂かもしれない。
でも……。
「もし、杞憂じゃないとしたら」
『うん? すまぬ、途切れてて声が……恵殿、いまなんと?』
「長月さんは、優しい子で寂しがりって言ってたよな、コルセア様」
『っ、うむ。口は悪いが、恵殿のように周りを良く見ているし、余の事も色々考えてくれている。恵殿のように自分のことは二の次にすることも多いし、恵殿のように黙って行動してしまうことも多い。正直、キョーカ殿が一方的に余を助けてくれているだけで、キョーカ殿が余の事をどう思ってるかは分からぬほどに……』
「それは知らなかったかも」
俺自身の知らない情報まで出てきたけど、それが真実なら、離れようと思っても二人は仲が良すぎる。
なのに仕事はするとだけ返して連絡が付かないということは、コルセア様のために、隠して何かをやろうと考えている可能性が高い。
昔の俺ならば絶対にそうしていた。
そして、コルセア様を助けてコルセア様に救われた今ならわかる。
そんなことをしたら、俺を止めてくれた例の友人のように、仲が良いコルセア様が悲しみ、俺のように逃げ出した本人も辛い思いをするだけだ。
それなら俺は、二人にそんなことをさせるわけにはいかない。
今、間違いないのはファンとしても隣人としても、断固として踏み越えなきゃいけない一線だってことだった。




