#4「開いたドアは恐ろしく……」
ごたごたがあった翌日の夕方。
学校の提出やら、バイトへの連絡やらを終えた俺は、アパートの一階。憧れのコルセア様のイラストレーターである『もちもち紅白』先生……もとい、長月さんの部屋の前に立っていた。
あまりにも急に決まったから一日は余裕が欲しいということで、後日である今日手伝うことになったのだが……。
緊張でごくりと喉を鳴らし、腕をチャイムに伸ばす……が、無理だった。
チャイムを鳴らそうとする度に指が震え、その度に腕を抱える圧倒的不審者がここに居た。
「くそ、俺が不審者なのは分かってるし、二度目だから慣れろって言いたいのは分かってるけど、いや、無理だろ。いまだにコルセア様に触れる度に心臓が破裂するのに今度は憧れの絵師ってもんだ、緊張するしないってレベルじゃない……」
誰も居ないのになにを言ってるんだ俺は。
とにかく、それくらい落ち着けないという表れだ、分かってほしい。
「はあ……仕方ない奥の手使うか……」
はあ、ふうと何度も深呼吸をするが一向に落ち着いてくれない俺に、仕方なくコルセア様に使っている奥の手を使うために顎に手を当てて思考を回す。
奥の手……長月さんに一番合いそうな人柄のスイッチを探す。
コルセア様の時にもやった、コルセア様が一番話しやすそうな隣人を演じたように、長月鏡華という女性が最も話しやすいであろう人間を模索する。
長月鏡華さん。鬼という種族で、人当たりが強く、同担拒否で、二人の話からして掃除が苦手らしい。
鬼は日本で古来からある邪悪な物という存在だが、長月さんはその中でもポピュラーで、頭部に角を生やしている種族。つまり恐れられ、奇妙に思われることに多少は慣れてくれているかもしれない。
嫌われる可能性も高いから賭けが大きいが、コルセア様や千歳さんとのやり取りでそこまで感情的じゃなかった。すこしでも恐怖している節が見えれば多少なりともくみ取ってくれるはず。
人当たりが強い、ということはそれなりに警戒心が強い。もしくは、他人に対して何らかの不信を募らせている可能性が高い。
だが、それで初対面のせいで俺にだけ強めに当たるのは分かるが、昨日のコルセア様や千歳さんとの会話ぶりからして、自分にも他人にも厳しいタイプというのは想像に難くない。
同担拒否に関しては……もう、その話題を出さないほかない。出すにしてもどうしても仕方のない時だけ。
正直、利用するには申し訳ない情報しかないが、警戒心を解き、失礼が無いようにするには……。
「……ん、長月さんの様子的に"適度に怖がり、距離感を持ったうえで"絵師として尊敬している自分が接すれば話しやすい、か? ……ただ、素も見られてるからあまりそれから外れないように……」
うんと頷き、もう一度深呼吸をする。
適度に落ち着いたところで、チャイムに手を伸ばし――。
ガチャっと扉が開き、恐れおののいて「うお!?」と声を上げてしまい、扉の隙間から長月さんがこっちをジロリと見上げていた。
先手を取られてしまった。
「あ、えっと、昨日ぶり、です」
「……いつまでそんな所にいるんだ、変態。手伝いに来たんじゃないの?」
「あ、ああじゃあお邪魔します」
言われるがまま彼女の部屋に招かれると、間取りは上の階と同じ。玄関からまっすぐ廊下が伸び、途中にバスルームの扉、奥にはリビングに続いている扉がある。
そして、かすかに開いたリビングの扉から、ゴミがからりと落ちて、思わず口の端が引きつった。
これは強敵と相対してしまったかもしれないと一人冷や汗をかきながらドアを後ろ手に閉めると、長月さんが廊下の壁に寄りかかって、眉根を寄せていて、彼女の方がそう言う顔をするのかと驚いてしまう。
「えっと、あれ? なんか顔色悪いけど、どうかしたのか?」
「……なあ、変態。言いたいこと、あるんだろ?」
「ああ、まあ……。正直、色々言いたいことはあるかな」
主に隙間から覗き見る部屋の惨状とかだが。
彼女も思うところがあったのか、はぁとため息をつくと「私が悪いから」とチラリと俺を見る。
「……昨日の事、あやまる」
「え?」
「気にしてたんだろ? 私も、言いすぎたなってずっと……」
開幕見せてくれた一人反省モードに思わずうろたえてしまう。
強気に出ていてもコルセア様と同じ、もしかしたら抱え込んでしまうタイプなのかと慌てて、ギャグっぽく見えるように思考を回した。
「あ、ああ! そっちか! いやいやいや、俺はそう言うつもりで言ったんじゃないから平気だって」
「はあ? なら、なんで気まずそうにしてるんだ!」
「いや、悪い。だって、ほら、長月さんって"もちもち紅白"さんなんだろ?」
「ああ、正真正銘"もちもち紅白"だ。……なんだ、疑ってるのか? なんなら、絵を描いて見せようか」
「そこまでしてもらわなくていいって! いやほら、推しのコルセア様のお母さま相手だからさ。緊張するなって言ってもむりっつうか……」
「ふん、現金だな。推しの絵を描いてなかったら緊張しないのか?」
「あはは、意地悪だな」
「……性分なんだ。気を悪くさせたら、悪い……」
「いやいや、全然平気だよ。でもまあ、言われた通り、もちろんコルセア様のお母さまってのはでかい、かな」
「そらみろ」
「でも、イラストレーターの手伝いは初めてだから、モデルが務まるのかとか色々。それと、種族も鬼って感じだから、殺されたりしないかとかの方が……あはは……」
わざと言葉尻をすぼませ、主に伝えたかったのは後者だと印象付けてみる。
日本で鬼といえば邪悪な物、よこしまなモノって言われることが多いし、人に危害を加えるという話も少なくない。
と、長月さんが俺の思考を受け取ってくれると嬉しいのだが……。
思惑通りか、見透かされたか。「ふん」と鼻であしらわれ、つまらなそうに顔を背けられてしまう。
「絵なんて描こうと思えばいくらでも描ける。あと、鬼という種族自体はどうか知らないが、私は別に人間様に敵意を抱いているわけじゃないから」
思った通り、異種族に対しての恐怖を悪くは思っていなかったようで、ほっと胸を撫でおろす。
一種の博打だったし、内心どう思っているかまではわからないが、少なくとも機嫌を損ねる発言ではなかったようだ。
……出会いのせいでハードルが下がってる可能性は否めないが。
「そっか、そうだよな。いや、怖がって悪い」
「簡単に信用するな、ばか。あと、変態が謝る理由はない。怖がるの当然だ」
「いや、失礼かなって……」
「は? 何を言ってるんだお前」
「え?」
「人間が別種を怖がるのなんて当たり前だ。あ・た・り・ま・え。だいたい、こういう話は腐るほどされてるし、人間が自分と違うものを怖がるのは本能だ。逆に怖がらない方が心配する」
「わ、悪い。それでも、君を怖がったのは悪いなって思ってるからさ。何か謝りたかったんなら、それでトントンってことで……だめか?」
「……ふん、さっさと慣れろ」
思ってた通り、彼女自身怖がられることに慣れていたようで、ほっと胸を撫でおろす。
コルセア様みたいに怖がらない方が良いか悩んだが、少なくとも表では口にしてくれる人で良かった。
ぷいっと廊下に戻られてしまったが、ドアが開いたままだったので隙間に腕を差しこんで失礼させてもらう。
「掃除の部屋はこっちだ。ついでに片付けの様子をクロッキーするから、ちょっと待って」
奥を指さしながら、長月さんはムッとしながらそう言った。
しっかりと目的を果たそうとする姿に苦笑し、玄関で靴をそろえて彼女の後ろについて行くと、お風呂に入ったばかりなのか、彼女の通った後がかすかに花の香りが漂って来る。
かすかに温かさを感じてしまい、長月さんが異性であり、彼女の部屋に案内されるのだと思うとドキッと胸が高鳴った。
そして、一瞬でそれが勘違いだったと悟らされた。
……いや、たしかにドキッとしていたんだと思う。彼女が開いた扉の先を見るまでは。
長月さんが長い髪を翻しながら、そそくさと左側の壁にあるパソコンラックらしき場所へ移動し、現れた部屋を見て思わず喉が詰まった。
先ほどした嫌な予感通り、その部屋にはたくさんの物が詰め込まれていたのだから。
部屋に入って、まず目に入ったのは部屋のガラステーブルと奥にある白枠のベッドだった。
今は開け放たれた青い遮光カーテンと、光が差し込んでいるピンク色の寝床にはぬいぐるみや枕がおそらく寝るであろう場所を取り囲むように配置され、その上には脱ぎ散らかした衣服が上下揃えも不規則に積み重なっている。
床はお仕事をするパソコンと寝るベッドだけは行き来しやすいように道が作られているが、道の横にはおそらく読まなくなったであろう雑誌や本、そして着古された服が無造作に並べられ、剥がれた帯がやる気のなさを象徴するように、だらりと垂れ、よれよれの絨毯の上に倒れこんでいた。
ガラステーブルの上には食べ終えたカップ麺やプラスチックの容器などが山のように積まれていて、思わず眉をしかめてしまう。容器の状態と横のキッチンの状態を見るに、かろうじて洗われ、タオルの上にあるのが唯一の救いか。
いや、それでもヤバイ。
そのまま右にあるキッチンに目を移せば、山のように流しに積まれた皿や、ピンク色のコップが置かれ、唯一使うであろう流し横のシンクの上だけ物が無いような惨状が広がる。
どこか感動すら覚えながら、彼女をジトリと見返すと、今度は居心地悪そうにする長月さんと、仕事用スペースらしき場所が目に入った。
パソコンラックは目に入る場所は大体綺麗に拭かれ、埃も落ちていないのに対し、彼女が椅子の上に足を置いているパソコンラックの横には、白い本棚が置かれ、上にはパソコンで使うタブレットやペン、USBなどが雑多に。棚の中には所狭しと……いや、すでに入りきらなくなったコピー用紙が山のように放られ、その一枚一枚すべてに何かしらのイラストか、人形のような絵が描かれ、その棚だけは仕事用なのだなとかろうじてわかる。
まあ、パソコンラックの下には長月さんが足を下ろせばカランコロンと音をたてそうな飲み物の空きがさながらボウリングのピンのようになっていた。
業者を呼ぶほどではないが、紛う事なき汚部屋ではあった。
ためしに近くの床をこっそり足先で擦ってみたが埃はつかない。
ちらりと入ってきたドアを見れば、モップと埃取りが無造作に並べられ、生ゴミもない。おそらく本当に最低限の掃除だけはしているのかもしれない。
それでもヤバイ。
「も、『もちもち紅白』先生って、いつもこんな部屋で生活を……?」
信じられないという気持ちで恐る恐る声に出すと、「ち、ちがうぞ!」と否定の声が聞こえてきてくれる。
「こ、今回はちょっと忙しかっただけだ! 頼み事とか、仕事とか……。たまたま被ってゴミ出しの日のタイミングも悪かったんだ!」
「あー、いつも片付けてない人のソレすぎて逆に安心ですね、これは」
「だから違うって!」
「はいはい。にしてもこの部屋はちょっと……。これじゃ千歳さんが人を頼るのも無理ないかなとは」
「んぐっ……」
「積み重なってる本はいつ読んだんだ、あれ」
「……分からん。たぶんひと月以上は経ってる」
「テーブルの上の空箱は? 中身は……さすがに捨てたっぽいけど」
「拭くものが無かったから、乾くまで放置してたらたまった……」
「おおう、じゃあ……ベッドの上の着替えっぽいのは」
「…………放った。見せられないのは、さすがにいつも洗ってしまってある」
「下着はさすがにやってるか。予想以上だったな、これ」
「うぅ……」
「まあ、得手不得手はあるし、とりあえず、不燃ゴミから片付けようか。ゴミ袋ってある?」
「流しの下。ゴミ関係は全部そこにある」
「シンクの下ね、了解」
すっかり意気消沈してしまっている長月さんだったが、こればっかりはしっかりしてもらわねばならない。
言われた通りシンクを覗くと、たしかにゴミ袋や手袋、ゴミ関係だけでなく小さな掃除用具がよく整頓され分かりやすく店さながらに陳列されていた。
色々とやばかったが、根は真面目かしっかり者なんだろうか。となれば、忙しかったのは割と真理かもしれない。
必要な物を取り出し、容器を片付けていると、途中からサーサーと早速クロッキーとやらのペンを走らせる音が聞こえ始める。
どうやら、もう絵を描くことに集中してしまったらしい。
さすがは絵師というべきだが、モデルにされるということにこそばゆさを覚えつつ、足をプラプラとさせているその足元を指さす。
「なあ、それ。足元のボトル、片付けても平気か?」
「うん? ああ、すまん、頼む」
「足上げてくれ」
「……変態が」
「なにが!?」
「ふん」
冤罪を吹っ掛けられたと思ったらすぐに満足したのか、プラプラさせていた足を椅子の上にのっけてから膝を抱え込みながら続きを始めていた。
椅子の上で座るというなんでもない動作にぐっと来てしまいそうなチョロい自分を抑え、彼女に触れないようにボウリングのピンを別の袋に詰め込み、ふと自分がほとんど素の対応をしてしまっていることに気が付いた。
悪い事……ではないのだが、こんな事千歳さんにもコルセア様にも起きなかったから不思議だ。まるで、昔から知り合いだったみたいだ。
そんなわけないか。




