#1-2
ようやく一息をつくことが出来て、肺の中にため込んだ息をはきだした。
目の前にはいくつもの商品が並んでいる棚があり、その中にはお弁当やおにぎりなどが転々と並べられている。
ここは家の近所にあるコンビニエンスストアで、自分のバイト先と住んでいるアパートの間にある。
大変便利でいつも重宝させてもらっている場所で、今みたいにバイト帰りのさみしく冷たい真冬の風をしのぐのにもちょうどいい立地のコンビニだ。
深夜帯に店を開けているのはいかがなものかと考えてしまうことは度々あるが、両親と離れて暮らしているバイト暮らしの学生にとっては最大の味方とも言える。
一人暮らしになった原因は……。まあ、どこにでもある些細な話だ。
リアルで起きなくてもいい事故に巻き込まれ、やむなく家を出ることになった。
ただ、それだけ。
別に実家に嫌気がさしたとか、親と喧嘩別れをしたとか。そう言った闇の深い事情ではなくて、ただ一人暮らしをするタイミングになってしまっただけのつまらない話だ。
――さて、そんな感傷よりも何を買うか決めないと。
そう思って商品が並んでいるはずの棚に視線を戻す。
さすがに深夜にもほど近い時間帯だからだろうか。かきいれ時ならば所狭しと並べられているはずの棚には奥が見えるほどの隙間を散見することが出来た。
数が少ない商品のなかで夕飯はどれにしようかと迷っていると、胸元のポケットに入れっぱなしにしていたスマホが震えていることに気が付いて取り出してみる。
すると、メッセージアプリの履歴が表示されていて“常盤千歳”というの名前の人物と昔の友人の二人からメッセージが届いていた。
友人の方からは『すごい久しぶりに履歴みたら居た。今何やってるの?』ときていて、胸の中がざわついた。こっちは自分の心の平穏の為に未読のまま放置することにする。
千歳さんの方は何だろうか。そう思って開いてみると、『ふっふっふー、恵才三くん、バイトは終わったかな?』と、書かれたメッセージが送られてきていた。
彼女からの励ましの連絡メッセージ――というほほえましい物ではなく、千歳さんは今住んでいるアパートの大家さんだ。彼女は何かと面倒を見てくれる人で、やりたいことがあるのならと色々と相談に乗ってもくれる面倒見の良い大家さんでもある。
自分の様に初めて一人暮らしをする際のコツをいろいろと教えてもらっていたりもするので、本当に頭は上がらない。
そんな千歳さんにバイトの時間を把握されていたことに驚きつつも、返信をしなければと思いなおして文字をかえす。
『はい、今から帰ります』
少しかじかむ手に四苦八苦しながらもそう返すと、向こうもずっと見ていたのだろう。すぐに既読が付いて、返事が返ってきた。
『ご飯食べた? 食べてないならちゃんと買ってくるかなんかするんだよ』
「えっと……。『そのつもりです』と」
『よろしい』
たった一言だったのだが、胸をそらして自慢げに言っている千歳さんの姿が頭に浮かんで、あまりにも似合っていたので気が付くと笑ってしまっていた。
――しかし、千歳さんって何歳なんだろう。
女性にそんなことを聞くのが失礼なのは百も承知なので聞いたことは無いのだが……。
話を聞いている限り自分よりは年上のはずなのに、そう言う可愛い動作が似合ってしまうのが不思議な人だ。不思議の一つである千歳さんの秘密に思いを馳せていると、また携帯が震えて千歳さんからメッセージが飛んできていた。
内容は、
『そういえばさ、隣の子とは仲良くしてくれてる?』
と、書かれていた。
隣の子、と言われてすぐに思いつく人物がいる。
それは隣の部屋に住んでいる人……、のはずだ。千歳さんが大家をしているアパートで、自分は二階の一番奥の部屋を借りているのだが、学費や生活費を稼ぐためにバイト通いということもあって、隣の人と時間が合わないらしくまだ対面したことは無かった。
『いえ、まだです。なかなか時間が合わないみたいで』
『ん、そっか。じゃあ見かけたときは気にかけてあげてね。その子も初めての一人暮らしで心細いだろうから』
『了解です』
『それと才三くんも帰り道気をつけてね。君の見たいっていってた配信がそろそろ始まる時間だし、行方不明事件が起きるかもだから!』
怖い事件のことは置いておくとして、そんなに時間が危なかっただろうか。千歳さんの言葉につられてスマホのアプリを閉じて、見る予定だった配信の時間を確認する。
そこには『今日は雑談!』と書かれた配信の予約機能が書かれていて、ポップアップされていた。
千歳さんが言っていた“俺が見たいもの”というのは俺が推しているライバーの生放送の事だった。
最近、動画投稿サイトで有名になって来たヴァーチャルモデルを使って配信をするという“ヴァーチャルライバー”と呼ばれる配信者たちが増えてきているのだ。
まるで本当の存在かの様にキャラクターの設定を生かし、時には素の自分を生かした配信や動画を投稿する人たちがネットの世界では流行している。
流行り始めた当初こそ大きな問題がいくつも起きていたが、その活動をサポートする会社が出来始め、ライバー達が活動する場所も増えてくると、ネットの海でこっそりと流行り始めていったのだ。
何を隠そう、俺もその流行に乗った一人だった。
もちろん、その時の流行に乗ったのは配信する側ではなく見る側としてだ。
その中でも、コルセア・ラ・ミナミ・モンテイジ・デ・ネージ――通称コルセア様とファンの間で呼ばれている白い鱗が特徴的な竜人の姿を模したヴァーチャルライバーが自分のお気に入りのライバーだった。
竜人というのは西洋竜と人間を足して二で割ったような種族で、白い色なのは氷の竜であり、氷の魔法も扱うことが出来る。ただ自分の周りが常時冷たくなってしまうために、たまに無自覚で物を凍らせてしまって困っているという悩みもあるという設定のライバーだ。
デザインもさることながら、彼女が配信で見せる機械音痴の端くれのような言動や、雑談で楽しそうに言葉を紡いでくれていて真面目なのが伝わってきて、ついつい応援したくなってしまうというのが良い点だ。
それはともかく……。
彼女の様に、ライバーの中には亜人の姿をした人も数多くいるのだが、その中でもコルセア様は声もいい、デザインもいい、人柄もいい。笑ってる時に見える八重歯も特徴的で、時に見せるドジがたまらないという、自分の好みに刺さってしまった人だった。サポートする会社に入ってないいわゆる個人勢という立場がゆえに、知名度も低いし、配信環境もまともに整っていないから雑談が主になっているのがある種の難点だが、それでも推したくなる人物なのは間違いなかった。
許されるのなら、彼女の身の回りの世話から何まで世話をしたって苦ではない。
おほん。
と、ついつい心の中でもオタク特有の早口になって熱く語ってしまいそうになるほど、個人的には気に入っているライバーだ。推している――、人数が少ないようで多いライバーの中でも一番好きでファンと言ってもいい。
ライバーの活動は、例えるなら地下アイドルに似ているため、あまり公にできる趣味、とは言い難いのも難点なのだが、一人暮らしでバイト生活ということもあって友人とのコミュニケーションが少ない自分としては、そこはあまり問題は無いと言えばないので謳歌させてもらっている。
ただ……。正直なことを言ってしまえば、趣味の内容が内容なので、このことは誰にも――それこそ親にすらも話すことは無いと思っていた。
流行になって来たとは言っても、しょせんはブラックボックスが多いネットの海での出来事だ。一般的に――それこそネットの一般的に――、見てもマイナーメジャーの域を出ないジャンルであることは認識していたし、自分の過去の事もあったのでそこまで公にして言う趣味ではないと思っていた。
のだが……。
一人暮らしをしようと思い立って、大家でもある千歳さんと初めて面会した時、あまりにネットの理解があるので、警戒をしていたにもかかわらず全てを話してしまったのだ。
あの見た目と態度に騙されてしまったと言っても良い。
だから、自分のこの趣味を知っているのは知り合い間では千歳さんだけ、ということになる。
――っと、今の時間は。
無駄な思考を辞めて時計を確認すると、コンビニに足を運んできてからだいぶ時間がたってしまっていた。
確かに千歳さんの言う通り、このままゆっくりしていたら自分が楽しみにしていたコルセア様の配信時間に間に合わなそうだった。
――少しゆっくりしすぎたかな……。
このままではバイトを早く切り上げた意味が無くなってしまう。そう思って、急いで商品を手に取って会計に通してから外に出ると、自動ドアが開くのと同時に冷たい風が吹き込んできた。
そろそろ雪が降りそうな時期になってきたから、寒いのも仕方が無いのかもしれない。
身震いをしてしまいそうになって体を震わせていると、ふと、何を自分でも何を思ったのか分からないが空を見上げてみたくなった。
夜中だから、だろうか。街中ではあまり見る機会の無い夜空が広がっていて、思わず空に落ちて行ってしまいそうな感覚に襲われる。
ちゃんと地面に足をつけているのに、自分が空を飛んでいるかのような、不思議な感覚だ。強いて言うなら、アリス症候群、といった感じに近いと俺は思っている。
そのまま上を見上げて歩きそうになって、慌てて視線を元に戻した。どこかの有名になったお話の様に不注意でトラックにひかれて死んでしまったら目も当てられない。
それも悪くはないが、俺のような人間が異世界に飛ばされて生きていけると思うほど俺はうぬぼれることはできない。
家路に気をつけながら、早足で自分の住んでいるアパートに向かうことにした。