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#6「カンバスの鯉は恵まれていた」


 コルセア様の自信を取り戻す作戦を実行して、一週間ほど。

 あの時打ち震えていた心臓の鼓動が静かになって、相変わらず、彼女の配信が無ければやることのない俺は、やるべきことは全て終わらせて、別の配信者を横目で流し見ているしかやることがなかった。

 その人たちはコルセア様と比較すると、再生数やお気に入りの登録人数の桁が違う人も多いし、確かにカリスマ性や面白さを感じはする。しかし、何というべきだろうか……、作業が手につかないほど真剣に見る時間はコルセア様と比べると圧倒的に減ってしまっていた。

 エンターテイメントとしては優秀だけど、求めている面白さではないというのが本音だろうか。追っているのがマイナーメジャーな界隈だからこその問題、というのもあるのだろうが、関連しているからと言って熱を上げるほどの興奮はあまり覚えなかった。

 おかげでコルセア様の放送を見ている時には溜まっていた課題が一瞬で肩が付いたのだが、こうして他の人を見ていくと、やはりコルセア様の方が好きなのだと、身勝手ながらもそう実感せざるを得なかった。



 あの時――、彼女の自信を出す作戦の最後に連絡を取ったのは、俺に「今何してるの?」と送って来た昔からの友人だった。

 あいつは俺が昔ネットで知り合った情報通の知り合いで、ネットの情報関係に異常に強いやつだった。その情報網を生かしてもらい、カンバスの鯉がコルセア様の事を応援しているという情報を出来るだけ早くコルセア様に届くようにばらまいてもらったのだ。もちろん、嘘ではなく本当の噂を。

 あの名前で彼女を応援していると、第三者から伝わればよいだけなので、そこまで大仰な事ではないのだが、いかんせんお互いの知名度のせいで余計な手間がかかるとすごい文句も言われていた。それに加えて、手伝ってもらう当人にも彼女の事を認めてもらうという行程を必要としたし、それなりに報酬も約束させられたが、この結果を思えば安すぎるほどだろう。

 実際、カンバスの鯉という名前を調べれば、今一番上に出てくるのはコルセア様を応援して、良い場面を切り取った切り抜きの動画をあげた発言が一番上に来る。

 SNSも、動画も。全て彼女の事を応援したり、彼女の面白さを全力で引き出す動画を逐一上げている様子が目立つようにしてある。

 嘘は何一つついてもらっていない。

 ただ事実をそのまま拡散してもらっただけだ。

 それがどれほどの効果があったかは、目論見通りの結果が示してくれていた。



 ふと、コルセア様の配信ページが視界に入り、そこに書いてあるお気に入りの数が目に入った。

 数週間前まで、いわゆる個人で活動している中でも少なめとしか言いようがない数字だったのが、いつのまにか彼女の配信を心待ちにしている人数が増えていた。

 数字を見るに、彼女の自信を取り戻す作戦は多少なりとも結果は出ているはずだ。

 実際、あの日からコルセア様のお気に入り登録は徐々に増えているし、どの配信のアーカイブも再生数がどんどん伸びている。

 しかし、あの日から時間がたっても音沙汰がないとなると、コルセア様は本当に辞めることを選んでしまったのかもしれないと思うと、残念さと応援しきれなかったやるせなさがないまぜになる。

 この後、コルセア様も千歳さんもどうするんだろう。

 また別の活動をするのだろうか。それとも、コルセア様が前に教えてくれた別の世界とやらに帰ってしまうのだろうか。

 ふと、パソコンの画面を見ていて、あの時。彼女の音声トラブルの解決を手伝った時にした約束を思い出す。

 彼女の為に専用の日用品を考えようか、という約束。


「もし、コルセア様が帰るってなったら……。この前した日用品を作るという約束もなくなるのか」


 言葉にしてみて、彼女がいなくなる、ということを想像させられてしまう。その時の事を考えると少し……。いや、ひどく胸が痛くなる。

 俺はどこかで間違った行動をしてしまったのだろうか。それとも間違ってはなかったけれど、運が向かなかっただけだろうか。

 前者はともかく、後者はどうしようもない事でしかないのに、なにかできなかったのかと後悔する。


 ――悪い癖だなこれ。ぼうっと考えていると、気分が沈む。

 こんなことを考えていても仕方ない。とりあえず、動画を流し見するためになにか飲み物を取りに行こう。

 そう思ってパソコンの前から立ち上がろうとした。

 その時――。



『コルセアチャンネルが配信の予約を開始しました』

 


 画面の端に、そんな機械的なメッセージが飛んできて、俺は座っていたにもかかわらず、椅子に座ろうとして意味も分からずに椅子に衝撃を与えていた。

 実際、止まったように静かだった心臓が早鐘の様になり出していて、夢かと思って確認した自分の手は緊張したのか、それとも興奮したのか。自分で見てもわかるほど震えていた。

 震える手でもう一度確認して、自分の目に狂いがないことを確かめると、コルセア様の名前が見えた瞬間、誰にも見えないのに思わずガッツポーズをしてしまっていた。

 予約をしたということはコルセア様が携帯端末で外から予約したのでは限り、あのパソコンの前に居るはずだ。

 こうしてはいられない。

 はやる気持ちを抑えて、勝手にコルセア様の復活を前祝しようとコンビニへ出かけることにした。



      *     *     *



「よし、買い忘れはないな」


 俺はアパートの階段途中、アパートの冷たい壁に体重を預けながら、買い忘れがないか手に持ったコンビニの袋の中を確認してそう言った。

 コンビニの袋には、好物の紅茶とそれに合う同じ味のお菓子が複数入っていて、健全な男子がこれからちょっとした宴をするのには十分な量だった。

 紅茶に紅茶のお菓子を合わせるのはどうなのかという話なのだが、個人的には人工甘味料の甘さと紅茶味のお菓子は両方とも本当の紅茶とは違う物だが、合わせて見ると意外といけると思う。

 俺だけだろうか。

 まあ、冷えていないので氷を入れないとすぐには飲めないのが残念だが、それでも予定していたコルセア様復活の前祝には問題ないだろう。

 袋の中を確認した俺は、二階にある自分の部屋に向かうため、鉄でできている階段に足をかけると、上の方から何か音が聞こえてきた。

 なにかと思ってみると、コルセア様の部屋のドアが開くと、コルセア様が周囲を警戒するかのように顔を出すのが見えて、ドキッとしてしまう。

 偶然、彼女もどこか――いや、もしかしたら千歳さんに会いに行くだけかもしれない。

 予定していたよりも早い彼女との再会に感動して素が出てしまいそうになり、慌てて気を引き締める。

 久しぶりに会うコルセア様だ。いくら嬉しいからと言っても失礼があってはいけない。

 一度立ち止まって、少し深めに息をはきだす。声をできるだけ整えてから、階段を上ってまだ外の太陽を眩しそうに見つめているコルセア様に声をかけることにした。


「コルセア様。久しぶりです」


 出来るだけ平然を保ちながらも、俺は彼女にそう声をかけた。

 俺のことに気が付いてもらえたのか。コルセア様がこちらを向いてくれる。

「おお、恵殿! 久しいな」

 彼女はどこか顔のにやけが抑えられない、と言った様子でそう返してくれていた。

 ちらっと彼女の顔には疲れと思われる色がにじんでいたが、まるで踊りだしそうな勢いで外に出てくると、いつものように腕を後ろで組んで俺の前に出てきてくれた。

 顔色はあんまりよくないが、思っていたよりもずっと元気そうな彼女を見ることが出来て安心する。できるだけ自然に階段を上って彼女と同じ目線に合わせて見る。


「機嫌がいいみたいっすね」

「む、そう見えるか?」

「うん、なにかいいことでも?」

「ふふ、気にするでない。体調が良くなったのと、少しばかり嬉しいことがあってな」

「嬉しい事っすか」

「うむ。しかし、これは余の私情だ。あまり触れるでない。少しばかり舞い上がってしまっているだけだからな」

「そっか。でも、元気ならよかった」


 嬉しそうな彼女を見ると、こちらまで嬉しくなってしまう。しかし、あまりそれを悟られると恥ずかしいので、出来るだけ平静を保ちながらも彼女の声に答えた。

 この期に及んで、何が彼女にとってうれしいことだったのだろうと考える。

 チャンネルのお気に入りが増えたことだろうか。それともカンバスの鯉の噂を見たからだろうか。もっと別の……本当に私情の出来事だったのかもしれない。

 元気を取り戻した理由がどれかまでは把握できないけれど、こうして元気な姿を見せてくれるというのはうれしいことだ。

 だって俺は、彼女のファンなのだから。

 いや……、ファンとしてだけでなく彼女の隣人としてもとてもうれしいことだ。

 だって、仲の良い知り合いが傷心していたら、力になりたいと思うのが普通だろ。

 ……俺は誰に言っているのだろうか。

 まあ、それはともかく、彼女には元気でいてほしいというのが隣人としての素直な気持ちだった。隣人としての心配とか、ファンとしての葛藤とか、色々考えてしまうのが彼女との関係におけるネックではあるが。

 思考の中でそんな自嘲と自重を繰り返していると、コルセア様が後ろ手に手を組んで小首をかしげた。


「のう、恵殿」

「はい?」

「心配をかけたな」

「ん……、えっと、うん」

「む? なにか不満があったのか?」


 困り眉のコルセア様がそんな風に口にしたので、慌てて首を振って否定する。


「不満なんてとんでもない! いや、でも心配してないっていうのもあれだし、心配してたって言うと気にするからどうしようかって考えてた」


 そう答えると、一瞬だけきょとんとした顔になって破顔する。


「あはっ、そうだな。こういう話は良くないな。うむ、余はこれから大家殿に挨拶に行くんだが、おぬしはどうする?」

「ああ、俺はこれから――」

「これから?」

「いや……」


 前祝、と言おうとして慌てて口を噤んだ。

 何の前祝とコルセア様に聞かれたら、裏で色々としていたことがばれてしまう。そう思ったからだ。

 あれは一ファンとして行動した結果だ。コルセア様に直接言ってしまったら格好もつかないし、なにより秘密にしている意味が無くなってしまう。

 答えられないでいると、「おお、そうだ」とコルセア様が手を叩いた。


「ん?」

「しばし待っておれ」


 そう言うと、コルセア様の髪が舞って、どこか慌てた様子で自分の部屋へと戻って行ってしまった。

 どうしたのかと見守っていると、すぐにドアが開いたと思うと、彼女は俺の方に何かを放り投げてきた。

 反射で受け取ると、受け取った瞬間痛みにも似た冷たさが手に伝わってきて、それに視線を移すと、氷と間違えるほどに冷やされた紅茶の缶だった。

 俺が先ほど買ってきたのと同じ銘柄――と言ってもコンビニのだが――で、この冷たさは冷蔵庫からとって来た、というにはあまりにも冷たいので、コルセア様が今冷やしたのではないだろうか。

 ……前にもらった氷の温度をなんとなく覚えてしまっていただけで、決してコルセア様の冷たさを覚えているからとかそう言うあれではない。

 それはさておいて――。

 渡された紅茶の缶を持ち上げて「これは?」と聞き返す。


「何度も様子を見に来てくれた礼をしようと思ってな。大家殿に買ってきてもらっていたのだ」

「そんな。そこまで気にすることないんじゃないかな……」

「そういうな。隣とはいえ何度も足を運ばせてしまった原因は余だからな。そこも大家殿に聞いておる。このままで終わらせてしまうなんて、余の気が収まらん」


 コルセア様はそう言ってぷいっとそっぽを向いてしまった。よくよく見て見ると、彼女の首筋がほんのり赤く染まっているということは相応にお礼を考えたり、誰かに感謝をするという慣れないことにした羞恥に耐えているのかもしれない。

 俺自身は、本当に彼女が自分の考えを貫けるように戸思って行動したので、何度も足を運んだことに関してはお礼をされる筋合いなんてないのだけど……。

 これ以上彼女のお礼を否定するような言葉を言うと、彼女の頑張りも否定することになってしまうだろうか。

 そう思って素直に彼女のお礼を受け取ることにした。


「そっか。じゃあこれはもらっておくよ。紅茶は好きなんだ」

「あはっ、その言い分では紅茶以外では受け取ってくれなかったのか?」

「まさか! 感謝の心はいつでも受け取りますから」

「うむ。それじゃあ余は大家殿の所に行ってくる」


 そう言ってコルセア様が動こうとしたので、出来るだけ冷たい壁に引っ付いて彼女に道を譲った。

 背中に冷たく固い感触を覚えながらもコルセア様が横を通ろうとして――。

 ふわりと、冷たい彼女の匂いと、声が聞こえてきた。



「ありがとう。恵殿はきっととても良い竜に成れる」



 ――竜に成れる?


 今、コルセア様は確かにそう言った。


「いったいどういう……」


 聞き返そうとすると、すっとわきを通り抜けていたコルセア様はもう下に降りていて、階段から折り返して大家さんの家に向かうところだった。

 多少なりとも着込んでいたが、彼女の翼膜の羽と尻尾が出ていてぎょっとする。

 あのまま行くのかと慌てながら安全柵から身を乗り出して周囲に人影がないかを確認してしまうが、もしかしたら千歳さんが何かしたのかもしれない。辺りには人の気配もなく、静まり返った住宅街の路地でしかなかった。

 だいぶ今更だが、今の今まで自分が気が付かなかっただけで、俺がここに来てからもずっとそうだったのかもしれない。

 自然とそんな言葉を自分で受けれいていることに気が付いて、苦笑する。

 俺はもう、コルセア様たちがいる生活に慣れ切ってしまっているらしい。ファンとしてとか、隣人としてというよりも、俺は俺個人としてコルセア様たちが住んでいるこの生活を気に入っているという事だ。

 ……いうまでもないことだったか。

 千歳さんの家に入って行くコルセア様を見送ってから、俺は自分の部屋に引き上げることにした。



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