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#4「閉まるドアはどこのもの?」



『うぅむ……。皆、待たせてしまって申し訳ない……』



「お、始まった」


 自分の寝室でパソコンの机についていた俺は、イヤホンから流れる彼女の声が聞こえてきて胸を躍らせた。

 画面にはコルセア様のイラストが動いてコメントを追いかけている様子が表示されていて、無事放送が始まってくれたようだった。

 今日の配信は何かトラブルがあったらしく、予定されていた時間より少しだけ遅めに配信が開始されたようだったので、放送を開いて待機していたのだ。

 とはいえ、別に彼女の声を聞きたくて、始まる何時間も前から彼女の放送に入り浸っていたわけではない。別にたまたま予定もなく時間が空いていて、細かい作業をするときにちょうどよかったから開いていただけである。

 ……俺は一人で誰に言い訳をしているんだろうか。

 言い訳をしている自分に一人で突っ込みを入れ、止まっていた課題の手を動かすことにした。

 課題を少しだけ進めて、そろそろ休憩でも取ろうかと思っていたころ。

 ふと、課題を片付けながらも横目でパソコンに視線を移すと嬉しそうに話す彼女の姿が映っていてほんのりと胸のあたりが温かくなった。



      *     *     *



 コルセア様のパソコンの様子を見てから一月ほどたっただろうか。

 あれからコルセア様の配信に来る人数は徐々に増え始めていた。

 配信の環境もある程度変わったからというのもあるのだろうが、なによりコルセア様が楽しそうに配信しているのが楽しそうだから、というのも大きいと個人的には思う。

 今話している声だって、前までの配信に比べればはっきりと聞こえるし、楽しそうに放送が出来ているのが目に見えて――。いや、耳に聞こえてわかる。

 昔のリップノイズも減って音が気になっていた人もとどまって聞いているのだろう。それが楽しみにしていた変態さんは残念だろうが。

 前にも増して楽しそうで、透き通ったような綺麗な声を聞けるのは聞く側としては純粋にうれしいので、ファンとしてもあの行動は悪くなかったと今なら思う。



      *     *     *




『そういえばこの前、パスタという物を初めて食べたのだが、これがまた美味しくてな? 本当はもっと味わって食べたかったのだが、時間に余裕がなくてな。ん? そう、初めて! ――』



 どうやらこの前のパスタを差し入れした時のことを話しているようで、恥ずかしいやら気が引けるやら、複雑な気持ちで彼女の配信を聞く羽目になった。

 耳に入って来る話に苦笑しながらも、順調に課題を進めていく。この調子ならきっと配信終わりまで雑談をする流れだろう。そう思い、今日はどこまで課題を消費するか考えようとして、



 ――まだ配信なんてやってたのかw



 配信のコメントにそんな不穏なコメントが一行だけ流れて、課題を進めていた手が止まってしまう。

 長い時間放送をやっているから……、というわけではなかった。

 もちろん、配信の時間が長ければ往々にしてそう言うコメントの流れは出てくる。しかし、彼女は今配信を始めたばかりだし、そんなコメントが流れてくるような時間でもない。なにより何気ない言葉の端々に棘のような雰囲気を感じ取ることが出来た。

 今までになかった類の、いわゆるアンチや荒らしと呼ばれるコメント類だ。誰も触れず、誰も気にしなければ流れてしまう類の悪さなのは間違いない。

 彼女の配信に人が増え始めてきた証拠なのだが、見ている側はもちろんそれを受け取る側も気持ちのいい言葉ではないのは確かだ。

 少し心配になって画面に視線を戻してみると、ちょうど同じタイミングで彼女の画面にもそのコメントが流れたのであろう、かすかに……、ほんのかすかにだけ言葉に詰まっていたような気がした。

 今までの――彼女に会う前までなら、気が付かなかったであろう些細な変化だった。それ程の小さな変化だった。なまじっか彼女の事を知ってしまったから彼女が動揺しているのが伝わってきてしまって、大丈夫だろうかとハラハラしてしまう。

 どうなるかと不安な気持ちでコルセア様の配信を見守っていると、彼女が噴き出すように笑うような声が入った。


『ごほっ……。あはっ、なんだそれは。むせてしまったぞ。余は雑食だが、ポストは食べないぞ』


 幸いにもというべきか、すぐ下に彼女を笑わせようとしたコメントが流れてくれたので、コルセア様はそう返していてほっとする。

 反応が遅れたが、自分もコメントが早く流れるように幾つかコメントをすることにした。

 他のコメントも気にしないようにしているのか。それとも本当に気が付いてはいないのか。彼女の反応とコメントに対しては我関せずを貫いてくれているようだった。



 ――この様子なら配信自体は大丈夫のはずだけど……。



 とりあえずこの配信で何かが起きることはまずないだろう。そこの面については安心できるのでほっと胸をなでおろした。

 しかし、かすかに見せたコルセア様の反応でやけに心がざわついた。

 実際、創作関係の事をしていればこういう場面は良く目に入ってしまう。気にするだけ無駄という事実もその通りだと思う。

 この程度の事は杞憂に過ぎない。そう言う人の言葉が正しいのもわかる。

 ただ、本人に会って喋って……。そのうえで配信も見続けていてコルセア様のあんな反応を初めて見たのだ。

 これが俺の心配のし過ぎで、間抜けなお前の杞憂だ。知らない誰かにそう言われて、本当に俺の杞憂だったのならそれに越したことは無い。

 何事も一番悪いことを想定するのは俺の悪い癖ではあるのだけれど……。

 その後は楽しそうに配信を続けてはくれていたものの、はらはらとした気持ちで居ても立っても居られなくなりそうな気持を必死に抑える。

 ちゃんとコルセア様の配信が無事に終わるのを見届けてからコルセア様のもとに向かうことにした。



      *     *     *



 外に出ると、空には雲が立ち込めていて、今にも雨が降り出しそうになって居た。

 俺は、不安になる気持ちを抑えながらも、コルセア様の部屋の呼び鈴を鳴らした。

 前の様に廊下の方から誰かが歩いてくる音が聞こえて、ドアの前で立ち止まった。数秒してから鍵を開ける音が聞こえてきて、ゆっくりと控えめに開いたドアの隙間から、いつも通りのコルセア様が顔を覗かせてくれた。

 彼女のリアルの顔が見ることが出来て、自分勝手な理由ながらもほっと安心してしまう。


「恵殿、か? どうかしたのか?」

「よかった。コルセア様が出てくれて本当に良かった」

「何かあったのか?」

「え? えっと……」


 コルセア様の顔を見てほっとしたのは良かったが、間抜けなことに彼女に伝える言葉をどうしようか全く考えていなかった。

 自分でも驚くほど何も考えていなかったので、なんて言葉にしていいか頭の中で整理しようとしているとコルセア様が苦笑した。


「すまぬ、恵殿。余のもとに来てくれたのは嬉しいのだが、もう戻っても良いか?」

「え、どうかしたんですか?」


 苦笑交じりの笑顔がみえて、安心していた気持ちにすっと影が差した。心配になってそう聞くと、視線が斜めを向いて何かを考えるような沈黙が続いた。


「ん……。いや、特に問題はない。ただ、ちょっと体調が良くなくてな」


 いつもそうしてもらっているように、何でもないように彼女にそう言われてしまった。

 体調が悪い、と直接言われてしまうと、本当に体調が悪いのか、それとも精神的に参っているのか判断が付かず、どう答えるべきかと決めあぐねているうちに、反射で「体調が……」と返してしまう。


「うむ。だからすまぬ、今日はもう床に戻らせてもらうぞ」

「あ、まっ――」


 有無を言わさぬ勢いでドアが閉められてしまいそうになって慌ててしまう。

 彼女は悩みを直接言わないタイプだというのは前々から放送を見ていてすぐにわかることだ。

 このまま閉められたら、きっと彼女には一生悩みなんて打ち明けてもらえなくなる。そんなバカみたいな考えがよぎってしまう。

 彼女にドアを閉めさせてはいけないと慌てすぎて、考える前にドアの隙間に手を差し込んでドアを閉めるのを妨害してしまっていた。

 幸い、彼女もドアを力強く閉めるつもりはなかったようで、腕が軽く挟まれた時点でコルセア様の「ひゃっ、め、恵殿!」と慌てた声が聞こえてきて、胸をなでおろした。

 すぐに扉を開けてくれたため、腕は解放されたが、同時にバランスを崩して倒れ込んでしまいそうになる。慌ててドアの枠組みに捕まって難を逃れると、すぐ目の前には心配そうにのぞき込むコルセア様の姿があった。


「ば、ばば馬鹿者! 危なかったぞ! 余は人間ではないから、力の加減が――」

「ご、ごめん。でも、ドアを閉めないでくれてありがとう」

「そ、それは恵殿が危険なことをするからだぞ。余は人間ではない。どの程度の力で人間が死んでしまうかなんて余にはわからないんだぞ!」

「ご、ごめん。それは本気で反省してる」

「してる?」

「すいません。反省しています」


 当然と言えば当然なのだが、あまりの圧力に敬語でそう返していた。

 正直、閉まるドアに腕を挟むなんて、たとえ相手が人間相手だったとしても、非常に危ない行為には違いない。

 普通にけがをしてもおかしくないし、もし本当に怪我をしてしまっていたら、コルセア様自身に責任が無くても、彼女はきっと自己嫌悪してしまうだろう。

 そこは反省すべき点だが、どうしても今彼女の本音を聞かなければいけない、そう思ったら体が勝手に動いてしまっていたのだ。


「どうして……」

「え?」

「どうして、そんなことをしてまで余を止めたのだ」

 コルセア様もそこまでした自分に何か思ったのだろう。心配そうに見てくれながらもそう言った。

「正直、そこまでするつもりはなかったんだ。でも、コルセア様の事が心配で……」

「心配? 余の事が?」

「そう、心配で」

「っ……」


 そう答えると、動揺した世にコルセア様が言葉に詰まってしまっていた。

 ぽたりと、背後で水の滴る音が聞こえて、つい道路の方を振り返ってしまう。すると、廊下の屋根から設置されている雨どいから、雨が伝って落ちる音で、かすかに雨が降り始めてしまっていた。

 彼女の方に視線を戻すと、すぐに彼女は言葉を続けてくれた。


「……あ、あはっ……。余は人竜だぞ? 人間よりもずっとずっと強い種族で……。人間だったら死ぬ病でも耐えることはできる。それでも恵殿は余の事が心配なのか?」

「あー、確かに種族とか詳しいことは何もわからないけど。でも、コルセア様は本当に大丈夫なのかな? って思っちゃって……」


 俺がそう言うと、なにか彼女の琴線に触れたのだろう。コルセア様は再び動揺したように瞳を泳がせると、俺の方から目をそらすように顔を斜めに向けた。

 画面の先の――ライバーのコルセア様では絶対に見ることのできない、リアルの表情だった。


「恵殿は……。そんなに、余の事が心配か?」

「心配じゃない。なんて、今更言うのはおかしいと思う」

「あは、そうだな。でも、心配なのは余が隣人だからか? それともライバーだからか?」

「それは……」


 どうして、コルセア様は今そんなことを聞くのだろうか。

 何と答えていいのか分からずに言葉に言葉に詰まっていると、コルセア様は自嘲したように笑った。


「くはっ。余の意地悪で恵殿を困らせてはいけないな。すまぬ、今のは忘れてくれ」

「わ、忘れてくれって……」

「良いか?」

「わ、分かった……」


 本当は茶化したり、元気よく振舞えたらよかった返事なのかもしれない。でも、忘れてほしいと言った彼女の自嘲して作られた笑顔が、本当に寂しそうで……。まるで、無理やり好きなものを捨てた子供のような印象を受けてしまって、そう返すことが出来なかった。


「うむ。正直な、恵殿が心配をしてくれるのは嬉しいのだ」

「なら……」

「確かにうれしい。でも、これは余の問題であって、恵殿の問題では無かろう?」


 コルセア様はそう言葉にして、今度は困ったような笑顔を返してきた。

 それは普段なら絶対見せないであろう彼女の表情で。あの時――、俺が彼女の部屋に侵入してしまった時のような――。俺が、彼女の事を知っていると口にしたあの時の様に、悲しそうな顔をしてしまっていて……。

 その表情が、あまりにも辛そうで。

 あの時と同じように頭の中が真っ白になった。


「そ、それは!」


 自分の頭の中が真っ白になったことに動揺してしまって、出そうと思っていた言葉が喉から言葉が出ていないことに気が付いた。慌てて声を出そうにも戸惑いが言葉を胸元でせき止められてしまっていた。


「…………。すまぬ、悪戯が過ぎた。心配せずとも、余は大丈夫だから。床に戻らせてもらう。……もう、扉に腕を挟むなんてことはしないでくれ。余も、怖いんだ」

「で、でも!」

「心配しすぎだ。いつもの恵殿らしくないぞ? 余は、大丈夫だから」


 コルセア様にそう言われて、今度は自分が動揺する番になってしまった。

 今反応からして、どう考えても大丈夫なわけがない。

 そんなの今までの彼女を見ていれば分かる。生身ではなくても、配信での彼女をずっと見ていれば、今の彼女に何かあるのは日の目を見るよりも明らかだった。

 それなのに、昔……、はるか昔に自分が言った言葉を思い出してしまって、喉から言葉を絞り出すこともできず、彼女を止めることすらも躊躇してしまう。



 知っている範囲には出来るだけ同じように接したい。



 そう言ったのは、誰だったか。



 結局、声をかけることが出来ずに、静かに鍵まで閉じられてしまった。


「コルセア様……」


 かけようと思った声が遅れて出てきて、自分が立ち尽くしてしまっていることに気が付いた。

 自分の手が彼女を追うように上げたまま宙に浮いていた。もう一度彼女を呼ぼうとドアノブに降ろそうとして、なにも掴むことが出来ずにこぶしを握った。

 もう一度声をかけたところで、彼女は出てくれないだろう。

 彼女の言った「おぬしの問題では無かろう」という言葉が、伝達された脳の中をリフレインする。

 コルセア様の配信のファンとして。なにより、彼女の事情を知る隣人として。面と向かって関係ないわけがない、と断言できなかった自分が、悔しくて仕方なくなってしまう。

 振り返ると、いつの間にか、かすかに降っていただけの雨は水たまりが出来るほど強い雨になって居た。

 このまま彼女の事を放っておいていいわけがない。

 しかし、もう一度彼女に声を掛ければ、彼女の性格上さらに自分を追い込んでしまう可能性も高かった。

 どうするべきか。考えて、考えて……。



 コルセア様がどうするのかを見守ることしか、選択することしかできなかった。






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