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#3-2


 準備を終えた俺は、隣の部屋の前に立って深呼吸をしていた。

 手にはぎりぎりまでパスタを入れた容器を持っているので、一応他人から見ても不審者には見えないはずだ。

 長時間居座らなければ、だが。

 配信ではそれほど好き嫌いがないとは言っていた覚えがあるので、何を持って行っても問題はないという確認を頭の中で何度もする。

 少し緊張しながらも、自分から押すことは無いと思っていたインターホンを押すことにした。

 すぐに反応はなかったが、暫しの間静かに待ってみるとゆっくりとこちらの方に歩いてくる足音が聞こえてきて、ドアの前でピタリと音がやんだ。

 おそらくドアののぞき窓から誰が来たのかを確認しているのではないだろうか。

 もしかしたら数時間と立たずに訪れた自分の事に心底驚いてしまっているのかもしれない。

 しかし、こんなに外まで音が聞こえてくるのに、今の今まで気が付かなかったのは本当に千歳さんが魔法か何かを使っていたのかもしれない。

 そのまま待っていると、すぐに扉の奥でカギを外す音が聞こえてきてドアが開くと、予想通り驚いた表情のコルセア様が出てきて小首をかしげた。


「恵殿、か? どうかしたのか」


 何気ない仕草が目に見えることに感動する。思わず彼女に見惚れてしまいそうになっている自分に気が付いて心の中で活を入れることにした。


 ――こういう時はスイッチを入れるみたいに切り替える、っと。


 出来るだけ彼女に失礼なく、それでいて親しみやすい隣人のような感じを目指してみることにした。


「ああ、急にごめん。ごはん作り置きしてたら量を作りすぎちゃって。作り置き用で悪いんだけど、良かったらコルセア様にお裾分けをと思ったんだけど……」

「おすそわけ? わざわざ作って余の為に持って来たのか?」


 興味を持ってくれたのか、自分の手に持った物に視線を向けたので、彼女の目に入りやすいように持ち上げる。視線がそのまま保存容器につられていたので、少し面白かった。


「どう、でしょうか」

「これを余にか?」

「昨日のお詫び、っていったら失礼だし、ただの余り物ってだけなんだけど、お昼がまだだったらって」


 そう言うと、やはりコルセア様も思うことがあったのだろう。呆れたような表情で見られてしまう。


「おぬし、よくこのタイミングで余に贈り物をしようと思ったな」

「……やっぱりまずかったかな?」

「あはっ、まずいなんてもんじゃないだろう。これでも余はメスだぞ。それなのに恵殿ときたら。あはっ、あははは」

 馬鹿にするような笑いではなく本当におかしいと言った様子でコルセア様に笑われてしまって、俺は頭をかいて答えるしかなかった。

「まあ、そうですね」


 当然の答えだし、タイミングを考えれば仕方ないが、やはり少し残念だった。

 たしかに彼女の言う通りだ。あんな事があったばかりで。それも異性である俺から彼女に何かを送るというのは警戒されてしかるべしだし、断られたとしても仕方がない。


 ――なら、これは今日と明日で消費しようかな。


 そう思って帰ろうかと思っていると「いや」とコルセア様が言葉を続ける。


「大丈夫だ。それ、もらっても良いか?」

「え……、俺が言うのもなんだけど、いいの?」

「うむ。余は今日まだ何も食べていないからお腹がすいていた。もし何か入っていたとしても、余は人間ではない。それに、この場所で何かあれば大家殿が気づいてくれる。何も問題はない」

「で、でもさすがにファンに何かをもらう場合はもっと注意をしたほうが……」

「なに。それでも何か問題が起きれば、大家殿に文句を言うだけだ。恵殿も覚悟しておくがよい」

「これ以上ない脅し文句。――苦手な物とか、あったら申し訳なさでいっぱいになる」

「ふふ、心配しなくてもよいぞ。余の種族は人間で言う雑食だ。余は特に苦手なものはない。……ふふ、これは知っておったかな?」


 ひとしきり笑って、俺から物を受け取るのは問題はあると分かっているのに、彼女は悪戯っぽくそう言った。

 リアルの彼女も配信時と変わらずよく笑う人のようだ。それが知れて自分も嬉しくなる。

 またぼうっとしてしまっていることに気が付いて、慌てて彼女の方に保存容器を差し出した。


「あ、ああ。えっと、しって、います。どうぞ、もらってください」


 相変わらず、ネットでの事を出されるとなんて反応していいか分からず敬語になってしまって内心で苦笑する。困惑はしてしまったが、彼女に受け取ってもらえるのが嬉しくないわけがない。

 嬉々として彼女に渡そうとすると、彼女がゆっくりと両手の手のひらを出して動きを止めてしまった。少し考えて、昨日コルセア様が“あまり触れていると痛みを長引かせてしまう”と言っていたことを思い出して、彼女の行動の意味が頭に入って来る。

 おそらく、コルセア様は他の物に触れると自身の体質も相まって凍らせてしまう事があるのではないだろうか。だから、他人を傷つけまいと自然と手を隠す癖がついてしまったのだろう。

 コルセア様の意図を察して、手に触れないように気をつけながら彼女の手の上に保存容器を置いた。

 同じように出来るだけ触れないようにしながら両手を上げる。

 手を放すとコルセア様はまるで壊れ物を扱うかのように丁寧に保存容器をつかんで、中に入っているものをくるくるとまわして確認していた。


「うむ、ありがたく。……容器はどうすればよい?」

「空いた容器をそのまま返していただければこっちで洗います。……あー、最悪そのまま処分してもらっても全然大丈夫。千歳さんに渡したのも幾つか帰ってきてないから」

「ふふ、大家殿はずぼらなのだな。分かった」

「えっと、それじゃあ、俺はこれで」


 俺が出来るだけ彼女の時間を奪わないようにと早々にそう言うと、彼女は「う、うむ」と少し動揺したように頷いた。

 彼女の言動に少し疑問を持ちながらも部屋に戻ることにした。

 最後はなぜかぎこちない空気になってしまったが、作り置きの余り物が渡せたのであれば俺の目的は達したような物だ。

 しかし、この後はどうしようか。

 次に何をしようかと考えながら部屋の方に足を向け――、



「め、恵殿!」



 後ろから急に音量を最大にしたときのような大きな声で話しかけられて肩が跳ね上がった。

 振り返ると手に保存容器を持ったまま、気まずそうに外の方へ視線が言っているコルセア様がこちらを見ていた。


「い、今時間は大丈夫、か?」


 声を掛けられたことに驚いていると、また手を後ろ手に回してそわそわとし始めた。尻尾まで左右にゆらゆらと揺れているのを見ると、尻尾は彼女の感情を表しているのかもしれない。

 わざとかもしれないが、それはそれでズル可愛いので許せる。

 阿呆なことを考え始めたので自分の中で再び活を入れた。


「だ、大丈夫ですけど、何かありましたか?」

「それなんだが、おぬしには悪いが、余の部屋までまた足を運んでもらってもいいか?」

「俺でいいんですか?」


 驚いてそう返すと、コルセア様は視線を外されたまま頷いた。


「その……男とはいえ、大家殿から安心な人間と聞いている。最悪、問題が起きれば命くらいならいつでも取ることが出来るのも間違いない。だから、恵殿が迷惑でなければ手伝ってもらいたいことがある」


 と、どこか不安そうに彼女は言った。

 言葉の端々に不穏な単語が聞こえた気はするがそれは聞かなかったことにして、コルセア様の頼みを断るなんて罰当たりなことはできるはずがなかった。

 ファンとしてはアウトかもしれないが千歳さんのお願いもあるし、隣人として彼女を手伝うのであれば何も問題はないだろう。

 たぶんないはず。


「えっと、俺でよければ手伝いをするのは全然いいけど」

「本当、か? 時間が押しておるのなら無理をする必要はないぞ?」


 そう言ってコルセア様が数歩だけ歩み寄って来る。

 身長のせいだろうか。それとも本当に迷惑を掛けまいとしているからだろうか。コルセア様が少し上目遣いで俺の事を見上げてきてくださった。

 思わず後ずさりをしてしまいそうになりながらもなんとか平常心で答える。


「大丈夫、です、はい。うん、今日は学校もバイトもないから時間は問題ないんだけど」

「なにか気になるのか?」

「いやえっと……とくには」

「嘘を言うでない。動揺しておるのは解っておるのだぞ」


 コルセア様はそう言ってむっと見上げてくる。

 そう言うつもりで動揺したわけではないのだが、確かに気になると言えば気になることはある。それは……。


「どうして、そんなに言いにくそうにしてるのかな、と」


 俺が言い難くなるのは昨日の件も含めて全面的にわかるのだが、コルセア様がそこまで恐縮するようなことは何もなかったはずだった。

 もちろん、相手が気持ちの悪いファンだからと思うのなら別だが。

 しかし、俺の問いに彼女はまたも言い難そうにうなると眼をそらされてしまった。もしかして本当に気持ちの悪いファンと思われているのだろうか。


「うぬぅ。それを聞くのか」

「えっと、まあ。気になったから」

「ん、昨日、おぬしが入ってきてしまったせいとはいえ、元々は余がドアを開けてたせいで、おぬしが部屋に入ってきてしまったのだろう?」

「うん。昨日も言ったけど、心配だったから。千歳さんの話もあったし、これは倒れてたら嫌だなって」

「そうだろう? だから、ドアの事については余が全面的に悪い。迷惑をかけた手前、おぬしに頼るというのは、その……」

「虫がよすぎるって話ですか?」

「うむ……」


 彼女が返事をして、どこか元気がなくなったかのように尻尾がうなだれるのが視界の端に映って、どうして彼女が尻尾に出るほどに深刻に思っているのかを少し考えてみる。

 普段の配信から察するに、コルセア様は大変人が良い。配信を通してでも伝わってきてしまうほど、他人に対して配慮している彼女の性格上、一方的に何かを頼む、というのは罪悪感が大きいのかもしれない。

 実際、他人に頼るのが苦手は人は往々して居るもので、真面目過ぎれば過ぎるほど、きらいはある。

 それなら彼女が頼みやすいようにしてみようと自分の中で結論付けた。


「確かにドアはそうかもしれないけど、俺はコルセア様の部屋に入ってしまったので、それは昨日コルセア様も言ってたけど、お互い様かなって」

「そうか?」

「まあ、むしろ俺の方がそんなことで良いのかなって気持ちの方が強くて……。もし頼み辛いってはなしなら、手伝いで帳消しにできるなら安いってお互いに思わないかな? もちろん、それ以降は普通に隣人として協力するとして」

「ん、お互いに悪かったから、お互いの本当にそれでよいのか、という気持ちで手打ちにするということか?」

「そんな感じでどうかな。」

「当人がそれで良いいうのなら、それでもかまわぬが……」


 まだ納得がいかないのか、コルセア様の声には少しだけ不満そうな声色が含まれていた。

 お互いにそこまで押し付ける性格でないのも確かなので、ここは俺から突っ込んだ方が彼女のためになるかもしれない。


「じゃあ、俺は配信者であるコルセア様の事が好きなので、手伝いが出来るというのならむしろ喜んでしますよ」

「ぬぅ。そう、か。そこまで言うのなら、しょうがない?」

「そうそう。しょうがないです。……えっと、それで手伝いって何を手伝えば?」

「あ、ああ、言葉にしてなかったな。大家殿から聞いたが、恵殿はパソコンに詳しいと聞いている」

「一応、人並みには」

「うむ。その、正直な話、大家殿も余もそこまで詳しいというわけではなくてな。事情を知らぬものに頼むわけにもいかなくて……」

「ああ、それなら喜んで。強いわけじゃないけど、出来るだけ力になれるのなら」

「本当か! 助かる」


 コルセア様の配信環境が改善するのであれば、ファンとしてこれ以上の喜びはない。

 協力しないわけにはにわかに行かなくなってきた。


 ――あれ、待てよ。


 コルセア様の頼みを聞くために考え事をしていてふと気が付いた。

 彼女のパソコンを見るというのであれば、それはコルセア様のパソコンがある場所に赴くという事だ。

 それはつまり――。


「えっと、今から?」

「? そうだぞ?」

「…………」


 彼女の言葉を受けて、俺はゆっくりと視線を彼女の背後にある部屋に向けた。

 そこは昨日の事件を起こしたあの部屋があるはずのドアだった。



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