迷惑な先生に迷惑をかけた話
先に注意しておくと、今回の話にはそこそこ汚らしい場面がある。
そういった汚い話が苦手な方、食事前か食事中の方はブラウザバックを願いたい。
中学一年生の林間学校にて配布された地図が古く、私を含めた十数名の生徒が山の中で遭難しかけたことがある。
当時は指定されたルート上にある各ポイントに教員が配置されており、私達生徒はそのポイントを回る形で地図を頼りに見知らぬ山々の中を歩き回されていた。季節は真夏、ヒートアイランド現象と無縁な田舎とはいえなかなか厳しい行事だった。
幸いにも途中で各々の判断による軌道修正を試みた結果どうにか山を脱出し、見覚えのある道路に出て安堵したものである。
そしてその先のポイントに立ち、
「あれれ、遅かったじゃないの」
などとほざきやがったのが当時我が校にて国語の科目を担当していた教員であった。因みに我々生徒一同に古い地図を配ったのもコイツである。
他にも色々やらかした迷惑な人物だったので、当エッセイでは迷惑先生と呼ぼう。
彼は古い地図を配布したことについて「あちゃー」の一言で済ませて、「でもまあ戻ってきたしいいんじゃない?」とヘラヘラ笑いながら我々の眼光を受け流していた。
他の生徒にとってはそこで問題が終わったようだが、この男は林間学校の最終日にて私の分の弁当を「あ、俺そういや弁当持ってきてなかったんだよね」と持っていきやがったのだ。そのためにこっちが昼食を食いっぱぐれたこともここに記述しておく。
思い返しながらその異常性に溜息が出てきた。
とまあ、そんな具合に生徒にも他の教師にも迷惑をかけまくる非常に問題ある人物であったのだが、実は一度私の方からこの迷惑先生に迷惑をかけたことがある。
事が起こったのは中学二年生の期末テスト中。
その時は迷惑先生が教室にいたため恐らく国語のテストだったと思う。
ありとあらゆる勉強が不得手であり嫌いだった私も国語の科目だけは他の教科と異なり、優秀とはとても言えないまでも絶望的とは言い難い程度の成績を誇っていた。
なので軒並み問題用紙の空欄を埋めて後はテストが終わるのを待つばかり。通常であれば気楽な場面だろう。
だが私は腹を壊していた。
何か寄生虫でもいてそいつが腸内で暴れ回っているのではないかと思うほどの腹痛に見舞われ、眼をきゅっと閉じて唇を噛みしめる。
中学に上がったくらいの頃から私の胃腸は急激に弱くなり、少し冷たい飲み物を飲もうものならすぐさまトイレに駆け込むほどであった。
あの頃の同級生らは非常にお行儀が良く、仮に学校で用を足したところで何も言わない連中ばかりだった。だが流石に期末テストの最中にトイレに行くのはいかがなものかと奇妙な自制心が芽生え始める。
とはいえ、万が一その場で堤防が決壊するような事態になればそれこそ大迷惑だ。
私は逆算した。この場でトイレに行った場合の傷と行かずに悲劇を招いた場合の傷、どちらが深く残るかを。
いや普通に考えて漏らす方が不味い。
そう思い至って私は迷惑先生に声をかけた。
「先生」
「おう、どうした」
「ウンコしたいんで便所行ってきてもいいすか」
「お、おう? おう、うん」
何人か吹き出したようだったが知ったことではない。こちとらケツの機嫌を取るのが最優先である。
「でも今テスト中だから、一回教室から出たらテストの時間が終わるまで入れないぞ?」
「大丈夫です。残り時間だけじゃ終わらない自信あるんで」
「そっかあ。じゃあいいよ……行っておいで……」
了承を得た私は宣言した通り急いでトイレに向かった。走ると色々な意味で危ないので通常の歩行速度よりやや速い程度だったが。
それでもどうにか個室に着き、腰を下ろして出すものを出す。腸の内壁についた傷が癒えていくような感覚を得ながらトイレットペーパーを派手に使い、水を流した。
出したブツが、流れない。
何度かレバーを引いてみたが流れない。
「鉱物かよ」と呟くも当然それで流れるわけもない。
仕方なく私はトイレから出て、何食わぬ顔で教室に戻ろうと判断した。最悪である。
しかしテストとテストの合間にある僅かな時間の空隙の中で、どうやらテスト中にトイレに行った同級生の話題は隣りのクラスにまで及んでいたらしい。
「誰かがテスト中にウンコ行ったんだってよ」
「マジかよすげえな」
「あれっ、ちょっと待て今あっちから歩いてきたのって」
「馬込だ」
「馬込じゃん」
「馬込だ! ウンコしたの馬込だ!」
そんな声が隣りのクラスの教室から聞こえてきたため、私は焦りながら自分のクラスに向けて走った。
もしも誰かがトイレに行ってあの流そうにも流れないブツを見た場合、ほぼ確実に私のウンコであることが露呈する。そうなればせっかく守り通した私の学校での人権が結局ズタズタになってしまうだろう。
今にして思えばよくあいつら同窓会に呼んでくれたな。
ともあれ急ぎ教室に入るとまだ迷惑先生がいた。
クラスメイトに茶化されるより早く私は咆哮した。
「先生、トイレでウンコが流れません!」
「………………………………………………」
「何度か試したんですけど! 流れないんです! どうしたらいっすか!?」
「あの…………じゃあ、もう俺が流すから……次のテストもあるだろうし、座ってなよ…………」
「ありがとうございます!」
そんな風にして、私は自分から生み出された汚物の処理を迷惑先生に任せた。
その日の放課後に迷惑先生とすれ違う時があったのだが、その時彼は
「ちゃんと流しておいたから。安心していいから」
とわざわざ告げてくれた。「あざっす。なんかすんませんね」とだけ返しておいたが、もう少し感謝の念を込めてもよかったかもしれない。
何にせよ彼はその後も我々生徒に何かと迷惑をかけまくってくれたのだが、私はこの事件を経て彼を少し見直したのだった。
もし現役の教職員がこのエッセイを読んでいたなら「こういう生徒が今後出てくるかもしれない」と覚悟を決めてほしい。私はそこまで個性的な方ではなかったので、恐らく似たようなのが割とそのへんにいる。
もし教師を目指している人がこのエッセイを読んでいたなら「こういう事態に対応する時を迎えるかもしれない」と心得てほしい。案外中学校という環境においてはレアケースでもないかもしれないから。
こうして追想しながら文字にしてみると当時の教師のあれこれとともに、自分のクソガキっぷりも自覚できてきて何とも申し訳ない気持ちになる。内容こそ汚いがそれなり有意義な執筆活動だった。
因みに今回の話は私のあらゆるウンコエピソードにおいてまだ話せる領域である。流石に公衆の面前でダムが決壊した経験はないが、考えようによってはそれより酷い事態を引き起こしたこともあった。
この汚らしいエッセイの内容があなたのウンコエピソードをまだマシな部類の黒歴史としてくれれば私としても幸いである。