1 プロローグ
1 プロローグ
その日、王都は、勇者一行の帰還に沸き返っていた。
見事魔王を倒し、歓迎の行列の中を進む、勇者たちの一行。
王子、聖女、僧侶、魔法使い、シーフ。
だが肝心の勇者の姿は、そこにはない。
六人の一行の中で、帰還できたのは五人だけ。
「勇者殿は見事、魔王を打ち滅ぼされたが、力を使い果たされ」
「動けぬ勇者殿に残った魔王の将どもが襲い掛かり、打ち取られてしまった」
「我等も力尽き果てて、脱出するのが精いっぱいであった」
世界に平和は訪れた。そして、勇者は戻らなかった。
歓迎の人ごみに巻き込まれ、もみくちゃにされながら、私は涙を流し続ける。
『勇者はどうなったの?なぜ彼だけ帰ってこないの?
彼に何があったの?なぜ私に知らせがこないの?
私はただ一人の彼の家族なのに!』
世界は魔素に満ちている。
大気と同様に、大きな流れとなって、ゆっくりと全世界を巡っている、魔素。
しかしそれは時に滞り、魔素溜まりとなって瘴気を生む。
瘴気に侵された生き物は変質し、『魔』と呼ばれる存在となって、そのうちから『魔王』と呼ばれ世界に害を及ぼす、強大な力を持つ者が現れる。
世界は魔王に対抗する力『勇者』を作り出してそれを滅ぼし、魔素の流れを正常に戻す。
数百年という大きな周期で繰り返されてきた、それがこの世の理。
『魔王』は時には獣であり、時には人であり。
『勇者』はあらかたは人であり、時には異界から呼ばれた者である。
はるか昔から、繰り返されてきた戦い。
今回その称号が顕現した『勇者』は、王侯でも貴族でもない、一介の冒険者であった。
王国の全面的な支援の下、選び抜かれた仲間と共に軍を率いて魔王討伐に向かい、驚くべき短期間のうちに、見事使命を果たしたのだ。
今回の魔王討伐が短期間で終わった原因の一部には、潤沢なポーション類の補給があった。
上級ポーション、万能薬から、伝説の霊薬エリクサーに至るまで、各国の協力のもと、王都から最前線まで届けられる補給品が兵士たちの消耗を減らし、一気呵成に勝利を収める一因となったのだ。
そこには王都の勇者の館の奥深くで、大量の薬を作り続けて供給していた、天才的な薬師の働きがあった。
公の場に出ることもなく、隣人と交わることもなく、一刻も惜しんで黙々と製薬を続けていた一人の薬師。
それがうら若い少女であったことを知る者は、わずか一握りの人間だけであった。
打ちひしがれて館に帰った私を、ヨハンがあわてて出迎える。
「ターニァお嬢様!大丈夫ですか!」
「・・・凄い人ごみで、王宮までたどり着けなかったの」
よれよれになって私は答えた。
「もっとも、この格好じゃ、中にいれてはもらえなかったわね」
騒ぎを聞きつけて、調合室から飛び出した私は、薬草の汁で汚れたエプロン姿のまま。
「わたくしが真偽を確かめてまいります。
お嬢様は、落ち着いて、ここに。
大丈夫。あの方に何かあったなんて、そんな馬鹿な事が起こるはずがありません」
たのもしい初老の執事は、少女を椅子に座らせ、若い女中にお茶を言いつけると、コートをつかんで飛び出していった。
帰還した王子に面会し、事情を聞き出さなければ。
ヨハンは人ごみの中、城へと向かう。
呆然自失のお嬢を一刻も早く安心させるために。
勇者の家に知らせの使者がこないとは、いったい誰の手落ちだ!
まさか、まさか勇者である彼が、魔族の手にかかるなど・・・
冒険者時代からの友であり、引退後執事として彼に仕えるようになったヨハンだったが。
その危惧が、焦りが、大きな隙を生んでいた。
「執事の、ヨハンさん?」
呼び止める知った声に、振り向いた、その途端。
逆側から、肋骨の間に滑り込んだ、細身の短剣。
「悪いね、おっさんに恨みはないんだけどさ」
気配遮断を解いた『シーフ』がささやいた。
『僧侶』と二人で、崩れる執事の身体を酔っ払いでも介抱するかのように支え、裏の路地に引きずり込む。
「あんたがいちゃ、『王子』サマの邪魔になるんだってさ」