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自称・傍観者な勘違いゴリラの一日

作者: さすらいのヒモ

すみません、すぐ見たり読んだりしたものに影響されるのは僕の悪い癖。



筋肉はゴリラの如く隆々と。

犬歯は狼の如く鋭く。

生命力に満ちた瞳は原始の炎そのもの。

180センチを超える身長と体重が90kgを超える肉体には凄まじい熱が宿っていた。

猛田剛。

国民的人気アニメのガキ大将と名字と名前の文字を入れ替えただけの、この老け顔マッチョの男子高校生は、短く整えた髪を汗に濡らしながら息を整える。

傍観者。

剛は自身のことをそう認識している。

何に対する傍観者なのか。

尋ねられれば、剛は応えるだろう。

現在のハーレム、あるいは未来の修羅場の傍観者だと。


例えば、この場でもそうだ。

敷地内にプレハブ小屋と道場が設立された、木々に囲まれた武家屋敷のある一角。

家屋よりも広いその場所は、まさしく『修練場』といった有り様だった。

そこら中に訓練用の木人と、木々に吊るされた高低様々な枝。

旧時代的な訓練道具とは対象的に、傍の小屋に入れば中には筋力トレーニング用の器具が置かれている。


そんな、青葉薫る場で、剛はある美少女と二人っきりだった。

世の男子が羨むであろうそんなシチュエーション。

それでも、剛は自身のことを傍観者だと応える。


「青子さん、お疲れ様ですッ!」


藍川青子。

剛は目の前でほんのりと首筋に汗を浮かべているその美少女へと声をかける。

高い位置で結んだ長い濡れ羽色の髪が、しっとりと潤んだ色っぽい。

切れ長の鋭い瞳。

鋭く高く伸びた鼻梁は、ほっそりとした面長の和風美人のそれにマッチしている。

鍛えられて引き締まった身体に対して、胸部と臀部だけが不釣り合いなまでに豊満な膨らみを見せている。

僅かに乱れた呼吸は、剛が青子と呼んだ女性が今まで運動を行っていたことを証明している。

乱れた呼吸によって、スポーツ用の下着によって固定されている胸がかすかに上下する。

白雪のような白肌は紅潮し、いつもはキリッと切れ長につり上がった目が柔らかく緩んだ。

毎朝の稽古の度に見る姿ではあるが、未だに慣れない艶姿に胸が高鳴る。


「お互いに、な。剛くん」


青子は冷たい美貌に柔らかい笑みを浮かべる。

この美少女との朝稽古は剛の日課である。

と言っても、剛は柔道で青子は剣道なため、鍛える部位や基礎練習も異なる。


「君と一緒に稽古をすると、不思議だが緊張感があって良いな。

 今にも食い殺されんばかりの圧があるよ」

「えっと、ありがとうございますッ!」


芝居がかった独特な口調で笑いながら、青子は備えていた手ぬぐいで汗を拭う。

剛は頭を下げて礼を述べた。

剛にとって青子は、同じ学園に通う一つ上の学年の先輩であり、いつまでも頭の上がらない姉のような人物だからだ。


「堅いな、相変わらず。君らしいと言えばそれまでだが」


キチッとしたお辞儀を前にして、青子は苦笑を浮かべる。

ここで気の利いた一言でも口に出来れば良いのかもしれないが、剛には出来ない。

堅苦しいと思われるかもしれないが、剛の性分だった。

不器用で口下手、おまけに咄嗟の融通も効かないであるために、ユーモアに溢れた会話など望めない。

ならば、相手を不快にさせないよう、真摯に対応する。

おかげでクラスメイトなどからは面白みのない奴だと思われているが、悪いやつだとまでは思われていない。

猛田剛は多くの人間からの評価は、オブラートに包むことなくストレートに伝えるならば、『真面目なゴリラ』に尽きる。

自覚はあるため、剛も自身のことはそれでいいと思っていた。


「去年から、君のお陰で充実した日々を送れている。

 もう少し、君とも仲良くしたいのだがな。

 なんというか、昔から家族のようなものだろう、私たちは」

「うっす!ありがとうございますッ!」


剛はこの立派な武家屋敷に居候をしている。

すなわち、この古風で鋭い美しさを持った少女とひとつ屋根の下というだ。

それだけならば、傍観者などではなく明らかに主人公である。

だのに、剛は自身のことを傍観者だという。

答えは単純だ。


「まったく、愚弟……朱里にも君の真面目さを見習って欲しいものだ」


青子が口にした愚弟、『朱里』こそが主人公だからだ。

その証拠と言ってしまえばなんだが、剛と相対していた時の、緩めながらもどこかで強張った表情が、穏やかさで満ちている。

自身で引き出せない表情だ。

肉親だから出せる表情――――というわけではない。

『朱里』と青子は、二人は血が繋がっていない。

朱里は主人公で、特別だからだ。藍川朱里はこの地に古くから根を張る大地主の藍川家が養子に引き取った、両親を事故で失ってしまった遠縁の少年だ。

そして、青子にとってもまた特別な存在だ。

剛は知るよしもないが、ある日を境に二人はぐっと距離を縮めていた。きっと、二人にしか知らない特別なイベントがあったのだろう。

『弟のような幼馴染』にすぎない自分と、『特別な主人公』である朱里は違うと、剛は思っている。

剣道と柔道の違いがあるとはいえ、二人でしか出来ないような稽古の際には、この美少女と時には密着することもあった。

お互いに稽古中は意識しないが、終わった後に振り返り、剛はその豊満な胸のことを思い返して、思春期特有の衝動に襲われることも合った。

だが、青子は全く意識を見せない。

何もなかったように、常に振る舞う。

信用はされているのだと、剛は思った。

男女の関係としてではなく、後輩として、弟のような存在として自分を認めてくれているのだろう。

そのことは、文武両道の才女と名高い青子に認められているようで、剛も嬉しかった。

同時に、この美少女に男女の関係を意識される朱里という少年に対する羨みもあった。


「朱里など、私と朝稽古を行ったことは一度もないんだぞ」

「朝に弱いですから、朱里は」

「夜更かししてばかりだからだ、まったく。

 少しは君の爪の垢でも飲ませてやらなければな」


口での厳しさとは対象的に顔は穏やかなものだ。

一見すると怜悧な美貌だが、青子は本質的に優しさと穏やかさを持つ。


「私は先にお湯を借りるよ。剛くんも、遅れないようにな」


君に限っては無用な心配だが。

青子はやはりやわからな笑みを向けて去っていった。

背をスッと伸ばし、揺れることなく歩いて行く。

その姿勢ゆえに、引き締まった肉体に女性としての肉感が詰まった、不思議な魅力のある肉体が映える。

ともすれば淫靡さを思わせるはずの肉体は、しかし、青子の隙のない雰囲気で清純さを醸し出している。

やはりきれいな人だと、剛は思った。

残念だけど恋情の関係になることは絶対にないだろうな、とも。








青子に続いてシャワーを浴び、規定のブレザー型学生服に着替える。

すると、鼻に心地よい味噌の香りが漂う。

朝稽古によって空腹を訴える腹部をさすり、剛は食卓へと向かう。


「あっ、猛田くん、おはよう!」


扉を開けると、そこにはとびっきり、満面の笑みを浮かべた、青子に勝るとも劣らない美少女がいた。

剛の通う学園の女子制服の上から、フリルの付いた桃色のエプロンを纏った小柄な少女。

茶色がかった髪をピッグテール、いわゆる短めのツインテールに整え、くりっとした目の丸顔の少女。

桃城胡桃。

名前の頭と後ろに桃がつくその少女は、剛と同い年。

しかし、同学年の男子と比べても更に大柄なゴリラである剛と違い、同学年の女子と比べも小柄な胡桃ではとてもそうは思えない。

渋みのある顔つきの剛と幼い顔立ちの胡桃は、、下手をすれば親と娘に間違われかねない。

挨拶を返すとともに、剛は礼を告げる。


「おはよう! うん、美味しそうだ……桃城、今日もありがとう!」


だが、小柄な身体全体で感情を表す胡桃は、いちいちオーバーなリアクションを取りがちな剛とよく似ていてもいた。

毎日のことで何処か社交辞令に思われているかもしれない、ふとそんな不安がよぎった。

剛としてはいつも感謝している。

栄養バランスや味についても胡桃はよく考えていることを知っている。

よく料理に関する本を読んで勉強している姿を見るからだ。

ただ、自身はあまりそう言ったことを上手く伝えることが出来ない。

ありがとうと、ストレートに感謝を伝えることは出来る。

だが、それでももう少し相手に伝わる言い方をしたい。

有り体に言えば、コミュニケーション能力を育みたい。


「えへへ……あたしにはこんなことしか出来ないから」


剛の言葉に、胡桃は照れたように笑い、嬉しそうに身体を揺らす。

その際、小柄な身体とはあまりにも似つかわしくない巨乳がぶるんと揺れた。

名前は桃なのにスイカサイズのその胸。

本人はいたって気にせずに、茶色がかったボブカットの髪を触っている。

思わず視線を逸らす。

剛は胡桃の目を見て話すようにしているが、身長差のため、どうしても見下ろす形となる。

見下ろす形となるので、その揺れる胸も視界に入ってしまうのだ。

しかし、それもただの言い訳だな、と自身を諌める。


「猛田くんや青子さんはいつも朝から頑張ってるし。

 あたしも、なにか力になりたいなぁ~、って」

「いやいや、俺なんて自分のことをやってるだけだからな。

 その点、桃城はこうやって俺達の料理を作ってくれるし、青子さんは生徒会の仕事まで頑張っている。うん、俺なんかよりもよっぽど立派だ!」

「ええ~、そんなことないよ」


口では否定しながらも、その様子は高揚している。

ぴょん、ぴょん、と。

可愛らしい擬音が付きそうな様子で、嬉しそうに笑いながら動く胡桃。

失礼な話だが、剛は同級生である胡桃が幾分も幼く見え、つい頬を緩ませる。


「おーい、そんな動くとパンツ見えるぞ」


そんな一方で、眠気を隠そうともしない間延びした声が響く。

藍川朱里。

平均身長よりも高い背丈は少々痩せ気味。

気の抜けた垂れ目と薄めの唇と筋の通った鼻が奇跡的なバランスで配置された美貌。

祖父の血が受け継がれた、わずかに赤みがかったくせ毛。

剛とは十年来の付き合いとなる、一種の幼馴染。

そして、剛のコンプレックスとなる美貌の少年だ。

そんな朱里の言葉に、カッ、と胡桃は頬を染めてスカートを抑えた。


「そんなことないよっ、そんな短くしてないしっ!」

「寝起きの頭に響くから、朝からはしゃぐなって話だ」

「み、見えてないよね、剛くん!」

「お、おう!見えてないぞッ!」

「嘘つけ。目を皿にしてたくせによ、このスケベゴリラ」

「見てないッ!見てないったら見てないッ!」

「えっ……本当に見えてたの……?」

「い、いや、見えてないぞ!でも、ちょっと見えそうだったから目を逸らして……!」


朝に弱い朱里はテーブルに付きながら、目を擦りながら会話を続ける。

そんなだらしない姿でも、信じられないほど様になっている。

思えば、この男のせいだ。

剛はいらないコンプレックスのようなものを抱いてしまうのが。

剛は背が高い。

しかし、朱里という理想的な長身のイケメン横のでは、単なる大男だ。

剛は鍛えられた肉体をしている。

しかし、朱里という着痩せしつつも衣服の下にはしっかりとした筋肉を持ったイケメンの横では、単なるゴリラだ。

剛だって不細工ではない、ちょっとゴリラに似た顔なだけだ。

しかし、朱里という欧米人の血が流れた和洋折衷と言った魅力のある美貌の横では、動物園の檻の中がお似合いのゴリラそのものだ。

卑屈過ぎると朱里に逆に怒られたこともあるが、卑屈にならないほうが無理がある。

そう考えていると、制服に身を包んだ青子が食卓へと現れた。


「起きていたのか、朱里」

「姉ちゃん遅すぎ」

「乙女の朝は忙しいんだ」

「ヘアピン可愛らしいの変えて、メスの方のゴリラはすっかり色気づいちゃって……っいてぇ!?」


青子は傍にあった箒で思い切り朱里の頭を叩くと、剛へとちらりと視線が向けられる。

目が合う。

剛は、何を求められているかわからず、少し口ごもり、焦るように口を開いた。


「俺は似合ってると思いますッ!」

「そ、そうか……そうか? 似合ってるか?」

「はいッ!」

「そうか……そうか、そうか」


実のところ、剛は人の心の機微というものに疎い。

青子がオシャレをしているのもわかったが、なんと言えば良いのか分からない。

思わず口にしてしまったが、所詮はただの後輩に過ぎない自分が似合っているなどと偉そうに言っても良いものなのか。

そう考えると、何も言わずに気づかない振りをするのが問題ないように思えた。

良くないことだとは理解しているが、朱里のように適切な距離感覚というものを掴めないから行っているだけだ。


「いただきますっと」


青子がどこか機嫌よく席につくと同時に、朱里がひと足早く手を合わせて箸を取る。

そして、まず味噌汁を啜りだした。

いつもの流れだ。

剛も手を合わせ、食事を始めた。

朱里と同じく、味噌汁へと口をつける。


「ん、味噌変えた?」

「あっ、朱里ちゃん、分かる?」


味噌汁をすすった瞬間に、朱里は瞬間に呟いた。

剛には違いがわからない。

分からないが、胡桃の言葉から変えたことは確かなのだろう。

こういった些細なことを、朱里は絶対に見逃さない。

誰かが少しでも髪を切れば最初に気づくし、アクセサリーを変えていても最初に気づくのは朱里だ。

こういった目ざといところが、イケメンをイケメンたらしめてる理由なのだろう。


「ちょっと塩っぱいな。朝からきつくないか?」

「青子さんも猛田くんも運動してるし、これも良いかなって思ったんだけど……」

「俺にはキツイな」

「ずっと寝てただけだからな、お前は」


青子の言葉に、げぇっ、と眉を顰める。

朱里は青子に対して目に見えて苦手意識を抱いている。

青子は真面目一徹、対して朱里は自由奔放。

合うはずもないといえば、当然のことと言える。


「お前はたまには朝稽古を一緒に……」

「俺は姉ちゃん剛とはや分野が違うの。遊んでるわけじゃないんだから勘弁してくれよ」


朱里の成績は大変に良い。

秀才を飛び越えて天才と呼ばれるに相応しい成績を維持しているし、実際その言葉の通り、遅くまで勉強をしていたのも事実だ。

もっとも、遊んでるわけじゃないというのは嘘だが。剛は朱里が勉強が一息つくたびにアプリゲームをしていることをよく知っている。


「それは認めるが……やはり、実際に体を動かしての稽古をしなければ咄嗟の動きがだな。藍川の息子なのだが、朱里も武道の一つや二つは納めてもらいたいという気持ちもあり……いや、確かに強制は良くないが、しかし素質はあるのだし……」

「そこは剛が守ってくれるから大丈夫」


弟と稽古をしたいが強制は良くないと板挟みになっている青子の言葉に打ち切るように、だよなっ、と朱里は剛へと目を向けてくる。

黙々と食事をしていた剛は話の矛先が自らへと向いたことに僅かに動揺する。

少し塩っぽいと朱里が称し、胡桃が認めた、剛自身は言われてみると違うかもしれないと思っていた味噌汁を飲み込み、口を開く。


「おうっ!

 朱里だけじゃないぞ、青子さんや桃城たちだって守るとも!

 騎士と言うにはいささかゴリラ過ぎると自覚はあるが、俺の筋肉がみんなの役に立つのなら、俺も嬉しいっ!」

「いや、君の心がけは立派だし、君も善意から言っていることも理解している。

 理解しているが、私としては朱里も君のように精進する気持ちを持ってほしくて…………胡桃? どうした、そのままだと、なんだ、その、少し危ないぞ」


青子は窘めるような言葉を打ち切り、隣の胡桃へと声をかける。

胡桃は口元に味噌汁をつけたまま、ピクリとも動きしない。

危ないとの言葉通り、今にも熱々のお汁が落ちてしまいそうだ。

だというのに、胡桃はどこか目が胡乱なまま動こうとしない。


「トリップしてる」

「トリップ?」


朱里の言葉に、剛と青子は同じように反復して疑問の念を口にする。

朱里は若干ではあるが、侮蔑にも似た目を胡桃へと向ける。

その目には胡桃の頭の中が覗いているような、呆れの色が含まれていた。


「多分、今頃は脳内でお姫様と騎士様が遊んでるだろうな」


朱里の言葉に青子と剛は脳内にクエスチョンマークを浮かべる。

良いから食べよう、と言う朱里の言葉に釈然としないながらも、食事を続けた。







私立天ヶ原学園。

世間的には勉学に力を入れた進学校であり、スポーツにはそこまで力を入れていなかった。

中学柔道では地元で一目置かれていた剛は、天ヶ原と違いスポーツに秀でた高校への入学も考えていたが、成績と通学の便を優先。

朝練を行いつつも週に一度の休みと練習時間の上限が定められている、『あくまで勉強こそが本分ですよ』という考えを隠さない柔道部に所属している。


「とぉおりゃあ!!」


小さな武道場の半分を使った柔道場で、両手の指で数え切れる程度の人数が早朝練習を行っている。

その中には剛の姿も当然あった。

朝食後、柔道部の剛は早朝練習のためにすぐに登校、青子も剣道部の早朝練習があるので同上。

胡桃は他の家事全般を行いつつ、朱里はその手伝いのため、遅れてくるといういつもの日常だ。


(桃城にはやはり頭が上がらないな……!)


小さな体で藍川家の母のように振る舞う同級生のことを考えて、改めて感嘆する。

そもそもとして、今の藍川家には大人と呼べる存在は居ない。

藍川夫妻は非常に忙しく、常に全国を飛び回っているため、月に三度ほどしか自宅に戻らない。剛の両親は剛の高校進学とほぼ同時に長期の海外出張が決定してしまった。一度勤めていた会社が倒産し、なんとか手に入れた再就職先のために断ることも難しく、また高校に進学し友達も出来始めたばかりの息子に今更ついてこいとも言いづらく、どうしたものかと頭を悩ませていた。


しかし、そこに、「なら、うちに居候すると良い」「剛くんなら小さな頃から知ってるしね」という、そんな藍川夫妻の鶴の一声で、藍川家に居候することとなった。


あんな立派な屋敷の客室を使わせてもらえるとは感謝が尽きないが、その後の「剛くんが青子と恋人になってくれたら嬉しいしね」「息子が増えるのは嬉しいわよねぇ」という言葉には苦笑でしか返せなかったが。

その後、一年の夏休みまでは三人と時々戻ってくる藍川夫妻の二人で生活して、これまた藍川の親戚である胡桃が、やはり両親の都合で藍川家に居候することとなった。

もはや簡単な寮のようになった藍川家、その藍川家の家事全般を胡桃が一手に引き受けている。

それが今の猛田剛、藍川青子、藍川朱里、桃城胡桃の四人の状況だ。


「おつかれ、今日も気合入っていたな、猛田」

「うすっ、気合い入りまくりです!」

「そりゃ、藍川と仲良く通学できるんだもんなぁ。俺もそんなことになったら気合い入るよ」


剛ほどではないとは言え、ガッチリとした体格の柔道部主将の先輩の言葉に、とりあえず笑いは返しておく。恋人関係に絶対にならない美人との通学、それはそれで辛いものがあるのだが、そう言えば単なる贅沢だと言われるだろうから黙っておく。


「しかし、お前も大変だよなぁ」

「大変……ですか?」

「ほら、アレだよ、藍川弟。ずっと一緒なんだろ?」

「ああ、朱里とは小学校の頃からの付き合いですが……」


大変とはどういうことだ、と頭をひねる。

剛のそんな様子に、主将はどこか妬むような、しかし、諦めるような顔で言葉を続けた。


「あんなイケメンが傍にずっといるんだろ?

 居心地悪いだろぉ、藍川弟に近づきたい女子だってお前を邪魔者みたいに扱うんじゃないか?」

「ああ、そういうことですかっ!」


合点がいったと、剛は膝を打つ。

そして、遠い目をしながら今までの人生を思い返す。

ちょっとだけ目を潤んでしまうのは内緒だ。


「小学三年生の頃、俺が初めて好きになった女の子は朱里のことが好きでした」

「お、おう……それは……なんというか……」

「小学六年の頃に胸が高鳴った人は、やっぱり朱里のことが好きで、中学に上がって別の小学校に通ってた女の子が気になったら、その子に朱里のことをたくさん質問されましたよ」

「そ、そうか」

「中学三年、卒業と同時に告白しようと思った女の子には、これを朱里にわたしてくれと、告白する前に先手を打たれました」

「わ、わかった、もういい」

「あっ、でも、男には俺のほうがモテましたよ」

「やめろぉ!」


哀しくなるだろっ、と優しい目で剛を見つめる主将。

そんな主将に対して、剛はやはり快活に笑うだけで、主将はふと不思議に思い、新たに疑問を口にした。


「しかし、そんなことがあったんならなぁ、普通は藍川弟と友達で居続けるか?

 八つ当たりでしかないけど、嫌だろ、そんなやつと一緒に居続けるの」

「まあ、朱里も朱里で良いやつですから」

「そうなのか?

 なんていうか、傍目から見るとスカしてる感じが鼻につくけど」

「気が利くんですよ、あいつ。女の子の髪の感じとか、無理をして顔色が悪くなってる男子とか、そういうのには誰よりも一番最初に気づくんですよ」

「うわっ、あの顔でそういうこと出来るんならモテるわな」


めちゃめちゃモテますよ、あいつは。

剛はそう笑って主将に答えた。

嫉妬の気持ちはもちろんある、だが、それ以上に剛と朱里は友達だった。

助けたり助けられたり、そんな思い出がいっぱいあるような仲だ。


「それじゃ、悪いけど片付けよろしくな。ちょっと先生に呼ばれててさ」

「押忍、お疲れ様です!」


そう。

藍川朱里は非常に気が利き、一方で剛は非常に人の機微に鈍感だ。

誰かが慌てるとか、明らかに目に見えることならばわかるが、言葉の裏に隠したものを理解したり、人の軽い変化などはとんと気づかない。

顔はゴリラで身体もゴリラ、それ以上にこんな鈍感では女生徒と仲良くなることなど難しい。

実際、青子や胡桃のように、朱里を間に挟んだ関係以外では女友達と呼べるような人物は居ない。


「ぬおおおおっ!!??」


だからだろう。

柔道場の片付けと掃除を終えて教室へと戻り、ゴゾゴゾと机のなかに覚えのない便箋を見つけてしまった時に、思わず野太い叫び声を上げてしまったのは。


「あ、ああ、すまない、ちょっと忘れ物を思い出してな!」


少し怯えたような表情でこちらを見てくる女子生徒にちょっとだけ傷つきながら、その便箋を握りしめてトイレの個室へと向かう。

その便箋の『雰囲気』には覚えがあった、何度も見たことがあるものだからだ。

もちろん、過去に目にしたこの便箋によく似た雰囲気の便箋は剛に宛てられたものではなく、朱里に宛てられたものだったが。

便箋、つまり、これは。


「ら、ラブレターだとぅ……!?」


ドクドク、と。

自分とは縁がないと思っていたまさかのイベントに、その大きな体に見合った大きな心臓が大きく脈打つ。

顔は紅潮し、大袈裟だが震える手で便箋の中から手紙を取り出していく。

そこには几帳面な、長々とした文章ではないが、流れる清水のようにどこか美しい文字は、書き手の性格が現れているようだった。


「なになに……」

『突然のことで申し訳ありません。

 まずは、顔も見せずにこのように机へと書き置きを残すような失礼な真似をしたことを、謝罪させていただきます。

 本当にすみません』

「むぅ、いきなり謝る必要はないのだが……」


その手書きの文字と文章から剛の中にこの手紙の主の姿を想像していく。

派手ではない大人しい少女だろう。

しかし、年上か年下か、あるいは同級生か。

うっかりなのか、そうでないのか、便箋には手紙の送り主の名前は書いていなかった。


『私は一年の二条紫と言います』

「知らんな」

『と言っても、こちらが勝手にお慕いしているだけですので、先輩には覚えのない名前だと思います。長々と書いても先輩をご迷惑をかけてしまうだけなので、短く書かせていただきます。今回、手紙を送らせて頂いた理由は、一つだけ。

 先輩のことが好きです、お付き合いしていただきたいと思っています』

「……はっ、そうか、悪戯か!?」


ここまで読んで、剛はようやくその可能性にたどり着いた。

今までそんな悪戯を受けたこともなかったため、その可能性に気づかなかった。

あるいは、罰ゲームかもしれない。

しかし、僅かな希望を捨てられず、手紙を読み進めていく。


『顔も知らない後輩にいきなり言われても、と思うかもしれません。

 ですが、二ヶ月前、街へと買い物に行っていた私が複数の男性に囲まれている時、助けられたこと。

 先輩はお忘れかもしれませんが、私は先輩に助けられたことが忘れられません。』

「二ヶ月前……ああ、朱里と一緒に帰っていた時かっ!」


確かにそんなことがあった。

珍しく剛が先に気づき、明らかに困惑している少女をナンパしていた三人組のチャラチャラとした男。

何か怪しいと思い、声をかければ喧嘩腰の三人組とこちらにすがるような視線を向ける

見れば同じ制服だったし、その雰囲気から男たちが無理矢理に少女を連れて行こうとしていると理解できた。

その後、カッ、と頭に血が上って近くの男の手と襟元をつかみ、あくまで尻もちだけをつかせるような、そんな脅しに過ぎない、日々鍛えている『投げ』を食らわせ、この爛々とした目を向け、「離してやれ」と言ったのだ。

これは確かに自分で思い出してもかっこいい男だ。

なるほど、善行は見られているものなのだな、とうんうんと剛はひとり頷く。

だが、同時にこの『オチ』が見えたような気がした。


『その日から同じ高校であるため、先輩のことを目で追ってしまう日が続きました。

 先輩には複数の魅力的な女性がそばに居ることも知っています。

 それでも、この気持ちが抑えられませんでした。

 大変失礼なことだとわかっていますが、先輩の後ろを追って、その家の前まで来てしまう日もありました。

 ただ、この気持ちだけを伝えることと、夢を見ることを許してください。

 好きです、放課後に校舎裏で待っています。

 藍川朱里先輩へ、二条紫より』

「知ってた!!!!!」


だから辛くなんかない、と思わず濡れる目を拭う剛。

思えばあの時、剛は少し潤んだ目を向けてくる出来たばかりの後輩と、その後輩を怯えさせている目の前の悪漢への怒りが大きくなりすぎて、悪漢への対処にだけこだわり過ぎていた。

怯えていた少女を慰め、男たちから離していたのは朱里だ。

確かに、あの時に優先すべきだったのは悪漢への鉄槌ではなく、少女の介護だ。


「くっ……こんなところで男としての器の違いを見せつけられるとは……!」


こんな時に泣いてはいけない、尊敬する父だって言っていた。

男が泣いていいのは両親が死んだ時と、財布を落とした時と、好きなアイドルの全国ツアーのA席を手に入れた時だけだ、と。

さて、これから剛はどうするべきか、ということだ。

普通ならば、本来は朱里へと渡すべきだ。

しかし、剛から渡された手紙を朱里は受け取らない。

というのも、今までも剛を朱里の『橋渡し役』とする女子が大勢に居たからだ。

剛としては好きな男に面と向かって渡せないいじらしい乙女心だと思うが、朱里にはそれを剛を都合の良い男としているようで好んでいなかった。

友情だな、と笑うと朱里は顔を赤くして否定するが。

とにかく、朱里の考えとしては、好きな相手に告白するのに第三者を介するのはあまり好まないのだ。


「……傷つけるかもしれないが、俺が校舎裏に行って、間違っていたことと新しく手紙を書くことを伝えるのが一番か」


手紙だけで二条紫という後輩への好感度は少し高くなっている。

大人しい少女が初めての恋心に急かされて好きな男の家までついていってしまうのだ、なんともいじらしいではないか。

もちろん、今の世の中ではそれをストーカーと呼ぶのも理解している。

だが、剛から朱里へと手紙を渡せば、朱里は校舎裏へと行かずこの手紙に対する返事はしないだろう。

朱里にとって告白とは日常茶飯事の出来事。

現にこの春から新一年生が入学してからの一ヶ月は、まるで動物園のパンダを見るように女子生徒がクラスに群がっていた。

答えないのが答えだ、と言ってもおかしくはない。


「うん、俺が行くか!」


渡すなら自分で渡すべきだとアドバイスもしてやろう。

そう考えながら、手紙を懐にしまった。

少しだけ、頬は濡れていた。





「……あ、あれが二条紫か」


放課後。

剛が校舎裏へと向かうと、そこには一人の少女が身体を強張らせながら立っていた。

驚いた。

なにが驚いたって、とんでもない美少女なのだ。

青子や胡桃と並んでもなにも見劣りしないほどの美少女。

栗色の髪は艷やかで背中をなでており、ほうっと溜め息をついてしまう。

高い鼻梁と彫りの深い顔立ち、スカートの位置からわかる高い腰の位置。

恐らく、外国人の血が混じっているのだろう。

だのに、そのすっと背を伸ばした姿は大和撫子を連想させる。

この美少女からラブレターを書かれた朱里が羨ましくなり、思わず涙が出そうになる。


「あっ……」


そんな風に様子を伺っていた剛だが、振り返った紫と目があってしまう。

結果的に覗き見していたことに少し気まずくなり、コホン、とわざとらしく咳をしながら紫へと近づいていく。


「君が、二条紫さんかな?」

「は、はい、二条です」


声が上ずっている。

よほど、緊張しているようだ。

しかし、朱里ではなく自分が来たことに戸惑っているような素振りは見せなかった。


「あの……藍川先輩、手紙は読んでいただけましたか?」

「そのことなんだが……」


どうやら、紫は自分が代理で来たと思っているようだ。

顔が少しだけ諦めの色を浮かべている。

まるで自分が告白されているような不思議な感覚を覚え、剛は思い切り自分の頬を叩く。

何を馬鹿なことを考えている、


「すまないっ!」

「っ……どうして、ですか、」

「あ、いや、そういうことじゃない!

 朱里のやつはまだこの手紙を読んでいないんだ!」

「………………えっ?」

「君は間違って朱里の机じゃなく俺の机にこの手紙を入れてしまったんだ。

 無理もない、実は昨日席替えをしたばかりでな。昨日までの朱里の席は」

「えっ、あの、その……えっ……でも、えっ……?」


剛の言葉に、朱里は目に見えて混乱している。

確かに、自分の一大決心した行動が「間違ってたよ」と言われれば混乱するのも無理はない。


「あの……藍川朱里、先輩……?」

「そうだ、君が入れるべきだったのは藍川朱里の席だったんだ」

「えっと……あの……すみません、先輩のお名前は……?」

「俺は猛田剛、朱里の幼馴染だ」


朱里と一緒に悪漢から助けたし、だいたい朱里と一緒に居るのに俺の名前は調べてくれなかったのか。

思わず泣きそうになるが、紫としては一世一代の勝負に出たはずだったのに、こんな恥ずかしい空振りをしてしまったのだ。

今傷ついているのは彼女の方だ、と剛は自分を奮い立たせる。


「えっと、でも、先輩は藍川って表札の家に……」

「ああ、それは知ってるのか。実は両親が海外出張中で、藍川の家に居候していてな。

 だから、同じ家に今は住んでいるんだ」

「……そう、なんですか……えっと……」


顔をまるでタコのように赤くして、うつむいてしまう。

アイドル顔負けの美貌の先輩に告白したつもりが、こんなゴリラに告白してしまった紫の心中やいかばかりか。

自分も関係しているとは言え、思わず同情してしまう。

たっぷり数分はうつむいていた紫は、ガバリ、と顔を上げて剛の手に握られた手紙を掴んだ。

その時に指を指が触れ合い、キャンプファイヤーぐらいでしか女子との接触経験のない剛は思わず動揺する。

しかし、そんな剛を知ってか知らずか、紫は強い視線を向けてきた。


「あの、書き直します。その、大変失礼をしました」

「ああ、そして、今度は間違わないようにな。

 俺から渡されると、あいつ変な気分になってこういう告白の場所にも来てくれなくなるからな」

「はい、絶対に間違わないようにします。

 猛田剛先輩、ですね」

「ああ」

「……よろしければ、ご連絡先を教えてもらえませんか?

 その、橋渡しをして欲しいというわけではなく、ご相談に乗ってもらえたらな、と思って」

「かまわないぞ、ただ、力になれないからな……あいつはそういうの本当に嫌いなんだ。

 俺が絡むだけでへそを曲げてしまう」

「はい、もちろんです」


先輩と近づけたらいいだけなので。

正面にいる剛にも聞こえないぐらいの小さな声で紫は呟いていた。

そんな言葉が聞こえなかった剛は、うむ、と頷いてスマートフォンを取り出し、連絡先を交換する。

そして、同時に表示された時間を確認する。

柔道部の練習には少し遅れるとは伝えていたが、これ以上はさすがに注意を受けてしまう。


「よし、頑張れよ! 俺はこれから部活だが、何か力になれることがあったら助けになるからな!

 どんどん相談してくれ!」

「ありがとうございます、先輩」


これから部活に行き、帰れば朱里や青子や胡桃と食卓を囲む。

平凡とは少し違うが、決して主人公ではない日常。

朱里の物語は何時始まるのか。

剛はのんきにそう考えていた。





藍川朱里は傍観者だ。

これは勘違いでも何でもなく、主人公などではない傍観者であるという確定事項だ。

何の傍観者か。

決まっている。

それは現在のハーレムであり、未来の修羅場の傍観者だ。

では、主人公とは誰か。

決まっている。

藍川朱里の親友であり、同時に現代の超人である猛田剛その人以外に存在しない。


「朱里」


その現在のハーレムの当事者であり、未来の修羅場の当事者でもある姉、藍川青子に呼び止められる。

この世の終わりを見たかのような重々しい表情をしていた。

いつも凛々しい、現代に蘇った女武者さながらの青子には珍しい表情だ。

恐らく、異性にも同性にも見せない、家族である朱里しか見ることの出来ない表情だ。

しかし、朱里は重くは捉えない。

一体何を言うつもりなのか、と半ば呆れながら青子の言葉を待つ。


「似合っていないか?」

「は?」

「この髪飾りの話だ。お前は前、そんな風に言っていたじゃないか。

 剛くんは似合っていると言ってくれて、私も思わず喜んでしまったが、冷静に考えたら単なる社交辞令の可能性は高い。

 答えろ、本当に似合っていないか?」


これだ。

なんとなく理解したかもしれないが、朱里の姉である青子は猛田剛に惚れているのだ。

それも、幼い頃からの初恋だ。

『初恋をこじらせる』とはよく表現されるが、現実に目の前にすると甘酸っぱい気持ちなんかではなく、可哀想な気持ちしか湧き上がってこない。


「あー……似合ってるんじゃない?」

「本当か?」

「似合ってるって。

 姉貴のちょっと青っぽい黒髪にはばっちし決まってるよ」


なんで姉に対して女を口説くような言葉を言わなければいけないのだ。

そんな愚痴をこぼそうものならば一時間の説教コースだ。

姉とは横暴な生き物で、恋する女とは面倒な生き物なのだ。


「そうか……で、では、剛くんも別に社交辞令というわけではないのだな?」

「あいつはそこまで器用じゃねえよ、少なくとも剛の目にはいい感じに見えたんじゃねえの」


猛田剛。

見た目は服を着たゴリラ、服を脱いだらゴリラ。

しかし、ただのゴリラではない。

成績優秀、運動神経抜群、教師からの信頼も厚い超のつく優等生。

中身もまた真っ直ぐ過ぎる嫌いはあるものの、正義感の強い好青年。

猛田剛とは、『理想の高校生男子』という概念がゴリラに乗り移ったような男なのだ。

スペックだけならばこれまた文武両道、才色兼備を地でいく青子に釣り合うだろう。

だが、見た目が天と地。

これまた美女と野獣を地で行く組み合わせ、なのに、美女である青子が剛にぞっこんというのだから。

あまりにも見た目に差が有りすぎるために、朱里以外には初恋を隠せているという不思議な状況なのだ。


「姉ちゃんもさぁ、もう来年には大学だぜ。そろそろ待ちをしててもしょうがねえだろ、決めろよ」

「簡単に言うな」

「告白されたいなんてノロノロやってたら、別の誰かに取られちまうぜ」

「うっ……確かに剛くんなら恋人が出来ても不思議ではないな」


いや、不思議がられるとは思うぞ。

もちろん、そんな言葉は口にしない。

青子は恋をする乙女のフィルターが入っているのだ。

幼いころ、今ほど女性としての肉感のないがしっかりと成長した、しかし、正義感が強いために男子たちから疎まれ、からかわれていた。

そんな青子を助けたのは剛だ。

助けたというのは、イジメから救ったということではない。

青子の行動を肯定したのだ。


『正しいことは正しいから良いんじゃないのか』

『あいつらはみんなに迷惑をかけちゃうことをしてて、あのまま悪ふざけを続けてたらきっと大変なことになってた』

『青子さんはいつもしっかりしててかっこいい』


そんな裏表のない真っ直ぐな言葉。

おだての言葉でも、慰めの言葉でもない、心からの言葉に、青子はころりとやられてしまったのだ。


「待ちは無理だぞ、一年も朝を一緒に行動してるのに向こうはなんの行動もしてこないんだぞ」


青子は特別だとしても、剛を知る男子生徒は皆思っている。

それは朱里も例外ではない。

誰か、この最高に良いやつに、顔を気にしない女の子が恋人になってくれたらいいのに、と思っているのだ。

最も、その『顔を気にしない女の子』が複数人居ることを知っているのは朱里だけだが。


「あまり認めたくはないが、剛くんは私のことを姉のようにしか見れてないのかもしれないな……そうだな、少しは、その、こちらから、あ、アプローチを……!」

「おうおう、頑張れ頑張れ」

「ああ……じゃあ、私は行くからな。遅れるんじゃないぞ。

 脱・姉ポジション……!」


むしろ、異性として見られていないと、そう思ってるのは剛側だけどな。

だが、それを教えるのはフェアじゃない。

誰に対してフェアじゃないのか、決まっている。

これはハーレムなのだ。

つまり、青子だけが剛を狙ってるわけではないのだ。


「あれ、青子さんもう行っちゃったのかな」

「ああ、色々とやることあるみたいだからな」


リビングから出てきた、同年代の少女と比べると全体的に小柄だが身体の一部は大きな少女。

桃城胡桃。

少女の可愛らしさをそのまま形にしたような美少女だ。


「もう、朱里ちゃんも早く手伝ってよ」

「ああ、ほっといてお前が剛の箸を舐めてるところ見ちゃったら気まずいからな」

「そ、そんなことしないよ! 変態じゃないんだから!」


彼女もまた、猛田剛に対して恋をしている少女の一人だ。

凛とした青子と、可愛らしい胡桃。

タイプの違う二人は、男の趣味は一緒だったようだ。


「食事中に妄想トリップしちゃう女が言ってもなぁ」


家事万能、成績優秀、小柄ながら巨乳なトランジスタ・グラマーという男のツボを抑えまくったこの少女、胡桃には妄想癖という悪癖がある。

他愛のない言葉の一つで、自分だけの想像の世界へと羽ばたいていく。

お花畑と切り捨てることは出来るが、これも仕方ない。

子供の頃から可愛らしかった胡桃は、やはり多くの男子からちょっかいを出された。

子供とは単純なもので、好きな子に悪戯をすればその間の視線や注目は自分に向けられるため、その視線や関心を求めてちょっかいを出してしまうのだ。

むしろ、悪印象を与えているだけだと言うのに、幼いから気づかないのだ。

そんな胡桃を助けるのはいつも朱里―――ではなく、剛だった。

幼い頃から真っ直ぐで熱血漢で大柄だった剛にとって、女子に限らずに他の友達はみんな守るべき対象だった。

胡桃も他の大柄な男子には怯えていたが、剛に対しては庇護者としての安心感を得られたのか、非常になついた。

その想いが思春期に恋へと変わり、こちらも青子と同じように未だに思いを告げることが出来ないまま、現在に至る。


「お前もさぁ、必死にアピールしてるけど回りくどいだろ。

 たまには遊びに誘うとかさ」

「じゃあ、朱里ちゃんも付き合って」

「意味ねえんだってそれじゃ……」

「でも、二人っきりとか無理だよ! 絶対に変なこと考えて会話とか弾まない!」


朱里と一緒に行ったら剛に「朱里と一緒に行きたいけど恥ずかしいから俺を使ってるんだな」って思われるだけだ。

剛はそう考える人間だと朱里はよく知っている。

自分に近づく女はみんな朱里目当て。

剛は本気でそう思っているのだ。

恋に対して後ろ向きとか鈍感とか、そういう話ではなく、そもそもまず自分は恋とは無縁であると考えている。

それは幼い頃からの朱里のモテっぷりにあるため、朱里もなんとかしてやりたいとは思っている。

友達なのだ。


「でもなぁ……」


美人だがどこかズレた真面目な姉と、可愛いが妄想癖のある甲斐甲斐しい幼馴染。

親友の恋人として文句はないが、親友を口説ける逸材かと言われると首をひねる。

ここで一発、なにかイベントが有るか、もしくはこの二人に変化があれば話は別なのだが。


「な、なに?」

「無理っぽいな」

「あっ、なんか馬鹿にした!?」


ここは新しい弾に期待するか。

朱里はそう考えた。





「おう、来たか。遅刻はしなかったな」

「胡桃のやつがうるさいからな」


そこまで言って、しまった、と思った。

こういった思わぬ発言が物事をややこしくしてしまうのだ。

チラリ、と剛へと視線を向ける。


「そうか、相変わらず仲が良いな」


やはり勘違いしている。

そうだ、話をややこしくしているのは、この猛田剛という男自身なのだ。

なんとこの男、桃城胡桃はもちろん、義理とは言え姉である藍川青子もまた藍川朱里に恋をしていると勘違いをしている。

これにも理由といえば理由がある。

やはり、朱里がモテすぎるからだ。

幼い頃から女子は全員朱里が好きだったと、剛はよく言うが、これは半ば間違いではない。

だが、例外はある。

大勢ではないが、中学の頃から、真っ直ぐで世話焼きな剛のことをよく思っている女子は青子や胡桃以外にも居た。

剛はそれに気付かなかっただけなのだ。


「……そうだ、昼一緒に食うか?」

「おお、昼か。いい……いや、待て。今日は無理だ」

「姉ちゃん、それとも胡桃?」

「それならお前も一緒に誘う。今日は、その、別件だ」


そうか、と物分りの良いように頷く。

だが、内心では笑みがこぼれていた。

これが『新しい弾』、すなわち、青子でも胡桃でもない、剛に好意を抱く女子の存在だ。

その存在はすでにリサーチ済み。

一年の二条紫。

他県にある名門・二条家のご令嬢。

その美貌と、しかしどこか人見知りな、まさしく深窓の令嬢といった様相に多くの男子が隠した好意を抱いている。

その紫が剛に惚れているのだ。

相変わらず大物を釣り上げるのが非常に上手い男だと、朱里は感心した。

青子や胡桃には悪いが、このまま紫といい関係になっても良い。

朱里にとって大事なのは剛のことだから。


「お前は来たらダメだからな」

「部活関係か?」

「え、あ、そ、そう、かな……まあ、そんなところか?」

「俺に聞くなよ」


問題があるとすれば、その子は朱里に惚れていると、剛はまた勘違いをしているようだということか。

朱里は剛のことが好きだ。

この顔に対して嫌味も言わず、特別扱いをせず、それでいて、外見も含めた藍川朱里という存在を認めてくれる。

ひとえに、猛田剛とは気持ちのいい男なのだ。

親友と呼びたいし、呼ぶことを許されてる。

良いやつに幸せになって欲しいと思うのは当然のことだ。

どうかこの関係が修羅場にだけはならないように。

ふわぁ、と大きなあくびをしながら、朱里はそう考えた。


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― 新着の感想 ―
一瞬俺物語を連想させました! 剛が主人公なのか朱里が主人公なのか、際どいところではありますが、細やかに剛君を応援したい気持ちになりました‼︎
俺物語か、懐かしい。
続き…続きを…
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