その想いの名は驕り
どれくらいの時間が経ったのかは分からないが、東の方の空が白んできたことから相当の時間は経ったのだろう。燃えていた家々を呼び寄せた雲から降る雨に消してもらった。
魔物の気配がもう感じられないことから、全て排除しきれたのだろう。
家々からは、疲れきった顔の村人達がお互いの無事を喜びあって泣いている。どの村人も体や服に汚れを付けており、怪我をしている者の治療をしていた。
終わったのだ。長い夜を越えることが出来たのだ。
ほっと息を吐いて、胸の辺りに手を置いた時だった。
「――痛っ……」
頭を襲った痛みの正体を見て、目を疑った。地面には血の滲んだ大きな石がそこには転がっていた。昨日の昼間のように、石を投げられたのだ。石が飛んできた方向を見て、言葉を失う。
石を投げたのは昨日と同じ少年達の一人だった。彼の腕には自分が細い路地裏で助けたはずの少年がぐったりとしている。
遠くからでも分かるほど、彼の肌は恐ろしく白かった。
「お前のせいで……こいつが死んだんだ……! お前が路地裏に入っていくのを見たんだ!」
少年が声を上げる。涙を流しながらも、その瞳は怒りで満ちていた。
「そしてこいつは、見つけた時は死んでいた! お前が殺したんだろう!?」
泣き叫ぶ声に村人達が賛同するように声を上げ始める。
「昨日の化け物はお前が連れてきたんだろう!」
「この人殺しが!!」
「あんたのせいで、子どもも妻も……」
口々に出る言葉は自分への恨みと憎しみだった。頭の中が白く、冷たくなっていく。
「ち、違うわ……」
自分は助けたはずなのに、何故、現状のような事態になっていることが理解出来なかった。
「違うの! 私はちゃんと、魔物だけを倒して……」
「この血の穢れた魔女が!!」
大きい石が次々と投げられる。どの人間の目も怒りの色をしていた。
「お前のせいだ! お前なんか、いなければ良かったんだ!!」
エイレーンは石が体に当たっても首を振り続ける。
「違う……違う、違う、違う……!!」
声がはっきりと出ないのは何故だろう。魔物が来ることで、村に被害が出ることは分かっていた。
だが、まさか自分がこの被害を出したのだと言われるなんて思っていなかったのだ。
もう、ここの人間にとって、自分は敵で、村人を傷付けた張本人なのだ。この村にもう姿を現すことは出来ない。そう思い、背を向けようとした時だった。
鋭い音が聞こえた気がした。長いものが、自分の腹の右辺りに突き刺さっている。じわりとその痛みが実感へと変わる。矢を射られたのだ。痛い、と言葉さえも出なかった。
「化け物が……! お前なんか……お前なんか、いなくなってしまえ!」
重々しくそう告げる声が増えていく。村人達の瞳は怒りの炎のように涙で赤くなっている。
倒れそうになる体を我慢して踏みとどまり、彼らに背を向けて歩き出す。後ろからは罵声と、石や矢が次々と村人によって投げられる。
痛みと傷が、増えていく。
逃げなければ、殺される。
体では分かっているのか、それとも自分の意識が逃げたいと思っているのかは分からない。
「この、身に……纏うもの、……私の盾と、なりて……守りを……」
防御の呪文を唱えようとしたが、腹の痛みによりエイレーンの体がぐらりと揺れる。
その時、大きく強い風が吹き、風に包み込まれた身体が宙に浮かんで動き出す。
「おい、逃げるぞ!」
「森に行くんだ!! 追え!」
「誰か、魔女狩りを……」
村人の声が少しずつ聞こえなくなる。優しく自分を纏う風は、急いでいるようだった。
「ぐっ……」
腹の痛みが更に増し、血が服へと滲んでいく。
『……喋るな……。森へ……お前の家へ連れて行く。……この森には我が眷属が、風で結界を張る……。人間どもは近づけぬ……』
自分を心配して、迎えに来てくれたのだろう。風は静かに囁く。
「…………」
少しの間、目を閉じて昨夜、風が言っていた言葉を思い出す。村人を助けたいと思うことは、驕りであり、人間は自身が持つ負の感情を誰かに押し付けなければ、生きられないと。
分かっていた。分かっているつもりだった。
結局、自分は心のどこかで、村人達に受け入れられたいと思っていたのだ。人として認めて欲しいと思っていたから、助けたいと思ったのだ。
そう思っていた自分が、一番憎く、愚かだ。溢れ出る涙を止めることは出来ない。後悔することさえも出来なかった。
家まで運んできてくれた風は一度、村の様子を見てくると言って再び空へと向かった。
エイレーンはやっとの思いで家の中へと入り、背中を壁にもたれながら腹に刺さったままの矢に手を伸ばす。
「……あなたは優しい針よ。痛みがない、細く、柔らかい針なのよ……」
指で矢をなぞってから握り締め、歯を食いしばり、ゆっくりと矢を抜き取った。
「うっ……っ……はぁ……」
矢尻は紛れもない自分の血でべっとりと染まっている。それを机の上へと置いてからベッドの上に横たわった。血で汚れてしまうだろうが、今は仕方がない。
「傷を……塞がないと……」
朦朧としながら、右手で腹の辺りを触り、そっとなぞる。魔法で一時的に止血は出来るが、時間が来れば広がってしまう。その間に、傷の手当てをしたいが、体は動かなかった。
「…………っ」
もう、忘れることは出来ない、彼らの怒りの表情が頭からこびり付いて取れないのだ。彼らが怒るのは、自分の持つ力によって傷付けられたと思っているからだ。
幼い頃は、魔法は素晴らしいものだと思っていた。空も飛べるし、言葉を唱えるだけでその通りになる。それは素敵で、特別なものなのだと疑わなかった。
「……魔女じゃ、なければ、良かったの……?」
ぽつりと呟く言葉に誰かが返してくれるはずもない。ここには自分以外いないのだから。
エイレーンは暫くの間そのまま横になって、枕に顔を押し付けて涙を流すしかなかった。