表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/33

予感する悪夢


 入り組んだ森の迷路は、普段は村の人間が森の家まで辿り着けないように魔法が施されている。森の中へ入ってきた者は奥へと進んでいる感覚だったとしても、実際は入口辺りでうろうろと回っているに過ぎず、決してここを見つけることが出来ない。

 拓けた場所に家はあり、壁も屋根も大木を重ね合わせて作られたこの家は、両親が作ったものである。屋根は苔が生えており、年代を感じさせる古さがあるが、建物自体は結構丈夫だ。


「ただいま……」

 鍵を開けて中へと入る。台所と小さな机、椅子が二脚と一人が横になれる大きさのベッド。奥の部屋には大きな本棚と棚に並べられた薬の入った瓶の数々、そして大きな鍋。

 この家で、エイレーンは長い時間を一人で過ごしてきた。

 机の上に荷物を置いて、奥の部屋へと向かう。水桶に水を汲んでから鏡の前で濡らした布を使い、傷口を優しく撫でていく。沁みる痛さに自分は紛れもない人間なのだと実感する。

 

 そう、世間の魔女は涙も血も流さないと言われている。そのため、それを証明するための拷問道具があるのだと昔、母から聞かされたことがあった。

 鏡に映る自分の姿は日に日に母へと似てくる。鏡をそっと撫でながら、小さく呟いた。

「……母さん」

 自分にこの世を生きていく術を教えてから、程なく息を引き取った、たった一人の身内。母が最後まで叶えられなかった願いは自分の故郷をもう一度、見ることだった。

 

 母は故郷で、家族と幸せに暮らしていた。周りは魔法が使える者ばかりだったが、毎日を生きるために自ら畑を耕し、家畜を世話しながら、山奥の村で静かに暮らしていた。

 そこに住む者達はローレンス一族と言って、遥か昔に強大な魔力を操る血を持った者が穏やかに暮らすために、その地へと居ついてやがて一族を形成していったのが始まりらしい。

 しかし、魔女狩りが盛んになってきた時期に、その村に世間で名高いとされていた異端審問官がやってきたことで、幸せだった日常が壊されていった。異端審問官はローレンス一族の全てを異端だと判断し、ただちに拷問にかけて、魔女裁判、そして処刑を行おうとしたのである。

 だが、その異端審問官は魔法が全く効かない特異の体質であり、一族の者は次々と捕まったという。

 隙をついて、母も両親や従兄妹達と逃げていたが、途中で異端審問官の部下や魔女を密告して金を得ようとする輩に襲われて、逃げるのに必死だった母は結局、皆と散り散りになってしまったのだ。


 他の一族の者もどうなったのか分からない。自分達のように襲われ、捕まった者もいるかもしれない。 それでも今、自分がどこにいるのかさえ分からなくなってしまい、その者達を助けに行くことさえも出来なかったと悔しそうに話していた。

 その無念さも抱きつつ、一人旅をする中で、母は自分を理解してくれる男と出会い、この場所に家を建ててひっそりと暮らしていた。そして、自分が生まれたと聞いている。

 しかし、父は自分が生まれて数年後に亡くなっている。とても優しい人だったと聞かされた。

 

 もう、自分の周りには誰もいない。

 名前を呼んでくれる者も、優しく頭を撫でてくれる者も。


 傷口に薬草をとろみが付くまで煮た薬を壺から指先で一つまみ掴んでからゆっくりと塗っていく。かなり沁みるが、この薬を塗ればどのような傷も明日には治っている母直伝の薬だ。

「……さて……、夕飯前に畑仕事でもしますか」

 痛みを振り切るようにエイレーンは別の事を考えようと頭を振る。

 隣には畑があり、近くには川が流れているため、ほぼ自給自足が可能だ。そのため、毎日欠かさず畑仕事を行わなければならない。

 勿論、魔法は一切使わずに全て手作業だ。魔法を使って、種から収穫できる野菜に一気に育て上げることはできるが、それでは美味しくないと呟くのは母の口癖だった。 

 どんな作業でも、魔法は使わないで、一から全てを作りあげる。それが母の教えだった。

 髪を一つに束ねてからエイレーンは家の隣の畑へと向かう。野菜はまだ収穫出来るほど、育ってはいないので今日は野菜の周りに生えている雑草をむしってから、水を撒こう。そう思い、作業を始めようとしていると強い風がエイレーンの体に纏わり付く。

「あら、どうしたの? また何か用?」

 先ほどの風だ。風も人間のように様々な性格を持つ風が他にもいるらしく、この風は森に住んでおり、いつでもエイレーンのもとへとやってきては構っていく、少々物好きな風である。

『……今日は、外に出るな……その方が安全だ』

「どうして? ここは森の中だし、魔法で人は入られないようになっているから、大丈夫よ」

『違う……向こうの風が……騒いでいる……何かあったらしい……』

 風はそういって東の方へと動く。

 この風ではない、他の風が何か異常を察知したのか。

「何かって……」

 そのように曖昧に言われても困るだけだ。しかも東というと村の方を指している。先程、村から帰って来たが特に異常な事などなかった。

 それならば、さらに東向こうで何かが起きているということだろうか。

『今日の空気は……気分が悪い……。この森を出るな、エイレーン』

 珍しく、風が自分の名前を呼ぶ。自分を呼び止めたくなるほど何か思うところがあるのだろう。エイレーンは結んでいた髪の紐を解いて、小さく溜息を吐く。

「分かったわ。あなたがそこまで言うなら、今日は家に篭ることにするわ」

『……何かあったら……知らせる……』

 エイレーンの答えに風は了承したのか、そう呟くとふっと消えていった。

 一体、何が起きるというのか。


 その一瞬、体が身震いしたと同時に、殴られたような感覚に陥る。脳裏に浮かんだのは赤い光景。

 そして、その場所は紛れもなくトリエ村だった。

 赤い光景には村の家々が焼け崩れ、人々が逃げ惑う姿が映る。


「何、今の……」

 頭を抱えながら、何とか家の壁にもたれ掛かる。体中から汗が噴き出し、息も自然と荒くなる。今までこのように突然、何かを「視る」事はなかった。

 それでも、これは直感だ。確実に何かが起きようとしている。

 もう一度、村の様子を見に行ったほうがいいだろうか。だが、村人達は自分の事を恐れ、嫌悪しているので、一日に二度も顔を合わせてしまっては嫌な思いをさせてしまうかもしれない。

「結界を……張らないと……」

 村の周りだけでも、結界を張っておこうと、村の方向へと右手をかざして上から下へとゆっくり振り下ろす。糸を張ったような音が頭の中へ響き、村全体を結界で囲ったことを確認する。

 これならば、村にとって悪影響があるものは入ってこられないはずだ。

 重たくなった腰を上げて、家の中へと体を引きずるように入っていく。扉を閉めて、椅子の上へと腰を下ろして深い溜息を吐いた。

 先程まで気分は悪くなかったのに、今は何故かむせ返るような感覚が胸に残っている。今日はもう簡単なもので食事を済ませてから、早めに休もう。


 だが結局、早めにベッドに入って休んでも眠りにつくことが出来たのは、窓から見える月が真上に来る時間だった。


   


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ