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魔王と少女

 地下の大広間では阿鼻叫喚が繰り広げられていた。

 元々はワイナリーだったそこは、気温がえらく低い。ネズミの仔すら一匹もいないのは、そこに空間の異質さを感じるからだろう。

 人間は動物ほど敏感じゃないから、危険を感じ取れずに、そこに近づいてしまう。現に、少女も何も気がつかずにそこを目指しているのだから。

 その空間は一面、赤でまみれていた。

 ワインの赤ならもっと、薄かっただろう。

 木でできたアーチ状の入り口も、階段も、漆喰で塗り固められた白い壁も、全てが紅く、あるいは赤茶にそまっていた。

 血液独特の、濃い匂いが室内には広がっていた。


「期待はずれだな」


 中央で、ぼそりとつぶやいたのは、まだ若い青年だった。

 濡れたように美しい黒い髪が、体を包む漆黒の衣服が、青年の人形のように作り物めいた顔を際立たせている。人形のような造形を美しいというなら、彼はたしかに美しいのだろう。

 ただ、全体的に作り物めいた存在の中で、唯一、瞳だけが異質だった。

 その漆黒の瞳は、どこまでも続く底なしの泥のようだ。

 見るものを物怖じさせるかもしれないが、同時にその仄暗さは人を引きつけるだけの力をもったものだ。まっさらで、清く正しい人間でない限り、人はどこかしら彼のような目をした人間に惹かれるに違いない。

 今回、彼の目線の先にあるのは、生きた生物ではなかった。

 視線の先には、ぼろをまとった男たちが折り重なるようにして倒れている。しかし、息をすることはなく、恐怖に目を見開いたまま、こと切れていた。その見開いた目や、垂れたよだれは、その男を殺した青年の美しさからはほど遠い。

 やがて、青年が興味をうしなったように、ふいと手を振るとたちまち、死体は青い焔に包まれて、すぐさま灰になった。

 そして、その灰がさらさらと元の形をうしなっていくのを見つめている。


 青年はおもむろに口を開くと、話しかけた。


「…それで? きみは誰なんだい?」


「ばれていたの?」


 驚いたような口調とともに、扉の向こう側から、少女が姿を表す。

 しきりに振り返っては、自分の臀部を確認している。

 そして、階段からおそるおそる中に入ると、まっすぐに青年と向き合った。覗き見をしていたことに対する後ろめたさと、見つかったことに対する気まずさが入り交じった表情をしている。


「そりゃあね。きみも僕を殺しにきたの? それとも、僕に殺されにきたの?」


 青年はうっすらほほ笑んだ。

 しかし、その手は何かを準備しているかのように少女には思えた。

 なにかされてはたまらない。

 少女は、はじけるように首を横にふった。


「まさか。わたしはここに写真をとりにきただけよ」

「写真?」


 問い返された事に安心して、少女は続けた。


「そう、酒場で賭けをしたの。ところで、あなたは? 冒険者なんでしょ?」


 ここには宝も何もなさそうだけど、という言葉を飲み込む。

 青年が意外そうに少し目を見開くと、今度はくすくすと笑い出した。


「僕が? まさか」


 盗賊かしら。 

 少女が身をこわばらせる。

 どこか機械的に青年の笑いが止まる。

 

「僕は、この城に住んでいる」


 その言葉に少女はまじまじと上半身を乗り出すと、青年を見つめた。


「そうなの?…この、城に住んでるって」


 盗賊?

 冒険者? 

 どちらかというと、吟遊詩人や文学者みたいだ。


「ああ、…もう、ずっとね」

「それって、つまりー」


 魔王。

 少女は、気がつくやいなや、駆け出した。

 勿論、出口に向かって。少女の頭が相手を魔王だと理解した途端、心臓が生命の危機を告げてきたのだ。

 魔王だろうが、その偽物だろうが、逃げるが勝ちだ。なんとなく。

 力の限り、地面を蹴る。

 

「…」


 ところが。

 開けておいたはずの扉が、自分から閉まった事により、少女は扉に衝突した。その反動で、階段から転がり落ちる。

 一回転した所で、床に落ちたことによって、止まった。


「い、…痛い」


 背中を打ち付けた痛みに、体を震わせながらも、立ち上がる。


「なにするのよ」


 目の端にうっすら涙が浮かぶ。


「なにって…逃げようとしたじゃないか」


 魔王は少女の着ている衣服をまじまじと見る。不思議な光沢を持つ緑のワンピースを見て、魔王が言う。


「きみは、自由民かい?」


 少女は自分の骨が折れていないか、確認しながらも答える。


「ええ、そうよ。そんなに、分かりやすいかしら」

「その緑の服、きみたちの一族に伝わる、独特な製法をもって作られる植物性の服だろう? その、赤い髪の毛も。有名じゃないか」

「それは、それは。知っていただいているようで光栄だわ。魔王さ、ま…に」


 そこまで啖呵を切るように言って、自分が対峙しているのが、誰だか思い出したらしい。困ったように、魔王を見つめると、じりじりと後退した。


「ねえ、ほんとうに魔王なの? 眠っているって聞いてたんだけど」

「眠ってるよ。気が向いた時にね」

「…わたしの何がのぞみ?」

「勝手に入ってきたのはきみだろう?」


 逆に問い返され、それもそうかと少女は目玉をきょろりと動かして、萎縮した。


「それは、ごめんなさい」

 

 不思議そうに魔王が近づいてきた。


「なぜ、あやまる?」


 右手がかざされた。

 攻撃されるのか、と少女が身構える。

 きゅっと目をつぶったその様子を見て、魔王が言う。


「僕はここから動けないもんだけど、ファンが多いらしくて。一目でも僕をみようと剣を携えてやって来るやつらがいるのさ」

「へ?」


 薄目を開けるのを確認して、魔王はその美しい顔を見せつけるかのように近づけた。


「暇なんだ。もう、誰かを殺すのにも飽きた。甚振るのにもね。みんな、反応が同じなんだ。きみ、しばらく、ここにいないかい?」


 つまり、それは、魔王が自分に暴力を振るわないってことだろうか?

 少女は視線を避けるようにして、言われた言葉を吟味すると、ぐるりと周囲を見回した。答えはすぐにでた。


「いやよ。どう見ても、いい衛生状態じゃないじゃない」

「それは、残念。だけど、ここに来たのが運の尽きだね」


 もう決定事項なんだ、とにこやかに告げる青年を見て、今度こそ少女の顔から血の気が引いた。


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