私だけの救世主。
私は知らない人によく話しかけられる。
理由はハッキリとは分からないけれど、大人しそうに見える外見も理由の一つかもしれない。
「このへんはねえ、昔からずーっと変わっていないの。道がきれいになって、民家も少し増えたけれど、それ以外は変わっていないのよ」
今日も私は、知らない人に話しかけられていた。
バスで隣同士になったおばあちゃんで、優しそうな笑顔を絶やさないまま、かれこれ二十分近く話し続けている。
車窓から見える景色は、相変わらず田園風景で、民家はぽつりぽつりとあるだけ。遠くに見える山は緑に覆われて夏の色をしていた。確かに、ここは昔から変わっていないのだろう。
「そういえば、お嬢さん」
おばあさんが、思い出したようにそう言う。
「はい?」
「あなた、川には行かないわよね?」
「ええ。行きませんよ。今回は遊びに行くわけではないので」
少し小声で答えると、おばあさんはホッとしたような表情に変わる。
「そう。それならいいわ。こっちのほうの川は事故が多いの。二年前にも溺れて亡くなった人がいるの。まあ、あれは事故というよりは……」
おばあさんはそこまで言うと、大きな大きなため息をついてからぽつりと呟く。
「だから償いをしたつもりなのよ」
「償い?」
私が首を傾げると、おばあさんは「ああ、こっちの話だから気にしないで」と微笑む。
「とにかく、お嬢さんはまだこっちに来ちゃダメよ」
「はい。行く気はないですよ」
私が笑うと、おばあさんもニッコリ笑って、それから煙のように消えた。
本当によく知らない人に話しかけられる。
そして、見知らぬ幽霊にもよく話しかけられる。
私は見える体質だ。何が見えるって、それは幽霊だ。
たとえば、このバスの車内。乗客は私を合わせて五人だけれど、実は二人は幽霊。
生きている人間と魂だけになった幽体の違いは、体が透けているかどうかで判断する。むしろ、それ以外に方法がないし、そこまで分かりやすい区別は他にはない。
幼い頃から幽霊が見える体質だったので、恐怖はなかった。誰にでも見えるものだと思っていたけれど、そのことを小学三年生の時にクラスメイトに話したら不気味がられて二度と近寄って来なくなった。
そこで私はようやく理解した。普通の人は幽霊が見えないのだと。
そして、見えないふりして周囲に合わせて怪談話も心霊写真もホラ―映画を観たりもしたけれど、みんなリアリティがない。
幽霊はあんなに怖いものじゃない。透けてさえいなければ、普通の人間と何一つ変わらない容姿をしている。足だってある。
私からすれば、人間のほうがよっぽど怖い。
そんな誰にも言えない自分の考えを心の中で吐き出しつつ、再び車窓の外に視線を向ける。
延々と続くような田園風景に変化はないけれど、山はさっきより少し近くなった気がした。
ふと歩道で犬の散歩をしている人がいる。散歩をしている中年男性もそれから犬も体が透けている。
「多いな」
私がぽつりと呟いた時、バス停が見えてきた。
バス停を降りて五分も歩けば、田園風景の中に小さな住宅街が見えてくる。古い家ばかりが目立ち、すぐそばには工場もあった。
白い壁に瓦屋根の古き良き日本家屋の前で私は足を止める。
閉まったままの門をぼんやりと眺めていたら、中から声がした。
「あら。紗夜ちゃん。いらっしゃい」
おばあちゃんがにこにこしながらこちらに顔を覗かせる。ここは私の母方の祖父母の家だ。夏休みを利用して遠く離れた田舎にやってきたのには理由がある。
私はあらかじめ用意した台詞も忘れてこう答えた。
「うん。来たよ」
「電話してくれれば駅まで迎えに行ったのに。軽トラだけどね」
「おばあちゃん飛ばすから危ないよ。国道だとかなりスピード出すでしょ」
私は言いながら門を開けて中に入った。
庭は相変わらず花と緑で溢れていて、きれいに掃除がされてある。
「おじいちゃんは畑に行ってるから、お昼には戻ると思うよ」
祖母はそう言うと、家のドアの前に立つ。
「おばあちゃん。私、ちょっと買い物に行ってくるよ」
「それなら車、出そうか?」
「いい。歩きで行けるから。ちょっと散歩もしたいし」
私はそれだけ言うと、カバンを肩にかけ直す。
「一緒に行きたいところだけど、今から梅さんがくるからねえ」
「じゃあ梅さんとたっぷり話してて。買い物はいつでも行けるから。じゃ、お茶菓子とかも一緒に買ってくるからね!」
私は明るく言うと、祖母の答えも聞かずに走り出した。
実はスーパーまで徒歩で行くのは結構、時間がかかる。田舎ゆえに。むしろ徒歩でも頑張れば行ける距離にスーパーがあるから便利な方だけれど。
「せめて自転車でも借りてくれば良かった」
そんな後悔をしても、既に住宅街から離れてしまったので戻るよりスーパーに向かった方が早い。
「どこ行くの?」
その声に振り返ると、自転車に乗った男の子がいた。小学六年生くらいだろうか。なんだかアイドルみたいな顔をしている。
私は彼を無視をして歩き始めた。
「へえ。そうなんだ。へー。ふーん」
男の子は何やら一人で納得して、私を追い越してそれから通せんぼをしてきた。
「邪魔!」
私がそう言って睨みつけると、男の子は口を開く。
「俺、早乙女蓮。中学二年生。あんたは? この辺じゃあ見かけない顔だな」
男の子、早乙女君が無遠慮にじろじろと私を見る。
このまま走り去ろとも思ったけれど、なんとなくそんな気持ちにはなれず、私は口を開く。
「黒澤紗夜。高校一年生。初対面なんだし年下なんだから敬語使いなさいよ」
「っだよ。えらそーに。俺よりも二歳年上の割には……」
早乙女君はそこまで言うと、じっとこちらを見る。彼の視線の先は私の胸だ。
「ぺったんこで悪かったわね! だから中学生男子は嫌い! そういうやらしーことしか頭にないんだから」
「そのぺったんこの胸じゃあやらしい気持ちにすらならねーよ」
早乙女君は両手を肩まで上げて、やれやれと大げさに呆れて見せた。むかつく!
それから私は無言で歩いた。
礼儀を知らない中学生はあれこれと話しかけてきたけれど、私は頑として答えない。
そのうち、おもしろくなくなったらしく、どこかへ行ってしまった。
私は小さくなっていく彼の自転車を眺めながら首を傾げる。
しばらく考えてから、「まあいいか」と呟いて歩くスピードを速めた。
今年は蝉の鳴き声が、あまり聞こえてこない。
「よっ。ぺったんこ!」
祖父母の家の近所をぶらぶらと歩いていたら、昨日の失礼な少年と再会。
「げ。なんであんたいるのよ」
「だって俺、家がこの近所だから」
「近所? じゃあ……」
「ああ、いや。あっちの通りを挟んだ向こうにある住宅街に住んでる」
早乙女君はそう言うと自分の家の方角を指でさした。少し離れたところにここと似たような小さな住宅街が見える。
私が再び歩き出すと、早乙女君は歩くスピードを落として尋ねてくる。
「で、こんなところで何やってんの?」
「いや、それはこっちの台詞」
「俺は別に。近所にいて何が悪い」
「悪いわけじゃないけれど」
「それより、ぺったんこさ」
「ぺったんこって呼ぶな!」
私が睨みつけると、「しょーがねえなあ」と早乙女君は呟いてからこう言い直す。
「黒澤さんさ、今日ってなんか予定ある?」
「別に何もないけれど」
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれない?」
「え? どこに?」
「いろいろと! 暗くなるまでには解放するから!」
「えー。なんか嫌だ。よからぬことを考えてるんじゃないの?」
「考えてねーよ。俺の秘密基地とか案内するからさあ。お願い!」
早乙女君はそう言うと、顔の前で両手を合わせる。
私は彼をじっと見つめてから小さくため息をついた。
それからこう答える。
「分かった。いいよ」
「本当に?! 案外いい奴だな!」
早乙女君の目がキラキラと輝いた。なんか子犬っぽい。
おばあちゃんの自転車を借りて、早乙女君もいつの間にか持ってきた自転車に乗って二台で走る。
ひまわり畑を通り過ぎ、錆だらけの遊具しかない公園を通り過ぎると、駄菓子屋が見えた。
「ここ寄ろう」
駄菓子屋の前に自転車を止め、早乙女君が店の前の冷凍庫に視線を向ける。
私も自転車を停めて、それから冷凍庫を開けた。懐かしいパッケージのアイスクリームを手に取り、それを購入すると、早乙女君が歩き出す。
「こっち」
彼はそれだけ言うと、駄菓子屋のすぐそばにある神社の石段に腰掛ける。
私は早乙女君の斜め上に腰かけて、アイスを食べた。
「なんで上にいるんだよ。しかもスカートじゃねーし」
「黙れエロガキ」
私は冷ややかな視線を浴びせてから眼前の景色を眺めた。
遥か彼方までつづくような田園風景と、それから手を伸ばせば届く程の位置にある大きな山と、ぽつぽつとあるだけの民家。
「私は、ここ好きだよ。田舎だけど田舎だから好き」
「矛盾してるな」
「早乙女君も好きでしょ?」
「嫌い」
早乙女君はぶっきらぼうに言うと、あっという間にアイスクリームを食べてしまった。
そして、「あ」と言ってこちらにアイスクリームの棒を差しだしてくる。
「ゴミならちゃんとゴミ箱に捨て……」
私がそう言って差し出された棒を見ると、そこには『当たり もう一本☆』と書かれてある。
「俺、もういらねーから、やるよ」
その言葉がやけに悲しそうだったので、私は当たり棒を受け取った。
早乙女君は「よっこいしょ」と立ち上がる。中二のくせにじじくさいな。
「アイス食った? もう行くぞ」
「そんなに急かさなくてもいいじゃない」
「時間は有限です」
早乙女君はそれだけ言うと、すたすたと歩き出した。
次に早乙女君が立ち止まったのは、中学校。
「あ。アイスの棒、交換してくるの忘れた」
私は言いながら、当たりの棒をカバンに入れる。後でいいか。
中学校では、グラウンドで野球部らしき丸刈り頭の子達が練習をしている姿が見える。
「俺、野球部だったんだ」
野球部のフェンス越しに練習を眺めつつ、まるで懐かしい思い出を口にするかのように早乙女君が呟いた。
「ふうん。サッカー部かと思った」
「なんでだよ。サッカー部はチャラい奴らが多いから嫌い。だから一緒にすんな」
「ものすごい偏見だね」
私はそう言うと、汗だくになってグラウンドを走る野球部に視線を向ける。
しばらく二人で黙って野球部の練習を見ていたけれど、ふいに早乙女君が口を開く。
「もし、さ。もしもだよ? 過去に戻れるなら、戻りたい?」
「なにを突然……」
「過去を変えられるなら、変えたい?」
やけに真剣な表情で早乙女君が聞いてくるもんだから、私は答える。
「うん。そりゃあ、そうだよ。変えられるもんなら変えたい」
「だよな」
早乙女君が大きく頷いた。
中学校を後にすると、早乙女君と私はまた走り出す。どこへ行くつもりなんだろう。そんな疑問を口にしようとした時。
突然、早乙女君が自転車のブレ―キをかけた。
「ん? なに?」
彼のすぐ後ろを走っていた私も自転車を停め、早乙女君の方を見る。
「別のルートから行こう」
そう言って自転車の向きを変えている早乙女君の顔が曇っていた。
「どうしたの? この先、通れないの?」
私は辺りを見渡してみるが、左側には広大な牧場、右側には河原が見えるだけ。道路も工事をしている様子はない。
じりじりと容赦なく照りつける太陽が、陽炎をつくっている。
ふと、道路に新聞が落ちているのが見えた。比較的新しいもので、見出しにはこう書かれてあった。
『工場爆発、集落の復興の目途立たず』
私はすぐにその新聞から視線をそらし、既に小さくなりかけている早乙女君の後ろを追いかけた。
もうどれぐらいの時間が経ったのだろう。自転車に乗りながらだからスマホが確認できない。
さっき、別ルートを行こうと提案してから早乙女君は無言のまま走り続けていて、何だか話しかけづらい雰囲気。
山が随分と近くなると、舗装されていない細い道を走る。そこをしばらく走ると、早乙女君が自転車を停めた。
「ここだよ。秘密基地」
そう言って早乙女君が目の前の木を見上げる。ご神木と崇められていてもおかしくないくらいに大きくて太い木には、小屋がくっつている。ツリーハウスというやつだろうか。
随分と手作り感溢れる階段を慎重に登り、早乙女君に続いてツリーハウスの中に入った。
中は大体、四畳くらいの広さだろうか。中央を陣取るのは丸い小さなテーブル。
「ここさ、小学生の時にじいちゃんが作ってくれたんだ」
窓際に腰かけて、外に視線を向けながら早乙女君が言った。
「そっか。おじいちゃんすごいね。立派なツリーハウスだもん」
私の言葉に早乙女君は大きく頷いてから、窓の外に視線を向けたままで言う。
「そういえば、俺、黒澤さんに一つ嘘ついてた」
「なに? ちょっと変わった幽霊だってことは分かってるよ」
私はそう言うと、透き通った体をした早乙女君を見つめる。
「ってゆーか、まだ幽霊じゃないんだけど。そうじゃなくて、年齢。本当は俺、高校一年生」
「え? 中学二年生じゃないの?」
「中学二年生の頃に事故にあって、そのまま目を覚まさないんだよ。幽体は中二のままだけど、本当の体は高校一年生になってる」
「……ややこしいね。でも、同じ歳ってことね。それから、おかしな幽霊だと思っていたら幽体だったんだ」
物に触れたり、アイスクリームを食べたり、幽霊じゃできないことばっかりしてるから変だと思ってた。
「俺からすれば黒澤さんのほうがおかしな人間だよ。幽体の俺が見えるなんてさ」
「それもそうか」
「自転車もアイスクリームも、俺が触るとみーんな人間から認識されなくなるんだ。だから、誰も俺のことが見えないって思ってたから驚いたよ」
早乙女君はそう言って少しだけ笑う。
そして、窓の外に視線を戻してこう続けた。
「俺が誰からも見えない幽体になって二年も彷徨い続けているのは、じいちゃんを殺した罰なんだ」
「え? どういう意味?」
「そのままの意味」
早乙女君は大きなため息をついてから、続ける。
「二年前に俺とじいちゃんは釣りに行ったんだ。ちょうど二年前の今日。俺が川で足を滑らせて溺れたんだ。じいちゃんは溺れた俺を助けようとして、自分が流されちまった……」
私は黙って話を聞いた。
「俺だけが運よく別の釣り人に助けられたんだ。でも、溺れた時に岩に頭ぶつけてさ。そのまま植物状態」
「それは早乙女君がおじいちゃんを殺したんじゃないよ。不幸な事故なだけ」
私の言葉に、早乙女君は黙りこむ。
河原を避けたのは、そのせいだったんだね。きっとあの河原で溺れてしまって今も近くが通れないほど恐怖なんだ。
沈黙を破ったのは早乙女君だった。
「今日はこの町を目に焼き付けておきたかったんだ」
「目に焼き付けておきたかった、って……」
「俺、過去を変えに行くんだ」
「え?」
私が首を傾げると、早乙女君はこちらを真っ直ぐ見つめた。
「実は俺、一度だけ過去に戻れる力があるんだ。神様がくれた。俺の植物状態もじいちゃんの死も自分の不手際だって言って」
「へえ。神様って太っ腹だね」
「信じてくれるんだ。俺てっきり『中二病は起きてから言え』とか言われるかと思った」
「幽霊が見えるんだよ? 神様も信じちゃうって。ってゆーかそんな酷いこと言わないよ。病人に対して……」
「俺、もう病人じゃないんだよ。明日には死ぬ」
その言葉に、胸がずきりと痛む。
「過去を変える能力は、いつの時代でも行けるんだ。あ、俺が生きてる時代が限定だけどな。江戸時代とか行ってみたかったんだどな」
「じゃあ、二年前に戻るんだね」
「うん。ついでに一年前の工場爆発も阻止しておくから」
「えっ。知ってたの?」
私の言葉に、早乙女君は大きく頷く。
「去年の八月一日に、A市のB町のC工場で爆発事故があった。すぐそばにあった住宅街が巻き込まれてかなり死傷者が出たんだよな。だから紗夜がいた辺りは未だに焼け野原になってる」
私はゆっくりと口を開く。
「私のおじいちゃんとおばあちゃんね、あの日、バス旅行に行くはずだったの。だけど、おじいちゃんが夏風邪をひいちゃってやめたんだって。それで爆発事故に巻き込まれて……」
「俺が絶対に止めてやるから。過去、変えてくるから」
「うん。心強いよ」
私がにっこり微笑むと、早乙女君は急に黙り込んで俯いてしまった。
「ん? 私なんか変なこと言った?」
早乙女君は黙って首を大きく振る。そしてしぼり出すかのように言う。
「本当は……怖いんだ。過去は絶対に変えられるわけじゃないから。しかも一度きりのチャンスしかない。どこかで失敗したらじいちゃんも俺も死ぬし、工場の爆発の阻止もできなくなる」
彼の体が小刻みに震えていた。
私は早乙女君の肩にそっと触れてみたけれど、透き通った体に触れることはできない。
「そっか。怖いから一人でいたくなかったんだね」
「うん。カッコ悪いだろ。最後に、過去に旅立つ前に誰かと話したかった……」
「カッコ悪くなんかないよ。過去を変えたら、早乙女君は救世主だよ」
私がそう言うと、早乙女君は少しだけ笑う。
「じゃあ、過去を変えて再会できたら、救世主って呼んでくれる?」
「救世主って呼ぶの? 他の人からしたら何のことか分からないから恥ずかしい思いをするのは早乙女君だよ?」
「じゃあ、蓮って下の名前で呼んで」
「そんなことでいいの?」
「じゃあ、再会したら、一緒にまたここに来てくれる?」
「いいよ」
「自転車乗って、アイス食べて、千本ノック付きあってくれる?」
「いい……いや、最後のはちょっと……でも頑張るよ」
私がそう答えると、早乙女君は顔を上げて、にっとイタズラっぽく笑う。
「じゃあさ、過去をちゃんと変えてくるついでに、紗夜に牛乳たくさん飲ませておく」
「調子に乗るな!」
私はそう言って頬をふくらませてから、ニッコリ微笑んだ。
すると、早乙女君の体が少しづつ消えてかけていくのが分かった。
「そろそろ時間だな。よーし。いっちょ行ってくるか」
「うん。頑張って」
「今日はありがとな。ぺったんこ紗夜」
「ぺったんこって言うな!」
私がそう言った瞬間、早乙女君が消えた。
祖父母の家に戻ると、古き良き日本家屋は跡形もなくなり、野原があるだけ。
辺り見回しても、残っている家はない。
そう。あの工場爆発でこの辺、一帯は吹き飛んでしまったので、祖父母家どころか近所の家も残っていない。
「紗夜! どこに行ってたの!」
そう言ってこちらに駆け寄ってきたのは、母だった。
「ごめん。ちょっとね」
「紗夜だけ一日早く着いてるはずなのにお寺にいないから探したのよ」
「ごめんごめん。行こう、おじいちゃんとおばあちゃんのお墓参り」
私はそれだけ言うと歩き出した。
幽霊なんて本当はいないのかもしれない。ただ、生きている人間が死んだ人に会いたいがゆえに作りだした幻覚なのかもしれない。
ふと気配を感じて振り返ると、祖父母の家とよく手入れされた庭と、それから祖父母がこちらに笑顔で手を振っている姿が見える。
瞬きをすると、すぐに消えてしまった。
☆
「だーかーらー! 何度も言ってるよね? 危ないって!」
私の言葉に、祖母が庭の花に水をやりながら言う。
「きれいに咲いたねえ。ほら、紗夜も見てみな」
「話を変えないでよーもー」
私は頬をふくらませて、家の中に戻ろうとしてふと足を止める。
少し離れた場所を指さして、祖母に聞いてみた。
「ねえ、去年まであそこにあった工場、なんでなくなったの?」
「移転だとか聞いたけどね。今の牧場の持ち主に買い取られたとかなんとかって梅さんが言ってたよ」
祖母はそう言うと、立ち上がった。
「おい。紗夜。お客さんだぞ」
祖父が眉間に皺を寄せて、こちらにやってきた。
「お客さん?」
私が首を傾げると、門の前に誰かが立っているのが見えた。
アイドルみたいな顔をした男の子で、背格好からして私と同じ歳くらいだろか。誰だろう?
「紗夜! 成功した! 過去、変えたぜ! じいちゃんもピンピンしてるし、じいちゃんの友達に頼んであの工場を買い取ってもらった。すげー大変だったんだからな!」
一気にまくしたてる男の子に、私は思わずこう尋ねる。
「どちらさま?」
私の言葉に、男の子は急に勢いをなくして、そして悲しそうに笑った。
「そっか。過去を変えると、俺と紗夜は会ってないってことになるのか……」
「過去を変える? 会ってない? もしかして中学二年生の病気?」
「うん。もうそういうことでいいや。それにしても紗夜さ、ちゃんと牛乳飲んでるみたいだな。かなり大きくなって……」
男の子が私の胸元に視線を向けた途端、ふと頭の中にこんな言葉が浮かんだ。
「救世主?」
男の子は大きな目をまん丸くして、それから笑いだした。
「そうだよ。俺は救世主こと早乙女蓮。今から、アイス食いに行かない? 奢るから」
早乙女君はそう言うと、こちらに自分の手を差し出す。
私は無意識のうちにその手の上に自分の右手を置いていた。
<おわり>