光の中で 敏也 9
敏也が経験する当たり前の初めての事は、どこかを何かを変えてゆくのだろうか?
暗くなってゆく時間はあまり好きではなかった。
僕の人生ってなんだろうな、そんな気持ちが沸々と湧きあがってくる。
そしていつのまにか、楽しかった記憶をたどっている。
小さかった時、家族で旅行に行ったっけ。父さんの車でどこだっただろう、高原に行ったっけ。
牧場で馬に乗った。小さかったから一人で乗るのが怖くて父さんと一緒に乗ったんだ。
背中に大きなあったかい大人の身体が自分を守ってくれているようで、安心して乗っていられた。
父さんはいつでも大きくてたくましくて、大好きな存在だった。
いつの頃からか、父さんはあまり家に帰ってこなくなった。
中学三年にもなると、それがどうしてなのか薄々気がついてくる。
その頃から、母さんは僕の受験が失敗したせいだと言い始めた。
そして、僕は母さんの為だけじゃなくて自分の為にも東大に合格しようと決心したんだ。
「おまえさぁ~、どうして誰とも話さないの?」
隣に座った熊五郎が、暗い窓の外をみながらつぶやく。
敏也は自分に向けられた言葉なのかわからなくて、熊五郎の顔を見つめる。
すると彼は長い腕をのばした。
「お、ここ!ここ!オレのおじさんち」
ピンポンと音が鳴ると
『次、止まります』
とアナウンスが流れる。
敏也は四人の背中を見ながら、一緒にバスを降りてゆく。
目の前の彼らは、友だち?
周りから見たら、きっと友だちに見えるだろうな。
僕にとって、いつの間にか一緒に行動をとる仲間ってものが現れた。そう思っていいのかな。
どんな風に接していいのか見当もつかなくて、不安な何かが胸につかえているのを感じていた。
五人が下りてすぐの道を入ると、そこに『笹塚』という表札が見えた。
コンクリート造りの壁はすぐに生垣に変わり先に長く続いている。
幅広い門柱の中に熊五郎が姿を消すと中から甲高い声が聞こえてきた。
「いやぁ~お入りお入り~、あ、お友だちねぇ~はやくはいり~」
入って右側の庭には大きなオリがあって中にニワトリが眠っている。
正面に木枠にガラスの引き戸があって、農家の家らしく広い玄関になっている。
テレビの中でしか見た事のない、ガラガラガラという音を立てて横に開く扉だ。
肌色の暖かい明かりが自分たちを歓迎してくれているような気がする。
「これ、オレの叔母さん」
熊五郎の前にニコニコしているのは、中年と呼ぶにははばかられるくらい綺麗な人だった。
「こんにちは、じゃない、こんばんは~美奈香と申します」
意外にも行儀がよい、美奈香が頭を下げて上げると髪の毛が山姥のようになる。
「ちぃわっす!高松翔で~す」
少し緊張ぎみの翔だ。
「突然お邪魔することになって申し訳ありませんが、よろしくお願いします。新城です」
さすがに前生徒会長、名前だけだとはいえ、偏差値は高い。
ああ、こういう時なんて言えばいいのかな。
敏也は氷で顔を押さえながら、言葉も浮かばず頭を下げた。
「気楽に行こうぜ。ここんち親父の実家だし、おばさん行遅れってやつだから独身だしね」
熊五郎が靴をぬいでさっさと中に入っていくのを見て、皆慌てて中へ入る。
上がると右手に台所なのだろう、湯気の匂いにおいしそうな香りが充満している。
「おばさん、オレら腹減ってんの。飯はやくね」
まるで自分の家のように振舞う熊五郎に、台所の中から声がする。
「いいけど、若い人が食べるようなもの無いからね~~、老人食だよ~~」
さっきの人の声が嬉しそうだ。
二番目の和室に入っていくと広い部屋の真ん中に大きな座卓が置いてあって、二人の顔が敏也たちを見つめて笑った。
「こりゃこりゃ、若いもんが大勢来よった」
「久しぶりで~す、元気だった?」
手を振りながら熊五郎はこぼれんばかりの笑顔で座ると、みんなに座るよう目で合図する。
「これ、オレのじ~ちゃんとば~ちゃん!よろしく!」
「ちぃ~す」
「初めまして」
「美奈香っていいます~」
敏也は頭を下げる。
なんだろう、この空気。この居心地の良さ。電球の色と同じ色した空気。
温かいぬくもり。
美奈香も翔も陽介も、すでにリラックスモードに入っている。目の前に出ているお漬物に手を出してポリポリ始めた。
ほどなく、先ほどの叔母さんという人が料理を運んでくるとあっという間に、まるで宴会のような賑わいになった。
叔母さんはスミレさんと言って、敏也の母と同じくらいの年齢だった。
「でもね、心は少女よ!これでも乙女だからね」
美奈香と女子トーク炸裂という感じで、仲良くなると俄然美奈香は猫のようになついている。
「くまちゃん、羨ましいよ~~こんな素敵な叔母さんがいるなんてぇ~」
「さあさ!みんな汗かいてるでしょ?お風呂入っておいで!寝るのは男の子は隣の和室使ってね」
美奈香が風呂から出ると、二階に上がった。
女の子だから二階の空いている部屋を使わせるのだろう。
四人で風呂に入る。
「なんだよ、ここ。旅館の家族風呂みてぇ~」
翔が脱衣所から中に入って声を上げる。
「じ~ちゃんが風呂好きで、でっかくしたんだ。オレが子供の頃は普通の家の風呂だったよ」
熊五郎がザップンと大きな丸いヒノキの湯船に入って気持ちよさそうに言う。
熊と翔がお湯から出て身体を洗い出し、陽介と敏也が入る感じだ。翔はサクッと汗だけ流して入って来る。
次々にお湯に入るとザブザブとお湯があふれて流れ出す。
「お湯の無駄使いだね、こりゃ」
陽介が笑った。
そして、そろそろと足を入れている敏也を見て
「痛むんじゃない?顔」
みんなが敏也の顔を見つめた。
本当はまだ押すと痛い。でも何と答えて良いのかわからずに首を振る。
皆うなずくとあらためて気持ち良い顔を作って、湯につかった。
「言葉にしないとわかんない事ってあるんだぜ」
泡だらけになった熊五郎が、背中を向けながらつぶやく。
僕の事、言っているんだ。
敏也は素直な気持ちを表す言葉を探した。
あの時、彼らが来てくれなかったら。
想像さえ恐ろしくてできない。
「助けてくれて、ありがとう」
湯気に隠れてみんなの表情は読み取れない。
熊五郎が振り向いて
「陽介、順番。出ろ、出ろ。オレがあったまる番ね」
そう言うと陽介が身体を洗い、翔は脱衣所に出ていく。
「いっちば~ん!」
陽介が身体を洗いながら、苦笑いになる。
「子どもか!あいつもいつまでもガキっぽいな。じゃ、オレも出るわ」
陽介が出ると、敏也と熊五郎が残った。
「あ、オレも出るって」
そう言いながら敏也にウィンクする。
「礼ね、美奈香にも行っといた方がいいかもね。教室に一人で気になるやつがいるって言ったのあいつだし。今日帰りおまえがいなくなって必死こいて探してたの、まじ、あいつだったからね。それに、おまえ!すごい声出してたじゃん、声出せるんだからさ、声出そうぜ!」
熊五郎が出ていくと、広い風呂場には敏也一人がポツンと残った。
最後に聞こえた言葉が、風呂場なのか敏也の頭の中なのか響いて広がっていた。
(うん、声、僕出せるのかもしれないな。言葉に出せば気持ちも通じるのかもしれない)
うまく気持ちを表すのは簡単じゃないのかもしれない。
だけど、僕にもできる事なのかもしれない。