光の中で 敏也 4
心の変化に戸惑い、不安に包まれる敏也
毎日を勉強に明け暮れる敏也。
友だちもいなかったし、いらないと思って生きてきた。
目標は、東大合格だ。そしてその為にはそれに繋がる高校に合格しなくてはならない。
「ただいま」
小さな声で玄関を開ける。
「お帰りなさい」
奥の方から母の声が聞こえてくる。
「今日は家庭教師の先生が来る日だから、何かお腹の中に入れておきましょうか」
そう言うとキッチンの方に母は姿を見せないまま移動したようだ。
お帰りなさいの挨拶は、顔を見ることなくスルーされる毎日。
敏也はそれを不服だとも思わないし、それよりも今日やってくる家庭教師の先生の顔を思い描いて気持ちがしぼむ。
敏也は学年でもトップをキープしているし、偏差値もそこそこだ。
だが、家庭教師はいつでもいうセリフがある。
「とんでもない!」
そうだ、敏也が通っている学校は底辺だという。
そんなところに通っている生徒にはろくな者がいない。
そんな生徒と関わっていると敏也まで、ろくでもなくなってしまう。
いつでもそう頭ごなしに言われ続けてきた。
今日の裏庭での光景がよぎる。
あいつらは、ろくでもない奴らなんだよな。
でも、僕の描くパラパラ漫画を「すごい」と言った。
「感動した」と言って背中や肩を叩かれた。
美奈香に至っては、ちびの敏也の頭を小さい子どもにするようにぐりぐりかき回した。
「やめろよ!」
と言って手を払ったが、頭を撫でられたのはいつの事だったか。
「恥ずかしがっちゃって~~~、弟くらいには可愛いよ、アンタ」
顔を近づけてニカッと笑う。
吸血鬼ドラキュラ女子は意外にも、綺麗な澄んだ瞳をしていた。
仲間が笑いあって、その空間は柔らかく居心地の良いものに思われた。
友だちってあいつらみたいな関係なのかな。
いやいや、僕に仲間なんかいないし、要らない。
生徒はライバルだ。東大合格を果たすまで友だちなんかいらないんだ。
敏也は家庭教師が来るまでの短い時間に、机に向かってサンドイッチを頬張りパラパラ漫画の続きを描き始めた。
唯一、現状からトリップできる瞬間。
父の期待に応えられなかった自分から。
東大から遠い位置にいる自分から。
学校のみんなから無視される存在から。
その晩敏也は夢を見た。
美奈香が海を見ている。
声をかける敏也。
振り向く優しい美奈香、にっと笑うと口元から牙がのぞく。
ゾクッとする背筋、バンと叩かれる衝撃に横を見ると熊五郎と翔と陽介が笑う。
「友だちだろ!」
陽介が言う。
「友だちだって~~、笑っちゃう~~、がり勉なんて無理無理!」
美奈香がそう言うと表情が急変する。裂ける口、のびる牙、今にもとびかかってきそうな形相。
「や、やめて~」
すると美奈香がエッという顔になる。
「アンタの血、まずそうだから飲むのや~~~めた!」
さっきまでの可愛い笑顔が笑い声をあげる。もとに戻ったのだ。
「だよね~」
「だな!」
「ですね」
三人が笑いあう。
「行くか?」
熊五郎が親指を立てる。
胸のどこかが暖かくなっていくのを感じて、敏也は頷いていた。
「一緒に行ってもいいのかな?」
尋ねる敏也にみんなが笑顔で答える。
「あったりまえじゃ~ん」
「そうそう」
「だよね」
熊五郎があごを上げて笑う。
「行くぜ!」
カッコいい。身体中が柔らかい気持ちで満たされてゆく。
こんな気持ちは初めてだ。
嬉しい、だけどこの感じをみんなに伝えたいけど術を知らない。
途端に不安に襲われる。
ドキドキが止まらない。汗がにじむ。急に谷底に落ちてゆく。
「うわぁあ~」
そこで敏也は目が覚めた。
身体中汗をかいていて、胸が締め付けられるような感覚。
何故だか、今日学校に行くのが怖い気がしてきた。
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
昨日の事が嘘だったように、今日が始まっている。
今日学校に行っても、今までの生活と違うなんて事はないんだ。
そう自分に言い聞かせてみる。
息を大きく吸い込んで、ダイニングに降りてゆく。
昨日も父は帰ってこなかったようだ。
もう何日、何週間、何か月、父に会っていないだろうか。
それも、当たり前の事で特別な事件じゃない。
味のわからないサラダと目玉焼きを口に入れて、砂のようなトーストを飲み込んでコーヒーをすする。
敏也のいつもの一日が始まろうとしていた。