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中編

 学生寮の自室でアサギはベッドの上にうつ伏せで倒れ込んでいた。机の上には、火の灯ったランプと犯人が分かってしまった未読の推理小説、それに原稿用紙が置かれている。書評の締め切りの日は近い。本当なら今日中に小説を読破し、原稿の初校をしたためる予定だった。が、そんな気力はもはや残っていない。かと言って、小説の続きに目を通す気もない。犯人は分かってしまったが、最後まで読みとおすつもりではいる。しかし、今夜は表紙を開く気にはならない。

 今日は何もかもが最悪だ。

 疲れた体を引きづりながら寮に帰宅し、制服を着替えることすら後回しにして罰として出された宿題を先ほど全て終わらせた。今のアサギに残された体力は空に近かった。

 思い頭を起こして壁時計をチラリと見れば、レイブンとの約束の時間に近付いていた。

 アサギを迎えに来る、と彼は言っていた。

「本当に来るのかなぁ」

 そもそも彼とは初対面だ。レイブンはアサギの名を知っていてもが寮生だとまでは知らないとは思う。というか、逆に知っていたほうが怖い。

 大体、彼の誘いに対して付き合う義理は無い。それどころか、怒りをぶつけたいほどだ。これは決して八つ当たりなんかでは無い。

 今日一日のアサギの不運は、全て彼の言動が一因となっている。そう、何もかもレイブンのせいだ。

 約束というよりもむしろ強制や命令に近いものだったし、何より自分はちゃんと拒否したのだ。それを聞き入れずなかったのはレイブンの方だ。アサギが反故しても、彼に恨まれる筋合いは無い。明日何か言われても、寝てて気付かなかったとでも言えばいいだろう。

 そう考えて、アサギの瞼がようやく重くなった。

 うん、そうだ。私は悪くない。

 微かに良心は疼いたが、それよりも恨みのが深かった。あと面倒事は関わりたくないという思いも。

 大きなあくびを口にし、灯りを消すためにベッドから立ち上がった……その時だった。窓に何かが当たった音がした。

 何となく嫌な予感がした。

「気のせいだ。うん、きっとそうだ」

 そう思い込みたかったが、また窓に何かが当たる音がした。今度は先ほどよりも大きい。それでも無視しようとしたが、諦めた。もしかしたら窓を割られてしまうかもしれない。

 渋々と窓へ向かい、カーテンを開いた。窓の外には、予想通りの人物が待っていた。学生寮の窓際近くに植えられたらがっしりとした大木。その大ぶりな枝に彼は腰掛けていた。何故か制服姿で。アサギの姿を見ると、レイブンは右手をヒラヒラと振った。

「よぉ」

 まるで幼い子供のような無邪気な笑顔でレイブンは言う。。

「迎えに来たぞ」

 これが恋愛小説の中だったら、さぞかし素敵な場面であろう。雲一つない星空の下で、自分に向かって手を差し出す青年。しかも、童話の王子もかくやという美形。大抵の女の子は憧れるシチュエーションだ。が、現実は全然別物だ。

「何で私の部屋を知ってるの」

「それはもちろん尾行したからに決まってるだろ」

 とんでもない発言をさらりと言い張るレイブンに、アサギは深く深くため息をついた。

 部屋の場所は寮の玄関先にある寮生用のポストから読み取ったらしい。それと寮の間取りを頭の中で計算して、ここにたどり着いたそうだ。

「……スゴいね」

 呆れ気味にアサギが感想を言えば、 レイブンは得意げに胸を張る。

「名探偵だからな」

 ここまでイヤミが一つも通じないといっそ痛快だ。痛みだしたこめかみをアサギは右手で押さえる。

「早く来いよ。見つかったら面倒だ」

「はいはい」

 もう拒絶することも面倒だ。完全にアサギは諦めてしまった。

 日中は暖かいとはいえ、さすがに深夜は肌寒い。椅子にかけていた制服のジャケットを羽織り、ランプの火を落とす。一瞬で部屋は暗闇に包まれるが、窓から差し込む月明かりが照明の代わりになる。

 窓枠に足をかけ、レイブンの手を取る。そのままの勢いでアサギは枝の上へと飛び移った。下を見下ろせば、結構な高さがある。

「しっかりと捕まってろよ」

 そう言うと、レイブンはアサギの腰を抱える。

「え、ちょっと」

 思わぬ密着に、アサギの頬が熱くなる。鼻先がくっ付くほどの顔の近さに恥じらいを覚えるが、レイブンの方は特に意も介していないようだ。彼は開いた方の片手で器用に木の幹を下って行く。ものの数分もしない間に、二人は地上へと降り立った。

「ふふん、どうだ? 名探偵は体力も備えているものなんだ」

 ただ単に彼は力自慢したかったらしい。何だか年相応に緊張した自分が馬鹿に思えてきた。

「あーそうですか、すごいすごい」

 微妙に言葉に棘が入った。少しあからさま過ぎたかなと一瞬だけ反省したが、よくよく考えれば向こうの方が非常識だった。こちらにはこれくらいの責める権利はあるだろう。そう思ったのだが、何となく居心地が悪くてアサギは別の話題を出す。

「どうして私を知ってるの。もしかして、別のアサギさんと間違えてたりしてない?」

 昼間からの疑問を口にすれば、レイブンは懐から何やら折りたたまれた紙を取り出した。それを広げながら、彼は得意げに答えた。

「間違えるはずないさ。長い黒髪につり上った青い目。愛想の無い顔に貧相な体つき。で、俺と同学年の新聞部の新入部員。奇数月の書評欄担当者。な、そうだろ」

「合ってるけど、サラッと失礼なこと言ったね。怒るよ」

 アサギのツッコミを無視して、広げた紙を彼女の眼前に掲げた。そして右下のある部分を指差す。そこには次回の特集が予告されていた。特集内容は『学園の七不思議』と記されている。

「これの記事をお前に書いてもらう」

 無茶を言うレイブンにアサギは首を横に振った。

「それはもう部長や先輩たちが記事を書くって決まってるの。私たち後輩がすることなんてせいぜい取材くらいだよ。それにそもそも貴方は部員じゃないでしょうが」

 レイブンは伸びた前髪をかき上げる。芝居がかったその動作ですら彼には様になる。それがなんだか癪に障る。

「あぁ、そうだ。俺は新聞部ではない。だが──俺は名探偵だ」

「…………はぁ?」

 あまりに明後日な方向な返答に、アサギは困惑を通り越して呆れた。彼女の心中を無視してレイブンは言葉を続ける。

「学院で噂される怪異。それを華麗に解明する俺! まさしく名探偵に相応しい活躍と思わないか」

「思わない。それに私がついて来る必要性感じない」

「馬鹿な、大有りだ! 思い返してみろ、お前が読んでいた小説を」

 あまり思い返したくない。その小説のせいで今も色々厄介な目に合っているのだから。

「それとどんな関係が?」

「あれは探偵の活躍を手記に書く記者といった形式が取られていただろう。他の作品も様々な違いがあれど、そういった手法が取られている」

 名探偵の隣に語り部有り。それが彼の持論らしい。

「昼間、小説を読んでいたお前が新聞部のアサギだと気付いた時、俺は閃いたんだ。コイツこそ、俺の活躍を記す助手だと」

 ようするにレイブンの推理という名の暴走を記事にしろということだろう。さらにずうずうしいことに一面を飾れと要望している。

 熱弁振るう彼に対して、アサギの口元は引きつった。そんなくだらない理由で今日一日現在進行形で振り回されているのか。

「私、助手になりたくないから。探すなら他当たってよ」

「はっはっは。謙遜しなくてもいいぞ。それに誰でもいいわけじゃないし」

「どういうこと?」

 レイブンはいつの間にか取り出した小型カンテラに火を灯しながら答えた。

「お前の文章がいいんだ。アサギの書評、読みやすくて俺は好きだ。その本の良さを存分に引き出している。この俺が推理小説以外の本に興味を持つぐらいだぞ」

 面と向かってこうも誉められると悪い気はしない。アサギは熱くなった自身の頬を指先でこする。自分の文章をここまで絶賛されたのは初めてだった。気恥ずかしくて、そっぽを向いた。

「おべっか使われても、駄目だからね。私、記事は書かない──」

「じゃ、行くぞ。遅れるなよ、アサギ」

 さっさと歩きだしたレイブンに対してアサギは何だか腹が立った。本気で照れた自分が間抜けみたいだ。腹を立たせながら大股で彼の後を追う。

 学生寮から学園まではそんな離れていない。数分も歩けば校門までたどり着く。暗闇の中で浮かび上がる学園は、異質な空気を放っていた。毎日見慣れているはずなのに、別の建物のように感じる。

 閉ざされた鉄門をレイブンが押せば、軋んだ音を立てて開かれた。どうやら最初から鍵がかかってなかったらしい。学園の正面玄関も同じだった。拍子抜けするほどに呆気なく二人は深夜の校内へと侵入する。

「今日は天文部の奴らが、天体観測してるからな。無人じゃないんだ」

「だからと言って、鍵開けっ放しにしとくのは不用心じゃない」

「俺が頼んだ。鍵を開けとけって」

 それを聞き、アサギは顔も知らない天文部の面々に同情した。恐らく、自分と同じような経緯で押し通されたのだろう。可哀想に。

 レイブンが持つカンテラに照らされた薄暗い廊下を、アサギは恐る恐ると歩く。校内は静まり返っていて何故だか不気味に感じられた。幽霊なんて信じてはいないが、それでもなにがしらの怪異が起こりそうだと思ってしまう。そんなことを考えたら、アサギの背筋が小さく震えた。恐怖を紛らわすために、前方を歩くレイブンに声をかける。

「七不思議調べるって今夜中に全部やるつもり?」

「もちろんそうだが」

 何を当たり前のことを言っているのだといった響きを持つレイブンの返答に、アサギは本日何度目かのため息を漏らす。

「圧倒的に足りないでしょう、時間が」

 一応明日は休日だ。だが、だからといって校内で夜明かしするつもりは無い。暗闇が怖いのもそうだが、レイブンと長時間共に過ごしている方の疲労感も辛い。それに七つ全てを推理すると言っても今夜一晩では、どんな名探偵でも確実に無理があるだろう。

 レイブンは少し悩んでいるようだった。しばらく黙り、やがて小さく頷いた。

「確かにそうだな。いくら何でも七不思議全てをお前が一人で記事を書き上げるには時間が足りないだろうな」

 明後日の方向で解釈するレイブンに、もはやアサギは突っ込む気力も無い。勝手に納得して、レイブンは廊下の南西を指差した。その位置には登り階段がある。

「よし、今夜は『図書室のすすり泣く幽霊』にしよう」

「……今夜『は』?」

「そうと決まれば急ぐぞ、アサギ。時間は有限だ!」

 引っかかりのあるレイブンの言い回しにアサギは思わず立ち止ってしまった。それに気付かずレイブンは駆けだした。その速度は恐ろしいほどに早い。あっという間に彼の姿も、手に持ったカンテラの灯りすら見えなくなった。

 灯りが無くなれば、夜の学院はますます不気味さを増した。じっとりとした空気がアサギの肌にまとわりつく。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 すぐに彼の後を追うが、もう遅い。最悪にも、ここの階段は窓がない。灯り一つない状態でアサギはたった一人で登らなくてはならない。

 心臓の音が耳に響く。呼吸が苦しい。目が熱い。振り返ったら、何かがいるかもしれない。

 目指す図書室は三階の廊下の突き当たり。それまで道のりが普段よりも長く感じられた。

 涙目になりながらも図書室に辿り着けば、レイブンが扉を開けて待っていた。

「遅かったな」

 悪気もなく言い放たれたその言葉に、アサギの頭に血が昇る。気が付けば、彼女の手がレイブンの頬を平手打ちしていた。

「何する……」

「うるっさい! 馬鹿」

 怒鳴った拍子にアサギの目から溜まっていた涙が零れ落ちた。

「どうして置いていくの! 本当にもうやだ! 何で私、こんな目に合わなくちゃいけないのさ!」

 一度堰を切ってしまえば、次から次へと言葉が吐き出てきた。その間にも涙はとめどなく溢れ落ちる。最終的には嗚咽になり、しゃっくりしながら泣き続ける。

「ごめん」

 レイブンはそう言うと、泣きやまないアサギの手を引いて図書室の中へと入った。扉近くにある椅子にアサギを座らせ、横長の机の上にカンテラを置いた。そして、図書室の奥へと歩いていった。背の高い本棚に彼の姿が消えた時には、アサギも冷静さを取り戻し始めていた。


          【続】

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