第2話「鏡は死を、執事は狂愛を映す」
『眠り姫事件』の解決から数日後。幻影館の朝は、いつものように騒がしく幕を開けた。
「白雪様、本日のお目覚めはいかがですか? ああ、その不機嫌極まりない、今すぐ私を屠りたそうな冷たい視線……! ゾクゾクいたします! これぞ至高のモーニングコール!」
「黙れ、この変態」
白雪は、天蓋付きのベッドから、恭しく膝をつく黒耀に、容赦なく枕を投げつけた。
枕は完璧な軌道で黒耀の顔面を直撃したが、彼はそれを慈しむように抱きしめた。
「白雪様の温もりが残る枕……! これを枕にして寝れば、今夜こそ白雪様の夢を……!」
「お前、本当に解雇するわよ」
「酷い! 昨夜、私が白雪様の髪の毛一本一本を愛おしく数えていた、あの至福の時間を忘れたのですか!」
「知るか! 怖すぎる!」
白雪は頭を抱えた。
あの日、蜘蛛のあやかしを粉砕した直後、「白雪様に傷が! 私を八つ裂きに!」と元の忠犬に戻り、白雪にハリセンで突っ込まれた黒耀。
その翌日から、彼の「献身」はさらに加速していた。
「白雪様、ご覧ください。あの日、白雪様の霊力を微かに帯びた蜘蛛の糸を、私が特製の妖力で紡ぎ直しました」
黒耀は、銀色に輝く、しかしどこか不気味な光沢を放つドレスを掲げた。
「これを召せば、白雪様の霊力はさらに高まり、同時に私の妖力で常に守られます。つまり、白雪様は常に私の愛に包まれているのです!」
「……お前、あの日、あの場で蜘蛛の糸を回収していたの?」
「当然です。白雪様が触れたものは、すべて私のコレクションですから」
白雪は、この執事が単なる変態ではなく、倫理観が著しく欠如した最恐の妖狐であることを改めて思い知った。
彼を解雇し、自分の「死」を見せないようにしたい。しかし、彼がいることで、自分の霊力が安定し、生き永らえているのも事実。
この矛盾した現実に、白雪は毒舌という鎧をさらに強固にするしかなかった。
「その薄気味悪いドレスは処分しなさい。お前の顔を見るのも嫌だ。今すぐ出て行け!」
「せめて、せめてこのドレスを白雪様の足元に散らす許可を……! さあ、その華奢な足で私のコレクションを踏みにじってください!」
「面倒くさいから生きてて!!」
その日、幻影館に新たな依頼が持ち込まれた。
依頼人は、帝都警察の男、第1話で蜘蛛のあやかしに怯えていた男だ。彼は青ざめた顔で、白雪に新たな資料を差し出した。
「月読家の令嬢、月読鏡子様が、自室で亡くなっているのが発見されました。……死因は、心臓麻痺。しかし、その遺体は、鏡の前で、不自然な姿勢で固まっていました」
「月読家……。かつては、私の家とも親交があった、没落しかけている華族ね」
白雪の瞳に、微かな翳りが差した。
「事件は、午前零時ちょうどに発生しました。現場には、被害者の魂が抜け殻になったような痕跡と、微かな『銀色の粉』が残されていました……」
「銀色の粉……。黒耀、準備なさい。新たな害虫の駆除よ」
「御意。白雪様の仰せのままに」
白雪は、月読家の令嬢の部屋で、現場の状況を論理的に観察していった。
「鏡は、真実を映すが、特定の条件では死を映す。あやかしは鏡の向こう側の世界に住む『虚構のあやかし』。月読家の令嬢が鏡を見た時、彼女の『死の未来』が映し出され、それを現実と認識した瞬間に殺された。現場に残っていた『銀色の粉』は、鏡のあやかしが現実世界へ干渉した痕跡ね」
論理的な推理を組み上げ、白雪はあやかしを追い詰めていく。
白雪は、月読家の令嬢の部屋で、鏡のあやかしを誘い出した。
鏡の中に、白雪の「短命の呪い」によって崩れ落ちる彼女自身の姿が映し出される。
「お前の死は近い。お前の霊力は、お前自身を喰らい尽くす。お前は、孤独に、惨めに死ぬのだ……」
あやかしが、鏡の中から白雪に囁く。
白雪は、動揺した。
彼女が黒耀を解雇しようとする本当の理由。
それは、彼に自分の「死」という絶望を見せたくないという、彼女なりの不器用な慈悲だった。
鏡に映し出された、その「死」に、彼女は怯えた。
その瞬間、黒耀が「影」から現れた。
「貴様、我が主の死を語るか! 許さん、塵一つ残さず、輪廻の彼方まで消し去ってやる!」
黒耀は、妖狐の力を解放した。
彼の背後に、九つの黄金の尾が陽炎のように揺らめく。
彼の瞳が、冷酷な獣の金色へと変わる。
「白雪様の死は、私が許さない。貴様ごときが、その名を口にすることすら、不愉快だ」
黒耀は、鏡のあやかしを、そして鏡そのものを粉砕した。
第1話以上の破壊力。
鏡の破片が、部屋中に散らばった。
白雪は、黒耀の力の恐ろしさと、鏡に映った自分の死に怯える。
「白雪様、怖がらないでください。あの怪異が映したものは嘘です。私が必ず、貴女の運命を変えてみせます。何度でも、何度でも……」
黒耀は、白雪に駆け寄り、彼女の手を取った。
その瞳には、前世の悲劇が滲んでいた。
幻影館に戻った夜。
白雪は自室で、黒耀が散らばった鏡の破片を一つ一つ拾い集めている姿を見た。
「なぜそんなものを……」
「これは、白雪様の呪いを解くための欠片です。前世で私たちが愛し、失ったものの破片でもあるかもしれません。今世こそ、すべてを修復します」
黒耀は、静かに、しかし狂気的な執着を込めて答えた。
白雪は彼から逃げられないことを悟った。
彼の狂気的な愛は、彼女の「短命の呪い」よりも深く、重い。
彼女は、彼を解雇したい。しかし、彼がいないと、彼女は生きられない。
大正の夜は、まだ始まったばかりである。




