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僕の命が惜しければ、金庫の鍵を開けやがれ!①

小説はじめました。どうぞよろしくお願いいたします。

※告知画像みたいな挿絵から始まります。

挿絵(By みてみん)



「僕の命が惜しければ、金庫の鍵を開けやがれ!」


 拘束された人質が、大きく口を開けて叫んだ。

 真剣だと言わんばかりの声量は、確かに目を引くことだけは成功する。


 ――しかし。


 得られた効果は、わずかに帳簿棚の硝子扉を叩いただけだった。

 部屋にいる男たち――制服姿の職員も、マスケット銃を持つ男たちも、その全員がまったく動かない。


 アエルは内心で歯噛みする。

 言葉は明快だった。語彙も普通で、状況にも合っている。

 でも、誰もが目を泳がせる。

 誰も理解しようとしない。


 僕はこんなにも、正しいことを言っているのに。


 普通じゃない場所で。

 普通じゃない事件が起こり。

 普通じゃないことがなされていた。


 窓辺に止まっていた小鳥が飛び立った。


「……おい、こんな感じの作戦だったよな?」

「あ、ああ……間違ってはない。なんか違うけど……たぶん、合ってる」


 正常性バイアスというものだった。


 強盗たちのささやき声が、アエルのこめかみに電流を走らせる。

 そこに、ほんの些細な確信めいたものが焼き付いた。

 見つけたものは、呼吸ひとつ間違えたら、終わるかもしれない緊張感。

 無視できるほど鈍感になれず、かといって、縋るだけの肚もくくれない。

 頭で整理なんてできるのなら、叫び声なんて上がらない。

 でも叫ばなかったら、それは終わりのかたちが違うだけ。


 大丈夫、息を吸うのと同じこと。


 アエルは――アエル・ホーミスは、世界で一番、ハイになることを決めた。


「銀行に金貨があるなんて子供だって知ってる。出し惜しみしてると眉間に穴が開くぞ! お前ら、僕の眉間が心配じゃないのか!」


 アエルの意思は音にのり、確かに届いた感触を得た。

 それはただの勘違いではなく、視線の集中から実感できる。

 そして――


「いやいや、違うだろ! 確かに合ってるけど、絶対にお前が言う言葉じゃねえ! まかり通ってたまるかそんなもん!」


 後頭部に軽い痛みを覚えた。


「お前らが頼りないのが悪いんだぞ! 強盗なら強盗らしく、ずばっと悪いことやってみろ!」

「だから! お前は俺たちのリーダーじゃないっつーの! お前こそ人質らしくしろっつーの!」


 重たい衝撃音が響き、執務机が軋む。

 銃床を叩きつけた強盗がそこにいた。


 言いたいことは、単純明快。

 お前ら、うるさい、黙れ。だろう。

 アエルは暴力の匂いに唾を飲み込んだ。

 コンッと乾いた音がして、インク壺がころころと床を転がる。

 黒い染みが広がる床に、破片は散らばっていない。


「と、とにかく! 金だ! 金庫だ! 鍵を開けろ! 痛い目に遭いたくないだろう!」


 積まれた帳簿の山の間に、この実直ともいえる部屋に似つかわしくない、鮮やかな色彩の衣服が見えている。

 贅沢で膨らんだ腹を机のふちに擦りながら、くびれのない首を回して冷たい視線で室内の温度を下げている。

 有名な男なのだ。銀行の主、街の権力者のひとり、カストリオ・ヴァレリ。

 彼は、沈黙を支配していた。


「それは儂に何か利益があるのかね」

「……は?……利益?」


 太い指に嵌まった指輪を回している。

 表情も乏しく、本当に興味がないようだった。

 アエルはその態度の既視感から、思わず口を曲げてしまう。


「当然だ。いいか、これはいわゆる取引だ。天秤というのは、釣り合いを取るためにある。秤は二つ付いているのだからな。まずはお前らが秤に乗れ。儂が受け取るに足るか、見せてもらおう」

「て、てめえ、今の状況わかってんのか!」

「もちろん。いま金を持っているのは儂だ。つまり、決定権は、儂が握っている」


 強盗が息を飲み込んだ。

 この街で暮らしていたのなら、嫌でもわかる。

 金という権力を肌で感じ、頭を下げて受け入れてきたのだろう。

 だからこそ、言葉が喉を通らなくなる。


「それで、お前たちが秤に載せるのは――あれだけか」


 油断をしていたアエルに、張り付くような視線が集まる。

 しかし、あれ呼ばわりに対して何か言えるわけでもなく、頬を引きつらせるしかできなかった。


「ふん、そこに膝をついている役立たずで愚にもつかん冒険者くずれの命、だけでは――軽いな」


 冷酷。というよりは、無関心。

 カストリオ・ヴァレリは、アエルを見ることなく持論を続ける。


「命というものは、その重さは何を成したかで決まる。強盗に囲まれ、手も足も出せず、物見遊山でもしてたのか? そんなお前に何の価値がある?」


 それは初対面の者に向けるようなものではなく、まるで何か別の感情が透けて見えるほどの苛烈さだった。

 確かに、アエルの状況を見れば、過失がある、と言う主張がでてきてもおかしくはない。

 名人でも手元は狂う。問題は、そのとき誰が叩かれるかだ。

 多くの場合は素人だけが叩かれる。

 そして、アエルは素人ではない。

 つまり、アエルは悪くない。


「……なにが、秤だよ。だったら生きてるだけで、文句言われなきゃいけないのかよ。僕だって、開拓民なんだからな! まともに戦える状況だったら、こんなやつらぎったんぎったんにしてやる!」


「ほう、志だけはあるようだな、評価してやろう。ただ、開拓民はいかん。新大陸の価値を正しく理解できないやつらだ。ただ人が集まる。それだけでどれだけの金が動き、どれだけの金が稼げるかがわかっていない。まあ、総じて、無価値。良かったな、値が出たぞ」


 まるで口喧嘩の噛みつきワニのような男である。

 言っていることが大きすぎて、論理も理屈も、それが果たして正しいのかも、アエルには判断することができなかった。

 ただ、喉の奥につまっているものがあることだけは、確かに実感できた。


 強盗の一人が銃のフリントを撫でながら、ぼそりと吐き捨てた。

「……魔法が手に入るって聞いたから、わざわざ来たんだよ」


 それを聞いて黙っていられなくなったのか、別の一人が声を上げた。


「俺たちがこんなことしてるのは、新大陸をこんな場所にしたあんたらのせいだろ」

「はんっ。魔法なんぞに目を曇らせず、本質が見えていれば、儂のようになれたかもしれんな。銃弾も止められず、帳簿にも乗らん力など評価に値せん。――しかし、儂は言葉は評価している。言葉はいい、まさに意思の形だ。だがそれも、重さのある言葉、に限るがな。……そこの冒険者崩れは、なんだったかな……ぎったんぎったんにしてやる、だったか。……ふんっ、せいぜい奴隷か下働きがお似合いだ」


 一拍おいて、口はさらに開く。


「儂がここで見たのは、安い言葉と、軽い命。そのくらいだ。結局のところ、お前たちは価値を理解していない。命も、言葉も、力も。何一つとして、な。……まあ、口を出す前に、まず値札をつけることを覚えたまえ。とはいえ、せっかくこうして売り込みにきたんだ、その冒険者の命くらいなら、買い取ってやらんこともないぞ。……わざわざ、ご苦労なことだ」


 言葉が叩きつけられたわけでもなく、刺されたわけでもなく、滲みこんだわけでもない。

 これはアエルに向けて言われたわけではない。

 決めつけていて、そもそも見ていない。

 アエルが居なくても成り立つ言葉。


 だから、声より先に感情が出た。


「はああ!?」

「くそ! 銃を突きつけてるのは俺たちだ! 命令するのは俺たちなんだよ! 金を出せ! 頭がいいならそんくらいわかんだろ!」

「馬鹿と話すのは好かん」


 怒気が空気に切り込みを入れて。


「てめえ!」


 一拍の沈黙。


 声でもなく、咳払いでもなく、その予兆は続きを示す。

 そして――


「いいか」


 たった一言。

 これだけで。

 この帳簿室の音を引き込んだ。


 銃声もなければ、叫び声もない。波が引いた後のような、空白の静けさの中。

 カストリオ・ヴァレリの声が響く。


「……儂は場合によっては金貨を渡してやると言っている。その穴埋めはそこで転がっている冒険者崩れがする。お前らは金貨が手に入る。そこの冒険者くずれは命が助かる。そして、儂が損をしない――それがこの秤の、ただひとつの正しさだ」


 嵐に流された船の残骸を眺めているような錯覚があった。

 何が起きたかを説明することができず、ただ、結果だけが渡される。

 それを見たカストリオ・ヴァレリは、笑いながらこう言った。

 おめでとう。


 もはや、理解でも、直感でもなく、反射だった。


「いいわけ――んぐ」


 しかし、身体を押さえつける力が強くなり、言葉になる前に砕け散る。


「……だ、黙ってろよ! 今は、あいつが喋ってるだろ!」


 上体が軋み、支えるには狭すぎる肩幅に重さが増す。

 畳んだ太ももに力を込めても、目に映るものは床だけになった。


「まあ、どれだけ悩んでもいい。そのうち海兵が駆けつけてくるだろうが――儂はそれでも一向に構わん。儂が損することだけは絶対にありえんからな」


 振り上げられていた重圧が霧散する。

 しかしそれは、慈悲でもなければ理不尽でもない。

 手足の先から温度が抜けていく感覚が、この違和感が危険なものだと伝えてくる。


 ただの選択肢。

 それは、あまりにも無慈悲で、合理的で――



「ああ、海兵がきたら、お前ら全員縛り首だ。儂の銀行を荒らしたんだ。そのくらいの手付金は払ってもらう」


 ――正しかった。



 唇の裏から、鉄の味がした。

 舌に張り付いて、唾を飲んだら喉に刺さった。

 声が、言葉が、論理が、意味が、形になってくれないのだ。


 間違ってる!

 じゃあ、なんでこんなに怖いんだ。


 理不尽だ!

 そもそもなにが正しいか教えて欲しい。


 いやだって、わかってる。

 でも……そういうことじゃないだろ。

 なにが違う――。どこが駄目だ――。

 感じるすべてがズレていて――


 ただ……


 いや。ちがう。

 ……僕が悪い。



 力がないことが悪い。

 失敗したことが悪い。

 わかっていなかったことが悪い。

 うまく生きられなかったことが悪い。


 ……誰かが。


 「違うよ」って言ってくれたら――


 それだけで息ができるのに。



 まだ叫んでもいないのに声が枯れた。

 暴れてないのに足が沈んだ。

 見ていないのに視界が滲んだ。


 なにを期待していたのだろう。

 なんでうまくいくと思ったんだ。

 おかしいとは思わなかったのか。

 頼る相手が違ったんだ。


 ――ああ、そうか……

 ……きっと、初めから間違っていた。


 強盗たちの声が遠くなる。

 カストリオ・ヴァレリの唇だけが動いている。

 世界が勝手に周っている。

 ぐるぐる回って、ケタケタ動く。

 お前も動けと語りかける。


 なんだか、僕は、出荷される家畜みたいだ。

 これから他人の都合で値段を付けられて、鉄の烙印で誰かの名前が刻まれる。

 それが……答えなのだ。

 妥協の余地もなく。

 足りないのは、僕の覚悟だけ。

 認めてないだけ。

 飲み込むだけ。



 ……嫌だ。


 そんなの……


 そんなの、ありになるわけ――たまるか。



 ……僕が終わるのはもう少しだけ先だ。


 なら……そうなんだよ。


 ああ、わかった。


 本当に?

 きっとそうだ。



 そうしなきゃ、耐えられないだけ、なのかもしれない。

 ……でも。



 ――だから。



 滑稽でいいんだ。それがいい。

 バカみたい。

 本当にみたいか?

 反論じゃなくても。手足が動かせなくても。

 ……黙るくらいはしないでいられたら。

 そしたら僕は言ってやれる。

 いや……言ってやる。


 カストリオ・ヴァレリに、アエル・ホーミスの強さを思い知らせる。


 どんな土俵だって構わないんだ。

 できることは決まっている。

 鉄を飲み込めばいいだけだ。

 身体の中にうねるような熱を感じる。

 最後に立ってさえいればいい。


 ……だから。


 ざまあみろって言ってやる。



§




「離せよ! 力加減間違えんな、強盗ヌーブかよ!」


 拘束されていた力が少しだけ緩む。

 肩の力が抜けたところに、後頭部をぺちんと叩かれた。


「離すわけねーだろ。立場考えろ、ったく」

「ってーな。わーったよ。もー」


 少しの弛緩。

 ただ、アエルの気の抜けた言葉が余計に、帳簿室に漂う緊張の輪郭を際立たせた。

 動きはない。音もなく、でも確かに揺れていた。

 空気か、視線か、あるいは誰かから感じる圧力か。


「おい! カストリオ・ヴァレリ!」


 声を出したのはアエル。

 二人の間にあるのは数歩の距離。

 左右も前後もなく、ただ、その位置が与えられていた。


「誰のおかげでお前の大好きな金が稼げてると思ってるんだ、ばーか!」


 最初に出てきたのは、ほとんど噴き出すように出た言葉。

 叫びというよりも間欠泉。

 けれども相手は、数多の罵倒など歯牙にもかけない、海を股にかける大富豪である。


「儂の努力の賜物だ」

「違う! お前は搾取しないと生きられないんだ! 僕たちみたいなのが居なかったら、生きていけないんだよ!」

「人の居ないところで商売はしない」


 言葉がぶつかる音はしなかった。

 互いの語尾を滑るようにすり抜けて、着地もしないまま空間に溶けていく。


「でた! それって人に価値があるって認めてんじゃん。矛盾だろ、矛盾! 何が価値が無いだ、自分が言ったこと忘れんな!」


 まるで、錆びた錨に無理やり帆を貼りつけているような会話だった。


「人に価値がないとは言っていないぞ。特にお前にはな。奴隷としての価値を認めてやってる」

「何が奴隷だ。 僕は自由の大地、新大陸の開拓民だぞ。お前の所有物になった覚えはない!」

「自由、大いに結構。お前には縛り首になる選択肢もあるのだからな。自由に選べばよろしい」


 確かに、アエルはその言葉を聞いた。

 勝ち誇る声でもなければ、怒りでもない。けれど、その中に分岐点があった。

 感情だけで壁を叩いていた手に、ようやく手応えが返ってきた気がした。


「それだよそれ、なんで僕が縛り首なんだよ! 今の僕を見てみろ、誰がどう見ても人質だ。 それが、なんで僕も強盗扱いなんだよ」


 突破口なのか、導火線なのか、種火なのか。まだ、わからない。

 でも、身体をすり抜けるはずだった違和感を、確かに掴んだ。

 声に出すことで……違和感を覚えていたことに気づけたのだろう。

 これは、ただの理不尽ではなく、悪意のある理不尽といえる。


「お前は自分のことをまったく理解していないな。……はあ。なぜ、今日この日に強盗が来たと思う?」

「知るか!」

「警備が薄いからだ。……たしかにこの銀行は新大陸産の金貨を保管しているが、本土に送る女王陛下の金貨を持ち出した今日であれば、海兵たちは居ない。輸送に付いているからな」


 コロコロと、空のインク壺が転がった。 


 ……強盗、破綻してんじゃん。

 てっきり、たんまり溜め込んでいると思っていた。

 思わず手近にいる強盗に顔を寄せる。


「……おい、今日は金貨ないってよ。知ってた?」


 口をついただけで、無視されても当たり前の問いかけ。


「し、知らねえ」


 ……答えてくれる感じだった。

 なんで?

 なんとなく目を合わせたくなったけれど――そこまで首は回らない。


「まったく無いわけではない。そして、儂がここに居る理由は、お前と会う約束があったからだ。アエル・ホーミス。身に覚えがあるだろう」


「そうだぞ! 僕はお前に会いに来たんだ。強盗をしに来たわけじゃない!」


「警備が薄いこの日、金庫の鍵を唯一開けられる儂がここに居るのは、お前との約束があったからだ。そして、お前と会う約束の時間に、強盗が押し入った。これについて弁解があってもいいのではないか」


 カストリオ・ヴァレリの口調は落ち着いていて、まるで星の観測結果から、動きの予測を立てるように、緻密で、繊細で、確定的な物言いだった。

 だからこそ、アエルの返答は決まっていた。


「……すっげー、運悪いじゃん」

「お前が強盗を引き込んだとしか考えられんだろうが!」


 どうやら、運ということにはしてくれないらしい。

 そんなこと言われても、僕にとっては本当に運が悪かっただけなのに。


「……お前ら、今日僕がいるって知ってたの?」

「し、知らねえ」

「素直だな」


 友達かな?

 僕の言うことをなんでも聞いてくれるのかもしれない。

 まあ、でも、これで、僕は無実だという証言にはなる。


「ほら、知らないってよ! 証明終了。僕は無実だ!」

「それで済むわけがないだろう……儂が納得できるとでも思っているのか。……そうか、そうだな。なにも儂は鬼じゃない。新大陸の文化に合わせてやろうじゃないか。お前に弁解の自由を与えてやろう。何か言い分はあるか?」


 ……無理である。


 ――その結論は、声に出されることはなかった。

 しかし。

 アエルはまるで噛み合わない歯車が高速で回りだすように、滑らかな舌先で感情だけを吐き出した。


「うっせえ、ざーこ! 考えればわかんだろ。僕が人質になれば、強盗が成功するなんて計画立てるやついるわけないだろ。すっごい頭悪そうなこと考えるのな!」


 出てきたのは、悪口未満の暴言。

 そして、カストリオ・ヴァレリの眉根は確かに跳ねた。

 アエルの頬が緩む。


 そしてこれは――、アエルの反撃ではない。

 

「心当たりがあるからって、そんな顔するなよ。大丈夫だって、ナメクジだって立派に生きてるんだ」


 反撃の、狼煙だった。

 カストリオ・ヴァレリも、強盗も、ただその竜巻のような様を、見ることになった。

 ただ、できることは――ひとつ。


「弁解は……ないようだな」

「弁解なんて必要ないんだよ! 僕は強盗じゃありません。はい論破! 妄想じじいの戯言に付き合ってられるか!」


 子供だった。

 未熟でもなく、愚鈍でもなく、我儘でもなく、高揚と、欲求と、愉悦と、体温。

 子供で、悪魔で……笑っていた。


「儂はじじ……」

「妄想じじい!」

「少しは静……」

「妄想じじい!」

「話を聞……」

「妄想じじい!」


 終わった。


「黙れ!」


 しかし、悪魔は止まらない。


「急にムキになったじゃん。これだから、本土由来のロートルは考え方が古いんだって。これくらい挨拶だろ、肩の力抜けよ」

「なんなのだ、お前は! さっきから何がしたいんだ!」


 果たして、その言葉が通じる相手なのか――


「ただの鍵当番にはちょっと高尚過ぎたかなー? 僕、人生経験豊富だからさ、まあ、これも交渉術ってやつだよね」


 アエルは高揚する頬を冷ますように、小さく息を吐いた。


「…………鍵当番とは、いったいどういう意味だ」

「あ、そこ? だって鍵当番じゃん。普段仕事してなくて、金庫の鍵を開けて欲しい時だけ呼ばれるんだろ。完全に鍵当番じゃん」


 気づけば、拘束による痛みはもう意識の外にあった。

 視界の中で、大富豪は手をかざせば隠れるほどの距離にいる。


「儂は……儂こそが……信用あってのものなのだぞ……。それを、鍵当番だと……?」

「まあ、まあ、わかるわかる。自分の仕事は立派なものだって思いたいよね。でもさ、現実見な? 結局、たいしたことしてないじゃん?」


 鐘を叩けば音が鳴る。

 そんな単純な原理を思い出す。

 ただし、その音は小さく――


「……ま……か」


 聞こえなかった。


「え? ごめん、聞こえないよ。やめてよー。僕、介護とかできないんだよね」

「貴様が儂を愚弄するのか! きさま、貴様ごときが、儂を愚弄するのか!!」


 踏み抜いた。

 アエルの瞳に輝きが宿る。

 見たかった表情が、そこにあった。


「顔真っ赤になっちゃった。やーい、ざーこ、ざーこ!」

「絶対に、許さん。貴様は縛り首じゃ済まさんぞ、車輪引きだ! 全身の骨を砕いて街中引きずり回してやる!」

「あはははは。でも、できないんでしょ? だってほら、見てみなよ。僕も今こうして人質やってるわけだけど、こんな素人みたいな強盗も倒せずに手をこまねいてるのは誰だよ」

「殺せ! やつらを全員皆殺しにしろ! 何をしている! 早くいけ!」


 暴力的な言葉の反響音が、アエルの耳にしっかり届く。

 しかし、灰色の制服を纏った男たちは、石像であることを示し合わせたかのように動かない。

 帳簿室に満ちているのは、語気とは不釣り合いなほどの――鈍い、沈んだ停滞だった。


「お前らもさ、もう無理だって、そろそろ気づいた方がいいんじゃないの?」


 袖でシンバルを持って待機していた小道具係を、舞台上に引きずり出す。

 アエルの声にはそんな効果があった。

 けれども、強盗はシンバルを鳴らせない。その音は帳簿室に一度も響いていない。

 だから、口をパクパクと開くだけだった。


「お前らざこだからさ。そのマスケット銃って飾りなんでしょ? それとも間違えて洗濯棒持ってきたの? 撃った、殺した、奪ったで終わるのに、誰も何もできてないじゃん。見栄張んなって、見てらんないよ」


 ひと息遅れて、反応が返った。


「俺はそういうタイプじゃねーから」

「わ、わかってねーのはお前の方だ! 冴えてるやり方ってのは脅して済ませるんだ!」


 声が錯綜する。

 誰のものかも曖昧な言い訳が、数秒遅れて浮かび上がっては、アエルに届く前に溶けていった。


「もう殻に閉じこもってんじゃん! 気づけよ! 失敗したのをよ!!」


 激情の乗った声が、陰のたまりを突き破る。

 強盗たちの散っていた視線を、意識を、確かに一つに束ねた実感があった。

 しかし、アエルは福音を授ける気など、さらさらない。


「人質は駄目。銃も撃てない。逃げることもできない。なーんにもできない。それって生きてる価値ある?」


 沈黙は、一筋の光がもたらした。

 アエルはちらりと上を見上げる。

 強盗たちも釣られて視線を追う。

 そこには、天井があるだけだ。


「べ、べつに! 逃げるのはいつでもできんだよ! マスケット銃持ってるのは、俺たちなんだぞ!」


 まるで何かを恥じるような、誤魔化すようなひと言だった。

 浮ついた声色に説得力がない。

 アエルは畳み掛けるように言葉を継ぐ。


「へー。逃げられるんだ。じゃあ逃げればいいじゃん。明日から、また昨日みたいに暮らせるんだろ。泥みたいな水飲んで、堅いパンかじって生きてけばいいじゃん」


 それは火薬の破裂だった。

 強盗たちには、もう視線を預ける先はない。


「なんだよ! 人質がなんだよ、お前、なんだよ!」


 頭を抱えて呟かれた言葉は、誰にも届かず消えていく。

 ――はずだった。


「お前らこそなんなんだよ! 僕はすっげー迷惑してるんだぞ! 謝れ! 謝れよ!」


 石畳の上を滑る荷車のように、アエルは止まることなく感情をぶつける。

 もはや叫びでは済まなかった。


「くそがっ! 撃つぞ! 簡単なんだ。どっちが上かわからせてやる!」

「おい、そんな気安く引き金触んな!」


 過剰な体温が、室内の皮膚を内側から撓ませる。

 埃が螺旋のように舞い上がった。

 そして。


 彼は、ただ、持っているだけだった。

 抱えず、構えず、ただ、掴んだ。





 ――耳に太い針を差し込まれた。


 耳鳴りが雑音を消して、雑音が耳鳴りになった。

 地面が揺れて、視界が滲んで、なんだか勝手に目が動く。

 発砲音は――したのだろうか。

 ただ……

 白煙って、全然たいしたことないんだな。


 なんだか、考えが浮ついていた。


 手足の先まで感覚がある。

 ……ああ、僕には当たってないのだろうか。


 肩に鈍く痺れるような痛みがある。

 そうだった。僕は拘束されてるんだった。


 聞こえないのに部屋が騒がしかった。

 誰かが動き、誰かが手を上げ、誰かが屈み込んだ。


 揺れている。

 床が、地面が揺れている。


 何体かの人影が、同じ構えをした。

 ああ、あれは強盗か。

 マスケット銃を構えてる。


 小さく屈んでいるのは銀行員。

 手を伸ばすように、強盗と同じ方向を向いている。


 大きい影はカストリオ・ヴァレリ。

 動いてないのに、きっと何かを喚いているのだとすぐわかる。


 何をしているのだろうか。

 どこを見ているのだろうか。

 同じ方向を見て、やっとわかる。


 ドアだった。

 そういえば、ここにはドアがあった。

 入口でもあり、出口でもある。


 ――ゆっくりと、開いていた。


 手のひらにじっとりとしたものを感じる。

 いつの間にか喉が乾いていた。


 時間切れ。

 幕引き。


 つまりは――

 海兵が来た。


 そのはずだった。


 でも、扉の前に立った人影は、二つだけ。

 背が高いのと、もう一つは、比べると少し小柄だった。


 背が高い方は、黒い頭と、白い首元、そして、まっすぐ立った姿勢。

 首の白いのはクラバットだろうか、なんだか紳士然とした人影に見える。


 小柄な方は、金の頭と、水色の身体と、厚めの黒い足元。

 水色の身体の裾が広がっているように見えるから、女の子かもしれない。


 異彩だった。

 違和感しかなかった。


 銀行強盗の最中に、まさか奉公の申し出でもしに来たわけでもないだろう。

 ……ないよね?


 クラバットの人影が、なんか手を振ってる。

 このたびは娘が年頃になりまして、何かとお役に立てればと存じまして……ご奉公の口があればと、参上いたしました。

 ……なんでか、頭に勝手に流れてきた。


 カストリオ・ヴァレリはでかい。

 揺れてる。なんか吠えてる。

 せっかくのお申し出ながら、当家にはすでに内々の者が揃っておりますゆえ、何卒ご容赦くださいますよう。

 ……誰のセリフだこんなもん。


 っていうか、

 ああいう服装の人は知り合いにいない。たぶん。いや、絶対。

 でも、たぶん、こんな感じだった。しばらくアテレコして遊ぶ。


 ――ようやく、耳に音が入り込んできた。

 そっちに意識を寄せて――


「……ある人が、こう言っていた。誰かのために黙るには、声を上げるよりも、よほどの勇気が要る、と。……僕はね、その黙っていた子供の勇気を、称えたいと思う。どうか、この子に、いや――この人質の子に、語る機会を与えてやってはもらえないだろうか」



 僕はずっと喋り通しだったと自覚していた。

 止まったら負けだと思ってまくし立てた。


 そんな僕に対してこの言いよう。


 いや、ほんとに、


 すっげー空気読めてないじゃん。


アエル「読んだらブクマ・評価して欲しいなんて子供でも知ってる。出し惜しみしてると眉間に穴が開くぞ! お前ら、僕の眉間が心配じゃないのか!」

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― 新着の感想 ―
序盤がなっがいなあ…で読み進めてたら…ん?あれ?どういうことなの? え、終わっちゃった!?と不思議な感覚でした。 途中でエンジンかかって走り出したと思ったら想定以上の速度だな!という感覚、不思議だ。 …
Xから来ました。 全体を通して、キャラクターの心理描写や、セリフのやり取りが非常に巧みで、次に何が起こるのか、読者を惹きつけ続ける力があります。アエルがこれからどのように「大魔法時代」の物語に関わって…
カストリオ・ヴァレリ。 なんか格言っぽいことを言ってて、良いキャラですね。 アエルの罵倒もなんか子供っぽくて可愛いです。
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