特別法廷:逆転!ギルド裁判
ちょっと長めです。
……うん、たぶん、ちょっと。
バトル回。のつもりです。
灰色の石床に目を落としていた。
集まる視線のせいか、背中に汗が伝う。
「さて、始めようか」
銀色の髪。色のない瞳。
冷たい声のはずなのに、冒険者ギルドはその響きにじわじわと浸されていく。
それでも、腹の底には熱さが燻っていた。
ひとつ息を吐き出す。
アエルは、ゆっくりと顔を上げた。
―― 起訴状朗読 ――
「冒険者ギルドにおける冒険者とは……その職務を遂行する責任を負うと規定されている」
室内は、水を打ったように静かだった。
大きく広い空間の中に、ヴォルフガングの声だけが、波紋のように広がっていく。
何かを手に持って読んでいるわけでもなく、でも淀みなく言葉が紡がれる。
そして、周囲に散らばる冒険者たちへ、視線を走らせていく。
「――しかし、アエル・ホーミスはその責務を放棄し、不当に退会の意思を示した」
ヴォルフガングと目が合うことはなく、淡々とした姿を眺めるしかできない。
「また、土地特許所有者による資格提供は、ギルド正会員たる有資格冒険者の紹介状と、他ギルド正会員による推薦を要する。にもかかわらず、その手続きを踏まず、土地特許所有者と個人的な交渉を行っていた」
まったく自分のことを言われているようには思えなかった。
アエルを見る者はいない。
視線は一人に集まっている。
場を乱すことは、誰にも許されていなかった。
「これらは、いずれもギルド規定における明確な処罰対象――」
ごくりと、喉が鳴る。
「制度の秩序を乱す行為である」
ヴォルフガングは厳粛に告げた。
それが事実であるというように。
口が開きそうになる。
そんなアエルに、トレノは目を伏せたまま首を横に振る。
ただ、唇を噛みしめることしかできなかった。
―― 人定質問 ――
ヴォルフガングは、何もない場所を指し示した。
ただの石床。
熱気の届かない場所。
注目の中心。
「アエル・ホーミス。前へ」
アエルの視界に影がさす。
足が重くて上がらない。
心細さにトレノを見ると、こくりと頷いて背を押される。
励ますような言葉は、くれなかった。
「名前は」
アエルが立ち止まったのち、数呼吸してからヴォルフガングは問いかけた。
「僕は自由な冒険者なんだぞ。お前が仕事をくれないから、認めてくれる人のところに行くのは当たり前だろ!」
事の大きさに怖気づいたのかもしれない。
何かを間違えてしまったのかもしれない。
そんな後ろめたさが、身体のどこかにわだかまっていた。
「自由な発言は許可していない。訊かれたことだけ答えよ。名前は」
そんなことなど見透かしているかのように、胸の奥へとがったものが押し付けられる。
「知ってるのにわざわざ聞くなよ!」
冒険者ギルドが静まり返る。
叫んだからではない。
ヴォルフガングが黙っているからだった。
「……名前は」
やっと出てきた声は、しかし温度は変わらない。
訊いていることも、態度も。
ただそれだけで、アエルの肌に汗が浮かぶ。
「……アエル・ホーミス」
ぼそりと声が出た。
「出身地は」
「ホーミス村」
湿った手を握り直す。
「年は」
「十七歳」
首が凝り固まったように回らない。
「住所は」
「……ない」
黒革の短靴を見つめるしかなかった。
「アエル・ホーミス。この場で嘘は許されない。改めなさい」
声は上から振り降ろされる。
身じろぎもできずに、それを受ける。
「……ないんだよ! もう、ないんだからしょうがないだろ!」
頭を深く下げるしかできなかった。
法衣を掴みたくなる手が、動かない。
「……そうか」
続く言葉はない。
ざわめきもなく、何もない時間。
悔しさと恥ずかしさに向き合うには、長すぎた。
「では、下がりなさい」
打ちのめされた気分だけが残る。
アエルは身をひるがえし、トレノの隣へ戻った。
―― 冒頭陳述 ――
「さて――」
ヴォルフガングは、そんな言葉から口火を切った。
「冒険者ギルドは烏合の衆ではない。冒険者も日雇いの労働者ではない。ギルドに守られ、ギルドが守る存在である。そして我々冒険者は、この新大陸に伏在する資源を正しく地権者に受け渡し、その権益を確保する義務がある」
朗々と語りだしたのは、あの男から見た冒険者というものの在り方のようだった。
そこには、アエルが子供のころに抱いた、未知との出会いへの昂ぶりも、苦難を越える喜びもなく。
どこか心のない、空虚なものだと思えた。
「アエル・ホーミスは、冒険者ギルドの保護と身分の証明を受けている。私が提供する仕事に従事した活動記録がある。よって、ギルド所属の冒険者であることは明白だ」
確かに事実だった。
冒険者として仕事をしていた。
「――本件は、ギルドの規定違反の悪質な事例である」
……でも、それで咎められるのは、納得がいかなかった。
ヴォルフガングは周囲を見回す。
誰も口を開かない。
そうあるべきだと、ひりつく肌が教えてくれる。
「いやあ、さすがだ……」
わざとらしささえ感じる通る声が、この場の空気に割って入る。
手を上げて、ゆっくりと、トレノが前に進み出た。
「今の話、すごく深かった。――でも、僕はもう少し広く見ているんだ」
若翠色の髪を揺らして、物怖じする気配も見せず、堂々と緩やかに笑みを浮かべる。
そして、くるりと彼に背を向けた。
ヴォルフガングが肩眉を上げる。
トレノは気付くことすらなく、この場を取り囲む冒険者たちに話しかけた。
「冒険者ギルドというものは――」
話し始めはゆっくりと、焦らすようだった。
「いや……ギルドというものは――」
片手を振りながら、言い換える。
「同じ仕事の者たちが支えあい、技術を高めあい、仕事を守るための――組織のはずだ」
まっすぐに背筋が伸びたせいか、前置きの仕草が演技だったように思えた。
「……そんな冒険者ギルドは、アエルに誇りを示したか。助けたのだろうか」
一人ひとり、冒険者と目を合わせ、語りかけていく。
なにか腑に落ちなかったことが、言葉になった気がした。
「仕事を奪い、可能性を奪い、ただ貶めていただけじゃないか」
叫びたかった胸のうずきが薄くなった気がした。
けれども握った手の力は抜けない。
鼻の奥がツンと痛む。
「アエルの魔法を目当てに囲い、不当に追い込み、言いなりになることを強要していたじゃないか」
静かだったこの場に、身じろぎの音が微かにたつ。
「これは――自然に出来上がるものじゃない。裏で誰かが操っている、搾取の構造だ」
冒険者ギルドというものは、ヴォルフガングというものを、表す言葉なのかもしれなかった。
「要件をまとめたまえ」
冷ややかな声が余韻を切り裂く。
トレノは応えるようにヴォルフガングに向き直る。
その横顔に、迷いはないような気がした。
「僕が言いたかったことは……、冒険者ギルドというのは、つまり……冒険者の集まりの組織だっていうことだ」
当たり前なことだった。
「国家の命令に従うのではなく、冒険者たちがお互いに助け合うための共同体であるはず――」
アエルも知っていることで、疑問の余地はなかった。
「だからこそ、まずこの認識に誤りがないかを、あなたに問いたい」
なぜこんな質問をするのかがわからなかった。
トレノの顔を見ながら、思わず指を組み合わせる。
「間違いはない。冒険者のための互助組織だ。言いたいことは以上と見なしてよいか」
ヴォルフガングは眉も動かさずに言い放つ。
「ああ、待った。ここからが本題なんだ」
トレノは片手を突き出して止めた。
額を抑える姿は、どこか余裕を感じられる。
「……だけど、ここで宣言させて欲しい。僕は冒険者ギルドとはかかわりがないし、法律の専門家でもない。でも、だからこそ見えるもの、気づけるものがあると思っている。不誠実な常識の外にいるからこそ、真実を見極める力になる」
ともすれば、自分は部外者だと宣言するようなものだった。
けれどもこの言葉には、どこか確信めいたものを感じた。
「問題になっているのは、アエルが規約に違反したかどうかじゃない。この規約が、本当に、冒険者ギルドを抜けた者。資格持ちの冒険者に、適用することができうるのか。という一点だ」
聞き覚えのある論の導入だった。
この話を覚えていたからこそ、アエルはなおさら納得ができなくなっていた。
体温が……じわりと上がるのを感じる。
「考えてみてほしい。冒険者ギルドの規約というものは、所属している冒険者にだけ作用するものだ」
心地よい声色だった。
アエルは微かに頷いて、耳を傾ける。
「これは街のパン屋や通りを歩いている水夫といった、ギルドと関係がない人たちには適用できるわけがない」
冒険者たちも、あごに手を当てて考える。
「もし、冒険者ギルドにかかわりがなくなった人物を罰するのだとしたら、これはもう規約の枠を超えてしまっている」
トレノの声には芯が入ったようにぶれなかった。
強く、広がっていく。
「そして、仮に……まだ、冒険者ギルドに所属しているからなのだとしても――アエルへの不当な扱いという現状は、すでに冒険者ギルドの互助関係と信頼の実態を伴っていない」
アエルは少し俯いて、身構えた。
恥をこらえるように下唇をかむ。
目をつむり、自分の話題が過ぎ去るのを待つ。
「――理念が、形骸化してしまっている」
肩透かしを食らった気分で顔をあげる。
トレノが、微笑みながら片目をつぶった。
「そんな組織は、果たして規約を守るためとして、他者を貶めることに対して、正当な権利など持っているだろうか」
冒険者ギルドが正しいのか、問うている。
「この、二つの条件が満たされない以上、アエルは冒険者ギルドの規約違反には当たらない」
アエルではなく、冒険者ギルドが間違っているのではないか、問うている。
「冒険者ギルドというのは、規約というものは、仲間を守るための傘なのであって、外に出た者を追い打つためのこん棒であってはならない」
手のひらで、目尻をぬぐう。
トレノの背中が大きく感じる。
「言うことを聞かない者を、殴って支配する。これは、もはや蛮族の所業だ」
昼間の太陽にさらされた石壁の室内は、熱さがこもっていた。
「最後に……僕は、人というものは本来、理性的なものだということを信じています」
胸の奥にまで、じんわりとしみ込んでくる。
アエルだけではなく、部屋全体の温度が高かった。
そう、感じた。
―― 争点の確認 ――
――パチン。
ヴォルフガングが、懐中時計を閉じた音だった。
「これでお互いに、何が問題であり、何を証明すべきかがはっきりした」
熱気を鎮めるような、冷えた声。
そして、まず右手を掲げる。
「アエル・ホーミスは、冒険者ギルドの規定に拘束される身分を有し、その規定違反により処罰を受ける正当な対象であるのか」
左手も同じように並べ、トレノに向かってあごを上げる。
「それともギルドによる拘束は無効であり即時解放されるべきなのか」
両手を強く握りこむ。
瞳は揺るがず、張り詰めた糸が二人を結んでいた。
「トレノ・ダ・ヴァレスタ。間違いないか」
答える前から、意思は決まっている気がした。
「間違いない。僕たちは、正しいことを言っている」
若翠色の髪は揺れることなく、ヴォルフガングに向き合っていた。
―― 証拠意見 ――
「ナバロ女史。資料を」
ずっと隅に控えていた、受付嬢に視線が集まる。
手には、厚手の紙束が抱えられていた。
なんどもめくられたのか、端の色が変わってよれている。
「この資料には、私が冒険者ギルドに分配した仕事の手配先が記されている」
受け取った資料をめくりながら、ヴォルフガングは続ける。
「冒険者も信用の上に成り立つ」
資料に目を落としているはずなのに、声の通りは変わらない。
「任せる相手は選ばねばならん。結果はすべて記録し、保存してある」
ピタリと、資料をめくる手が止まる。
――ひと呼吸。
ヴォルフガングが、文字に目を走らせる時間だった。
「冒険者の信用は配分の責任に直結する。無闇に任せることはない。記録は正確に残されている。この中に、アエル・ホーミスの名が明確に刻まれている」
資料を持った手は降ろされた。
何が書かれていたのか、何を見つけたのかは、明らかだった。
「これは、確かにギルドに所属し、規定に拘束される身分であることを示す」
ヴォルフガングは高揚することもなく言った。
「――動かし難い証拠だ」
息を吸うのもためらわれた。
アエルには、その音すら大きく思えた。
「ナバロ女史。資料を配覧してきてくれ。自分の名が明記されているのだ。――確認すればよい」
受付嬢は丁寧な扱いで、トレノに厚手の紙束を渡す。
アエルはその姿を眺めていた。
糸でとじられる紙の量。
飾り文字で彩られた表紙。
ときどきのぞき見える中身には、黒い印章が押されている。
「……たしかに、アエルの名前が記されている」
トレノはゆっくりと顔を上げて言った。
「これは動かぬ証拠になりえるだろう」
耳を疑うような言葉だった。
顔からぬくもりが抜け落ちたような気がして、足の力が抜ける。
「見てほしい。この資料によると、アエルが仕事を任されたのは、もう何週間も前だ」
トレノの声ははっきりとアエルに届く。
顔を上げると、自信に満ちた目で、周囲の冒険者を見回している。
「ギルドは仕事を取り上げた。にもかかわらず、唯一の生きる糧となるギルドの脱退という選択肢も認めていない」
高々と、厚い紙束を掲げた。
「これは……間違いなく、横暴の証拠そのものだ」
視線がさざめきの中で集まる。
しかし、冷ややかな声がそれを断ち切った。
「却下する。トレノ・ダ・ヴァレスタ。これ以上争点を広げることは認められない」
トレノが口を開きかけ、紙面に指を挟んで止まる。
「今証明すべきは、冒険者ギルドへの所属の有無であって、仕事の量ではない」
ヴォルフガングは表情を変えずに告げた。
「冒険者ギルドを通して行われる仕事の分配は、その人物の適正に基づき慎重に選定されている」
まるで品定めでもしているような視線がアエルをなでていく。
そのうえで、固かった口角が引きあがった。
「これはギルド運営に関わる事項であり、部外者が関与すべき領域ではない」
次はトレノに向き直り、少しだけあごを引く。
「人の資質というものは、その個人に帰属する。アエル・ホーミスの適正について、冒険者ギルドに言及することを許容すべきではない」
空気が張り詰める。
トレノはその中に、半歩足を踏み出した。
「異議あり。その主張こそが、冒険者ギルドが互助組織であるという役割を忘れ、アエルを不当に扱い、あまつさえ生命の危機に追い込む所業だ」
少しだけ張った声で、鋭く返す。
「却下だ。根拠がない。それに、この議場は互助の理念の評価を裁く場ではない。冒険者ギルドは正しく互助組織として活動し、その結果として、アエル・ホーミスは守られていた」
残響も消えないうちに、冷たい声が音を塗り替える。
「異議あり。それこそ根拠がない。その逆であることの証明はここにある」
トレノの口が速くなる。
「八人だ」
短い言葉が重くのしかかる。
ヴォルフガングは片手を背後に添えていた。
「……は?」
吐息がかすれたような声だった。
「今年死傷した冒険者の数だ。万全を期してこれなのだ。――わかるかね、そんな細腕の人物が常に関与すべきではないということだ」
アエルは知り合いの冒険者の顔を思い浮かべる。
それでも、八人という数より少なかった。
「アエル・ホーミスは仕事の量を減らすことで、正しく冒険者ギルドの、秩序の下に守られてきた。今をもって心身が無事である――それが証明だ」
反論の輪郭のようなものだけが喉に残る。
けれども、飲み込むしかできなかった。
「極論だ!」
トレノは手を振り払いながら言った。
「……私語は慎みたまえ」
ヴォルフガングは、もう彼を見ていなかった。
―― 被告人質問 ――
「さて、アエル・ホーミス」
ゆったりと身をひるがえし、銀色の髪がさらりときらめく。
その目はアエルをしっかりと見据えていた。
「君は、冒険者ギルドに所属し、仕事を遂行した経験がある」
どこか余裕の感じられる口調だった。
「――そうではないのかな」
静かに、淡々と、アエルを問い詰める。
「最近は仕事なんかぜんぜん、なかったんだぞ」
大きな声は、出なかった。
「質問された内容にのみ答えなさい」
ヴォルフガングの視線が痛くなり、思わずトレノに目が逃げる。
頷く姿を見て、アエルは手を強く握った。
「冒険者ギルドに入ったし、仕事もした」
ヴォルフガングは小さくあごを引く。
「それで、冒険者ギルドを辞めた事実はあるか」
風の音のように、低い声が通り抜ける。
「辞めたいって言ったら止められたから、まだだと思う」
そこにあるのに、問いの理由を意識できない。
「では、君はまだギルドの冒険者だな」
アエルの眉根が少し寄る。
「答えなさい」
しかし、僅かな間さえ許されなかった。
「ギルドの、冒険者なんだぞ」
搾り出すように答えを出す。
「よろしい。私の質問は以上だ」
そう言うと、ヴォルフガングはまた一歩下がる。
次は、トレノが前に出る。
「アエル。君は冒険者ギルドをもう、やめているのか」
同じ質問に、アエルは少しだけ口を尖らせた。
「何回も聞くなよ。辞めたいって言ったら止められたから、まだなんだぞ」
しかしトレノは構う様子はない。
「では、まだ冒険者ということで間違いはないね?」
目が真剣で、迷いはない。
「僕は冒険者なんだぞ」
だから、アエルは安心することができた。
「それでは、どのくらい冒険者としての活動をしていたんだ」
目をつぶり、辛かった情景を思い浮かべる。
「何週間も、仕事はなくなってたんだ。幼馴染たちと、ずっと仕事を探してた」
震える手を、法衣を掴んで止めた。
「幼馴染というのは、例のクライドとかいう男のことか」
粗い金髪の顔が思い浮かぶ。
友達だった。
「トレノ・ダ・ヴァレスタ。無駄な会話はやめたまえ」
アエルの意識を、冷たい声が引っ張り上げる。
トレノは首だけで声の主に振り返り、不敵に見える笑みを浮かべた。
「これは関係があることだ。冒険者のみんなも聞いて欲しい。ギルドが何をしたのか、アエルに何が起きたかを」
腕を広げ、冒険者たちの視線を集める。
そして、その手をアエルに差し出した。
「クライドは、幼馴染だったけど、絶交したんだ。喧嘩して、パーティを追い出したんだ」
話すたびに、だんだんと声が細くなっていく。
あの時のクライドが、怖かったとは思いたくなかった。
「それは、冒険者ギルドが君の仕事を干したことと関係があるか」
仕事がなかったからあんなことになったのは、間違いなかった。
アエルは何も悪いことなどしていなかった。
「ある。みんな限界だったんだ。仕事がなくて。生活に先が見えなくなって。だから、僕はクライドが頭を下げて謝るんだったら、許してやってもいいんだからな」
元通りになって欲しかった。
でも、それを自分で言うのは嫌だった。
「住所がないと言ったのも、それが原因か」
外に飛び出したのは、ほとんど無意識だった。
「そうだぞ。みんなと一緒に住んでたから。家は、あいつらに使わせてやることにしたんだ。僕は経験があって一番強いし、あいつらは三人だから、家がないと不便だからな」
夜の陸風は冷たかった。
星なんてほとんど見えず、街は真っ暗だった。
「それからどうやって生活していた」
トレノは片目をつぶって合図をする。
「宿屋に行ったらトレノと会ったんだ。泊まるお金も持ってなかったから、助かったんだぞ」
アエルの頬が緩む。
信じた相手は、間違いじゃなかった気がした。
「この通り、アエルの生活は、冒険者ギルドの所業によって崩壊していました。このアエルの姿を見てください。昨日は偶然、僕のような善良な人物に出会っていたから良いものの、そうでなかったらどうなっていたことか」
トレノは冒険者たちに向かって、声を上げた。
派手な抑揚は空気を揺らす。
そして、染み渡るように人影に溶けていく。
「仕事もなく、生活を追い詰められ、幼馴染との信頼も壊された。これが、互助組織としての守ると言った行動なのか」
細く、鋭い言葉だった。
天井に音が跳ね返り、頭の上から降ってくる。
「冒険者ギルドは、冒険者たちがお互いに助け合うための共同体である。アエルは、実質もう、この助け合いに含まれていない」
トレノの声だけが耳に残る。
胸のわだかまりが消えていた。
「事実上、冒険者ではないんだ」
アエルは大きく頷きかけて、首をかしげる。
「僕は冒険者だぞ」
誰のものかもわからない、咳払いが聞こえた。
「実質もう、冒険者ギルドに加入している冒険者ではないんだ」
トレノは再び声を高める。
「冒険者ギルドを辞める手続きは終わっていないかもしれないが、既に冒険者ギルドは、アエルを互助の仲間には入れていない」
示された手に応えるように、アエルは胸を張った。
灰色に見えた石床が、少し明るくなった気がする。
「つまり、冒険者ギルドの規約による退会の制限を受ける対象ではない」
音の余韻は長く続いた。
トレノが頷き、アエルが返す。
胸の奥から笑いがこみあげてくる。
そこに、大きく重い息が聞こえた。
ヴォルフガングは、こめかみを抑えるように頭を支えている。
「結論は出たようだな。トレノ・ダ・ヴァレスタ」
コツン……と、黒革の短靴の音が鳴る。
「アエル・ホーミス本人も冒険者ギルド所属の冒険者であることを認めており、脱退する手続きは行われていないと双方の共通認識がある」
アエルとトレノを見比べて、また一歩近寄る。
「それで良いな」
ヴォルフガングが、今まで以上に大きく見えていた。
「異議あり。恣意的に表現を歪めている」
トレノは顔をしかめて否定した。
「実質的にアエルは冒険者ギルドに所属している状態だとはいえなくなっていた」
手が届いた気がしていた。
指先に残る感触は、いとも簡単に消え去っていた。
「そもそも勘違いしているようだが……」
鼻息混じりの声が抜ける。
「冒険者ギルドは……ギルドというもの自体は、その存在も自治も、この国の法で認められている」
誰もが凍り付いたように動かなくなる。
「正会員は私を含めた有資格冒険者のことだ」
ヴォルフガングだけが許可されているかのように、足を進める。
「その有資格冒険者から仕事を請け負う下部会員の扱いも、法で定められたギルド内の自治に含まれている」
上着に付いた胸飾りをひと撫でする。
印章は見えなかったが、象徴的なものであることはわかった。
「例えば、鍛冶ギルドも似たような秩序を持っている」
冒険者たちに向き直り、それぞれに告げるように言った。
「正式なギルド員は工房の親方衆であるが、親方から指導を受ける徒弟の扱いもまた、法で定められたギルドの自治に含まれる」
表情の色が揃っていく。こわばった気配がほどけていく。
「徒弟の管理は鍛冶ギルドが……工房の主である親方が行うのが慣例だ」
雲を抜けた陽が、強い光となって差し込んだ。
「そして、徒弟が他所の工房に引き抜かれようとしていることを止めようとするのは正当な権利である」
悪寒のようなものが背筋を走る。
「引き抜きを行う者も、応じる者も、ギルドの秩序への悪質な侵害を行っている」
ヴォルフガングの目は、たしかに力を宿していた。
「つまり、トレノ・ダ・ヴァレスタ。お前がやっていることは、我々冒険者ギルドへの、このヴォルフガング・ロキタへの、敵対行為だ。これを抑止し制裁することも、もちろん――」
いつの間にか、トレノの目の前にまで近づいていた。
「自治である」
トレノは気圧されたのか、その場に崩れ落ちてしまった。
―― 判決 ――
「さて、もう結果はわかるだろうが……判決だ」
ただ、事務的だった。
ヴォルフガングはまるで興味がないように、袖口を整えていた。
「アエル・ホーミスの冒険者ギルドの脱退意思については、本ギルド内裁判の結果をもって――」
冷たい音を聞いた気がした。
「拒否とする」
響いていたのは、血が流れるような脈動だった。
さらさらと、身体の下へ流れていく。
「続いて、トレノ・ダ・ヴァレスタに関しては、冒険者ギルドへの敵対者と認定し、制裁対象とする」
気づいたときには足が動いていた。
若翠色の髪へ手を伸ばす。
「取り押さえろ」
冒険者たちが呼びかけに応える。
アエルはトレノに飛びつこうとして……
銀色の髪が視界に揺れて、簡単に取り押さえられてしまった。
「待てよ!」
手を振り、背筋を伸ばし、大きな体に抵抗する。
「なんでそんなに駄目なんだよ。僕が資格持ちの冒険者になるのが、そんなに許せないのかよ!」
目の奥が熱くなっていた。
吐き出したいものが、たくさんあった。
「僕だってな、すごい冒険者なんだぞ。すごい魔法も使えて、とにかく、すごいんだからな!」
言葉にならなくても、アエルは伝えたかった。
自分にできることを、わかって欲しかった。
「……認めている」
急に両腕を掴まれて、表情の動かない顔が寄せられた。
「……は?」
色彩の薄い灰色の瞳が微かに揺れていた。
「言ったはずだ。アエル・ホーミス。私は君を守っていると、正しく伝えたはずだ。それに……この男は君に有害だ」
考えの読めない目を見ていると、腹から熱がこみあげてくる。
頬が赤くなるくらいに力を込めて、掴まれている手を振り払った。
「そんなわけないだろ! だったらなんで、トレノを捕まえて僕の邪魔をするんだ」
息を切らせながら、まだ湿り気の残るまぶたを開いてヴォルフガングを見上げる。
すると、口がゆっくりと開かれた。
「……詐欺師だからだ」
アエルの耳から、音が消えた。
「……え?」
周囲を見渡すと、誰もが大きく頷いていた。
冒険者も、受付嬢も、ヴォルフガングも……
「はあ、あんた……。こんなに怪しいのに、ほんっとに気づいてなかったの……。アタシ、絶対詐欺師だって言ったわよね」
受付嬢のため息が、冒険者ギルドの広い空間に溶けていく。
重たい沈黙だけが残っていた。
アエル「僕だってな、すごい冒険者なんだぞ! すごいブクマ貰えて、すごい評価も貰えて、とにかく、すごいんだからな!」