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なんだよ。ちょっと間違えたくらいでそんなに怒鳴らなくてもいいじゃん。③


 沈黙が、冒険者ギルドを飲み込んでいた。


 ……コツ……コツ……コツ……コツ……


 短い周期で靴音が刻まれる。

 黒革の短靴だった。使い込まれた鈍い銀の飾り金具が付いている。

 靴先が上下するたびに、くたびれた石床を叩き、時計に合わせて音が鳴る。


 ――パチン。


 銀の懐中時計が閉じられる。

 そして、低く、けれどもまっすぐに通り抜ける声が告げた。


「さて、三十秒経った。君たち、頭は冷えたかね」


 ヴォルフガング・ロキタ。

 厚手の布で織られた、肩の張った上着。

 撫でつけた銀髪。

 冒険者たちも、受付嬢も、トレノも、アエルも……

 ギルドの中は、もうこの男に支配されていた。


 「それで、さんざん失礼なこと言った件については、謝ってくれるんでしょうね?」


 肌が焦げ付くような視線に、アエルは身じろぎをした。

 受付嬢はその細い体を揺らすことなく伸ばし、しかし口の端をぐいと歪めている。

 隣にいるトレノを確かめると、首を横に振られた。


「僕たちが動くこと自体は簡単なんだ。でも今は、動いた先の意味を考えるべきだ」


 いつもの、なんだか肩の力が変に抜ける言葉だった。


「……ナバロ女史。改めて状況の報告をしてくれたまえ」


 ヴォルフガングの声は、意識を吸いつけるものだった。

 初めて見たのはつい昨日のこと。ただ見ただけなのに、指が震えた。

 背中がこわばり、足首が回らなくなった。


 何が起きたのかなんて、わからなかった。

 見回すように視線が動く。

 熱くもない。冷たくもない。でも、確かに空気が固くなった。


「ええ、報告いたします。来訪者は見ての通り二名。目的はどうにも要領がつかめず不確かですが、会話の流れからすると、自己肯定の確認や、他者より上に立ちたい意図が含まれていたように思います」


 その言葉遣いは、アエルとやり取りしていたときとはまるで違う、小難しくて、それでいて丁寧なものだった。

 差をつけられているようで、胸の奥がうずく気がする。


 ゴソゴソと音がした。

 トレノは声にあごだけで頷きながら、懐に手を突っ込んでいる。

 指先で探し物に触れて、上着の布越しに輪郭を確かめて、ゆっくりと取り出す。

 見覚えのある――封蝋の赤色。土地特許の封書だった。


 眉間にわずかにしわが寄り、目は細められ、うかがうように周囲を見渡す。

 声をかけられる様子ではない。

 なぜだか無性に心細くなり、聞こえる音が薄くなった気がした。


「女性の方は終始感情的で、対応には少々手を焼きました。男性の方は彼女の機嫌を取ろうと、冒険者ギルドを悪し様に扱うような言動を繰り返しておりました」


 開く口が笑って見えた。

 アエルを取り囲む冒険者たちが遠ざかっていくようだった。

 目に映るものが定まらない。回り、移ろい、ほどけていく。


「なお、二人ともどうにも現実感に欠けており、会話の多くは根拠のはっきりしない自信や、他者を下げる物言いで占められておりました。……そういうわけで、意思の疎通はなかなか難しいかと」


 地面が揺れた気がしてたたらを踏む。

 ヴォルフガングと目が合った。

 半歩だけ後ずさる。

 そこで、足が動かなくなった。


「ここまでで、こちらとしても最低限のことは実施いたしましたが、これ以上の継続的な対応につきましては、正直……意味ないな……。――仕事の効率という点を考慮すると、お勧めはいたしません。……あ、個人的には二度と来ないでほしいのが本音ですけど」


 ヴォルフガングが、くくっと声を詰まらせる。

 細められた目が、上下に動いてアエルを値踏みする。

 息ができなかった。

 石床を見つめ、手に力が入り、それが余計に視線を集めた気がする。


「それで……言い分はあるか」


 口が開かなかった。

 体が動かなかった。

 でも、言いたいことがあるのは間違いなかった。


 カツン……と音が鳴る。

 黒革の短靴が一歩近づく。

 アエルの目はさまよい、自然と出口の扉へ吸い込まれる。

 その瞳を、像を捉える前に――閉じた。


 胸の中にもやついたものがあるのがわかった。

 しびれるように手足に広がり、汗が出て、身体がこわばる。

 アエルは、それが……


 ――気に入らなかった。


 カツン……と、また音が鳴る。

 胸がきゅっと締まる。

 今度は顔が熱くなる。

 なんだか自分が、たまらなく――恥ずかしい。


 だから……


 前を向き――銀色の髪を、視界の真ん中に収めた。


 ……ただの、男だった。

 感情を表に出さず、少しだけ背が高く、目が細いだけの……

 アエルは見上げ、ヴォルフガングが見下ろす。

 目の前にいるだけで、そんな構図が生まれてしまう。


 大きく息を吐きだした。

 法衣を掴む手を離す。

 つま先を踏みしめて、腹の下に力を入れる。


 ……そうしたら、ようやく口が開いた。


「やい、ヴォルフガング! 僕はお前なんか、怖くなんか、ないんだからな!」


 冒険者ギルドの石壁は、アエルの声を大きく響かせる。

 音は返されて、重なって、徐々にかすれて……消えた。


「アエル・ホーミス。君は、自分がどんな立場か、わかっていないようだな」


 鉄のような頬が、微かに緩む。

 アエルは奥歯をかみしめた。 

 腹の底でくすぶる反発は、ほどけるにはまだ足りない。


「さんざん僕のことを苦しめやがって。お前さえいなければ、クライドは……。僕は、困らなかったんだぞ!」


 蓋をしていたはずの感覚が、目頭に駆け上がる。

 自然とまばたきが増えた。


「……ああ、仕事のことか。確かにあれは私の選択だ。しかし、人には向き不向きというものがある。誤った扉を開かぬよう、鍵をかけるのは私の使命だ」


 平坦な声色だった。

 ただそう言って、目を伏せる。

 アエルを見ることもなく、ただ、淡々と……


「決めつけるな!」


 吹き出したのは、言葉だけではなかった。

 震えたのは、体だけではなかった。


「僕は……僕は、冒険者なんだからな! 何もわかってないくせに。知らないくせに!」


 嗚咽は形にならなかった。

 ただ、吐く息は熱く。

 指の先は冷たかった。


「知っている」


 音がやむ。

 息が詰まる。


 ヴォルフガングは、色のない目をしていた。


「だからこそ、あえて言おう。君は、箱庭のような場所で暮らしていくのがふさわしいのだ」


 叫ばれたわけではない。

 なのに、アエルはかかとに力が入る。

 心の強さでは、負けたくなかった。

 両手を胸の前で握りしめる。


「僕は資格持ちの冒険者になるんだ!」


 胸の中で同じ言葉を繰り返す。

 迷いはなかった。


「もう、お前と同じなんだからな! 言うこと聞く必要なんて、ないんだからな!」


 ヴォルフガングはまっすぐにアエルを見据えていた。

 片手を伸ばし、止める。

 そして、その手を大きく振り払う。


「秩序というものは――制御されねばならないのだ。もしまだ叫ぶのであれば、私は君の口をふさがなくてはならない。すなわち……」


 途切れた。


「――黙れ」


 静かに、重く言い放たれる。

 アエルの喉に何かが張り付いた。

 ヴォルフガングは受付嬢に顔を向けた。

 彼女は肩をすくめると、小さく手を上げる。

 そして二人は、アエルに視線を送った。


 どんな意味なのかはわからない。

 でも、決していい意味じゃないことくらいは気がつける。

 アエルは怒りの矛先を変えて、受付嬢をにらみつけた。


「なんだよ、僕の話を全然聞かなかったくせに、なんかこっちが全部悪いみたいに言いやがって!」


 八つ当たりだった。

 けれど、とにかく吐き出したかった。

 眼鏡に隠れた眉根にしわが寄る。


「お前なんてな、お前なんてな……」


 胸の疼きはなかなか言葉に変わらない。

 でも、ヒントはあるはずだった。

 ちょっと間違えただけなのに、アエルはすごく怒鳴られたのだ。


 直感なんかではなく……

 悪意を形にする覚悟を決める。


「どうせ、人生が――夢みたいなくせに!」


 受付嬢の肩が揺れた。

 ヴォルフガングは目をつむっている。

 開け放たれた窓から届いていた音が止む。


 知っている感触だった。

 アエルの頬が微かに緩む。


「あー、ほんと、笑っちゃうよね。僕の倍近くは生きてるのに、まだそんなに綺麗にしてるなんて」


 自分の声が少し高くなっていることに気づく。

 その高揚を押し隠すように、小さく息を吐きだした。

 受付嬢の手は強く握られている。

 アエルの口は、滑らかに動いた。


「男を見る目があるんだっけ? それってさ、つまり何人も男に言い寄られたってことだろ。気づかないで自慢しちゃうとか、ウケる」


 頬に熱気を感じる。

 誇らしげに片眉が上がる。

 アエルの笑みも深くなる。


 顔を赤くし、理性をなくした姿を見下ろしてやりたかった。

 しかし……


 細い体は震えていた。


「ぷっ」


 ……上品に、手を口に当てて、前かがみで。

 聞こえてきたのは、短く空気を吹き出す音だった。

 アエルの手に爪が食い込む。


「な、ざこのくせに生意気なんだぞ! ばーか! この、ばーか!」


 勢いに任せて石床を踏み鳴らす。

 トス……トス……と、足に固さが伝わってくる。

 しかしまったく響かなかった。


「……なにそれ。褒めてくれたんでしょ? 気づかなくてごめんね。そんなに――アタシに嫉妬してたなんて思わなかったわ」


 受付嬢は余裕を感じさせるように口元を緩ませる。

 服のしわを整えて、もう一度背筋を伸ばした。


「耳、腐ってんじゃないのかよ! ぜんぜん褒めてなんかないんだからな!」


 割り込むように、手が上げられる。


「そうだよ。確かに、アエルは褒めてたんじゃないね――」


 トレノが一歩、会話の真ん中に進み出る。

 そして、満足げに全員を見渡した。


「これは純粋な事実を言ったんだ。そこに照れや反発が混じるのは、人間らしさだよ。観察が深い人には、気づけることなんだけどさ」


 声の響きが消えるまで、ひと呼吸。

 そして、アエルに向けて、愛嬌を込めて片目をつぶる。


「受付嬢さんも、まったく人が悪い。アエル、彼女はこう言ったんだ。ありがとう、って。本当に、いい言葉だよね。僕は、この言葉の可能性を信じてるんだ」


 誰も声を発せられなかった。

 三つの視線がトレノの頭上に滑り、周囲を取り囲む冒険者も目を泳がせる。

 アエルは制御できない瞳の動きに、まばたきをした。


「僕はトレノ・ダ・ヴァレスタ。実は、この街の近くで土地特許を手に入れた身なんだ。今は、水面下で事業を大きくする青写真を描いているところさ。まあ、常識を壊すのって、上からでも下からでもなく、横からなんだって思ってるんで、よろしくお願いしますよ」


 そう言って、ヴォルフガングに手を差し出した。


 二人の視線が交差する。


 ゴクリと、誰かが唾を飲みこむ音がする。


「ふっ……」


 短く息を吐いて。

 手を降ろした。


「まあ、原理主義派の人たちの思想が凝り固まってるのは知っていたので、僕は構いませんよ。実際、最近の若手の間じゃ、次の十年を作れる宗派しか、話題にならないんですよね。ああ、僕はもちろん権威主義派ですよ」


 ヴォルフガングのあごがわずかに上がる。

 懐中時計の蓋を開け、またすぐに閉じる。


「……二人とも、言い分はなかったようだな」


 腕が持ち上がった。

 拳を握るでもなく、ゆるく曲げられている。

 それだけで、冒険者たちの気配が濃くなった。


「あ、待った。さっきのは宗教の話に聞こえたかもしれないけれど、僕が言いたいのは動ける人間かどうかの話なんだ」


 ヴォルフガングは揺るがない。

 冒険者たちも目配せし、にじり寄る。


 耳の奥で、鼓動のような低い唸りが聞こえ、指の先まで伝わった気がする。

 銀色の髪が揺れ、冷たい視線がトレノの喉を見つめる。


 息を飲む音だけが、際立った。


「……まいったな」


 微かな声で呟かれる。


「そこまで気負う必要ないだろ。僕は見ての通り、腕っぷしなんてないんだ。もうちょっと、お手柔らかにしてくれよ」


 両手を上げて、へにゃりと眉を下げる。

 今まで見たことがない、素直さみたいなものを感じた。


「もちろん、あなたの指示に従うよ、ロキタ氏。弁明もする。ただ、荒事慣れしている冒険者たちの言うことを、素直に信じられないっていう僕の気持ちも、少しはわかってもらえると嬉しいかな」


 懐に手を入れて、封書を取り出した。

 それを高く掲げ、周囲に赤い封蝋を示す。


「見ての通り、これは大切な書類でね。封蝋が割れると、僕だけではなく、書いた人物の権威も傷つくことになるんだ。それは、お互い望まないことだと思わないかな。無駄な争いが起こりかねないし、僕はそれを防ぎたい」


 封書を掴む手を、ゆっくりとアエルへ向ける。

 その目はどこか悲しげで、覚悟を決めたような顔をしていた。


「これはアエルに託すよ。僕が話し合いに応じる。だから、アエルには手を出さないでくれないか。本当に――守りたいんだ」


 封書を差し出したまま、ヴォルフガングへ問いかけた。

 銀色の髪の光がまたたく。

 彼はゆっくりと頷いた。


「いいだろう。トレノ・ダ・ヴァレスタ。三分やろう。準備を済ませたまえ」


 懐中時計を開き、また時間を測り始める。


 ゆっくりと歩み寄り、そしてアエルは恭しく手を取られる。


「アエル。これを、預かって欲しい。この場で失うわけにはいかないものだから。君の――僕たちの未来のためにも……」


 アエルの手は震えていた。

 当たった羊皮紙の感触に、思わず指先が跳ねる。


「なんでだよ。トレノより僕の方が強いじゃないか。それに、これ大事なものなんだろ」


 トレノはそっとアエルの髪に手を伸ばし……

 ゴホンッ――

 受付嬢の咳払いで引っ込めた。


「悪かったよ。アエルを侮ったわけじゃないんだ。ただ、こうみえて僕は、論戦には自信があるんだ。殴り合いになったら、君の手を借りたい。それまで、これを預かってくれないか」


 差し出された羊皮紙の封書は、なんだか大きく見えた。

 喉が引きつり、足がわずかに震える。


「君が選ぶんだ」


 表情は穏やかだった。

 今後の人生を、他人に預けるとは思えないくらいに。


「……勝てるんだろうな」


 ヴォルフガングはまっすぐに立ち、懐中時計を眺めていた。

 その姿は自信がありげで、見ているだけでアエルの鼓動は速くなる。


「勝つさ」


 歯を見せてから言い切った。

 その目を見て、封書を――掴み取った。


「僕たちはもう、一蓮托生なんだからな。負けたりしたら、承知しないんだぞ」


 なんだかかっこつけた物言いに、耳が熱くなる。

 思わず封書を顔の高さまで持ち上げた。


「任せてほしい。僕はアエルと同じ将来に手をかけたいんだ」


 赤い封蝋が意識を吸い寄せる。

 そこには、見覚えのある車輪の刻印が押されている気がした。

 首をかしげて、指で確かめようとする。


「待て、待った。触るなよ……。封蝋は、割れやすいんだ」


 慌てたように手を取られた。


「なんだよ、壊すわけないじゃんかよ」


 アエルは封書を優しく持ち替える。

 トレノはためらいながら身を引く。

 どこか冷えた視線を感じた気がした。


 ――パチン。


 懐中時計を閉じる音が、視線を一斉に集める。


「……時間だ。そのくらいでいいだろう」


 よく通る声が、アエルの身体を重くする。

 ヴォルフガングの底の見えない瞳と目が合う。

 さえぎるように、背中がすっと割り込んだ。 


「ちょっとだけ、視点を引き上げた話をしたいんだ」


 そう言って、また会話の中心に進み出る。

 冒険者ギルドの真ん中。

 石の壁。石の床。

 武骨な造りのこの建物が、なんだか狭く感じた。


「考えてみてくれないか。冒険者ギルドとは、何だろう……」


 トレノは冒険者たちと、一人ひとり目を合わせる。

 それぞれが、顔を見合わせ首をひねる。


「僕はずっと、冒険者たちのための組織だと思っていた。……でも、違ったんだ」


 窓辺の影が、強い日差しを受けて深まっている。

 いつのまにか、朝は終わっていた。


「実際は、冒険者ギルドというのは、冒険者のためにあるのではなく、冒険者を使うための仕組みだった」


 紅潮した顔が震え、言葉の重みが増していく。

 アエルには、それが何の熱かはわからない。


「冒険者の仕事は、決して可能性を広げるものではなく、選ばせるものだったんだよ」


 若翠色の髪からしずくが落ちる。

 それにも構わず声が重ねられる。


「だからこそ、僕は今、気付きのきっかけを作りたい。君たちに、ほんの少しだけ、問いかけたいんだ」


 冒険者ギルドの空気が暑さで揺らぐ。

 誰も、動かない。

 すべての視線が、トレノの口元に集まっていく。


「冒険者って――何だろうか」


 はっきりとした口調で問いかけられた。

 胸にも何かがわだかまる。

 答えなんて、無い気がした。


「冒険者というのは――」


 ヴォルフガングの硬い声が通る。


「新大陸の土地の開拓者だ。――トレノ・ダ・ヴァレスタ、これで君の疑問は晴れたか」


 迷いを切り裂くようだった。

 揺るがずに、立ったまま、でも存在感がそこにある。


「そう、開拓者なんだよ。これからの道を切り開く側にいるはずなんだ」


 トレノは勢いよく振り返った。


「今この瞬間にも世界は広がり続けていて、僕らが触れられるのは地図のほんの一部にすぎない」


 片手を振り、握りしめる。

 その力は強く、指先が白くなる。


「大事なのは、その外に何があるかを見に行こうとする、その一歩を選び取れるかどうか――そう、なんじゃないかな」


 いつの間にか冒険者たちに語りかけていた。

 左右に視線を送る。

 冒険者たちは同意もできず、ただ俯いたままだった。


「要領を得ない話はやめたまえ」


 ヴォルフガングの言葉は、体の芯を叩くように響いた。


「秩序は守られねばならない。君はその立場からして、わかっているはずだ」


 身振りも手ぶりもないからこそ、押し潰されるような圧があった。


「土地特許の持ち主として、その土地の価値を見出して金貨を積んだ者として、冒険者という名の略奪者にすべて奪われることを許容するのか」


 視線は動くことなく、トレノだけを見据えている。

 誰かが息を飲む音がする。


「その言い切り方だと、見える景色が狭くなる。可能性は落とさないでいこう」


 ふっと息を吐いて、ゆっくりと紡がれる。


「僕はもう織り込み済みなのだけれど、正しく見える話ほど、誰が裏にいるかを考えた方がいいよ。成功している人は、もうこの仕掛けに気づいてる」


 一歩進み、手を広げ、何かを掴み取るかのようだった。


「トレノ・ダ・ヴァレスタ。私に向かって話せ。理念の競り合いなどするつもりはない。現状の判断と行動の決定こそが、この場でもっとも――有意義なものだ」


 声を荒げず、それでも高らかに、ヴォルフガングは言い切った。


「そうだね。だから、現状の話をしよう」


 トレノは一度手を重ね、今度はアエルを指し示す。


「アエルは不当に前途を閉ざされている。これに意味はあるのか……僕は断言できるよ、あるんだ。だってアエルは奇跡のような回復魔法を使えて、それを搾取することで利益が生まれる――そういうことじゃないか。じゃあ、誰が得をしているのか」


 言葉が途切れる。

 耳に手を当て、何かが聞こえるのを待つように。

 しかし、誰もそれには応えない。


「……この仕掛けを動かしているのは、誰なんだろうね」


 ヴォルフガングは、静かにその姿を見つめていた。

 焦るでもなく、居直るでもなく、受け入れているように見える。


「トレノが僕を資格持ちの冒険者にしてくれるんだ。もう、お前らのいいようには使われないんだからな!」


 胸の奥で熱が弾けるように、アエルは声を張り上げた。

 小さな冒険者ではいられなかった。

 トレノもうなずき、ヴォルフガングに向き直る。


「冒険者ギルドの体質は――」


「……もういい、黙れ」


 身動きが止まる。


 窓からは、水夫たちの威勢の良い声と、涼やかな潮騒。

 けれど、冒険者ギルドの中は固まっていた。


「……状況はわかった。これからは、裁定の時間だ」


 カツンと一歩、靴音が鳴る。

 それでアエルも、体が動きを取り戻す。


「勝手に僕のことを決められても、言うことなんて聞かないんだからな!」


 手を胸の前に掲げて、力いっぱい噛みついた。

 ヴォルフガングは足を止め、拳をあごに当てる。


「なるほど。では、反論があるなら許可しよう。決定は取り下げ、議論にすれば、冒険者諸君も納得いくだろう」


 冒険者たちに細めた目を向ける。

 返事はなく、身じろぎだけが返された。


「裁判の模倣といこうじゃないか。私、ヴォルフガング・ロキタは、アエル・ホーミスの不当な冒険者ギルド離脱宣言に対して疑義を申し立てる。被告人は前へ」


 射抜くような視線が向けられる。

 喉がひくつき、言葉は出なかった。


「トレノ・ダ・ヴァレスタ。君はアエル・ホーミスを弁護してみるがいい」


 言い終えると、身を翻し、ギルドの全員が見渡せる位置まで下がる。


「そして残りの諸君には見届けてもらいたい。この二人が、いかに愚かで向こう見ずなのかを」


 アエルは手を握り締めて、その銀色の髪を見上げた。


アエル「あー、ほんと、笑っちゃうよね。評価の☆マークが埋まってなくて、まだそんなに綺麗にしてるなんて」

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