90 おばけなんてないさ
「リ、リチャード! これを見て!」
震える指先で、絵の中の一部分、木の陰に立つぼんやりとした人影を指差す。
「どうしたんですか、お嬢様? なんでそんなに震えてるんですか? って、これは……!」
リチャードも、その人影に不穏なものを感じたらしい。
眉をひそめ、注意深く絵を観察し始めた。
「よく見てみると、前にいる人物の後ろに別の人物が隠れているようですね」
「えっ? 嘘! うわ……ほんとだ! よく見たら二人いる!」
私とリチャードのただならぬ様子に、皆が集まってきて絵を覗き込む。
そして、そこに怪しい人物が描かれているのを見て、それぞれが怯えたような表情になった。
(そうよね、怖いわよねこれ。あ、ハイジ様が……)
余程怖かったのだろう。
ハイジ様はクラウス様のケープの中に慌てて逃げ込んだ。
この怪しい人物には、顔が描かれていない。
つまり、表情がわかるはずがない。
なのに。
不思議なことに、この人物は、私達――というか私の方を、じっと眺めているように見える。
「あの……変なこと言ってごめんなさい。この人物は、エリザベス様の方を見ているような気がするんですけど……」
アメリア様の言葉に、思わずビクッと身体が跳ねた。
やっぱりそうだ。私の気のせいではなかったのだ。
「いやいや、見方によっては手前にいるアーデルハイド様を見ているということもあり得る……いや、違うな……これは確実にエリザベス様を見ているような……」
クラウス様が、期待を持たせるようなことを言いかけて、すかさず訂正した。酷い。
「本当だわ……エリザベス様を見ているように見えますわね……だとしたら……」
マーガレット様も、不安そうな表情になり、恐る恐るといった感じで言った。
「この人物は、本当にここにいたのでしょうか?」
皆、その言葉にハッとして、絵に向けていた視線を木々が生い茂る方へと向ける。
もちろんそこには誰もいない。
だが、レイン先生がこの絵を描いていた時には――
この人物は実在する人物なのだろうか。
それとも、レイン先生の空想上の人物なのか。
確かめようにも、レイン先生はすでに立ち去っていて姿が見えなかった。
「とにかく、帰りに受付に行けばレイン先生に会えますから。そこで話を聞けば良いでしょう。お嬢様、それまでは一応、用心してくださいね」
リチャードが真剣な顔で言うので、必死にコクコクと頷く。
それはさておき。
私は、さっきからどうしても口に出して確かめたいことがあった。
いや、正直に言うと口に出すのは怖いのだ。
怖いけど、このまま言い出せずにいる方が嫌だ。
(よし! 勇気を出そう!)
「あのね、リチャード、皆……」
私のただならぬ様子に、皆が何事かと注目した。
「これって、もしかして…………幽霊とかじゃないわよね?」
皆、驚きに目を見開き動きを止めた――と思ったら、すぐに私から視線を逸らした。
(え? 何その反応!? あ、ハイジ様が完全にクラウス様のケープの中に隠れた!)
予想以上の反応に、自分で言い出したくせに動揺していると、リチャードが私の肩をガッと抑えつつ言った。
「大丈夫ですよ、お嬢様。幽霊だったとしても、お嬢様には指一本触れさせませんから」
(おいこら。……そこは幽霊ではありませんとか、幽霊なんかいるわけないですとかって言うところじゃないの!?)
言って損したと思いつつ、しょんぼり項垂れていると。
「まあまあ、せっかくのハイキングなんですから。楽しい気分で過ごさないと損ですよ。そうだ、気分転換に、何かしましょうよ。ん-、そうだな、しりとりなんてどうです?」
さすがクラウス様。この中では一番年上なだけある。
というか、いつも怖がりなハイジ様の側に居るから、気分を明るくするのが上手いのかもしれない。
「そうだ、エリザベス嬢と他の皆とで、1対7のしりとりをやりましょうよ」
「1対7ですか?」
「ええ、エリザベス嬢の番の後、誰かが答えて、その後すぐまたエリザベス嬢が答えるんです。これの繰り返しでいけば、エリザベス嬢は余計なことを考えなくて済みますよ」
確かに。すぐに私の番が回ってくるなら、余計なことを考える暇が無いからかなり気が紛れそう。
よし、乗った!
「それ、いいですね。やりましょう! では、私からいきますね。ええと、しりとり!」
「リス……ぷっ」
「クララの意地悪!」
ハイジ様がケープの中から顔を出して、クラウス様に文句を言った。
「えっと……スミレ」
「レンゲ」
「幻覚」
「えっ? えっと、クルミ」
「密室」
「ツツジ」
「……地縛霊」
「ストップ! お嬢様、落ち着いて下さい! レンゲ以降は全部、不穏な単語になってるじゃないですか!」
「だって、どうしても怖いこと考えちゃうんだもん!」
これでは気を紛らわすどころか、逆効果だと言うことになり、しりとりはあっけなく終了。
「ではもう、いっそのこと、怪談話でもします?」
「嫌だ! クララの意地悪!」
「そうですよね、アーデルハイド様は怖い話を聞くと、夜にお手洗いに行けなくなっちゃいますからね」
「酷い! クララの馬鹿!」
ハイジ様は、クラウス様のケープから出てきて、頬を膨らませてプリプリと怒っている。
さっきよりも元気が出て来たみたいだ。
(ああ、クラウス様はいつもこんな風にハイジ様を元気づけてるんだな……)
そう思いつつ、クラウス様を見ると、レイン先生ほどではないが、中々に素敵なウインクをしてきたので、思わず吹き出してしまった。
「良かったです、お嬢様。ちょっと気が晴れたようですね。……クラウス殿はさすがだな」
リチャードが、ほっとしたような、だけど少しだけ悔しそうな表情で言った。
「リチャード、ごめんね、心配させちゃったわね。でも、もう大丈夫!」
元気よくそう言ってみる。
そうだ、せっかくのハイキング。
考え込んでいる時間がもったいない。
「よーし、ブルック先生をからかいに行くとするか!」
「止めて下さい! なんてこと言うんですか!」
速効でリチャードから怒られた。
良いアイデアだと思ったんだけどな。




